理研「STAPできず」=検証実験打ち切り―小保方氏退職へ
検証の結果、再現できなかったということで、事実上の終幕となった模様です。
この件に関してはココでも発見時から何度か取り上げてきましたが、1月に始まり12月までかかった一連の騒動を総括してみると、「科学の一分野の発見に過ぎないものを初めからセンセーショナルに報じすぎた」という一言に尽きますね。結果的に人死にまで出てしまった以上、最後の最後で一発逆転ということも少なからず期待していたのですが、残念ながら期限内に成果を見せることは叶わなかった模様です。記者会見を良く聞いていると、どうやら影も形もできなかったという話ではなく、実験中に万能細胞らしき特徴が発見できたことは事実としてあったらしいのですが、それが「自家蛍光」という、細胞の自死の際に出る同じような特徴と区別しきることができなかったということだったので、もしかしたら小保方さんもこの特徴を指して「成功した」とカウントしていたのかもしれません。ただ、残念ながらその細胞を用いて培養してもうまくいかなかったことから、今回は再現できなかったと結論付けられたようです。
それにしても、この類の記者会見を見ていて毎回思うのが、「結局存在するのかしないのか!」みたいなことをしつこく聞いているマスコミの滑稽さです。マスコミや新聞社は文系の人が多いので、こうした科学に関する報道になると途端に素人臭さが漂ってしまいますな。特にひどいのは今日の朝日新聞。何と記者会見前にも関わらず一面にはっきり「存在せず濃厚」と書いてしまっていました。正しくは「論文の通りには再現できず濃厚」に過ぎません。これを書いた朝日の記者は、未だかつて人類の誰もがなし得ていない「悪魔の証明」をやってのけたらしいので、その非存在証明の根拠となる朝日論文の一部でもどこかに載っているのかと探しましたが、ありませんでした。また捏造ということで良いですかね(笑)
自分は数学科なので、教育学部とはいえ一応理系寄りですから、この手の研究というのは着想自体に「誰も考えなかったことに挑戦する」という性質が含まれていることは分かっていますし、途中の時点で仮説が正しいか正しくないかを問うこと自体不可能であり、全く意味のないことだと理解しています。自然現象でない数学ですらも、未だに証明できないけど正しいらしい定理というのはごまんとありますし、ある命題の証明ができたとしても、それが唯一無二のものであるかは誰も分からないわけです。相加相乗平均の新証明など、古典のような定理にも未だに新しい発見が見つかったりするわけで、それがもし従来のものより簡明で早くできるものであれば、教科書を塗り替えることにもなるでしょう。万能細胞も、ESとiPSという作成法しかないと言う事は誰にも言えませんし、STAP理論というものが、今回の道筋ではできなかったとしても、それが現時点で全く見当外れなのか、道半ばなだけなのかは誰にも分からないのです。
ノーベル賞に輝いたiPS細胞が見つかる前は、受精卵を使わないと万能細胞はできないと思われていました。青色LEDだって、研究当初は「窒化ガリウムの結晶」が実現できるのか、誰にも分かっていませんでした。いざ大発見となれば、科学史を塗り替えるどころか、全世界の人々の暮らしが一変することだってあるわけで、科学というものはそうした前人未到の部分に挑戦することに意義があります。それが1度や2度失敗したからといっても、「できない」「存在しない」と決まったわけでは決してないのです。
まあ、とは言っても研究には当然予算が必要ですし、大学でもある程度の実現見通しがないことを好き勝手やらせるわけには行かないでしょう。企業であれば製品化、量産化してやっと利益が出るわけですから、よりシビアにならざるをえません。今回、理研はSTAP理論から手を引く決断をしたわけですが、もしかしたら他機関や海外で誰かが研究を続けるかもしれません。50年後、その人物が実現に成功した場合、最初に着想を提唱した小保方さんにもノーベル賞を・・・という可能性も、0ではないでしょう。辞表を出したそうですが、彼女には是非長生きし、授賞式には割烹着で臨んでもらいたいものですね(笑)
人間万事塞翁が馬。本当、生きていればまた良いこともあるさ・・・
検証の結果、再現できなかったということで、事実上の終幕となった模様です。
この件に関してはココでも発見時から何度か取り上げてきましたが、1月に始まり12月までかかった一連の騒動を総括してみると、「科学の一分野の発見に過ぎないものを初めからセンセーショナルに報じすぎた」という一言に尽きますね。結果的に人死にまで出てしまった以上、最後の最後で一発逆転ということも少なからず期待していたのですが、残念ながら期限内に成果を見せることは叶わなかった模様です。記者会見を良く聞いていると、どうやら影も形もできなかったという話ではなく、実験中に万能細胞らしき特徴が発見できたことは事実としてあったらしいのですが、それが「自家蛍光」という、細胞の自死の際に出る同じような特徴と区別しきることができなかったということだったので、もしかしたら小保方さんもこの特徴を指して「成功した」とカウントしていたのかもしれません。ただ、残念ながらその細胞を用いて培養してもうまくいかなかったことから、今回は再現できなかったと結論付けられたようです。
それにしても、この類の記者会見を見ていて毎回思うのが、「結局存在するのかしないのか!」みたいなことをしつこく聞いているマスコミの滑稽さです。マスコミや新聞社は文系の人が多いので、こうした科学に関する報道になると途端に素人臭さが漂ってしまいますな。特にひどいのは今日の朝日新聞。何と記者会見前にも関わらず一面にはっきり「存在せず濃厚」と書いてしまっていました。正しくは「論文の通りには再現できず濃厚」に過ぎません。これを書いた朝日の記者は、未だかつて人類の誰もがなし得ていない「悪魔の証明」をやってのけたらしいので、その非存在証明の根拠となる朝日論文の一部でもどこかに載っているのかと探しましたが、ありませんでした。また捏造ということで良いですかね(笑)
自分は数学科なので、教育学部とはいえ一応理系寄りですから、この手の研究というのは着想自体に「誰も考えなかったことに挑戦する」という性質が含まれていることは分かっていますし、途中の時点で仮説が正しいか正しくないかを問うこと自体不可能であり、全く意味のないことだと理解しています。自然現象でない数学ですらも、未だに証明できないけど正しいらしい定理というのはごまんとありますし、ある命題の証明ができたとしても、それが唯一無二のものであるかは誰も分からないわけです。相加相乗平均の新証明など、古典のような定理にも未だに新しい発見が見つかったりするわけで、それがもし従来のものより簡明で早くできるものであれば、教科書を塗り替えることにもなるでしょう。万能細胞も、ESとiPSという作成法しかないと言う事は誰にも言えませんし、STAP理論というものが、今回の道筋ではできなかったとしても、それが現時点で全く見当外れなのか、道半ばなだけなのかは誰にも分からないのです。
ノーベル賞に輝いたiPS細胞が見つかる前は、受精卵を使わないと万能細胞はできないと思われていました。青色LEDだって、研究当初は「窒化ガリウムの結晶」が実現できるのか、誰にも分かっていませんでした。いざ大発見となれば、科学史を塗り替えるどころか、全世界の人々の暮らしが一変することだってあるわけで、科学というものはそうした前人未到の部分に挑戦することに意義があります。それが1度や2度失敗したからといっても、「できない」「存在しない」と決まったわけでは決してないのです。
まあ、とは言っても研究には当然予算が必要ですし、大学でもある程度の実現見通しがないことを好き勝手やらせるわけには行かないでしょう。企業であれば製品化、量産化してやっと利益が出るわけですから、よりシビアにならざるをえません。今回、理研はSTAP理論から手を引く決断をしたわけですが、もしかしたら他機関や海外で誰かが研究を続けるかもしれません。50年後、その人物が実現に成功した場合、最初に着想を提唱した小保方さんにもノーベル賞を・・・という可能性も、0ではないでしょう。辞表を出したそうですが、彼女には是非長生きし、授賞式には割烹着で臨んでもらいたいものですね(笑)
人間万事塞翁が馬。本当、生きていればまた良いこともあるさ・・・