katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ノアさんに急きょユニディ、小ユニディ、アップル教室

2014-03-27 05:59:59 | モザイク教室
今日はノアさん教室だったが、急きょユニディに娘に、そしてアップルが前日に予約が入り、では2時過ぎって事で、少しかぶるも時間差を付けてで・・・って事にした。

そんなこんなでノアさんから。流石に大作・・・大きな袋を肩に下げてアトリエに入って来るのを見ると、それ1つだけでどんなに凄い事かが伺われる。

そもそも電車に乗ってやって来るのだから、多少なりとも気は使うし、何しろタイルを張れば張るほど重くなる・・・・完全にそれだけでお気軽感は一切無い。

仮に趣味です・・・と本人が言ったとしても、見る側にしたら、これが完成した時に、良いご趣味ですね・・・とのん気に言う人もいるだろうが、少なくともモザイクをきちんと

知っているとしたら・・・?えっ?趣味・・・・と脅威にも似た感覚を覚えても良い。
間違いなくやれるもんならやってみっ?・・・そんな威嚇にも似た凄さをも感じる。

そもそも凄さみたいな感覚を知らないながら感じるって何?例えば美術館へ美大も出ていない人・・・そうね、俺ごときとします。デッサンの基礎も知らないような奴が、

足を止めてしまう・・・そりゃお金払ったんだから・・・なんて言う人もいるだろうが、
ではそんな人に、動物園に行ってみ。ワニ最高、トカゲって素敵ぃぃ、でも何しろヘビ。

って足を止めるかな?じゃもう1つついでに、カンガル-の皮剥ぎたいぃぃ。良いかばん作れるぅぅ。もう判ったでしょ?そう皮にしたら興味あっても、生き物として足なんか、

止める女子は少ない。これがバックや財布、キ-ケ-スとなったらとても魅力的になる。
何しろお金出しても欲しいのだから。つまりここに加工って技術が必要となる。

ではもう1つ。水族館に行ってマグロの前で、あぁぁぁ中トロぉぉぉって、よだれたらしている感じになるかなぁ?美味そうぅぅってガラスに顔付けるかな?

ここも加工したものに対しては興味があっても、生き物そのモノには興味は薄い。
ではジュエリ-ショップに偽物を紛れ込ませたとする。見分けられる人がいる?

ほらね。まず鑑定士を連れて来ないと判らないようなら、もはや贋作だとしても、相当な腕である事は間違い無い。つまり作る技術は凄いがデザインを盗んだ腕となる。

では、素人だったとしたら?売っている場所次第で信用してそのまま購入。
ほら、もはや騙された。簡単な話で、目利きが出来ない場合、ブランドや箱である、

ショップやデパ-トを信用する訳で、では露天商のような場所で売っていたとしたら?
ほら高くちゃ買わない・・・では高いっていくら?そんなの判らないなんて人もいるが、

そりゃ嘘。10万だったら買う?5万だったら?1万だったら?・・・・いくらでも偽物だろうし・・・。嫌、偽モノので面白そうだし・・・なんてあったりするかも知れない。

けど、本物だ・・・って思う人は少ないはず。これが古物商なんて古き物を扱っていた場合、本物としていたものが偽物だったり、露天で買ったものが本物だったり・・・

そんな事は多々ある。でもね、良く考えれば判る事は、katsuのアトリエは倉庫。
誰が見たって露天とほぼ変わらない。素敵なショップにも見えない。

つまり条件は非常に悪い。見掛けは最悪である。ならば今の話に沿えば、良い物なんてあるはずが無い・・・・でしょ?通りすがりの人達には、まさかこんな作品がゴロゴロして

いるとは思われないね・・・まさかね。それが証拠に金魚に興味があって外で話す顔見知りに、こんな仕事なんです・・・なんてアトリエの中を見せると、凄いって言うけれど、

そこに今あるのは、キウイやオ-ドリ-の作品であって、俺の小物が少々なのね。
つまりそれらを俺のと勘違いしている・・・けれど十分凄いと感じている訳で。

こんな場所にまさかだからね。これが立派な場所に置けば、益々そう見えるだけ。
今の段階で何処に置いてあっても、凄いと表現されるものは、今後下がる事は無い。

そんな事も踏まえて、単に顔だけなのに、すでに気迫を感じられる仕上がりで、出来れば出来るほど、凄さも感じられる。後は根気強く続けてくれれば、必ず一生モノになる。

さてそんな中、いくらかかぶって3人がやって来た。まずは娘から。
今日は何すんの?って聞くと、ネ-ムプレ-トって・・・・描いてある。

おぉぉ、しっかり描いてあるぅ。じゃ、さっさと下地作ろうかね・・・。って当日かい。
全くぅぅ。と言う訳で、この程度なら・・・と、サックと完成。


では、縁取りから・・・って言っても、いつもならいきなりぺきぺきを切る・・・って感じだが、夏の子供教室とは違って、アトリエでの教室。

そこはもうワンランク上の事になる。その上、色も選び放題。けれど中身は色が決まっていたのね。なら、その中身にあった色は何?かぶらないのはどれ?ってな事になる。

これがね、さらっとユニディが入って来ると、一般人は軽くやられちゃうのね。
そんなのフリ-ハンドで描けるでしょ・・・っな具合に言われているのね・・・。

1色だとつまんないし、子供の落書きになっちゃうよ・・・ってな具合。
こんな難しい事を、まるで簡単な事のように言われているのね・・・・こらこら。

まずはやりたい事を利いてげて、それにするにはどうするか?とか、それをすると、どうなるか?とか説明しないと・・・・。ただね、ここが俺はお金を貰う先生であり、

ユニディは美大出で、毎日一緒に住むお母さんの違いで、俺は出来ない前提側に立って、
大丈夫かぁ・・・大丈夫かぁ・・・って感じ。それがユニディはお母さん。

ただでさえ、毎日なんだから、そんなの出来るでしょ・・・って、そんなのなのね。
でも、美大って事を忘れちゃいけない。ユニディの普通は普通では無いのだから。

それが証拠に、これを見て。


オルタの玄関。これに関しては、俺は徹底的に施工班に回るつもりだから、図面等はすべてユニディに任せてある。こんなものをスラッと出来るのは仕事だから。

ここがユニディの凄さである。今日はそれを説明したが、設計士として図面などを描くのだから、描くって言う技術点は満点以上突出する。これを良くある力や技とか五角形って

具合にバランスを図解する説明なんてのに当てはめると、描くって力が鋭利になる。
そこから見ると、切るって力は落ちる。けれど決定的なのは感覚のみ・・・ここ。

例えば、感覚のみって言うのは、そう感じたから・・・でスタ-トする。しかもやる人はいつも自分。じゃ何を?図面や絵を描く。そこはさっきも言うように手馴れている。

じゃサラッと。ほらね。じゃそれを説明して・・・どうやったの?するとこうして、こうして・・・と説明するも、それは出来る人への説明であって、出来ない人前提では無い。

例えば、美大の同級生同士で、見劣りする子への説明だったら?その説明で、あっそうかって理解で来ても、一般人にはまたそのやり方を説明しないとならなくなる・・・。

何故?が理解出来ないと、その場は判った事になっても、根本的な事が何1つ理解されていないんだから・・・・。ちょっと本来の話では無いが、プライバシ-もあるので、

例えを変えて話すが、例えばスカ-トはいていて、自転車乗ればパンツ見えちゃうだろっ?って言ったとしても、どうせ見せパンだし・・・とか、誰も見ていないし・・・

これでは、何1つ解決していないし、是正される事は無い。つまり100万回言っても直される事は無い。つまりこのまま放置して置けば、そのままその考えのまま大きくなる。

良く大人になれば・・・って人もいるが、習慣なんてそう簡単には直らない。
何故ダメなのか?どうしてなのか?が大事で、そこに羞恥心が生まれない以上、是正には

ならない。しかも、大人になっても見せパンをはくなら、それはそれで良い。
けれどもし、結婚式のようなパ-ティ・・・・デ-ト・・・・いずれにによ、非日常って

場合、意識が薄れれば、電車で寝ていて大また開き、風が来ても押える習慣も無い、誰も見ていないよ・・・を前提なのだから、ふいの事故に弱い。

何しろ準備をしないのだから、まさかの事故が起きやすい。それでも、見たけりゃ見ろよ
・・・の男前なら、それも良いが、その時初めて、恥ずかしいと経験したのなら、

もう気を付けなきゃ・・・となるのか?別にぃぃと笑い話で忘れるか?は本人次第。
こんな話に似た話があって、ユニディは再々言っているって言うのね。

そうね、つまりユニディが恥ずかしい事と思っている事が、伝わらないのは何故?って話なのね。難しい話になるが、常に言っている事で、絶対に合っている事と絶対に違う事の

ように、0点と100点どっちが良い?とか、生きると死ぬどっちが良い?って質問なら、迷い無くどちらか判る。けれど実はこれは幼稚な選択で、大人になるって言うのは、

60対40のような場合、どっちになる・・・私は。なんて事とか、責任なんてものが掛かる役職や陪審員のような場合、あなたの1票で決定なんて事が降り掛かる。

そこをきちんと理解してこっち・・・と選んでも後悔する事は多いものなのに、感だけに頼れば、当然失敗する確立も多くなる。しかし、そう言う感性で生きる奴らってのは、

きちんとそのリカバリ-が出来る基本を身に付けていたり、まっ次々って具合に、忘れる能力をも兼ね備えていたりする。しかも大人になるまでの経験値で精神的にも強くなる。

しかしながら、幼いと言うものは、時に折れ易く、意固地になったり、大人になれば小さい事でも、くよくよしたりもする。良く言うツンデレなんてもんは、口では素直には、

恥ずかしくて言え無いが、お見舞いやら、贈り物みたいな・・・あんな行為だったり、
女の子が水色のランドセルを選びつつ、オレンジや黄色の中身なんて事もある。

外見は男の子っぽく、内面は女の子とかね。所詮、お医者に行かないとならない以外、
性別が変わらない以上、その上に習慣を乗せたようなものだと思われる。

そんな中で、ユニディが、本当にその行為が恥ずかしい事と感じていての注意なのか、
親の顔がみたい・・って言われちゃうでしょ?って、親のプライドなのか?で、

注意なのか?警告なのか?毎日、同じ様に言ったのでは、興味の沸かない人への念仏になる
まずは、イエロ-カ-ドなのか、一発レッドなのか?は非常に大事になる。

まっこんな事を広げたのね。そんなエピソ-ドの中、モザイクをすれば、あのツバメを4年生の時に作った腕前なのだから、手馴れてはいる。ただ久しぶりなだけ。

けれど、あの時はとても時間を掛けてやった。今日は今日完成させた。
結果はどうだろうか?中々良いでしょ?ここは経験値で、切る、張るは問題ない。

しかも色がかぶるよね・・・なんて技術も覚えている。けれど、その上にもっと良いもの・・と考えるから、悩んだりするが、ちょっとしたアドバイスですぐにこっち・・・と

決まってしまうのも、ユニディの娘って感じだし、器用なのも親の血って感じ。
ただ、それが判るなら・・・なんて思い込むと、子供過ぎるくらい子供だったりする。

ここが厄介で、子供でも大人でも・・・そうね、食べ放題だとしたら?こんなの子供にされたらお店が潰れるし、かと言って、大人料金じゃ高いって言われそうだし・・・。

ほら、中途半端でしょ?こんな時、老婆心としての指導をすると、時に判っている・・・って感じのセリフを言われる事があるが、お母さんと決定的に違うのは、

俺は素直にごめん・・・って言える事。俺は接する人すべてに先生して技術は教えるが、
人としては、ゴミのように扱われる事が多いので、悪い時はごめんって言う事は普通。

むしろ今の俺に本気で謝れるような人なんてのは、ごく一握りの人であり、それをも理解して先生をやり続けている事で、判っている事に老婆心を言ったのなら、

ごめん・・・判っていたよね・・・・すまん。と素直に謝れるし、判っている事を見抜けなかった自分に非がある。ただ、かと言ってね思い込む事無く、また言わないと、

これは判っていても、これは・・・になる事も多い。つまり言うって事は、謝る事も覚悟する訳で・・・。それが例え子供であっても・・・。結構最初は大変だが、先生なら、

それも仕事である。そのやり取りの繰り返しで、信用や信頼を勝ち取って、続いた場合、
その中で、本気になった場合、自分が思う自分を超えるような作品と向き合う事がある。

そんな時、初めて本気の指導をさせて頂く事になる。本気と言うのは上っ面の技術では無く、作る意識や取り組む姿勢なんてもんで、その上に技術を乗せて行く・・・。

勿論、どちらから手に入れても良いが、技術を習いに来る事が普通のお教室であり、その技術の向上を更に望んで続けた時、それ以上とは何か?・・・それが意識や姿勢になる。

けれど、意識や姿勢なんてものは、長い間の中でのやり取りで得るもので、初日から言う事では無く、大抵は楽しみでやる事なのね。そこにそんな面倒な事はいらない訳で。

そこは徹底的に笑顔に楽しみ、そこそこの結果。この追究のみ。
それを踏まえて続け様に見て貰うと、まずはアップル。


こんなコ-スタ-が作れるようになる。ただこれが10時間程度は掛かっている。
これが単なる趣味のコ-スタ-って言うのかな?

しかも、言い方を変えれば、あのにんにくやとうがらしのテ-ブルを作った人と考えれば、この程度は作れて当然って言い方もあるし、何処に身を置くか?になる。

あのテ-ブルの人。この表現に上手い人って意味を含んで見た人なら、やっぱりコ-スタ-も上手いわっ・・・って表現になるから、この位の小物は普通になる。

それが、これを初めて見た人なら、上手いぃぃって感じる事も出来たりもする。
その後で、テ-ブルを見せられたら・・・・衝撃にも似た思いもするだろう。

ほらね。変わるでしょ?では、今回から新作のユニディは・・・


タイルオンタイルで30cm程度の大きさで表札を作り始めた。
どうかな?もし、ユニディは常連と見たのなら、上手くて当然でしょ?

じゃこれでは普通なのね。ただね、そこが安易なのは、ユニディの指導は意識。
フリ-ハンドでスラッと描ける絵を、今までは切る張る技術が見劣りするので、

段々上手くなりましょう・・・だった。けれど、そろそろユニディの指導は意識になる。
それは何か?となると、フリ-ハンドは所詮フリ-ハンド。ここをきちんと描くのか?

それともフリ-ハンドを忠実に再現するのか?ここのこだわりを持つ事。
簡単に言えば、HやAの横棒。下絵はこうなっているのに、単なる真っ直ぐ切っていては、

下絵と違ってしまう・・・・一体どちらが正解なのか?と本人に聞くと、どうやらこれが合っているらしい・・・・つまり切り直ししたと言う事。

意識せず、何と無く感って作り方を辞めて、もうしっかり決めて、その通りやる癖を付ける事。そもそも切り直しをすぐに出来るくらい切る事が上手くなった。

それなら、切り直さなくて良いようにする。つまり下絵をきちんと描く事。ラフで始めない・・・きちんとした図面にする。ほら、下絵の上手い・・・に穴がある。

サラッと描ける事がすぐにモザイクが出来て、そんな感じって感性で作れた。
ここがユニディの良さだった。それが常連となる位作ると、切る技術が昔よりも上手い。

ならばきちんとした下絵でも、もう切れる。だからこそ、もうラフでは無く図面にする。
更に、アップルのように題材や雰囲気が似ている作品では、手馴れた感じになるが、

ユニディの歴代の作品を思い浮かべて貰うと判るが、実に個性的であった。
何しろ前作は立体のカエルなんだからね。そう考えると、実に普通でしょ?

ここが大事なのね。これは表札できちんとで良い。何しろこの表札の下にカエルが付くと考えれば、モラルと倫理って話で、きちんと・・・の部分が必要である。

しかも、技術の向上にしても、感性で仕上げるのでは無く、きちんと図面通りに・・・って作り方が、今のユニディには一番難しいはずで・・・。

文字はほぼ誰がやっても変わりが無い・・・そんな場所。そこをきちんとこなしてこそ、
バックで個性を出す・・・に繋がる。娘の作品はそう言う点では見事だった。

そう言う点でも、この表札は良い勉強になるはず。そんな中、アップルが金町湯のような銘木で表札作りたいとの事。どうやら新作は銘木の表札になりそうだ。

それにしても、みんなが上手くなって、そろそろリピ-タ-の中に、気が付くと常連でも良いような人が出て来ている・・・・そんな感じになって来た・・・。


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