今日は月に1回定期的のkameyaさん教室。仏像彫刻の方に常連になった方とご新規の3人。
それが金町湯の方が事故にあったらしく、今日はお休み・・・確認を取ったら、
ひとまず元気そうだったので、次回は問題無いらしく無事っぽくて何より。
って事で、まずは休みを取らないとならないので、無理やりに支度をしてから養魚場巡り。
ほぼ数十分・・・・見たろっ・・・って感じだけれど、俺の脳は馬鹿だから、休んだ感じがするんだろうね・・・何と無く。それで誤魔化して・・・・到着。
すると、いつものようにお昼をご馳走になるのだけれど、娘さん達もいて・・・そこから見える部屋に、お雛様があった場所に浴衣が2枚吊るされていて、あれは誰の?って聞くと、
お姉さん達のらしい。何しろもしこんなシ-ンに出くわすと、大抵小学生のものであって、
こんな大きな大人の浴衣なんてもんをじっと見る機会なんて無く、こんな事1つでも、
季節感も感じられるし、こんなの来た女の人とデ-トした事あったっけなぁ・・・なんて、
思い出したりもして・・・・いすれにせよ、ここに来ると、感受性がくすぐられるのね。
何だか懐かしい事も多かったり、小さな子のいる家族を連想させる事は常ふ連の家でもあるが、こんなに大きな娘さんがいる家族を連想するのは、ここしか無くて・・・・。
お父さんってこんな感じになるのかぁ・・・って、ちょっと思ったりもする。だから、元気があれば、楽しく感じられるし、逆に何で俺にはこう言う事が無いんだろう・・・って、
落ち込む事もあったりもする・・・でも感じられるって言うのは、消して悪い事では無く、一番最悪なのは、何も感じなくなり、当たり前になるのが嫌なのね・・・・。
常に嬉しいな・・・、良かったな・・・って何があっても思えないと、感謝しているって言う事に繋がらない。世話になっている以上、こんな普通な事が出来なくなる自分がいたと
するなら許せない。それとこんな素敵な空間で、感じる事が出来ないのなら作家としても、
その程度と限界さえも感じてしまう・・・・何か感受性が研ぎ澄まされていないようで。
それは以前話した福山君の話。おっさんでエロで、なのにカッコ良くて、でも家族がいないのに、家族になろうよ・・・と歌う。明らかに聴いている人には家族がいるはずなのに
、家族の無い人の歌に感情移入する。つまり見栄えは比べものにはならないが、感受性としてはア-チストとして、負けないものを持っていないと、見栄えの劣っている分、
見劣りする。昨日のニノの話と一緒。いかに伝統や栄光、エリ-トに食い下がるには?
ここしか無い・・・ってピンポイントを鍛える・・・俺は確実にその1つが感受性。
そんな中、ちょっとした事に気が付く。その横にぶら下がっていた古布で作られたかばん。古布とは、着物なんかのリサイクルみたいなもので、それはキウイから教えて貰った。
すると、それは仏像彫刻の方が作ったもので、もう30年近くやっている・・・と言う。
なるほどね・・・1つこの人を知るカギを手に入れたのね・・・・また1つ。
これを器用と言うのは簡単なのだけれど、これがどんな?って掘り下げている人はいない。それが何をどう拾うか?が俺の腕となる。何処が?何が?ってね・・・。
更にそんな中、また拾う話があった・・・・何かモザイクが上手く行かない・・・センスが無いのかな・・・って。そっちの話は、お教室で話します・・って事にした。
そっちは見なくても判る事だから・・・しかも今の2つの繋がりがあれば説明も十分。
大した話じゃない。いずれにせよ、ここでの話は非常に勉強になる事ばかり・・・・。
さてそれではお教室。まずは、もしかしたらやるかも知れない・・・ってひとまず見学って方から・・・そんな話だったので、ひとまずコ-スタ-の準備はして来た。
そんなこんなひとまず見ていて・・・・じゃやって見る・・・ってなったのね。
そんなこんなで1cmタイルの縁取りからスタ-ト。
まずは色選びから始まって、市松模様なんて考えたりする。市松とは?1.2.1.2ってな具合に、順番に入れ替える感じの事。これは注意しないと、最後に同じ色が繋がったりする。
それを目地幅の調整で必ず1.2.1.2に直す事。入らないから良いや・・・は絶対に駄目。
当然入らなければ、目地幅の調整とは、全部均等に動かして・・・って意味なので、
面倒な事になるって意味でもある。しかもボンドがはみ出ていれば、当然手もベタベタになり、ボンドだらけにもなるし、逆にボンドが少なければ、動かした瞬間ポロッって、
取れてしまったりもする。ただ張るって行為1つでも、簡単に出来る人と出来ない人がいる。しかも、そこは意識をする・・・ってだけでも解決したりもする。
まずここを拾う。仏像彫刻の人が切らずに張っただけって作品の目地を、体験の人の目地の時に一緒に・・・と言われて、見せられたのだけれど、横にボンドの汚れがあった。
ほらここ。上手くなったのは切る事で、張る事では無い。ただこんな事はそうやって起こった小さな失敗の是正で直る。単なる口での説明でね・・・・いちいち指導の時間は、
必要が無い。必要なのはこう言う小さな失敗例のみ。そこを気を付けて・・・ってだけ。
後は、張った日に濡れたスポンジで拭く。なるべくお湯で・・・すると、落ちが良い。
余り早いとタイルが動くし、カッタ-で余分なボンドをそいでから拭く。それだけ。
って元に戻って、次はモチ-フ決め。出来るかどうかは別として、聴いて見ると花って事
で、どんな?って更に聞くと、バラかマ-ガレットのような・・・って話だから、どちらでも・・・と言って選んだのがこれ。
真ん中の黄色い丸から切って貰って、その後、大体の大きさを揃えたランダムな形の白いタイルから、花びらを切って貰う・・・・そして最後に1つのル-ルだけ守って貰って、
終了。その1つが今まで使った黄色と白は使わない事。ほぼそれだけで教えたのは、ツメ切る要領で、深爪すれば刃の入れ過ぎだから、割れちゃうし、おっかなびっくり浅く
入れると、いつまでもこすっているだけになる・・・ほぼこれだけかな・・・。
そもそも体験、余計な事よりも何とか終わる事。そしてタイルを切るって行為を味わう。
こんな経験はそうそう無いのだから。それが上手く行ったか?行かないか?なんてもんはどうでも良い。上手いのが欲しければ、練習すれば、目の前にいる人達のようになり、
つまんないと思えば、今ならそれ1つで済む。ただそれだけ。良いも悪いも強制は無い。
判断は自分。だから、そうね・・・聞かれたら答えるとか、必要以上に構わない・・。
そんな感じ。それよりも他の2人にいつものように指導しているのを聞いて貰った方が、
きちんと伝わるでしょ?続けるとこうなる・・・ってね。
では、まず1人目。
これで半年って言ってたから、6回x4時間として24時間でここまで作った事になる。
この方はここだけなのでね。それが自宅で数パ-ツ切って来た・・・って言うのね。
それは見なくても十分。それだけでね。何しろやっていなかった人がやって来た。
しかもボンドは持っていないから、パ-ツを切って持って来たのだから、勝手に張った・
・・・って訳じゃないので、確認の元にここで張れる。更に言えば、1ヶ月に1回が、途中自宅で復習をすれば、忘れちゃった・・・って元に戻すのが大変なのに、少しやるだけで
思い出す時間が少なくて済む。これが勉強なら?ほらね・・・50になって先生やって、つくづく思うのは、自宅の復習ってのは、とても大事で・・・何でやらなかったんだろう。
って本当に思うのね・・・あはははは。九九1つ取っても、念仏のように暇あれば唱えていたでしょ?ねっ。反復練習って言うのは・・・つまり切るって行為も一緒。
ただね、ただ切れば良いだけじゃない。狙って切る。目的意識を持ってね。それをただ砕くだけなら目的意識が無いから、どんな子供でも出来る。
つまり狙ったら切るになり、狙わないと砕くになる。違いは目的意識。
つまり狙わないと簡単って事になる・・・・あはははは。気が付いたかな?
体験なのに狙ってばかり・・・あはははは。これに気が付くのは仏像彫刻の人のみ。
さてそんなパ-ツを張って、いよいよバックとなるのだけれど、さっきのル-ルだと、
使った色は使えない・・・になるのだから、これだけ使うとかなり限定される・・・・。
そんな中、白っぽいのが良いと言う事になり、では切るって事になる。
そもそもこれだけ狙って切れるようになったのだから、単なるクラッシュ・・・そう偶然みたいなパ-ツでも良いよ・・・って伝えても、きちんと目地幅を合わせ、きちんと切る
・・・違うかな?綺麗でしょ?。つまり上手くなった悩みなのね。じゃこの方がテニスってお題を言うので、それで説明すると、本来初めてなら、まずラケットに当ててって感じで
コ-チが玉出しして、打ち返す練習。それを出来ればネットの向こうに・・・あっちへ。
ラインやコ-スなんてどうでも良いから・・・ってな話になるでしょ?それが普通。
でもね、これはスク-ルとして1ク-ルは最低来るって教え方なのね。
モノ作りってのは、嫌、俺の場合のお教室はそんなに長い時間は与えられない。
常に1回って感じでしょ?つまり最初から狙わせていたのね。大体あっち・・・ってね。
しかもテニスみたいにアバウトじゃなくて、あそこに・・・ってね。
だって初めての人に丸や花びらを狙わせて切らせているのだから・・・。
そうね、最低でもテニスならサ-ビスを入れて・・・って言われているようなもの。
でも出来てたでしょ・・・・?初めてでも。それが24時間でこんなに変わる訳なのね。
だって単なる体験のお題だったら、緊張感を生まないし、何と無くの繰り返しだから、
それが何個出来る?って話になる。恐らく慣れれば、コ-スタ-を2つ作れたとすると、
12個のコ-スタ-とこの作品が一緒って事になる。
同じ24時間をどう使うか?で、上手さなんてもんは変わるのね。つまり遊びならそうすれば悩みも少なく楽しめる。上手さはその慣れの中で、小ささの中で得られる。
所が俺は体験の後、常にこうした教え方にするから、耐えられる人と、耐えられない人に分かれる。当然続いた人の中で、急に意識が変わった・・・って人が出て来る。
ほらこの方、とうとう自宅でもやるようになった・・・。こうなると、上手さは増すし、
慣れる。更にこれだけの狙ったパ-ツを切れるのだから、適当には進まない。
しかも終わりが見えて来た・・・俄然やる気も増す・・・いよいよ完成に向かっている。
ここまで来れば、もう時間が解決して行くのである。
ただ、本来ならね・・・なのね。こんなにクラッシュのバックをきちんと狙ったら、上手いし素敵だけれど、とんでも無く時間が掛かる・・・所が本人にはその意味が判らない。
じゃ、仏像彫刻の人に見て貰って・・・と言うと、見た瞬間、凄く綺麗だけれど、凄く大変だよっ・・・頑張って・・・って、判っちゃうのね。
そこで、ほら・・・って両方に声を掛けた。まずは同じほらでも、作っている人へのほら・・・は、だから言ったでしょ?の確認のほらって意味で、後押しして貰ったほら。
では、仏像彫刻の人へのほら・・・は?恐らく根っこにあるものを解決しないとならない。ではそれは何か?まず主催者であるから、当然電話なんかの対応をする事になる。
事故で行けない・・とか、明日伺いますとかね。じゃ、今初めて自宅でやり出した人と、どんな会話をしたかな?・・・やる気が無いはずが無いよね・・・?つまり今までとは、
変わった会話をした可能性がある・・・。やる気になった人と会話をしてのだから。
もしそうだとしたら、いつも通り変わっていない仏像彫刻の人と、やる気になった人と、
会話をしたら?どうなる・・・そうね、知らず知らずに追われる立場になったのね。
あはははは。上手くなったもんだわっ・・・・そうだとしたらね。
さてさて、それじゃ立て直すかね。そもそも何でそうなったか?の理由の1つは簡単で、そんな事だけじゃないのね・・・良く見る・・・徹底的に見る。本人よりもね・・・。
ここは自宅なのね・・・徹底的に見れば何かが変ったはずなのね・・・だって精神的な事なのだから・・・。俺がこうして散々見せているのに、自分に当てはめようとしない・・
では、何が変わったのか?ってなると、大抵は子供に自分の時間が取られた・・・とか、そんな事があったりするのだけれど、ここには当てはまらない。
つまりその子供に相当する何か?があるはずなのね・・・何だろう?彼女の時間を奪うものは・・・?そもそも仏像彫刻は最初からやっている中でのモザイクだからここは一緒。
これが展覧会でもある・・・って言うのなら、変わるけれどね。すると、陶芸の展示会があるって言うのね・・・・あはははは、それも理由の1つだわっ。
つまり、モザイクの時間を他の時間に取られているのね・・・その上、自宅でやっていなかった人のやる気が変わった話を聞く事になる・・・初めて追われる立場になった。
例えばこれが金町湯の方となら、向こうの方が先輩だし・・・って自分を下に置ける。
なのに、あの犬の作品の人となると、その差を感じさせない評価があったりする。
ほら、下に自分を置いて、作品は並んで・・・ほら、楽をしていたでしょ?
それがね、金町湯の人に休まれると、当然1人、この中では自分が1番上手い人となる・・
ほらね、プレッシャ-を1人受けた。何で?・・・知らぬ間に楽をしていた自分がいて、知らぬ間にプレッシャ-を受けていたのに、気が付かないから。
それを踏まえて、元に戻ってほらね・・・を考えればすぐ判る。何故作っている本人は難しさが判らず、その作品が素敵に仕上がる事が判らず、半信半疑で進もうとしているのに
、どうして貴方は判ったのですか?ほらね・・・って意味。そう、上手いから見えたのね。作っている彼女に見えない完成が・・・。それなのに、それをいくら俺に言われても、
もう気が付こうともしない・・・何故なら教えてくれない先生だから・・。あはははは。
では、違う切り口で検証しよう。ねぇ、犬のモザイクの出来栄えどう?
すると、自画自賛になるけれど最高に気に入っている。って言うのね。ではどうして?
みんなに似ているって褒められたし、でもオ-ドリ-先生がマンツ-マンで教えてくれる
から・・・はいそこ。そうね、カルチャ-では一番最後に入って来たでしょ?何とかそれを気にさせないようにするには、みんなと同じでは、永遠に変わらなく見えるし、
手馴れた人は反復練習をしている訳で・・・。それなら・・・と遅れて見える分を見劣りさせない為に・・・って、オ-ドリ-を専属で付けた。確かにね。
ただオ-ドリ-にも責任を持って教えると、ここまで作らせる事が出来るって言う、教え方ってものを勉強させようと言う思惑もあったのね。
つまり言葉で説明すると、考える事はすべてオ-ドリ-が考え、色、形、大きさのすべての決定権を持って、それを切る、張るが仏像彫刻の人って関係。
つまり高校野球の監督と選手だと思って貰えば良い。これなら作戦は監督、遂行が選手。
ほら、つまり考えなくて良いのね・・・選手は。迷わず遂行のみ。あはははは。
ではこれは・・・。
この作品は一体何を意味しているのか?あはははは、大人なんだから気が付いて。
これは俺がなるべく黙って自分で考えながらやっている作品なんでしょ?
犬は頭を使わずに切る張るの練習をして、結果はオ-ドリ-に任せる。あじさいはほぼ全部自分で考えて、最高の1人遊びを目指している訳で・・・。
これをまとめると、自分の身を下に置きつつ、キャリアのある人と方を並べられるように、オ-ドリ-との犬は考えずに進んで行くから、楽しいが、あじさいはそんな感じに、
進んで行かずに、しかもやる気で下から追い掛けられる・・・上手くなったのにプレッシャ-を受けている事に気が付かず、更に他の習い事に時間が取られれば、追い討ちを掛け
、進まないのも当然。つまり上手くなった自覚も無く、それによって掛かったプレッシャ-に追い込まれて疲れていた・・・・って話。
こらこら、下手な人が他の人の仕上がりなんて判らないでしょ?きちんと自覚すれば、なんて事の無い話で、上手くなったから・・・の話。むしろ良かったね・・・なのね。
しかもこんな事やっている人が、進まなくて当たり前。なるべく教えない方も大変なのね。あははははは。そんな中、7月のカルチャ-をオ-ドリ-がお休みってお話をした。
どれもこれも下手な人の話では無い。後は人のフリ見て・・・すべてがことわざ通り。
いなければいないなりに進めば良いし、やる事が無い訳でも無い。
今日のお教室1つで色んな事が判る。体験の人は出来たらラッキ-。何せ初めてだから。
ここで上手く出来なかった・・・って辞めるのなら、他に合うものをお探し下さい。
って話で、ほぼ偶然で出会い待ち。きっと、その内に、数打ちゃ当たる・・・。
それを1つ真剣に作ろうかな・・・となると、これがサンプルありきの教室なら、
他の誰かと比べられる作品となる。何しろ最低サンプルがあるのだから。そのやり方って言うのは、ニノのドラマで言う有名校の特訓ってやり方。
同じ事を繰り返し繰り返しやる。しかも、月謝だの入会金だのを支払ってやるって気持ちでね。逆に俺のはそれと違ってオリジナル・・・。しかも1回ごとのお教室代で、
入会金なんてものは無い。だから来る来ないもほぼ自由で本人次第。何しろその都度、来たら・・・のお代なのでね。しかも、内容にしても、だから途中参加とか一切無く気まま
、サンプルが無いから、良くも悪くも自分次第。そうなると、続ける為にも自分の好きなお題でやる事がやる気になるかな・・・と思うのだけれど、上手く出来て行けば、
仏像彫刻の方の犬のように、いきなりあんな作品にもなるし、何と無く選んだものの、きついわっ・・・ってな事になり、その果てしなさを後から知っちゃう場合もある・・・。
ただ、それについても、大体どの位の時間で終わりたいか?の目安で、こんな事は辞めましょう・・・とは言うが、こうして・・・とは言わない。
止める事はあっても、時間の掛かる事を最初から進めたりはしないのね。
いずれにせよ、そうやって繰り返していると、上手くなるのも当然で、ただ何がどう?
上手くなったの?って言うのが判りづらいのね・・・けれど、こう言う話の時に、あっ・・・これかぁ・・・って判る日が来ると、その時に自分の成長を判ったりもする・・・。
何しろ大事なのは、切る事、張る事が上手くなったって俺に言われた人は、それでは構想をしっかり・・・とか、下絵の描き方の是正であったり、気持ちの立て直し方とか、
明らかに精神論的話となる。何しろ気分で作っても結果は中々出ない。でも30年もやっている古布でなら別だけれど・・・。何しろモザイク歴はたった1年半。
仏像彫刻や陶芸にも負けるようなキャリア・・・・まっ結果を焦らずにやった方が良い。
恐らくこの話で、きちんと立て直しが出来たとは思うけれど・・・・。
それが金町湯の方が事故にあったらしく、今日はお休み・・・確認を取ったら、
ひとまず元気そうだったので、次回は問題無いらしく無事っぽくて何より。
って事で、まずは休みを取らないとならないので、無理やりに支度をしてから養魚場巡り。
ほぼ数十分・・・・見たろっ・・・って感じだけれど、俺の脳は馬鹿だから、休んだ感じがするんだろうね・・・何と無く。それで誤魔化して・・・・到着。
すると、いつものようにお昼をご馳走になるのだけれど、娘さん達もいて・・・そこから見える部屋に、お雛様があった場所に浴衣が2枚吊るされていて、あれは誰の?って聞くと、
お姉さん達のらしい。何しろもしこんなシ-ンに出くわすと、大抵小学生のものであって、
こんな大きな大人の浴衣なんてもんをじっと見る機会なんて無く、こんな事1つでも、
季節感も感じられるし、こんなの来た女の人とデ-トした事あったっけなぁ・・・なんて、
思い出したりもして・・・・いすれにせよ、ここに来ると、感受性がくすぐられるのね。
何だか懐かしい事も多かったり、小さな子のいる家族を連想させる事は常ふ連の家でもあるが、こんなに大きな娘さんがいる家族を連想するのは、ここしか無くて・・・・。
お父さんってこんな感じになるのかぁ・・・って、ちょっと思ったりもする。だから、元気があれば、楽しく感じられるし、逆に何で俺にはこう言う事が無いんだろう・・・って、
落ち込む事もあったりもする・・・でも感じられるって言うのは、消して悪い事では無く、一番最悪なのは、何も感じなくなり、当たり前になるのが嫌なのね・・・・。
常に嬉しいな・・・、良かったな・・・って何があっても思えないと、感謝しているって言う事に繋がらない。世話になっている以上、こんな普通な事が出来なくなる自分がいたと
するなら許せない。それとこんな素敵な空間で、感じる事が出来ないのなら作家としても、
その程度と限界さえも感じてしまう・・・・何か感受性が研ぎ澄まされていないようで。
それは以前話した福山君の話。おっさんでエロで、なのにカッコ良くて、でも家族がいないのに、家族になろうよ・・・と歌う。明らかに聴いている人には家族がいるはずなのに
、家族の無い人の歌に感情移入する。つまり見栄えは比べものにはならないが、感受性としてはア-チストとして、負けないものを持っていないと、見栄えの劣っている分、
見劣りする。昨日のニノの話と一緒。いかに伝統や栄光、エリ-トに食い下がるには?
ここしか無い・・・ってピンポイントを鍛える・・・俺は確実にその1つが感受性。
そんな中、ちょっとした事に気が付く。その横にぶら下がっていた古布で作られたかばん。古布とは、着物なんかのリサイクルみたいなもので、それはキウイから教えて貰った。
すると、それは仏像彫刻の方が作ったもので、もう30年近くやっている・・・と言う。
なるほどね・・・1つこの人を知るカギを手に入れたのね・・・・また1つ。
これを器用と言うのは簡単なのだけれど、これがどんな?って掘り下げている人はいない。それが何をどう拾うか?が俺の腕となる。何処が?何が?ってね・・・。
更にそんな中、また拾う話があった・・・・何かモザイクが上手く行かない・・・センスが無いのかな・・・って。そっちの話は、お教室で話します・・って事にした。
そっちは見なくても判る事だから・・・しかも今の2つの繋がりがあれば説明も十分。
大した話じゃない。いずれにせよ、ここでの話は非常に勉強になる事ばかり・・・・。
さてそれではお教室。まずは、もしかしたらやるかも知れない・・・ってひとまず見学って方から・・・そんな話だったので、ひとまずコ-スタ-の準備はして来た。
そんなこんなひとまず見ていて・・・・じゃやって見る・・・ってなったのね。
そんなこんなで1cmタイルの縁取りからスタ-ト。
まずは色選びから始まって、市松模様なんて考えたりする。市松とは?1.2.1.2ってな具合に、順番に入れ替える感じの事。これは注意しないと、最後に同じ色が繋がったりする。
それを目地幅の調整で必ず1.2.1.2に直す事。入らないから良いや・・・は絶対に駄目。
当然入らなければ、目地幅の調整とは、全部均等に動かして・・・って意味なので、
面倒な事になるって意味でもある。しかもボンドがはみ出ていれば、当然手もベタベタになり、ボンドだらけにもなるし、逆にボンドが少なければ、動かした瞬間ポロッって、
取れてしまったりもする。ただ張るって行為1つでも、簡単に出来る人と出来ない人がいる。しかも、そこは意識をする・・・ってだけでも解決したりもする。
まずここを拾う。仏像彫刻の人が切らずに張っただけって作品の目地を、体験の人の目地の時に一緒に・・・と言われて、見せられたのだけれど、横にボンドの汚れがあった。
ほらここ。上手くなったのは切る事で、張る事では無い。ただこんな事はそうやって起こった小さな失敗の是正で直る。単なる口での説明でね・・・・いちいち指導の時間は、
必要が無い。必要なのはこう言う小さな失敗例のみ。そこを気を付けて・・・ってだけ。
後は、張った日に濡れたスポンジで拭く。なるべくお湯で・・・すると、落ちが良い。
余り早いとタイルが動くし、カッタ-で余分なボンドをそいでから拭く。それだけ。
って元に戻って、次はモチ-フ決め。出来るかどうかは別として、聴いて見ると花って事
で、どんな?って更に聞くと、バラかマ-ガレットのような・・・って話だから、どちらでも・・・と言って選んだのがこれ。
真ん中の黄色い丸から切って貰って、その後、大体の大きさを揃えたランダムな形の白いタイルから、花びらを切って貰う・・・・そして最後に1つのル-ルだけ守って貰って、
終了。その1つが今まで使った黄色と白は使わない事。ほぼそれだけで教えたのは、ツメ切る要領で、深爪すれば刃の入れ過ぎだから、割れちゃうし、おっかなびっくり浅く
入れると、いつまでもこすっているだけになる・・・ほぼこれだけかな・・・。
そもそも体験、余計な事よりも何とか終わる事。そしてタイルを切るって行為を味わう。
こんな経験はそうそう無いのだから。それが上手く行ったか?行かないか?なんてもんはどうでも良い。上手いのが欲しければ、練習すれば、目の前にいる人達のようになり、
つまんないと思えば、今ならそれ1つで済む。ただそれだけ。良いも悪いも強制は無い。
判断は自分。だから、そうね・・・聞かれたら答えるとか、必要以上に構わない・・。
そんな感じ。それよりも他の2人にいつものように指導しているのを聞いて貰った方が、
きちんと伝わるでしょ?続けるとこうなる・・・ってね。
では、まず1人目。
これで半年って言ってたから、6回x4時間として24時間でここまで作った事になる。
この方はここだけなのでね。それが自宅で数パ-ツ切って来た・・・って言うのね。
それは見なくても十分。それだけでね。何しろやっていなかった人がやって来た。
しかもボンドは持っていないから、パ-ツを切って持って来たのだから、勝手に張った・
・・・って訳じゃないので、確認の元にここで張れる。更に言えば、1ヶ月に1回が、途中自宅で復習をすれば、忘れちゃった・・・って元に戻すのが大変なのに、少しやるだけで
思い出す時間が少なくて済む。これが勉強なら?ほらね・・・50になって先生やって、つくづく思うのは、自宅の復習ってのは、とても大事で・・・何でやらなかったんだろう。
って本当に思うのね・・・あはははは。九九1つ取っても、念仏のように暇あれば唱えていたでしょ?ねっ。反復練習って言うのは・・・つまり切るって行為も一緒。
ただね、ただ切れば良いだけじゃない。狙って切る。目的意識を持ってね。それをただ砕くだけなら目的意識が無いから、どんな子供でも出来る。
つまり狙ったら切るになり、狙わないと砕くになる。違いは目的意識。
つまり狙わないと簡単って事になる・・・・あはははは。気が付いたかな?
体験なのに狙ってばかり・・・あはははは。これに気が付くのは仏像彫刻の人のみ。
さてそんなパ-ツを張って、いよいよバックとなるのだけれど、さっきのル-ルだと、
使った色は使えない・・・になるのだから、これだけ使うとかなり限定される・・・・。
そんな中、白っぽいのが良いと言う事になり、では切るって事になる。
そもそもこれだけ狙って切れるようになったのだから、単なるクラッシュ・・・そう偶然みたいなパ-ツでも良いよ・・・って伝えても、きちんと目地幅を合わせ、きちんと切る
・・・違うかな?綺麗でしょ?。つまり上手くなった悩みなのね。じゃこの方がテニスってお題を言うので、それで説明すると、本来初めてなら、まずラケットに当ててって感じで
コ-チが玉出しして、打ち返す練習。それを出来ればネットの向こうに・・・あっちへ。
ラインやコ-スなんてどうでも良いから・・・ってな話になるでしょ?それが普通。
でもね、これはスク-ルとして1ク-ルは最低来るって教え方なのね。
モノ作りってのは、嫌、俺の場合のお教室はそんなに長い時間は与えられない。
常に1回って感じでしょ?つまり最初から狙わせていたのね。大体あっち・・・ってね。
しかもテニスみたいにアバウトじゃなくて、あそこに・・・ってね。
だって初めての人に丸や花びらを狙わせて切らせているのだから・・・。
そうね、最低でもテニスならサ-ビスを入れて・・・って言われているようなもの。
でも出来てたでしょ・・・・?初めてでも。それが24時間でこんなに変わる訳なのね。
だって単なる体験のお題だったら、緊張感を生まないし、何と無くの繰り返しだから、
それが何個出来る?って話になる。恐らく慣れれば、コ-スタ-を2つ作れたとすると、
12個のコ-スタ-とこの作品が一緒って事になる。
同じ24時間をどう使うか?で、上手さなんてもんは変わるのね。つまり遊びならそうすれば悩みも少なく楽しめる。上手さはその慣れの中で、小ささの中で得られる。
所が俺は体験の後、常にこうした教え方にするから、耐えられる人と、耐えられない人に分かれる。当然続いた人の中で、急に意識が変わった・・・って人が出て来る。
ほらこの方、とうとう自宅でもやるようになった・・・。こうなると、上手さは増すし、
慣れる。更にこれだけの狙ったパ-ツを切れるのだから、適当には進まない。
しかも終わりが見えて来た・・・俄然やる気も増す・・・いよいよ完成に向かっている。
ここまで来れば、もう時間が解決して行くのである。
ただ、本来ならね・・・なのね。こんなにクラッシュのバックをきちんと狙ったら、上手いし素敵だけれど、とんでも無く時間が掛かる・・・所が本人にはその意味が判らない。
じゃ、仏像彫刻の人に見て貰って・・・と言うと、見た瞬間、凄く綺麗だけれど、凄く大変だよっ・・・頑張って・・・って、判っちゃうのね。
そこで、ほら・・・って両方に声を掛けた。まずは同じほらでも、作っている人へのほら・・・は、だから言ったでしょ?の確認のほらって意味で、後押しして貰ったほら。
では、仏像彫刻の人へのほら・・・は?恐らく根っこにあるものを解決しないとならない。ではそれは何か?まず主催者であるから、当然電話なんかの対応をする事になる。
事故で行けない・・とか、明日伺いますとかね。じゃ、今初めて自宅でやり出した人と、どんな会話をしたかな?・・・やる気が無いはずが無いよね・・・?つまり今までとは、
変わった会話をした可能性がある・・・。やる気になった人と会話をしてのだから。
もしそうだとしたら、いつも通り変わっていない仏像彫刻の人と、やる気になった人と、
会話をしたら?どうなる・・・そうね、知らず知らずに追われる立場になったのね。
あはははは。上手くなったもんだわっ・・・・そうだとしたらね。
さてさて、それじゃ立て直すかね。そもそも何でそうなったか?の理由の1つは簡単で、そんな事だけじゃないのね・・・良く見る・・・徹底的に見る。本人よりもね・・・。
ここは自宅なのね・・・徹底的に見れば何かが変ったはずなのね・・・だって精神的な事なのだから・・・。俺がこうして散々見せているのに、自分に当てはめようとしない・・
では、何が変わったのか?ってなると、大抵は子供に自分の時間が取られた・・・とか、そんな事があったりするのだけれど、ここには当てはまらない。
つまりその子供に相当する何か?があるはずなのね・・・何だろう?彼女の時間を奪うものは・・・?そもそも仏像彫刻は最初からやっている中でのモザイクだからここは一緒。
これが展覧会でもある・・・って言うのなら、変わるけれどね。すると、陶芸の展示会があるって言うのね・・・・あはははは、それも理由の1つだわっ。
つまり、モザイクの時間を他の時間に取られているのね・・・その上、自宅でやっていなかった人のやる気が変わった話を聞く事になる・・・初めて追われる立場になった。
例えばこれが金町湯の方となら、向こうの方が先輩だし・・・って自分を下に置ける。
なのに、あの犬の作品の人となると、その差を感じさせない評価があったりする。
ほら、下に自分を置いて、作品は並んで・・・ほら、楽をしていたでしょ?
それがね、金町湯の人に休まれると、当然1人、この中では自分が1番上手い人となる・・
ほらね、プレッシャ-を1人受けた。何で?・・・知らぬ間に楽をしていた自分がいて、知らぬ間にプレッシャ-を受けていたのに、気が付かないから。
それを踏まえて、元に戻ってほらね・・・を考えればすぐ判る。何故作っている本人は難しさが判らず、その作品が素敵に仕上がる事が判らず、半信半疑で進もうとしているのに
、どうして貴方は判ったのですか?ほらね・・・って意味。そう、上手いから見えたのね。作っている彼女に見えない完成が・・・。それなのに、それをいくら俺に言われても、
もう気が付こうともしない・・・何故なら教えてくれない先生だから・・。あはははは。
では、違う切り口で検証しよう。ねぇ、犬のモザイクの出来栄えどう?
すると、自画自賛になるけれど最高に気に入っている。って言うのね。ではどうして?
みんなに似ているって褒められたし、でもオ-ドリ-先生がマンツ-マンで教えてくれる
から・・・はいそこ。そうね、カルチャ-では一番最後に入って来たでしょ?何とかそれを気にさせないようにするには、みんなと同じでは、永遠に変わらなく見えるし、
手馴れた人は反復練習をしている訳で・・・。それなら・・・と遅れて見える分を見劣りさせない為に・・・って、オ-ドリ-を専属で付けた。確かにね。
ただオ-ドリ-にも責任を持って教えると、ここまで作らせる事が出来るって言う、教え方ってものを勉強させようと言う思惑もあったのね。
つまり言葉で説明すると、考える事はすべてオ-ドリ-が考え、色、形、大きさのすべての決定権を持って、それを切る、張るが仏像彫刻の人って関係。
つまり高校野球の監督と選手だと思って貰えば良い。これなら作戦は監督、遂行が選手。
ほら、つまり考えなくて良いのね・・・選手は。迷わず遂行のみ。あはははは。
ではこれは・・・。
この作品は一体何を意味しているのか?あはははは、大人なんだから気が付いて。
これは俺がなるべく黙って自分で考えながらやっている作品なんでしょ?
犬は頭を使わずに切る張るの練習をして、結果はオ-ドリ-に任せる。あじさいはほぼ全部自分で考えて、最高の1人遊びを目指している訳で・・・。
これをまとめると、自分の身を下に置きつつ、キャリアのある人と方を並べられるように、オ-ドリ-との犬は考えずに進んで行くから、楽しいが、あじさいはそんな感じに、
進んで行かずに、しかもやる気で下から追い掛けられる・・・上手くなったのにプレッシャ-を受けている事に気が付かず、更に他の習い事に時間が取られれば、追い討ちを掛け
、進まないのも当然。つまり上手くなった自覚も無く、それによって掛かったプレッシャ-に追い込まれて疲れていた・・・・って話。
こらこら、下手な人が他の人の仕上がりなんて判らないでしょ?きちんと自覚すれば、なんて事の無い話で、上手くなったから・・・の話。むしろ良かったね・・・なのね。
しかもこんな事やっている人が、進まなくて当たり前。なるべく教えない方も大変なのね。あははははは。そんな中、7月のカルチャ-をオ-ドリ-がお休みってお話をした。
どれもこれも下手な人の話では無い。後は人のフリ見て・・・すべてがことわざ通り。
いなければいないなりに進めば良いし、やる事が無い訳でも無い。
今日のお教室1つで色んな事が判る。体験の人は出来たらラッキ-。何せ初めてだから。
ここで上手く出来なかった・・・って辞めるのなら、他に合うものをお探し下さい。
って話で、ほぼ偶然で出会い待ち。きっと、その内に、数打ちゃ当たる・・・。
それを1つ真剣に作ろうかな・・・となると、これがサンプルありきの教室なら、
他の誰かと比べられる作品となる。何しろ最低サンプルがあるのだから。そのやり方って言うのは、ニノのドラマで言う有名校の特訓ってやり方。
同じ事を繰り返し繰り返しやる。しかも、月謝だの入会金だのを支払ってやるって気持ちでね。逆に俺のはそれと違ってオリジナル・・・。しかも1回ごとのお教室代で、
入会金なんてものは無い。だから来る来ないもほぼ自由で本人次第。何しろその都度、来たら・・・のお代なのでね。しかも、内容にしても、だから途中参加とか一切無く気まま
、サンプルが無いから、良くも悪くも自分次第。そうなると、続ける為にも自分の好きなお題でやる事がやる気になるかな・・・と思うのだけれど、上手く出来て行けば、
仏像彫刻の方の犬のように、いきなりあんな作品にもなるし、何と無く選んだものの、きついわっ・・・ってな事になり、その果てしなさを後から知っちゃう場合もある・・・。
ただ、それについても、大体どの位の時間で終わりたいか?の目安で、こんな事は辞めましょう・・・とは言うが、こうして・・・とは言わない。
止める事はあっても、時間の掛かる事を最初から進めたりはしないのね。
いずれにせよ、そうやって繰り返していると、上手くなるのも当然で、ただ何がどう?
上手くなったの?って言うのが判りづらいのね・・・けれど、こう言う話の時に、あっ・・・これかぁ・・・って判る日が来ると、その時に自分の成長を判ったりもする・・・。
何しろ大事なのは、切る事、張る事が上手くなったって俺に言われた人は、それでは構想をしっかり・・・とか、下絵の描き方の是正であったり、気持ちの立て直し方とか、
明らかに精神論的話となる。何しろ気分で作っても結果は中々出ない。でも30年もやっている古布でなら別だけれど・・・。何しろモザイク歴はたった1年半。
仏像彫刻や陶芸にも負けるようなキャリア・・・・まっ結果を焦らずにやった方が良い。
恐らくこの話で、きちんと立て直しが出来たとは思うけれど・・・・。