碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

言葉の備忘録276 ずっと・・・

2022年04月15日 | 言葉の備忘録

 

 

 

 

M ずっと続けてるっていうのが、

      いちばんいいことですよ。

L  こないだカメラマンの立木義浩さんも

      言ってました。

    長く続けるのがいいことだって。

M 長く続けないとわからないことがあるからね。

 

 

みうらじゅん×リリー・フランキー「グラビアン魂」

『週刊SPA!』2022.04.19/26号

 

 

 


テレ東「メンタル強め美女白川さん」に学ぶストレス対処法

2022年04月14日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

 

「メンタル強め美女白川さん」

ストレスとは「闘う」のではなく「かわす」

 

昨年夏に放送された、伊藤万理華主演の深夜ドラマ「お耳に合いましたら。」(テレビ東京系)。その主人公の同僚を演じたのが井桁弘恵だ。さっぱりした性格の美人OLがよく似合っていた。

先週から始まった「メンタル強め美女白川さん」(同)は、井桁の民放連ドラ初主演作だ。コメディータッチでありながら働く女性に有効な「ストレスと向き合うためのヒント」が満載のドラマになっている。

思えば、職場の人間関係こそ最大のストレスかもしれない。特に若い女性たちは大変だ。日々、同性の妬みや嫌み、マウントと向き合っている。

いつも笑顔の営業事務、白川桃乃(井桁)も例外ではない。挨拶を無視されたり、悪口を言われたり、いただき物のお菓子が配られない「お菓子外し」に遭ったりもする。

だが、白川さんは動じない。「受け取る必要のないストレスは、受け取らない」からだ。モットーは「私は私、可愛く強く!」。アッパレな自己肯定感だ。初回で最高のセリフは「失礼な人間の美意識とか信用するに値しなくないですか?」だった。

うーん、これってなかなか見事な思考法ではないか。白川さんの強さの秘密は、ストレスと正面から「闘う」のではなく、ストレスを柔軟に「かわす」ことにある。

初主演でも力まない井桁だけでなく、同僚役の野呂佳代が抜群にいい。深夜の助演女優賞だ。

(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2022.04.13)


言葉の備忘録275 大丈夫・・・

2022年04月13日 | 言葉の備忘録

2022.04.12

 

 

 

 

大丈夫、

心配するな、

なんとかなる

 

 

伝・一休禅師の言葉

NHK BSプレミアム

 『傑作か、それとも・・・京都大徳寺・真珠庵での格闘』より

 

 

 


言葉の備忘録274 読んでも・・・

2022年04月12日 | 言葉の備忘録

 

 

 

読んでも忘れる。

忘れるがゆえにもう一回読むことができる。

そのように再読できるというのが、

本のもっているちからです。

 

 

長田 弘 『読書からはじまる』

 

 


【気まぐれ写真館】 2022年4月11日 本日も「夏日」

2022年04月11日 | 気まぐれ写真館


【気まぐれ写真館】 2022年4月10日 夏日

2022年04月10日 | 気まぐれ写真館


『カムカムエヴリバディ』あまりに見事な「着地」と「幸福な結末」

2022年04月10日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

 

『カムカムエヴリバディ』

あまりに見事な「着地」と「幸福な結末」

 

『カムカムエヴリバディ』が、ついに幕を閉じました。

「ああ、本当に終わっちゃったんだなあ」という寂しさを抱える人は少なくないと思います。

また、その「不在」は、これからじわじわと効いてくるのかもしれません。

それくらい、今回の朝ドラには見る側を惹きつけるものがあり、特に最終週は見事でした。

最たるものが、15分間の「構成」です。

最終週では、月曜から木曜まで、AI(あい)さんが歌うオープニングの前と後で、2つの「別の時代」の物語が同時進行していったのです。

逆転したのは、金曜の最終回だけでした。

オープニング前の部分は、2022年から25年。そして、後の部分は2004年。

20年近い「時差」のある話が、何の違和感もなく共存していました。

しかも、どちらも「奇跡」と呼びたくなるような展開でした。

2004年の奇跡

2004年のほうは、これまでの流れの「最前線」であり、岡山でジャズフェスティバルが開催された、クリスマスの出来事です。

この日に起きたことは、どれも「奇跡」と呼びたくなるようなものばかりでした。

しかし最終週は、アニー・ヒラカワこと安子・ローズウッド(森山良子)と、娘のるい(深津絵里)の再会に尽きます。

ラジオの生番組に出演していたアニーが、自分の過去を問われる中で、るいに対する思いを日本語で語りはじめたのです。

アニーは、やはり安子でした。

「若かった私は自分の気持ちばかりで、大切なことを見失っていました。幼い娘の胸の内を、本当はわかっていませんでした」

やがて岡山弁になっていく安子。

「るい! るい! お母さん、あれからなんべんも考えたんよ。なんでこげなことになってしもたんじゃろて。わたしゃ、ただ、るいと2人、あたりめえの暮らしがしたかっただけじゃのに」

自分には、娘の前から姿を消すことしか出来なかった。それが唯一の「詫び方」であり、「祈り方」だったのだと。

「おいしゅうなれ、おいしゅうなれ、おいしゅう(絶句)……るい!」

ここまでの安子の言葉を聴いていた、るい。

黙ったまま、その表情だけで、驚きから母に対する揺れる思いまでを表現する、深津さんが素晴らしい。

そして、ついに立ち上がり、声をあげます。

「お母さん、お母さん、お母さん」

その一方で、ひなたの「アニー追跡劇」が続きました。関空まで行きながら会えず。落胆して岡山に戻る、ひなた。

そして、フェスティバル会場の前に立つ、アニーを発見。逃げるアニー。追う、ひなた。

アニー、いえ安子にとって思い出深い「神社」まで来て、つまずき、崩れ落ちてしまいます。

遥か昔、「稔さん!」と呼びかけた場所で、「るい!」と娘の名を呼ぶ安子。

ひなたは、足を痛めた安子を背負って会場へ。安子はついに、るいとの再会を果たします。

るいは、歌っている途中でステージを降り、ゆっくりと安子に近づき、抱きしめます。

「お母さん……」

「るい……」

「I Love You」

母と娘は互いに許し合います。

瞬間、一度は閉ざされた扉が開き、少女時代のるいに笑顔が戻ったイメージ。

安達もじりさんによる、このシーンの演出も見事でした。

無駄な動きや言葉を排し、2人の気持ちだけに寄り添うものでした。

翌年、再び来日した安子は、勇にアメリカに渡ってからの話を聞かせます。

そして、映画『サムライ・ベースボール』は、稔さんの夢の実現だと言い、その言葉を思い浮かべました。

「どこの国とも自由に行き来できる。どこの国の音楽でも自由に聴ける。自由に演奏できる。僕らの子どもには、そげな世界を生きてほしい」

安子にとって、ようやく、そんな時代が来たんですね。

2022年の奇跡

一方、2022年。なんと、ひなたは海外で活躍するキャスティング・ディレクターになっていました。祖母・安子の跡を継いだような形です。

老年になった、るいとジョーは、岡山のジャズ喫茶を受け継ぎ、経営しています。その落ち着いた姿に和みます。

そして、ひなたは、NHKの制作者から、24年度の「ラジオ英会話番組」の講師を依頼されました。

ひなたが一人で訪れたのは、懐かしい撮影所。

偶然会った、伴虚無蔵(松重豊)が声をかけました。ひなたの「迷い」を見抜いたのです。

「おひな。そなたが鍛錬し、身に付けたものは、そなたの一生の宝となる。されど、その宝は、分かち与えるほどに輝きが増すものと心得よ」

やがて、ひなたがマイクの前に座る日が来ました。

目の前にいるのは、一緒に講師を務めるウイリアム・ローレンス(城田優)です。

8日(金)の最終回。

画面では、ラジオ放送が開始された時のアナウンサーが、マイクに語り掛けています。1925年のことです。

「あー、あー、聞こえますか? JOAK、こちらは東京放送局であります」

そして、100年を経て、ひなたが講師となる英語講座のスタートです。

ウイリアムが語り始めました。

「A Long time ago, at the same time as Japanese radio broadcasting began, a baby girl was born.」(むかしむかし、日本のラヂオ放送開始と同時に誕生した女の子がおりました)

「その女の子は、戦争の真っただ中に、女の子を産みました」

安子と、赤ちゃんだったるいの映像。

「その女の子は、高度経済成長期の真っただ中に、女の子を産みました」

走る東海道新幹線。るいと、赤ちゃんだったひなたの映像。

「これは、ある家族の100年の物語です」

2025年、そしてその先へ

2025年の春。ひなたのラジオ講座は「レッスン112」で終了しました。

撮影所を訪れたひなたは、そこで講師のウイリアムに出会います。

終わってしまったラジオ講座の話になった時、ウイリアムが言いました。

「あなたの作成したテキストはすばらしい」

ラジオ講座の素材となった「100年の家族の物語」を書いたのは、ひなただったのです。

そう、ここで講座最終回の「レッスン112」と、ドラマの最終回である「第112回」が、ピタリと重なってきます。

このドラマの物語全体が、いわば、ラジオ講座「ひなたのサニーサイドイングリッシュ」の中身だったことが判明したのです。

いやはや、あまりにも心憎い「しつらえ」に、驚くと共に感心するばかり。

しかもこの時、ひなたは、ウイリアムが自分の初恋の相手である、かつての「ビリー少年」であることを知りました。

長い年月を経ての、初恋の人との邂逅。

これから2人がどうなっていくのかはともかく、なんとも「幸福な結末」です。

いえ、ひなただけでありません。

安子にとっても、るいにとっても、さらにこのドラマに登場したどの人物にとっても、それぞれの「幸福な結末」がありました。

それは、日々を懸命に生きる人たちへの「優しい励まし」となったのではないでしょうか。

3か月間、見つめ続けた100年の物語。安子に、るいに、ひなたに、感謝です。

そしてキャストはもちろん、脚本の藤本有紀さん、演出チーフの安達もじりさんをはじめとする制作陣に、大きな拍手を。


【気まぐれ写真館】 2022年4月9日 気温23度

2022年04月09日 | 気まぐれ写真館


【気まぐれ写真館】 2022年4月8日 気温21度

2022年04月08日 | 気まぐれ写真館


NHK「サタデーウオッチ9」番組がもてなすべきはゲストではなく視聴者だろう

2022年04月07日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

 

 

NHK「サタデーウオッチ9」

番組がもてなすべきは

ゲストではなく視聴者だろう

 

新番組を始めるなら、はっきりと示すべきことがある。番組の「ウリは何か」だ。特に第1回では、他局や自局に存在する同ジャンルの番組との違いを鮮明にする必要がある。2日(土)夜にスタートした「サタデーウオッチ9」(NHK)はどうだったのか。

司会は赤木野々花アナウンサー。古舘伊知郎と組んだ「日本人のおなまえ」や谷原章介との「うたコン」など、エンタメ系のイメージが強い。赤木の抜擢には“カジュアルな報道番組”といった狙いがあるのだろう。冒頭の挨拶でも「ホットなニュースをより深く、より分かりやすく」伝えると宣言していた。

初回のゲストは香取慎吾だった。驚いたのは、ウクライナ情勢から経済やスポーツまで、全てのコーナーでコメントを求めていたことだ。もちろん、ウクライナ問題では防衛研究所の専門家の解説がメインだったが、全体がゲストに対するプレゼンのように見える。

中でも「推しプレ!」のコーナーは香取が話しやすいアートがテーマで、その“おもてなし感”が気になった。番組がもてなすべきはゲストではなく視聴者だろう。

しかも、番組の最後で香取が出演する新番組「ワルイコあつまれ」が紹介された。つまり、「チコちゃんに叱られる!」などでも目につく、番宣ゲストだったのだ。これが新たな報道番組の“ウリ”でないことを祈る。

(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2022.04.06)


北海道で放送された、 ユニークな「トークセッション」

2022年04月06日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

北海道で放送された、

ユニークな「トークセッション」

 

北海道で、ユニークな「トークセッション」が放送されました。
 
3月27日の特番『生きてるうちにしたい100のこと。-2022晩冬-』(HTB北海道テレビ)です。
 
出演は『水曜どうでしょう』(同)の鈴井貴之さんと、『イチオシ!!』(同)の司会を長年務めたヒロ福地さん。
 
初共演だという2人が、肩を並べて会いに行ったのは脚本家・倉本聰さんです。
 
現在87歳になる倉本さんが「生きてるうちにしたいこと」とは何なのか。
 
倉本さんが挙げたのは、以下の7つでした。
 
1つ目は、何と「プーチン暗殺をゴルゴ13に依頼すること」
 
しかし、漫画家のさいとう・たかをさんが亡くなってしまい、悲願を果たせなかったと本気で悔しがります。
 
次が「北海道を1960年代の貧しいが倖(しあわ)せな哲学を持った共和国として独立させる」
 
原発その他、化石エネルギーの使用を禁じ、人間が本来体の中に持っているエネルギーだけで生きていける「島」に戻したいと言うのです。
 
3つ目は「20~30代の愛人を2~3人持つ」
 
これには鈴井さんも福地さんもびっくりでした(笑)。
 
しかし、「脚本は女優へのラブレター」が信条の倉本さん。まだまだ脚本を書き続けたいという意欲の表明だったわけです。
 
続いては、「安楽死法案を成立させ、イヤになったらいつでも楽に死ねる国家にする」
 
倉本さんは、安楽死や尊厳死について、長年考えてきました。それはドラマにも反映されています。
 
あらためて、医学の役目は患者を苦しみから救うことだと主張しました。
 
5つ目は「おふざけタレントをテレビ界から放逐する」
 
これは、ある大物芸人が、長くテレビに君臨し続けることに対する異議です。
 
倉本さんは彼の俳優としての演技もあまり評価していません。
 
その名前はピー音で消されていたがましたが、87歳の愛すべき過激さに驚かされました。
 
さらに、「自由に煙草(たばこ)の喫える社会に戻す」も飛び出しました。
 
倉本さんによれば、ドラマ『北の国から』は「46万本のマイルド・ラークと1400本のジャック・ダニエル」が書かせた作品。
 
反論、異論は承知の上での持論です。
 
そして最後、7つ目のしたいことが「時速40キロ以上のスピードを全て禁止する」でした。
 
人は急ぐことで、たくさんのものを見失ってきました。今こそ文明とスピードの関係を検証する必要がありそうです。
 
この番組、50代の鈴井さんと福地さんが、80代の倉本さんに、敬意を込めて迫っていったことで化学反応が生まれました。
 
人生の「残り時間」とその「使い方」に関して、より切実であるはずの倉本さんが、忖度なしで自由に跳ねたのです。
 
しかも、そこには衰えを知らぬ「反骨」と「ユーモア」の精神がありました。
 
今回の3人にならって、「これから何がしたいか?」と自分に問いかけてみる。それは悪くない時間の使い方かもしれません。

『ミステリと言う勿れ』だけじゃなかった、冬ドラマの「佳作」(2)

2022年04月05日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

『ミステリと言う勿れ』だけじゃなかった、

冬ドラマの「佳作」(2)

 

3月末、冬ドラマが続々とエンディングを迎えました。
 
今期は『ミステリと言う勿(なか)れ』(フジテレビ系)が大いに話題となりましたが、隠れた「佳作」たちも存在しました。
 
前回は『ファイトソング』(TBS系)を取り上げましたが、3月25日に幕を閉じた『妻、小学生になる。』(同)もそんな1本です。
 
原作は、村田椰融(むらた やゆう)さんの同名漫画。
 
そこに脚本の大島里美さん(『凪のお暇』など)が、さり気なく巧みなアレンジを施しています。
 
「奇抜な設定」の意味
 
思えば、かなり奇抜な設定のドラマでした。
 
しかし、その奇抜さには意味がありました。「家族」とは何かという問いかけです。
 
10年前、新島圭介(堤真一)は、妻の貴恵(石田ゆり子)を事故で失っています。
 
それからは娘の麻衣(蒔田彩珠)との2人暮らしが続いていますが、どちらも生きることに無気力になっていました。
 
良き妻、良き母だった貴恵への依存度が高すぎたのです。
 
ある日、父娘の前に見知らぬ小学生、白石万理華(毎田暖乃=まいだ のの)が現れます。
 
しかも、自分は「新島貴恵」だと、驚きの主張をするのです。
 
真相としては、貴恵が万理華の体を借りる形で、一時的に現世に戻ったと言っていい。やがて訪れる「2度目の別れ」は必然でした。
 
「日常」の愛(いと)おしさ
 
最終回、万理華の姿をした貴恵との「最後の一日」が描かれました。
 
しかし、それは特別なものではありません。一緒に朝食を作り、食卓を囲む。3人で麻衣の洋服を買いに出かける。あくまでも「日常」です。
 
けれど、家族で過ごす日常がどれほど愛おしいものなのか、じわりと伝わってきました。
 
東日本大震災を経験したことで、また今も続くコロナ禍の中で、私たちはごく当たり前の生活のありがたさを知りました。最も身近な存在である家族の大切さも。
 
そんな「日常」に加えて、貴恵の「夢」だったというレストランを、自宅で実現してあげるサプライズも飛び出し、石田さんの笑顔があふれます。
 
そして、この最終回には、印象に残る言葉がいくつも埋め込まれていました。
 
たとえば、貴恵が夫の圭介に言います。
 
「(これからも)思いもよらないことがあるかもしれない。いろんな幸せをたくさん見つけてね」。
 
さらに、「あなたが隣りにいてくれて、本当に幸せだった」。
 
そして娘の麻衣には、
 
「生まれてきてくれた瞬間から、ママをいっぱい幸せにしてくれたの。今でも麻衣にはそういう力がある」。
 
こうした場面を成立させていたのが、“小さな大女優”と呼びたくなる、毎田さんです。
 
朝ドラ「おちょやん」で見せた達者な演技が一層進化していました。毎田さんの中に、あの石田さんが入っているとしか思えないほどでした。
 
いわば、もう一人の「主役」だったのです。
 
「有限の時間」の中で
 
人生は誰にとっても永遠ではありません。人は結末の見えない有限の時間を生きています。
 
その時間の使い方の中に「生きることの意味」を見出せるのだと、このドラマは伝えていました。滋味あふれる「佳作」だったのです。

『妻、小学生になる。』が問う、「家族」という存在

2022年04月04日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

「家族」という存在

 

思えば、奇抜な設定のドラマだった。3月25日に幕を閉じた、「妻、小学生になる。」(TBS系)である。しかし、その奇抜さには意味があった。「家族」とは何かという問いかけだ。

10年前、新島圭介(堤真一)は、妻の貴恵(石田ゆり子)を事故で失った。それからは娘の麻衣(蒔田彩珠)との2人暮らしだが、どちらも生きることに無気力になっていた。良き妻、良き母だった貴恵への依存度が高すぎたのだ。

ある日、父娘の前に見知らぬ小学生、白石万理華(毎田暖乃)が現れる。しかも、自分は「新島貴恵」だと主張するのだ。真相としては、貴恵が万理華の体を借りる形で一時的に現世に戻ったことになる。やがて来る2度目の別れは必然だった。

最終回では、万理華の姿をした貴恵との「最後の一日」が描かれた。だが、それは特別なものではない。一緒に朝食を作り、食卓を囲む。3人で麻衣の洋服を買いに出かける。あくまでも「日常」だ。けれど、家族で過ごす日常がどれほど愛しいものなのか、じわりと伝わってくる。

東日本大震災を経験したことで、また今も続くコロナ禍の中で、私たちはごく当たり前の生活のありがたさを知った。また最も身近な存在である家族の大切さも。

特に最終回には、印象に残る言葉がいくつも埋め込まれていた。たとえば貴恵が夫に言う。

「(これからも)思いもよらないことがあるかもしれない。いろんな幸せをたくさん見つけてね」。さらに「あなたが隣りにいてくれて、本当に幸せだった」。そして娘には「生まれてきてくれた瞬間から、ママをいっぱい幸せにしてくれたの。今でも麻衣にはそういう力がある」。

こうした場面を成立させていたのが、“小さな大女優”毎田だ。朝ドラ「おちょやん」で見せた達者な演技が一層進化している。毎田の中に石田が入っているとしか思えないほどだった。いわば、もう一人の「主役」だ。

人生は誰にとっても永遠ではない。人は結末の見えない有限の時間を生きている。その時間の使い方の中に「生きることの意味」を見出せるのだと、このドラマは伝えていた。滋味あふれる佳作だったと言っていい。

(しんぶん赤旗「波動」2022.04.04)

 


【気まぐれ写真館】 花冷え

2022年04月04日 | 気まぐれ写真館


『ミステリと言う勿れ』だけじゃなかった、冬ドラマの「佳作」(1)

2022年04月03日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

『ミステリと言う勿れ』だけじゃなかった、

冬ドラマの「佳作」(1)

 

 
さらば、冬ドラマ
 
3月末、冬ドラマが続々とエンディングを迎えました。
 
今期は『ミステリと言う勿(なか)れ』(フジテレビ系)が大いに話題となりましたが、隠れた「佳作」も存在しました。
 
たとえば『ファイトソング』(TBS系)です。
 
「不器用な生き方」への声援
 
注目ポイントは二つありました。
 
まず、岡田恵和さん(朝ドラ『ひよっこ』など)によるオリジナル脚本であること。
 
もう一つは、ヒロインが民放連続ドラマ初主演の清原果耶さんだったことです。
 
児童養護施設で育った花枝(清原)は、空手の有力選手でしたが挫折。しかも聴神経腫瘍で数カ月後の失聴を宣告されてしまう。
 
そんな花枝が出会ったのが、自分の大好きな楽曲を手掛けたミュージシャン、芦田(間宮祥太朗)です。
 
当時、どん底状態だった芦田はマネジャーから「恋愛でもして人の気持ちを知りなさい」と言われ、花枝に交際を申し込みます。
 
耳が不自由になる前の「思い出づくり」を決意する花枝。互いに期間限定の「恋愛もどき」のはずでした。
 
脚本の岡田さんは、物語を大仰なエピソードで飾らず、2人のキャラクターと日常をじっくりと見せていきました。
 
その積み重ねが、見る側の共感をじわじわと呼び起こしていったのです。
 
また同じ施設で育った慎吾(菊池風磨)が花枝を好きで、その慎吾をやはり施設仲間の凛(藤原さくら)が好きだったりしました。
 
自分の恋心にブレーキをかける2人の姿がいじらしい。それがドラマ全体に漂う、もどかしさと切なさを倍加させていました。
 
そして何より、登場人物たちに共通の「不器用な生き方」を見つめる、岡田さんのまなざしが温かい。
 
最終回、脚本家が仕掛けたこと
 
最終回、岡田さんが仕掛けたのは、互いに自分の思いを語る約8分間の長丁場です。
 
すでに音が聴こえなくなった花枝のために、芦田は自分が話す言葉を文字化して伝えます。
 
「恋って、しなきゃいけないものではなくて。でも、やっぱり、人が人を好きになるのは素敵なことだと思う/自分が好きな人が、自分を好きになってくれるなんて、それはもう奇跡みたいなもので/俺は待ってる、花枝が俺を必要だと思ってくれるまで/今までで今日が一番好きです」
 
この静かで熱い言葉を受けて、花枝も本音を明かします。
 
恋をすることで相手に甘え、弱くなっていく自分が怖いというのです。さらに芦田が創り出す音楽を、自分は聴くことができない悲しさも。
 
もともと“ピュア度”の高い清原さんですが、今回のような「生きづらさを抱えたヒロイン」は最適解。
 
病(やまい)を背負ったこと、人を好きになったことで成長していく、一人の女性を丹念に演じていました。
 
それはまた「女優・清原果耶」の成長のプロセスでもあり、見る側として立ち会えたことは小さな幸運だったと思います。