今日は午後から棟梁とみどりの相席教室。そんな訳でそれまでの間、月末に開催の島村ファームでの節分イベント用の下地作り。
こんな感じで完全にオーダー・・・・1人1人全部違うものを彫る事になっていて、決まった人の分の5個。後10個彫るのだけれど・・・・。
そろそろ時間も無くなって来たし、お教室もチラホラあるし・・・とは言うものの、1個だけで彫る準備をするのも10個を彫るのも一緒なんで、
次に彫る時は一緒に彫りたいのだけれど・・・大人の事情があるのね・・・。それは置いといて、昨日アップ出来なかった向日葵の小物完成。
前回の縁取りと似たような少し攻撃的な色合いだけれど、向日葵って言うと太陽って気がしたから、赤くしたかったのね。ただ真っ赤って言うと、かなりどぎついかな?と思っていくらか抑え気味にしたんだけれど・・・・これでも。って感じ・・・。では相席教室。まずはみどりの画像も。
まっご存知な人はご存知だろうけれど、2人共に内容は一緒で、みどりの場合は自分と子供のお別れを描いているのね。はぁ?何処が?と言う人にもう一度説明すると、老婆心って言う心配で貴方の為だから・・・と言うみどりの気持ちを黒い扉で表現をしているのね。
ただそれが強過ぎると、実は行かせたくない・・・ってすがるとも思えるようにも見える。その扉の掟を破ろうとする花嫁は白いドレスさえも浸食して、もはやそんな奴は・・・・と逆鱗に触れてしまったような状況にも見える。このままだと、石になった花嫁みたいな題名にも見えるね・・・きっと。
ただ趣旨を理解するとね、そうでは無いはずなのね。出来ればそれならそれを脱ぎ捨てて裸になっても出て行く・・・母に貰ったものは全て捨てて・・・ただ1つだけあるとしたら?そう目に見えるモノでは無く、見えない事だけを抱えて・・・そんな感じだと思うのね。
だから黒の部分のみどりは、強くなればなるほど暗くなる。つまりおどろおどろしく、掟を破るのかぁぁぁぁぁぁって魔女の母の逆鱗に触れたように見えるのね。しかも、ドレスにまで浸食するのだから、良くあるおとぎ話やらファンタジーな話に出て来るあんな感じだと思うのね。
そんなに引き留めている。そこまで強く引き留められているように見えては、女の子が力ずくで開けようにも開けられない。開けて良いのか?開けてはいけないのか?一体どう見せたいんだ?って話。そこが大事な事で、それにはまず今どう見えるんだろうか?なのね。
それをただひたすら切って張る・・・それではこんなに思い入れの強い作品はそう簡単では無いのね。それを素直にドレスは白、はい素敵な扉で幸せね・・・って単純なら綺麗に作りゃ良いじゃんって話。ただオリジナルって言うのは、自分の思いを作るのだから、思いが薄いならみんなと一緒。
別に誰が作ってもただ色が違うだけ。それを本気に自分と向き合っての制作なんだから、もっともっと思いの丈ってのを出さないとね。ただそこをはき違えると、ただのエゴを作ってしまうのね・・・どう見せたいのか?であるけれど、そうは見えないなんて事にもなる。ただそう見せる事も出来る。
それには自分の趣旨を明確にして、果たしてそう見えているか?を常に確認しないとならず、こう言う相席は質の高い話が出来る。
話を戻して、もし俺の感じている、老婆心を通り越して行かないで・・・とすがるどころか、逆鱗に触れて石にされて行くように見えているとしたら?趣旨に反するのだから、修整しないとならない。ただ剥がして直すって言うのでは無く、作り手の心の修正。
今そう見える・・・何故?の確認をして、そんなに浸食してしまった老婆心を解く何か?が必要だったりする。それを力で開けようとしたら、レスリングの吉田さんかっ・・・って感じだし、もっと女の子らしいそんな解くってキーワードになるようなアイテム・・・・。
そもそも意地でも出て行くのなら、女の子のドレスが破れて、肌が見えるのも良かろうが、かなり品の無い荒々しい絵になる。例えば扉が少し開いて光が差して・・・なんて説明はとっくにしたけれど、どうして開いたのか?が判らないのね。例えば女の子に涙とかあったら?
バルス・・・・ってラピュタのような呪文にも思えるし、その涙で老婆心が解ける、溶ける・・・でも良いが、それも単純な話で、どちらか一方から描くってのは、棟梁も一緒だけれど、自分サイドのみの作り方。もっともっとこうだったら良いのに・・・・ってもっともっと考える事。
その時に出来ればイーブンになるとバランスって言うのは良いものだと思うのね・・・・つまり花嫁が涙で老婆心が解けるって・・・そんな単純な魔法なの?って思うのね・・・俺なら。俺ならみどりサイドの扉も何処か?に涙に見える色やら形を1つ忍ばせるね。
そこがイーブンになるから、花嫁が泣いて開いた・・・って単純じゃなくて、老婆心の側も判って緩めたんだよ・・・にも見えたら、もっともっと素敵に見えるんじゃないのかな?・・・・それにしても老婆心が強過ぎれば、じゃ良いよっ・・・勝手に行けばっ・・・って感じになる。
そこを打破しないとならない・・・そんな日なんじゃないの?って話。それには今日やるべきは覚悟の1手を打つ。なら行けっ・・・って1手をね。
ではその覚悟の1手とは何?って事なんだけれど、覚悟とはなんぞや?って事なんだけれど、扉を開けて嫁に行くって・・・出て行く訳なのね。
扉を開けると光が差す。光が差すってどんな色?何処に当たるの?つまり砂糖に塩、黒に白みたいに強烈な1手。今までは老婆心側の親の気持ち。そろそろ娘の気持ちになって・・・白。どんな気持ちで出て行くのだろうか?・・・出て行く事が本当に心から嬉しいだけなのだろうか?・・・・。
繊細さとか、汲み取るとか、判らないじゃなくて、判ろうとする気持ちがあるか無いか?でも変って来ると思うのね。ただそれを思い込まずに、そんな事もあるのでは無いか?・・・とありとあらゆる角度で考えて見る・・・。同じように考えれば、棟梁の作品も考え方1つで見え方が変わる。
例えばどちらがやって来たのか?1匹の方が下りて来たのか?それとも2人が迎えに行ったのか?もし1匹の方が下りて来たと言うのなら、この世だし、迎えに行ったのなら?あの世になる。この恐竜のような生き物は飼っている犬の比喩的生き物。しかしながら1匹亡くなってしまった・・・。
そんな悲しみの絵なのね。しかしそのまま悲しみなら悲しく見えるようにすれば良いが、それなら迎えに行けばあの世を作ると良いが、そうでは無いのならこの世を作るべき。そしてこの世ならカラフルな事も出来るが、あの世だと色数は限定されるだろう。
そもそも二人共に悲しみって部分がある作品なのね・・・例えばお葬式。カラフルにする?でしょ?イメージって言う部分から言えば、かなり限定されるはずなのね・・・・悲しみって言うとね。これが逆に喜びと言うのなら?かなり広げる事が出来るのね。
つまりみどりは悲しみを老婆心の扉の部分で鉄っぽい色で表現をしている。逆に棟梁は生き物や女の人を押さえた色にしようとしている事から、華やかにしようとするのなら・・・この世を・・・例えばバックをお花畑にでもするのなら?いくらでも華やかに出来る。悲しみだけじゃなくてね。
そう言う考え方1つで悲しみだらけにはならないはずなのね。ただ俺にはとても似たような作品に見えるのね。いずれにせよ、テーマが重いから身を削るそんな作品。感情移入をし過ぎれば、悲しみをそっくり拾う事になる・・・・向き合い疲れもするだろう。でもね、だから誰にでも出来る・・・
そんな作品では無いのね。いずれにせよ、良い相席教室になると思うのね。
こんな感じで完全にオーダー・・・・1人1人全部違うものを彫る事になっていて、決まった人の分の5個。後10個彫るのだけれど・・・・。
そろそろ時間も無くなって来たし、お教室もチラホラあるし・・・とは言うものの、1個だけで彫る準備をするのも10個を彫るのも一緒なんで、
次に彫る時は一緒に彫りたいのだけれど・・・大人の事情があるのね・・・。それは置いといて、昨日アップ出来なかった向日葵の小物完成。
前回の縁取りと似たような少し攻撃的な色合いだけれど、向日葵って言うと太陽って気がしたから、赤くしたかったのね。ただ真っ赤って言うと、かなりどぎついかな?と思っていくらか抑え気味にしたんだけれど・・・・これでも。って感じ・・・。では相席教室。まずはみどりの画像も。
まっご存知な人はご存知だろうけれど、2人共に内容は一緒で、みどりの場合は自分と子供のお別れを描いているのね。はぁ?何処が?と言う人にもう一度説明すると、老婆心って言う心配で貴方の為だから・・・と言うみどりの気持ちを黒い扉で表現をしているのね。
ただそれが強過ぎると、実は行かせたくない・・・ってすがるとも思えるようにも見える。その扉の掟を破ろうとする花嫁は白いドレスさえも浸食して、もはやそんな奴は・・・・と逆鱗に触れてしまったような状況にも見える。このままだと、石になった花嫁みたいな題名にも見えるね・・・きっと。
ただ趣旨を理解するとね、そうでは無いはずなのね。出来ればそれならそれを脱ぎ捨てて裸になっても出て行く・・・母に貰ったものは全て捨てて・・・ただ1つだけあるとしたら?そう目に見えるモノでは無く、見えない事だけを抱えて・・・そんな感じだと思うのね。
だから黒の部分のみどりは、強くなればなるほど暗くなる。つまりおどろおどろしく、掟を破るのかぁぁぁぁぁぁって魔女の母の逆鱗に触れたように見えるのね。しかも、ドレスにまで浸食するのだから、良くあるおとぎ話やらファンタジーな話に出て来るあんな感じだと思うのね。
そんなに引き留めている。そこまで強く引き留められているように見えては、女の子が力ずくで開けようにも開けられない。開けて良いのか?開けてはいけないのか?一体どう見せたいんだ?って話。そこが大事な事で、それにはまず今どう見えるんだろうか?なのね。
それをただひたすら切って張る・・・それではこんなに思い入れの強い作品はそう簡単では無いのね。それを素直にドレスは白、はい素敵な扉で幸せね・・・って単純なら綺麗に作りゃ良いじゃんって話。ただオリジナルって言うのは、自分の思いを作るのだから、思いが薄いならみんなと一緒。
別に誰が作ってもただ色が違うだけ。それを本気に自分と向き合っての制作なんだから、もっともっと思いの丈ってのを出さないとね。ただそこをはき違えると、ただのエゴを作ってしまうのね・・・どう見せたいのか?であるけれど、そうは見えないなんて事にもなる。ただそう見せる事も出来る。
それには自分の趣旨を明確にして、果たしてそう見えているか?を常に確認しないとならず、こう言う相席は質の高い話が出来る。
話を戻して、もし俺の感じている、老婆心を通り越して行かないで・・・とすがるどころか、逆鱗に触れて石にされて行くように見えているとしたら?趣旨に反するのだから、修整しないとならない。ただ剥がして直すって言うのでは無く、作り手の心の修正。
今そう見える・・・何故?の確認をして、そんなに浸食してしまった老婆心を解く何か?が必要だったりする。それを力で開けようとしたら、レスリングの吉田さんかっ・・・って感じだし、もっと女の子らしいそんな解くってキーワードになるようなアイテム・・・・。
そもそも意地でも出て行くのなら、女の子のドレスが破れて、肌が見えるのも良かろうが、かなり品の無い荒々しい絵になる。例えば扉が少し開いて光が差して・・・なんて説明はとっくにしたけれど、どうして開いたのか?が判らないのね。例えば女の子に涙とかあったら?
バルス・・・・ってラピュタのような呪文にも思えるし、その涙で老婆心が解ける、溶ける・・・でも良いが、それも単純な話で、どちらか一方から描くってのは、棟梁も一緒だけれど、自分サイドのみの作り方。もっともっとこうだったら良いのに・・・・ってもっともっと考える事。
その時に出来ればイーブンになるとバランスって言うのは良いものだと思うのね・・・・つまり花嫁が涙で老婆心が解けるって・・・そんな単純な魔法なの?って思うのね・・・俺なら。俺ならみどりサイドの扉も何処か?に涙に見える色やら形を1つ忍ばせるね。
そこがイーブンになるから、花嫁が泣いて開いた・・・って単純じゃなくて、老婆心の側も判って緩めたんだよ・・・にも見えたら、もっともっと素敵に見えるんじゃないのかな?・・・・それにしても老婆心が強過ぎれば、じゃ良いよっ・・・勝手に行けばっ・・・って感じになる。
そこを打破しないとならない・・・そんな日なんじゃないの?って話。それには今日やるべきは覚悟の1手を打つ。なら行けっ・・・って1手をね。
ではその覚悟の1手とは何?って事なんだけれど、覚悟とはなんぞや?って事なんだけれど、扉を開けて嫁に行くって・・・出て行く訳なのね。
扉を開けると光が差す。光が差すってどんな色?何処に当たるの?つまり砂糖に塩、黒に白みたいに強烈な1手。今までは老婆心側の親の気持ち。そろそろ娘の気持ちになって・・・白。どんな気持ちで出て行くのだろうか?・・・出て行く事が本当に心から嬉しいだけなのだろうか?・・・・。
繊細さとか、汲み取るとか、判らないじゃなくて、判ろうとする気持ちがあるか無いか?でも変って来ると思うのね。ただそれを思い込まずに、そんな事もあるのでは無いか?・・・とありとあらゆる角度で考えて見る・・・。同じように考えれば、棟梁の作品も考え方1つで見え方が変わる。
例えばどちらがやって来たのか?1匹の方が下りて来たのか?それとも2人が迎えに行ったのか?もし1匹の方が下りて来たと言うのなら、この世だし、迎えに行ったのなら?あの世になる。この恐竜のような生き物は飼っている犬の比喩的生き物。しかしながら1匹亡くなってしまった・・・。
そんな悲しみの絵なのね。しかしそのまま悲しみなら悲しく見えるようにすれば良いが、それなら迎えに行けばあの世を作ると良いが、そうでは無いのならこの世を作るべき。そしてこの世ならカラフルな事も出来るが、あの世だと色数は限定されるだろう。
そもそも二人共に悲しみって部分がある作品なのね・・・例えばお葬式。カラフルにする?でしょ?イメージって言う部分から言えば、かなり限定されるはずなのね・・・・悲しみって言うとね。これが逆に喜びと言うのなら?かなり広げる事が出来るのね。
つまりみどりは悲しみを老婆心の扉の部分で鉄っぽい色で表現をしている。逆に棟梁は生き物や女の人を押さえた色にしようとしている事から、華やかにしようとするのなら・・・この世を・・・例えばバックをお花畑にでもするのなら?いくらでも華やかに出来る。悲しみだけじゃなくてね。
そう言う考え方1つで悲しみだらけにはならないはずなのね。ただ俺にはとても似たような作品に見えるのね。いずれにせよ、テーマが重いから身を削るそんな作品。感情移入をし過ぎれば、悲しみをそっくり拾う事になる・・・・向き合い疲れもするだろう。でもね、だから誰にでも出来る・・・
そんな作品では無いのね。いずれにせよ、良い相席教室になると思うのね。