まずは1人目は写楽を作る、アトリエでは珍しい男性のリピ-タ-さんから。
そうね、狙って切るってパ-ツがこれだけ続けば、そうは進まない。何しろ失敗するから。
例えば1cmタイルを長方形に半分にする。この場合、きちんと刃を入れたとしても、5対5になる可能性の確立は、意外と低く、大体5.5対4.5とかになってしまうのね・・・。
これを上手い人は4.5に合わせて、5.5を4.5に切り直す。これが丁寧で上手い人のやり方。
ただこれは当然1回で5対5が出る可能性もある。でも、それをわざわざ4.7にしたりする。
すると最初との誤差は0.2になる。こんなひと手間が更に上手く見えたりする。
これがワンプレ-なのね。そうね・・・テニスで言うなら、サ-ビスエ-スって言う1回で
決める事は無く、すべて2回目で入れるって感じ。そうすべて・・・。これが出来るようになると、丁寧なのは伝わるけれど、2回目に失敗の確立があるって不安を抱えていては出来ない
つまりそれが上手さであって、かなり絶対の確立で出来る前提でやれる事になる。
こんな事が出来ると、更に4分の1にするなんて事になると、更に失敗の確立が増える事を
やりに行く事になる。当然そのパ-ツを直しに行くのだから、段々と持ちづらい小ささになって行く。ただ経験値として1つ目のハ-ドルを越えたから、そこにチャレンジ出来る。
更に今度は1cmタイルを丸くする。それが出来たら、さっきの4分の1の四角に出来た経験値の元に、それを丸くするなんて事をしたり・・・。これがパ-ツの大量生産に繋がる。
それをすべて最初のパ-ツと同じように切れる事が上手さであり、それが出来ると、すべてが一緒のパ-ツに見えるのだから、切り置きしてあっても、何処の場所にも使える。
そんな事が出来るようになった人が更に上手くなると、この方の眉毛だったり、目だったり、はみ出したら違って見える1点モノのパ-ツは、その都度張りながらやらないと合わない。
こんな場合の集中力は、失敗の許されない事が続くのだから、一人もランナ-に出せないピッチャ-のような緊張感が生まれる・・・・当然失敗が出る・・・また出る・・・。
何度やっても上手く切れない・・・そうね、もしかすると1枚しか切れないなんて事があっても不思議じゃないね。それがこだわり・・・許せなければ進まないし、許し過ぎれば
質を落とす。そのさじ加減が大事で、良くそれを妥協なんて言う人がいるが、そうじゃなくて、その見極めが大事で、今の自分の限界を知る事に繋がり、ここだな・・・って、
折り合いで進める、その目を養っている訳で。それが良く起こる事で、段々と進めるに当たり大作となると、その作品に費やして行く時間がかさめばかさむほど、1作品の中での
自分の成長が余りにも激しくなると、最初の頃のパ-ツが嫌になったりする・・・。
ほらその時には、それを良しとしたはずなのに・・・しかも、その時の先生katsuも、
それをオッケ-としたのだから、半分は俺の責任だけれど、それらがあっての今だから、
常にそれを超えて行ったからであって、段々と知らぬ間に目が肥えて行った事になる。
しかも自分の作品の中で・・・。勿論、上手い人の作品に刺激を受けてなんて事もある。
そうね、相席なんて言うのはそんな効果もあったりする。
ただ逆に上手さに呑まれて萎縮してしまうような人には向いていないし、自分の実力を知らないと、謙虚なつもりで言った言葉で、相手を傷付ける事になったりもする。
例えば判り易いのは、キウイと相席をして、キウイに上手いですね・・・と本気で思って言ったら、キウイがそうでも無いですよ・・・とキウイが言ったら謙虚じゃなくなる。
だってキウイを生徒のエ-スと呼んでいるのだから、相当な実力者扱いを先生のkatsuが言っているのだから、キウイは有難うございますと言うべきである。
そう言わないと、キウイがそうでも無いのなら・・・私なんて・・・と思う人を多く作る事になり兼ねない。こんな話は誰でも判るだろうが、こんなのは簡単な例であって、
じゃこれをみどりとさくらだったり、みどりの娘のカルビとさくらのせがれだったりすると、一体どんな表現が正しくなるか?・・・・ほら難しくなったでしょ?
これが目を養うって事に繋がるのね。誰の何処が上手くて、何が自分に足りないか?ここは意外とみんなについて行っている・・・そんな事がみんなから観た自分と自分の判断が
同じようであれば、割と自分の見解は間違っていない・・・それを持ってしてもっとやるか?やらないでこのままキ-プなのか?・・・って目安に進めたりも出来たりする。
それが場合に寄っては安心感に繋がって、緊張感から解き放たれたり、逆に指摘される事で、もっと出来るよ・・・って切り直す自分を持ったりもする事になったりする。
その良い例が高洲のサ-クルであったり、kameyaさん教室だったりする。
所がマンツ-マンの場合には、それが無く、いつもkatsuのみ。
勿論、その良さはすべての時間がkatsuなので、誰にも失敗は見られる事も無く、逆に質問すべてを待たなくて良い訳で・・・。ただ比べるものがすべて俺と勘違いすると・・・
katsuと比べて見劣りする・・・って言う気持ちになると、俺は先生なんだけれど・・・
となるのだけれど、それでも知らず知らずに比べたりしてしまう人もいたりする・・・。
そんな時、偶然にも相席になると、良い刺激になったりするので、良いのだけれど、月に1回の場合、中々そう言う事が置きにくい。更に限定すれば日曜日が休みと言う人なら、
午前午後に分ける事も出来るし、平日だとお母さんが多いので、帰る時間が重なるから、
やる時間が限られてしまって、重なる可能性が多くなるのね。
だから今日は入れ替わりの2組のお教室だったんだけれど。いずれにせよ、今やっている事のパ-ツは1点モノなので、慌てずに進んで貰いたい。結果は良いのだから。
そんなこんなで入れ替わるように、次のリピ-タ-さん。
今日はバックのみで、しかも前回手掛かりになるように・・・とバックに黄色って文字を残してあったので、確認すると、はいそれで・・・となり、何種類か見せてエミリアに。
そんなこんなで始まると、そのペ-スは思いの他早く、それで新作の話となるのだけれど
、それが少し大変で・・・決まった下絵は以前から預かっていたんだけれど・・・。
流石にそれを下絵をすべて自分で・・・って言うのは、あまりにも乱暴な感じだったので、縁取りになる部分を俺がやる事になったのね・・・・。
それが中々苦戦しちゃってね・・・・そんなこんなでここまではやったんだけれど・・・
持って来た絵を組み合わせて、それにプラスしたんだけれど、何しろこの絵が完成した時に、これを今度は彫らないとならず、どうやったら良いのかな?・・・ってな悩みがある
そんな事を横でやりつつ、張り終わるので目地は?って声を掛けると、次回で良いです。って・・・普通は持って帰りたいぃぃって思って、続けてやったりするんだけれど、
慌てないで次回・・・リピ-タ-さんがみんな揃って上手くなって行くと、俺も色々無理難題なんて事が多くなり、大変なんだけれど、逆に先生katsuとしては手ごたえがある。
2人共にお見事なのね・・・。
そうね、狙って切るってパ-ツがこれだけ続けば、そうは進まない。何しろ失敗するから。
例えば1cmタイルを長方形に半分にする。この場合、きちんと刃を入れたとしても、5対5になる可能性の確立は、意外と低く、大体5.5対4.5とかになってしまうのね・・・。
これを上手い人は4.5に合わせて、5.5を4.5に切り直す。これが丁寧で上手い人のやり方。
ただこれは当然1回で5対5が出る可能性もある。でも、それをわざわざ4.7にしたりする。
すると最初との誤差は0.2になる。こんなひと手間が更に上手く見えたりする。
これがワンプレ-なのね。そうね・・・テニスで言うなら、サ-ビスエ-スって言う1回で
決める事は無く、すべて2回目で入れるって感じ。そうすべて・・・。これが出来るようになると、丁寧なのは伝わるけれど、2回目に失敗の確立があるって不安を抱えていては出来ない
つまりそれが上手さであって、かなり絶対の確立で出来る前提でやれる事になる。
こんな事が出来ると、更に4分の1にするなんて事になると、更に失敗の確立が増える事を
やりに行く事になる。当然そのパ-ツを直しに行くのだから、段々と持ちづらい小ささになって行く。ただ経験値として1つ目のハ-ドルを越えたから、そこにチャレンジ出来る。
更に今度は1cmタイルを丸くする。それが出来たら、さっきの4分の1の四角に出来た経験値の元に、それを丸くするなんて事をしたり・・・。これがパ-ツの大量生産に繋がる。
それをすべて最初のパ-ツと同じように切れる事が上手さであり、それが出来ると、すべてが一緒のパ-ツに見えるのだから、切り置きしてあっても、何処の場所にも使える。
そんな事が出来るようになった人が更に上手くなると、この方の眉毛だったり、目だったり、はみ出したら違って見える1点モノのパ-ツは、その都度張りながらやらないと合わない。
こんな場合の集中力は、失敗の許されない事が続くのだから、一人もランナ-に出せないピッチャ-のような緊張感が生まれる・・・・当然失敗が出る・・・また出る・・・。
何度やっても上手く切れない・・・そうね、もしかすると1枚しか切れないなんて事があっても不思議じゃないね。それがこだわり・・・許せなければ進まないし、許し過ぎれば
質を落とす。そのさじ加減が大事で、良くそれを妥協なんて言う人がいるが、そうじゃなくて、その見極めが大事で、今の自分の限界を知る事に繋がり、ここだな・・・って、
折り合いで進める、その目を養っている訳で。それが良く起こる事で、段々と進めるに当たり大作となると、その作品に費やして行く時間がかさめばかさむほど、1作品の中での
自分の成長が余りにも激しくなると、最初の頃のパ-ツが嫌になったりする・・・。
ほらその時には、それを良しとしたはずなのに・・・しかも、その時の先生katsuも、
それをオッケ-としたのだから、半分は俺の責任だけれど、それらがあっての今だから、
常にそれを超えて行ったからであって、段々と知らぬ間に目が肥えて行った事になる。
しかも自分の作品の中で・・・。勿論、上手い人の作品に刺激を受けてなんて事もある。
そうね、相席なんて言うのはそんな効果もあったりする。
ただ逆に上手さに呑まれて萎縮してしまうような人には向いていないし、自分の実力を知らないと、謙虚なつもりで言った言葉で、相手を傷付ける事になったりもする。
例えば判り易いのは、キウイと相席をして、キウイに上手いですね・・・と本気で思って言ったら、キウイがそうでも無いですよ・・・とキウイが言ったら謙虚じゃなくなる。
だってキウイを生徒のエ-スと呼んでいるのだから、相当な実力者扱いを先生のkatsuが言っているのだから、キウイは有難うございますと言うべきである。
そう言わないと、キウイがそうでも無いのなら・・・私なんて・・・と思う人を多く作る事になり兼ねない。こんな話は誰でも判るだろうが、こんなのは簡単な例であって、
じゃこれをみどりとさくらだったり、みどりの娘のカルビとさくらのせがれだったりすると、一体どんな表現が正しくなるか?・・・・ほら難しくなったでしょ?
これが目を養うって事に繋がるのね。誰の何処が上手くて、何が自分に足りないか?ここは意外とみんなについて行っている・・・そんな事がみんなから観た自分と自分の判断が
同じようであれば、割と自分の見解は間違っていない・・・それを持ってしてもっとやるか?やらないでこのままキ-プなのか?・・・って目安に進めたりも出来たりする。
それが場合に寄っては安心感に繋がって、緊張感から解き放たれたり、逆に指摘される事で、もっと出来るよ・・・って切り直す自分を持ったりもする事になったりする。
その良い例が高洲のサ-クルであったり、kameyaさん教室だったりする。
所がマンツ-マンの場合には、それが無く、いつもkatsuのみ。
勿論、その良さはすべての時間がkatsuなので、誰にも失敗は見られる事も無く、逆に質問すべてを待たなくて良い訳で・・・。ただ比べるものがすべて俺と勘違いすると・・・
katsuと比べて見劣りする・・・って言う気持ちになると、俺は先生なんだけれど・・・
となるのだけれど、それでも知らず知らずに比べたりしてしまう人もいたりする・・・。
そんな時、偶然にも相席になると、良い刺激になったりするので、良いのだけれど、月に1回の場合、中々そう言う事が置きにくい。更に限定すれば日曜日が休みと言う人なら、
午前午後に分ける事も出来るし、平日だとお母さんが多いので、帰る時間が重なるから、
やる時間が限られてしまって、重なる可能性が多くなるのね。
だから今日は入れ替わりの2組のお教室だったんだけれど。いずれにせよ、今やっている事のパ-ツは1点モノなので、慌てずに進んで貰いたい。結果は良いのだから。
そんなこんなで入れ替わるように、次のリピ-タ-さん。
今日はバックのみで、しかも前回手掛かりになるように・・・とバックに黄色って文字を残してあったので、確認すると、はいそれで・・・となり、何種類か見せてエミリアに。
そんなこんなで始まると、そのペ-スは思いの他早く、それで新作の話となるのだけれど
、それが少し大変で・・・決まった下絵は以前から預かっていたんだけれど・・・。
流石にそれを下絵をすべて自分で・・・って言うのは、あまりにも乱暴な感じだったので、縁取りになる部分を俺がやる事になったのね・・・・。
それが中々苦戦しちゃってね・・・・そんなこんなでここまではやったんだけれど・・・
持って来た絵を組み合わせて、それにプラスしたんだけれど、何しろこの絵が完成した時に、これを今度は彫らないとならず、どうやったら良いのかな?・・・ってな悩みがある
そんな事を横でやりつつ、張り終わるので目地は?って声を掛けると、次回で良いです。って・・・普通は持って帰りたいぃぃって思って、続けてやったりするんだけれど、
慌てないで次回・・・リピ-タ-さんがみんな揃って上手くなって行くと、俺も色々無理難題なんて事が多くなり、大変なんだけれど、逆に先生katsuとしては手ごたえがある。
2人共にお見事なのね・・・。