実はシドさんの下絵を描くにあたって癒しっテーマを作るのに、切ないって言う事が必要って事を意識して、役者が役に入り込むように、俺もそうなる方向にあって・・・・そんな中、かぐやとの電話を3日絶って・・・。
そんな中、更に行き違いがあってお互い待ったようで、更に数日続いて・・・・かぐやが弟子になって初めて特に理由らしい理由が無く1週間話さない日が続いた・・・・。ただ今日は業務連絡があって、いきなり頼み事をすると、どうなってるのか?・・・となるも、
文句を言いたい事をこらえつつ、その上、頼み事が広辞苑の翻訳みたいな業務の量らしく・・・・ただ理由が理由だけに仕方なし・・・みたいに、何と無くいつも通り・・・・ってな事になる。
ただ午後からさくら教室なんで・・・となるが、所で風邪は?となり、ひとまず午前の部に間に合うから・・・となって、病院へ。
特に昼間は熱も無く、大きく崩れる事も無いし・・・・ただ一応保険程度に・・・・と。
まっそんなこんな事もあり、簡単に薬が出た・・・って感じであっという間に診療終了。そんなこんな中、さくらが来て・・・・。
今日はお教室ってよりお見舞いで良いです・・・ついでにモザイクする程度で・・・。って。
ただメールには、私よりも余裕があるでしょうからよろしく・・・となっていたので、確実に調子が悪い前提で来た事になる。
そもそもがいくら体調が悪いとしても、さくらにアドバイスの1つも出来ないようでは、流石にどうにもならない師匠になってしまう
では、一体近況として何があったか?・・・・になる。そもそも簡単な話で生きるって言うのは、コップにストレスって水を入れているようなもので、きちんとそう意識して図としてイメージ出来ていたとしたら?満タンになりこぼれるまでほって置く事も無い。
ただ別にこぼれようが良いじゃん。そんなの関係無いじゃんって人に説明するつもりは無いので、流派が違うと思えば良いだけで、下りて貰ってご自分でどうぞ。興味ある人には・・・・そもそもストレスとは、自分の脳の判断と現状とのギャップで溜まって行く物と考えるのね。
つまり人の器なんて比喩はその大きさの事とするのなら、同じストレスを入れても余裕のある人と、こぼれてしまう人との差のようなもので、自分を知るって言うのも、器の大きさ、そしてその器に対するストレスの分量、そして残りの分量、あるいはかき出す工夫。
そう行った繰り返しなんだと思うのね。この程度なら聞かなくても判るなんて人もいるよね?そもそもオリジナルを作りに来ていて、俺に構想の立て方なんて説明をされた人ならこの程度は簡単過ぎてアクビが出ちゃうだろうから、先に進んで・・・。
それが病気と同じように人と会うって言うのは、病原菌とも会うって事をも意味する訳で・・・・お互いに。
家族があれば喜びも悲しみも1人の奴よりも大きい。しかも知ろうとしなくとも1つ屋根の下にいれば、知ってしまう訳で・・・。
つまり別に・・・とクールに接していても、知ってしまって脳に入り込まれれば、己の意識に無いと言い張った所で、脳がどの程度処理してどの程度のダメージや喜びを残しているか・・・?みたいな事になる。
ひとまず話が広がり過ぎるので、喜びの部分の良い事は置いといて、ダメージのみに絞ると、つまり意識無しで入ってくるもの・・・つまりパソコンのウイルスみたいなものと考えると良いだろうね。
って事は、医者でも無いのに常に目を光らせているかぐやのパソコンならウイルス発見も早いだろうね。では生きている長さで言うのならベテランだが、ストレスの処理能力はパソコンのウイルス対策よりも優れているだろうか?
聞かなくても判る。答えはノーになる。それも簡単で意識して駆除して来なかったからになる。こんなしくみを考えると、まずさくらは弟子であるから流派は一緒、その時点で聞く気が無い訳では無い。では聞いたとする。
では現状を検証し是正となるのだけれど・・・・出来ない・・・となる。あらまっ、1で受け入れ2で出来ない・・・早いね。否定が・・・。もう終わりなの?・・・大抵こんな症状の出ている場合、色々と質問を変えた時に返って来るセリフがある。
まぁ最低最悪に便利に使われて、悲しい言葉として使う・・・・十人十色。・・・まぁモザイクやってて、色を大切にしないとなら無い人が、都合の悪い時に必ず曖昧にしようとして使う最低最悪用語の代表例。
これが昨日の美術展のような場所で、同じ絵の具なのにみんな個性あって・・・・まさに十人十色だよね・・・って使うのなら、
何て素敵な使い方を・・・となるが、人それぞれだし・・・・十人十色だし・・・・こんな使い方の場合、単に言い訳とか、
自分を納得させる為に使っていたり、どう考えても後ろ向きになっているとしか思えない。つまり1の受け入れの段階では否定せず受け入れているけれど、2からは受け入れられない・・何故なら3.4.5・・・と質問が続くとすべてが丸見えになってしまうから。
つまり最初から受け入れないスタートだったって事になる。1で受け入れない・・・では余りにも許容範囲が無い事になる。
それでは弟子と師匠の関係をも否定しているようになる・・・・悪いながらも配慮はある。がしかし、2で人それぞれやら、
十人十色なんて質問の答えをするなんざ、そもそもおかしくないかい?ってな話になる。何せオリジナルを習っている場所であるのなら?どんな質問であっても、私はこう思うであるのなら、まだしも人それぞれ、十人十色・・・誰に何を言っているのだか?
誰も世界のみんなは?なんて質問はしていない。貴方は?の質問なのね・・・すべて。それが出来た人には、3の質問は、その答えでみんなはどう感じると思う?になる・・・・。2の質問に貴方は?って言うのは、まず自分があるかどうか?になる。
この時点で答えられない場合、何をしたいか?が定まっていない事になる。では答えた場合、その答えが常にいつもの自分らしいのか?らしくないのか?となる。もし、らしいのなら・・・過去の成功率が高ければ確立が悪く無いのだから、そのままでも結構だが
もし確立が低かった場合、ここで勝負を賭けたい・・・だからいつもと違う・・・・そっちを選んだと言うのなら、次は未知なる所へ行くのだから、気迫があるかどうか?になる。こう言う問診のようなやり取りから、今の現状、つまり俺の知らない情報を
加味して、以前の器に一体どの程度のストレスが入った事になるか?・・・・を予想する。俺の仕事の1つなのね・・・これも。
この程度が判らないのではオリジナルの個人レッスンなんてやる資格は無い。そもそも曖昧な代名詞、十人十色と言うのなら、
みんながみんな同じであるはずが無いのに、みんなが同じ事をする・・・・うわっ気持ち悪い。ただね、何事にも基本はある。
つまりその基本の時は、みんな一緒が先生に都合が良いだけ。爺さん婆さん、子供であってもバイエルってスタイルでは無く、
俺は、サブちゃんならサブちゃん。キャリーさんならキャリーさん。モチーフは自由で始まっても良いが、1回の時間は決まっているから出来るか出来ないか?の判断はこちらでするけれど、極力ご希望を・・・と言うスタイルを体験からやっている。
それを弟子なんて言う人になったのなら、その回数はとんでもない数をこなしている訳で・・・・。過去のデータは掛かり付けのお医者さんのように持っている事になる。しかも人はそう変わらないらしい・・・・。それでは驚くほどの変化は無い。
つまり予定通り程度の心の悪さに体調の悪さの大小を付け加えたものが、今日のさくらになるだけ。
更に付け加えると、ブログを読んで、別に余裕無い訳じゃないのに、余裕無いような感じ出しちゃって・・・と来て言うのね。
なるほどね・・・・ねぇ、それおかしくない?何故なら、メールには私より調子は良いはず・・・つまり、なにかい?俺より調子の悪い弟子にだらしないなぁ・・・余裕無い訳じゃないのに・・・・って言われているって事?
随分と大きな器に思われているようだけれど・・・大きな器ってのは無理して伸ばして焼いたのだから、ヒビも入るかも知れないし、きちんと調子が悪いと判断して、いつもよりもきちんと自分の技量を測るべきで、こんな程度平気・・・は無謀な人のやる事
そもそもそう言う繊細ざ必要であり、人にお金を貰う以上、こんな時は特に気にして当然な訳で。それと自分に都合の良い事だけを書いても日記では無くなるし、こう感じた・・・を書くべきで、その時その時の感情だったりもするだろうし、
勿論、ここに書く事によって、より質問も変わったり、こちらもそれに対応出来る自分であったり・・・・切磋琢磨とはそんな事であったりもして・・・・。ただ人の技量を測るのであれば、きちんと責任を背負って口にして、口にしたらやれば良いだけ。
しかも日記であるのなら、人であるのだから、へこみもするし失敗もある。なるべく情状酌量の余地内で終わりたいが・・・あはははは。そんな中でも続けているのも事実な訳で・・・。
まっ流行で言うのなら、進撃の巨人で人を信じても、己を信じても正解は無い・・・・生き残った事が・・・みたいなセリフがあったが、まさにそうであって、色んな事を経験して来た者が言うセリフには、悲しみや苦しみ、無くしたもの・・・そんな重みが
あり、どんな形であれ、どんな時であっても、瞬時に決断しないとならない事もあって、それが上になればなるほど、その責任の重みがのしかかって来るもので・・・・自覚がある、無しでは大きく変わって来るものである。
何しろ自分の身を下に置けば、責任が少なく楽になる方向になるが、一番の悲劇は自分の思う自分と、みんなが思う自分とを比較
した時に、余りにも差があって、更にそれがもしみんなの思う自分に押し潰されそうであるのなら、それがプレッシャーであり、
随分と上手くなった証拠である。まぁ確かに調子が悪かったが、この程度の話は悩んで話す事では無いので、送る事と引き換えに
声を潰しても気迫で伝えるべき・・・・といつも以上に声を張った・・・。おぉきつい。
その後、ラーメンをご馳走になって小雨の中、帰宅。良い時もあって悪い時もある。人と付き合うと言う事はそう言う事。
本来、この年となるとその単位として、家族なんてものがあるが、それが無い以上、弟子とこうした付き合いを出来ている・・・
そう思うと有難い。そもそも1人であるなら、声なんて潰さない。話す声すらいらないのだから。けれど、声があるから使いたい。
けれど無駄には使いたくない。ただ知らない人と話せば気も使う・・・しかし、知られてなんぼ。
いずれにせよ、こんな時に弟子であって助かった・・・・だから何もかも有難うになる。またな・・・と分れて、またが来る。
またが来たと言う事はお互いが生きていたのであり、お互い違う戦地で生きていて、戦略を立て戦地へ出向く・・・。
そしてまた・・・達者で・・・その繰り返し。それを沢山繰り返したいのなら、知名度を上げて売れる事。
こんな程度では誰一人喜ばない・・・・。
さて、少し情緒も入れては見たが、現実は海外の仕事となる美術会社さんから電話があって、3月だった話が2月に変更となった。
つまり1ヶ月は潰れると考えるのなら・・・・年明けでは始動が遅過ぎる事になるかも・・・・。
お教室もそのまま出来る範囲で続けるとしても、余裕を作るに当たっても、早めの始動に越した事は無い。
何だかせわしい気持ちになる・・・早めに余裕を作らないと・・・・。
そんな中、更に行き違いがあってお互い待ったようで、更に数日続いて・・・・かぐやが弟子になって初めて特に理由らしい理由が無く1週間話さない日が続いた・・・・。ただ今日は業務連絡があって、いきなり頼み事をすると、どうなってるのか?・・・となるも、
文句を言いたい事をこらえつつ、その上、頼み事が広辞苑の翻訳みたいな業務の量らしく・・・・ただ理由が理由だけに仕方なし・・・みたいに、何と無くいつも通り・・・・ってな事になる。
ただ午後からさくら教室なんで・・・となるが、所で風邪は?となり、ひとまず午前の部に間に合うから・・・となって、病院へ。
特に昼間は熱も無く、大きく崩れる事も無いし・・・・ただ一応保険程度に・・・・と。
まっそんなこんな事もあり、簡単に薬が出た・・・って感じであっという間に診療終了。そんなこんな中、さくらが来て・・・・。
今日はお教室ってよりお見舞いで良いです・・・ついでにモザイクする程度で・・・。って。
ただメールには、私よりも余裕があるでしょうからよろしく・・・となっていたので、確実に調子が悪い前提で来た事になる。
そもそもがいくら体調が悪いとしても、さくらにアドバイスの1つも出来ないようでは、流石にどうにもならない師匠になってしまう
では、一体近況として何があったか?・・・・になる。そもそも簡単な話で生きるって言うのは、コップにストレスって水を入れているようなもので、きちんとそう意識して図としてイメージ出来ていたとしたら?満タンになりこぼれるまでほって置く事も無い。
ただ別にこぼれようが良いじゃん。そんなの関係無いじゃんって人に説明するつもりは無いので、流派が違うと思えば良いだけで、下りて貰ってご自分でどうぞ。興味ある人には・・・・そもそもストレスとは、自分の脳の判断と現状とのギャップで溜まって行く物と考えるのね。
つまり人の器なんて比喩はその大きさの事とするのなら、同じストレスを入れても余裕のある人と、こぼれてしまう人との差のようなもので、自分を知るって言うのも、器の大きさ、そしてその器に対するストレスの分量、そして残りの分量、あるいはかき出す工夫。
そう行った繰り返しなんだと思うのね。この程度なら聞かなくても判るなんて人もいるよね?そもそもオリジナルを作りに来ていて、俺に構想の立て方なんて説明をされた人ならこの程度は簡単過ぎてアクビが出ちゃうだろうから、先に進んで・・・。
それが病気と同じように人と会うって言うのは、病原菌とも会うって事をも意味する訳で・・・・お互いに。
家族があれば喜びも悲しみも1人の奴よりも大きい。しかも知ろうとしなくとも1つ屋根の下にいれば、知ってしまう訳で・・・。
つまり別に・・・とクールに接していても、知ってしまって脳に入り込まれれば、己の意識に無いと言い張った所で、脳がどの程度処理してどの程度のダメージや喜びを残しているか・・・?みたいな事になる。
ひとまず話が広がり過ぎるので、喜びの部分の良い事は置いといて、ダメージのみに絞ると、つまり意識無しで入ってくるもの・・・つまりパソコンのウイルスみたいなものと考えると良いだろうね。
って事は、医者でも無いのに常に目を光らせているかぐやのパソコンならウイルス発見も早いだろうね。では生きている長さで言うのならベテランだが、ストレスの処理能力はパソコンのウイルス対策よりも優れているだろうか?
聞かなくても判る。答えはノーになる。それも簡単で意識して駆除して来なかったからになる。こんなしくみを考えると、まずさくらは弟子であるから流派は一緒、その時点で聞く気が無い訳では無い。では聞いたとする。
では現状を検証し是正となるのだけれど・・・・出来ない・・・となる。あらまっ、1で受け入れ2で出来ない・・・早いね。否定が・・・。もう終わりなの?・・・大抵こんな症状の出ている場合、色々と質問を変えた時に返って来るセリフがある。
まぁ最低最悪に便利に使われて、悲しい言葉として使う・・・・十人十色。・・・まぁモザイクやってて、色を大切にしないとなら無い人が、都合の悪い時に必ず曖昧にしようとして使う最低最悪用語の代表例。
これが昨日の美術展のような場所で、同じ絵の具なのにみんな個性あって・・・・まさに十人十色だよね・・・って使うのなら、
何て素敵な使い方を・・・となるが、人それぞれだし・・・・十人十色だし・・・・こんな使い方の場合、単に言い訳とか、
自分を納得させる為に使っていたり、どう考えても後ろ向きになっているとしか思えない。つまり1の受け入れの段階では否定せず受け入れているけれど、2からは受け入れられない・・何故なら3.4.5・・・と質問が続くとすべてが丸見えになってしまうから。
つまり最初から受け入れないスタートだったって事になる。1で受け入れない・・・では余りにも許容範囲が無い事になる。
それでは弟子と師匠の関係をも否定しているようになる・・・・悪いながらも配慮はある。がしかし、2で人それぞれやら、
十人十色なんて質問の答えをするなんざ、そもそもおかしくないかい?ってな話になる。何せオリジナルを習っている場所であるのなら?どんな質問であっても、私はこう思うであるのなら、まだしも人それぞれ、十人十色・・・誰に何を言っているのだか?
誰も世界のみんなは?なんて質問はしていない。貴方は?の質問なのね・・・すべて。それが出来た人には、3の質問は、その答えでみんなはどう感じると思う?になる・・・・。2の質問に貴方は?って言うのは、まず自分があるかどうか?になる。
この時点で答えられない場合、何をしたいか?が定まっていない事になる。では答えた場合、その答えが常にいつもの自分らしいのか?らしくないのか?となる。もし、らしいのなら・・・過去の成功率が高ければ確立が悪く無いのだから、そのままでも結構だが
もし確立が低かった場合、ここで勝負を賭けたい・・・だからいつもと違う・・・・そっちを選んだと言うのなら、次は未知なる所へ行くのだから、気迫があるかどうか?になる。こう言う問診のようなやり取りから、今の現状、つまり俺の知らない情報を
加味して、以前の器に一体どの程度のストレスが入った事になるか?・・・・を予想する。俺の仕事の1つなのね・・・これも。
この程度が判らないのではオリジナルの個人レッスンなんてやる資格は無い。そもそも曖昧な代名詞、十人十色と言うのなら、
みんながみんな同じであるはずが無いのに、みんなが同じ事をする・・・・うわっ気持ち悪い。ただね、何事にも基本はある。
つまりその基本の時は、みんな一緒が先生に都合が良いだけ。爺さん婆さん、子供であってもバイエルってスタイルでは無く、
俺は、サブちゃんならサブちゃん。キャリーさんならキャリーさん。モチーフは自由で始まっても良いが、1回の時間は決まっているから出来るか出来ないか?の判断はこちらでするけれど、極力ご希望を・・・と言うスタイルを体験からやっている。
それを弟子なんて言う人になったのなら、その回数はとんでもない数をこなしている訳で・・・・。過去のデータは掛かり付けのお医者さんのように持っている事になる。しかも人はそう変わらないらしい・・・・。それでは驚くほどの変化は無い。
つまり予定通り程度の心の悪さに体調の悪さの大小を付け加えたものが、今日のさくらになるだけ。
更に付け加えると、ブログを読んで、別に余裕無い訳じゃないのに、余裕無いような感じ出しちゃって・・・と来て言うのね。
なるほどね・・・・ねぇ、それおかしくない?何故なら、メールには私より調子は良いはず・・・つまり、なにかい?俺より調子の悪い弟子にだらしないなぁ・・・余裕無い訳じゃないのに・・・・って言われているって事?
随分と大きな器に思われているようだけれど・・・大きな器ってのは無理して伸ばして焼いたのだから、ヒビも入るかも知れないし、きちんと調子が悪いと判断して、いつもよりもきちんと自分の技量を測るべきで、こんな程度平気・・・は無謀な人のやる事
そもそもそう言う繊細ざ必要であり、人にお金を貰う以上、こんな時は特に気にして当然な訳で。それと自分に都合の良い事だけを書いても日記では無くなるし、こう感じた・・・を書くべきで、その時その時の感情だったりもするだろうし、
勿論、ここに書く事によって、より質問も変わったり、こちらもそれに対応出来る自分であったり・・・・切磋琢磨とはそんな事であったりもして・・・・。ただ人の技量を測るのであれば、きちんと責任を背負って口にして、口にしたらやれば良いだけ。
しかも日記であるのなら、人であるのだから、へこみもするし失敗もある。なるべく情状酌量の余地内で終わりたいが・・・あはははは。そんな中でも続けているのも事実な訳で・・・。
まっ流行で言うのなら、進撃の巨人で人を信じても、己を信じても正解は無い・・・・生き残った事が・・・みたいなセリフがあったが、まさにそうであって、色んな事を経験して来た者が言うセリフには、悲しみや苦しみ、無くしたもの・・・そんな重みが
あり、どんな形であれ、どんな時であっても、瞬時に決断しないとならない事もあって、それが上になればなるほど、その責任の重みがのしかかって来るもので・・・・自覚がある、無しでは大きく変わって来るものである。
何しろ自分の身を下に置けば、責任が少なく楽になる方向になるが、一番の悲劇は自分の思う自分と、みんなが思う自分とを比較
した時に、余りにも差があって、更にそれがもしみんなの思う自分に押し潰されそうであるのなら、それがプレッシャーであり、
随分と上手くなった証拠である。まぁ確かに調子が悪かったが、この程度の話は悩んで話す事では無いので、送る事と引き換えに
声を潰しても気迫で伝えるべき・・・・といつも以上に声を張った・・・。おぉきつい。
その後、ラーメンをご馳走になって小雨の中、帰宅。良い時もあって悪い時もある。人と付き合うと言う事はそう言う事。
本来、この年となるとその単位として、家族なんてものがあるが、それが無い以上、弟子とこうした付き合いを出来ている・・・
そう思うと有難い。そもそも1人であるなら、声なんて潰さない。話す声すらいらないのだから。けれど、声があるから使いたい。
けれど無駄には使いたくない。ただ知らない人と話せば気も使う・・・しかし、知られてなんぼ。
いずれにせよ、こんな時に弟子であって助かった・・・・だから何もかも有難うになる。またな・・・と分れて、またが来る。
またが来たと言う事はお互いが生きていたのであり、お互い違う戦地で生きていて、戦略を立て戦地へ出向く・・・。
そしてまた・・・達者で・・・その繰り返し。それを沢山繰り返したいのなら、知名度を上げて売れる事。
こんな程度では誰一人喜ばない・・・・。
さて、少し情緒も入れては見たが、現実は海外の仕事となる美術会社さんから電話があって、3月だった話が2月に変更となった。
つまり1ヶ月は潰れると考えるのなら・・・・年明けでは始動が遅過ぎる事になるかも・・・・。
お教室もそのまま出来る範囲で続けるとしても、余裕を作るに当たっても、早めの始動に越した事は無い。
何だかせわしい気持ちになる・・・早めに余裕を作らないと・・・・。