今日は急きょオ-ドリ-教室。取り付けの件で日曜日はどうなるのか?って話になる。
どうやらかぐやから、アップする為の画像を撮りに来る事になっていたので、
確認の電話があって・・・そんな訳で日曜が中止となって、それではお教室って感じで、
何だか久しぶりの午後からオ-ドリ-教室。
それまでは、富岡公民館の下地作り。
黒板の裏にフックを4つ付けて、更に黒板側の塗料を縁取り分だけ落とす。
これをしないと、いつものボンドでは乾きが遅くなるので、目地をすぐ出来ない。
サンプル作りの時には、完成引渡しは夕方に・・・となる方向だったが、
これでいくらか早めに終わった人達は、すぐに持って帰れると思われる。
当然、もう1つの下地の塗料も落として・・・・何とか昼抜きで間に合った。
さて、それではお教室。
先日、のりちゃん母さんやタピオカの使っていたガラスタイルで、丸やクラッシュ、細長い楕円・・・と、色んな形に切ってある。
難しいな・・・と言いつつ出来る。まっ、この程度なら特にこうしろ、ああしろは必要ないし、むしろ相談は素材選び。ここに合う素材は何かな?・・・ってね。
それも毎回では無く、悩んでいるようなら・・・って具合に、それは今までの趣旨とは完全に違うだろっ・・・って場合は、こちらから声を掛けるが、大きく変わらなければ、
ほぼ放置。ただね、ここが治し所・・・・ってのがあって、常に言っている事は、
1歩先を読む事、結論や結果を先に探さないで、道中のプロセスに沿って、根拠立てして
進んで見る事。もしかしたら?こうかな?とかね。しかもオ-ドリ-くらいになったら、
出口調査みたいな、少ない数で想像する。すべての数のタイルを並べて見て考える・・・
じゃなくて、数枚見て想像し判断をする・・・こんな練習をする。そうね、新築の時のクロスのカタログの切れ端を見て、何十万の金額になるような判断をする・・・あれね。
これも1つの勉強なのね。例えばかぐや。誰が観ても上手い。では、自宅のみで作っているかぐやは、アトリエと同じタイルを持っているか?そんな事は無い。
つまり相当少ない数の中で作っている。まるで貧乏のやりくりって感じだなっ。
じゃアトリエは?って言うと、そう言う事になると、ここは単なる倉庫では無い。
倉庫じゃなく宝庫。もう日本に無いタイルやガラスタイル、メ-カ-さんのサンプルやら、お宝だらけである。しかも定番なタイルならほぼ揃っている。
だからとても贅沢な選び方になる。では比較。上手いかぐやはやりくりで上手い。
つまりかぐやはもしここで作る事になれば、沢山の数からの選択は余りやった事が無い。
それが練習となるのなら、オ-ドリ-に足りない事は、その逆。沢山あっても、使うのは1つ・・・そうメインは1つ。それに合わせる。あっちがダメだからこっち・・・
そう言う決め方をしない。それをポ-カ-で例えて見た。オ-ドリ-のポ-カ-のイメ-ジは、揃っていない5枚なら、全部取り替える。
ワンペアなら、3枚取り替える。ツ-ペアなら1枚取り替える。そう事務的なのね。
これを目的意識を持つと、5枚揃っていないから、全部取り替える・・・では無くて、
ここをもし、一発逆転を狙うとして・・・と定義付けすると、揃って無いから全部じゃなくて、そこにキングやクイ-ン、エ-スなど、ロイヤルストレ-トフラッシュに、
関連するカ-ドがあれば、それを残して勝負する・・・とか、ワンペアは2枚揃っているのだから、3枚変えるとして、1枚でも同じカ-ドが来れば、3カ-ド、もう1組でツ-ペア
・・・と意識を持つ。つまりその次は、その得点によって、掛け方が変わって来るはずなのだから・・・・。でも、何も考えなくても結果としては一緒だったりもする・・・・
でもね、その感のようなやり方、事務的な処理とも言えるやり方、それでは自分の中で完結はしても、人への指導の時に、先生どうしてそうなんですか?の突然の質問には、
ほぼ一切答えられない・・・恐らく普通そうでしょ?・・・・って言いたくなるだろうね・・・・ここが大きな欠点。そこを根拠立てて説明が出来るようになると一皮剥ける。
ただ、苦手な人にいきなりは無理だから、曖昧にしない練習が教室。
例えば誰でも簡単なのは、甘いのとしょっぱいの、どっちが好き?これは子供でも判る。
こんな質問しても意味無いでしょ?もっとギリギリの質問をする。例えばこのコップに甘いって感じるには・・・・どうすれば良いの?って質問されたらどうする?・・・・
それを力士が撒く塩くらい入れる・・・って言ったら話はおしまいになる。だから、完全に甘い・・・じゃなくて、甘く感じる入り口はどの位?って質問になる。
何しろ一番簡単な自分はどの位で甘く感じる・・と答えられるのは、自分自身しかいない
。でも相手にこの位・・・って伝えないと、判るでしょ?では、押し付けでしょ?
それを大きなスプ-ンで大盛り3杯なんて言えば、子供にも判ったりする。
そんな事を簡単に答えられるようになったら、今度は、じゃ、人物設定をする。
12歳の女の子は?とか、女子23歳・・・とかね。すると味は子供だから・・・とか、大人だから・・・とか、想像を屈指しないとならなくなる。
これに正解など無い。けれど、そう言う事をする事で、自分はこう思うって言う事に、
根拠が付いて来る・・・何故なら・・・って言わないとならなくなるから。
それを常に大盛りにすると、楽になる。ただそれでは、それに合っている人だけが、良いって反応になる。では戻る。かぐやは上手い。上手い奴が大盛りの味付けするかな?
楽な味付けするかな?・・・じゃオ-ドリ-が楽しているとでも?違うね・・つまり、
切る、張るって行為は中々の腕前になっているのに、ただ味付けが大さっぱ過ぎるのね。
折角ひと手間を惜しまず切ったり、張ったり出来るのに、内容が昔のままに近く、感のみに頼る・・・そこを少しでも是正出来ると、そのひと手間に合うようになる。
かぐやが数少ない中で、見つけたやりくりの上手さなら、オ-ドリ-は数が多くても、
迷う事無く選べる上手さを身に付ければ良い。それが折角アトリエにいるのだから。
そして、亀有カルチャ-。常に3人とは言え、オ-ドリ-が上手い人と判断されて、信用の元、質問される・・・・しかも三者三様の質問。だってみんな違う作品なのだから。
そう言う点で、とても奴さんには勉強になっているはずなのね。
俺は師匠や先生だから、俺が質問をすると萎縮もさせる事もあるかも知れない・・・
でもあそこは信用されている人達、きちんと信頼されているそんな環境。
そこで意識無く練習していたのだから、意識するのが苦手なオ-ドリ-には丁度良い。
いずれにせよ、どうして・・・何で・・・と自分に問い掛ける・・・まっ良いか・・・とか、こんなもんか・・・じゃなくて、本当に?それで良いの?・・・ってなると、
一旦立ち止まる事も出来るし、何を根拠にそれ選ぶ?・・・そうすると、単に今日の気分なんて感だけに頼らなくなる。感だけでやりたいのなら、大作じゃなくて遊びの作品で。
いずれにせよ、遊びを作ろうかな・・・って下地と、ほぼ白一色を持って帰った・・・。
どうやらかぐやから、アップする為の画像を撮りに来る事になっていたので、
確認の電話があって・・・そんな訳で日曜が中止となって、それではお教室って感じで、
何だか久しぶりの午後からオ-ドリ-教室。
それまでは、富岡公民館の下地作り。
黒板の裏にフックを4つ付けて、更に黒板側の塗料を縁取り分だけ落とす。
これをしないと、いつものボンドでは乾きが遅くなるので、目地をすぐ出来ない。
サンプル作りの時には、完成引渡しは夕方に・・・となる方向だったが、
これでいくらか早めに終わった人達は、すぐに持って帰れると思われる。
当然、もう1つの下地の塗料も落として・・・・何とか昼抜きで間に合った。
さて、それではお教室。
先日、のりちゃん母さんやタピオカの使っていたガラスタイルで、丸やクラッシュ、細長い楕円・・・と、色んな形に切ってある。
難しいな・・・と言いつつ出来る。まっ、この程度なら特にこうしろ、ああしろは必要ないし、むしろ相談は素材選び。ここに合う素材は何かな?・・・ってね。
それも毎回では無く、悩んでいるようなら・・・って具合に、それは今までの趣旨とは完全に違うだろっ・・・って場合は、こちらから声を掛けるが、大きく変わらなければ、
ほぼ放置。ただね、ここが治し所・・・・ってのがあって、常に言っている事は、
1歩先を読む事、結論や結果を先に探さないで、道中のプロセスに沿って、根拠立てして
進んで見る事。もしかしたら?こうかな?とかね。しかもオ-ドリ-くらいになったら、
出口調査みたいな、少ない数で想像する。すべての数のタイルを並べて見て考える・・・
じゃなくて、数枚見て想像し判断をする・・・こんな練習をする。そうね、新築の時のクロスのカタログの切れ端を見て、何十万の金額になるような判断をする・・・あれね。
これも1つの勉強なのね。例えばかぐや。誰が観ても上手い。では、自宅のみで作っているかぐやは、アトリエと同じタイルを持っているか?そんな事は無い。
つまり相当少ない数の中で作っている。まるで貧乏のやりくりって感じだなっ。
じゃアトリエは?って言うと、そう言う事になると、ここは単なる倉庫では無い。
倉庫じゃなく宝庫。もう日本に無いタイルやガラスタイル、メ-カ-さんのサンプルやら、お宝だらけである。しかも定番なタイルならほぼ揃っている。
だからとても贅沢な選び方になる。では比較。上手いかぐやはやりくりで上手い。
つまりかぐやはもしここで作る事になれば、沢山の数からの選択は余りやった事が無い。
それが練習となるのなら、オ-ドリ-に足りない事は、その逆。沢山あっても、使うのは1つ・・・そうメインは1つ。それに合わせる。あっちがダメだからこっち・・・
そう言う決め方をしない。それをポ-カ-で例えて見た。オ-ドリ-のポ-カ-のイメ-ジは、揃っていない5枚なら、全部取り替える。
ワンペアなら、3枚取り替える。ツ-ペアなら1枚取り替える。そう事務的なのね。
これを目的意識を持つと、5枚揃っていないから、全部取り替える・・・では無くて、
ここをもし、一発逆転を狙うとして・・・と定義付けすると、揃って無いから全部じゃなくて、そこにキングやクイ-ン、エ-スなど、ロイヤルストレ-トフラッシュに、
関連するカ-ドがあれば、それを残して勝負する・・・とか、ワンペアは2枚揃っているのだから、3枚変えるとして、1枚でも同じカ-ドが来れば、3カ-ド、もう1組でツ-ペア
・・・と意識を持つ。つまりその次は、その得点によって、掛け方が変わって来るはずなのだから・・・・。でも、何も考えなくても結果としては一緒だったりもする・・・・
でもね、その感のようなやり方、事務的な処理とも言えるやり方、それでは自分の中で完結はしても、人への指導の時に、先生どうしてそうなんですか?の突然の質問には、
ほぼ一切答えられない・・・恐らく普通そうでしょ?・・・・って言いたくなるだろうね・・・・ここが大きな欠点。そこを根拠立てて説明が出来るようになると一皮剥ける。
ただ、苦手な人にいきなりは無理だから、曖昧にしない練習が教室。
例えば誰でも簡単なのは、甘いのとしょっぱいの、どっちが好き?これは子供でも判る。
こんな質問しても意味無いでしょ?もっとギリギリの質問をする。例えばこのコップに甘いって感じるには・・・・どうすれば良いの?って質問されたらどうする?・・・・
それを力士が撒く塩くらい入れる・・・って言ったら話はおしまいになる。だから、完全に甘い・・・じゃなくて、甘く感じる入り口はどの位?って質問になる。
何しろ一番簡単な自分はどの位で甘く感じる・・と答えられるのは、自分自身しかいない
。でも相手にこの位・・・って伝えないと、判るでしょ?では、押し付けでしょ?
それを大きなスプ-ンで大盛り3杯なんて言えば、子供にも判ったりする。
そんな事を簡単に答えられるようになったら、今度は、じゃ、人物設定をする。
12歳の女の子は?とか、女子23歳・・・とかね。すると味は子供だから・・・とか、大人だから・・・とか、想像を屈指しないとならなくなる。
これに正解など無い。けれど、そう言う事をする事で、自分はこう思うって言う事に、
根拠が付いて来る・・・何故なら・・・って言わないとならなくなるから。
それを常に大盛りにすると、楽になる。ただそれでは、それに合っている人だけが、良いって反応になる。では戻る。かぐやは上手い。上手い奴が大盛りの味付けするかな?
楽な味付けするかな?・・・じゃオ-ドリ-が楽しているとでも?違うね・・つまり、
切る、張るって行為は中々の腕前になっているのに、ただ味付けが大さっぱ過ぎるのね。
折角ひと手間を惜しまず切ったり、張ったり出来るのに、内容が昔のままに近く、感のみに頼る・・・そこを少しでも是正出来ると、そのひと手間に合うようになる。
かぐやが数少ない中で、見つけたやりくりの上手さなら、オ-ドリ-は数が多くても、
迷う事無く選べる上手さを身に付ければ良い。それが折角アトリエにいるのだから。
そして、亀有カルチャ-。常に3人とは言え、オ-ドリ-が上手い人と判断されて、信用の元、質問される・・・・しかも三者三様の質問。だってみんな違う作品なのだから。
そう言う点で、とても奴さんには勉強になっているはずなのね。
俺は師匠や先生だから、俺が質問をすると萎縮もさせる事もあるかも知れない・・・
でもあそこは信用されている人達、きちんと信頼されているそんな環境。
そこで意識無く練習していたのだから、意識するのが苦手なオ-ドリ-には丁度良い。
いずれにせよ、どうして・・・何で・・・と自分に問い掛ける・・・まっ良いか・・・とか、こんなもんか・・・じゃなくて、本当に?それで良いの?・・・ってなると、
一旦立ち止まる事も出来るし、何を根拠にそれ選ぶ?・・・そうすると、単に今日の気分なんて感だけに頼らなくなる。感だけでやりたいのなら、大作じゃなくて遊びの作品で。
いずれにせよ、遊びを作ろうかな・・・って下地と、ほぼ白一色を持って帰った・・・。