先日行ったばかりなのに随分と早いペースでまた・・・って感じになったが、その時の話にここに気を使って可愛い作品じゃなくても・・・と言われたのね。確かにその場所に合わせようと言うすり寄せた作品を持って行ったとは思うのね。2月に向かってのバレンタインの作品2つと桜の作品って・・・。
ただね、その3つの作品には意味があって、どっちがどっち・・・って話なのね。そもそもさっきの場所に合わせず・・・ってくだりの話。つまりご主人にはバレンタインの作品の2つがすり寄せた作品に見えているんだろうね・・・きっと。ただそれは本当なのだろうか?って事なのね・・・。
要するにご主人のkatsuって作品は芸術家のような感じに見えていて、そう言う点では凄い・・・って宣伝って側に立った感じなんだろうね。つまりバレンタインの作品は可愛いって作品なんでご主人の趣味趣向から離れる。それを踏まえて考えると、その場所自体で考えるとバレンタインの2つが合ってて
、桜の作品が浮いている事になり、逆にご主人の趣味趣向から考えると、桜側なんで、バレンタインの2つが浮いている事になる。つまり本当の意味での気を使ったのはご主人の趣味趣向の桜側の作品だと思うのね。ただ結果として売れた方が正解となるのだから、まだ結果が出ていないのだから、
どっちが正解か?と言ってもまだどちらとも言えない状況ではあるけれどね・・・・。そんな事を踏まえての先日だったのだけれど、フリーマでバレンタインの特集のお知らせが入って来て・・・・かぐやに相談すると、入れ替えて見ましょうか?・・・との事。
そうなるとその2つをクリーマにするのなら、代替えの作品が2つ欲しくなる・・・・ではウダガワさんへの代替えは何?となった時、簡単な話で売る側のご主人が売りやすくなる作品・・・つまり凄いでしょ?・・・と売り込み出来るような作品となる・・・じゃお花を並べようか・・・になる。
そこで、ひまわりと菜の花になったのね。確実にこの場所には合わせずに、ご主人に合わせに行ったのね。簡単な話で、猫と犬みたいなもんで、人に付くのと家に付くみたいな表現あるじゃない?・・・・あんな感じになるんだろうね。
そう考えると、バレンタインの作品自体は見たままであって、値段との比較のみになる。そこにご主人の営業を乗せたとすると、本来は芸術的な作品を作る人なんですけれどね・・・・なんて声が聞こえそうなのね・・・。つまりもっと凄いのが作れる・・・って凄さを強調しようとね。
でも俺を良く知っている人ならお解りだろうけれど、俺って女の人にも負けないような可愛い作品得意だと思うんだけれどね・・・勿論好きだし・・可愛いものって。ただ、俺の可愛さってのは年齢が低過ぎるんだろうね・・・そうね、幼稚園みたいなね・・・。そこに一工夫の是正が必要なんだろうね。
いずれにせよ、そこに求められた作品って入れ替えをした・・・そんな感じ。だからご主人の意向でリアルな花3つ、クリーマはバレンタインの特集だから、そっちにはこれ・・・ってね。ただね、ご主人にも何度と無く言っている事があって、具体的にも今日は判りやすい表現をして来たのね・・・。
15年お世話になった方から離れる事になって、今の俺はご主人しか緊張しない生き方になった・・・勿論、作品依頼のお客さんのように金額の張ったものを作らせて貰えば、その金額分の責任を負うし、お教室ならお教室分の責任を負う。だから、そんな責任の元でお付き合いとなるのだけれど・・・。
お金とは別のもので、今の俺でもその後の俺でも変わる事無く、今十分過ぎる評価をしてプレッシャーを掛けて下さる人・・・更にその上、自分よりも年上である・・・つまりそれによって緊張感を持って会話をしないとならない・・・そんな練習をさせて下さる人なのである・・・。
はぁ?何それっ?って思う人もいるだろうが、いつも言うように伸び伸びなんでも出来る環境ってのは、ホームグランドで戦うとかみたいな話で、何処でも同じならアウエーが・・・っていちいち言わないでしょ?つまり環境が変わると人の心理は変わるだったりするって事。
ではそんなもんの何が必要なのか?となると、そもそもお稽古事ってのは趣味とは違うのね・・・きっと。同じ習うでもね。恐らくお稽古事ってのには、技術だけじゃなくて所作ってもんがあると思うのね・・・・その技術を生かすも殺すもその人自身ってね。
その時にいつも伸び伸び出来る場所、いつも緊張感の無い人、そんな所ばかりではそれ以上の成長は望めない。常にいつか立つ舞台への準備と言うのであれば、我が身もそんな場所に身を置きたい訳で・・・何しろこの歳では習わないと所作なんて教えてくれる人はいないからね・・・。
ただここが難しい所で、全て所作なんてもんは粋なんて事が付いて来る気がするのね・・・しかも粋なんてもんはお金持ちじゃなきゃ無理な訳で。
そうなると目指すは小粋。少しだけ・・・そこが具体的に目指す所。ただそれとて一体誰が教えてくれる?・・・
それをお金出して教えて貰う場所に行く自体、お金を持っている事になる。しかし俺は貧乏作家。そんな余裕は一切無い。そうなると知恵で乗り切るしか無い訳で・・・ただそれはエリートの生き方だと思うのね。例えばお金を払って塾みたいな・・・俺は自主学習って感じ。
そうなると、何が体感出来るか?って事になると、テレビの成功者の話みたいな事からだったり、勿論朝ドラでも良いし、情熱大陸的な番組でも良いし、そんな事からも得ようとしたりもする・・・ただそれも何度と無くやると、当然傾向と対策みたいなもので、ほぼ成功者って言うのは同じ事を言うのね・・・まぁ、当たり前なんだけれどね。何しろ準備と継続。
それはもう聞いた所でそれ程新しい事は生まれない。新しい血が必要な訳なのね。それは今度は生き物の原理みたいな話で、同じ種族の同じような血を掛け合わせても、それ以上の大した結果は得られない。恐らく守る事ばかりになる。つまり守る所まで行くと進化が見られなくなるって事。
それはこれとこれを掛け合わせる・・・みたいな話で、それを繰り返して良質なものに上り詰めても、それ以上は望めなくなる。つまり全力少年の歌詞のように、積み上げたものぶっ壊してぇ・・・ってあれね。ただ普通は今までを中々捨てられない・・・。
何故ならある程度の結果を得ているのに、それを捨てて1から・・・って言うのは、誰にでも出来る事じゃないし、逆に言えば簡単に捨てられるって事は、今まで大した事じゃないって事を認めないとならない訳で・・・・。それは苦痛な事なのね。
だからある程度のままの場所で立ち止まる事になる・・・しかし自分を変えるって言うのは、ある程度のままの自分であったから、ある程度以下の結果であって、何かを変えるって言うのは、それに費やす時間や考え方、出会いなどを意識して変えて行く事になる・・・。
ただそう言う点では、こんなに緊張する人は中々いないので、そこに何度も行って慣れてしまうのは不本意なんだけれど・・・。いずれにしても、何かを変えようとするには、行動を変えて行かないと・・・しかも上っ面じゃなくて、血の入れ替えのように・・・。
そう言う点では、マイブームは落語かな・・・ってよりも落語家って言う方が正しいね。技術じゃなくて人。しばらく追って行こうかな・・・と思っているんだけれどね。弟子と師匠なんて関係はそう簡単じゃないし、職人なんて20年やってはみたものの、何処にも所作なんて無かった。
乱暴な言い方だけれど・・・つまり品など何処にも無い。そっすねぇぇぇ・・・・ってこれが敬語で通る大人ってそうそう無い。それを腕だけで押し通す・・・まぁ単純と言えば単純なんだけれど、その腕って言うのも、継続していればある程度には誰でもなる。
もっと言えば20年もやっていれば、何をやっててもそこそこ達者になる。ただそれは腕が付くだけで、独立して経営するとなると、全く意味の違う事であって、使う人と使われる人では同じ職業であっても何の役にも立たないと言っても良いだろうね・・・。
そう言う点では、タイル屋の頃の俺なんぞゴミみたいなもん。本気でやっていないし、やる気も無い。ただ頑張っていただけ・・・。そんなもんで良く独立までして20年やっていた・・・そっちの方が不思議だわって話。今は誰も教えてくれないし、なのに教える人になった・・・。
自分で得ようと思わなければ何も生まれないし、得ようと思って得られるほど楽じゃない。身の回りに先生もいなければ、芸術家もいないのだから。
それなのに教えた人達はどんどんと上手くなる・・・中々脅かしてくれるようにはなって来た・・・。
そうなると、腕の話だけじゃね・・・作り手の所作・・・そんな事を教えられるようになりたいのね・・・俺は自分の作品を作る作家としてはあるにはあるのだけれど、それは自分だけが判っている事であって、説明出来るほどきちんとしているものじゃないから・・・。
そんな事を思う時間だったりして・・・こんなに長い時間話すのは初めてかも・・・と思うくらい話したのね。それが面白かったのが、1歩外に出て帰り際にご主人がタバコを1本吸う時間に、一言katsuさんと話すの楽しいけれど疲れるわぁ・・・って言われたのね。
だから、人と本気で向き合って話すと、その人の喜びも痛みも背負う事になりますよね?俺はそもそも緊張する・・・って手の内見せての話だったのだから、アウエーでの会話だったはずですよね?じゃ俺の気持ちはどんなだったんでしょうね?・・・って言うと、
おいおいあんまり上から言うなよぉ・・・・って言うので、何にも言って無いじゃないですかぁ・・・ただ俺は?って言っただけですよ・・・ってこんなお開き前の会話が心地良かったのね・・・ただ俺とて疲れるのね・・・そりゃ緊張の中での会話なのだから・・・。
ただ落語っぽい感じではあったけれどね・・・・。何だろう・・・あの落語感。答えは言わずに答えはある・・・良い勉強なのね・・・。
そんなこんなでアトリエに戻って、チュ―リップを張り終えて終了になった。
ただね、その3つの作品には意味があって、どっちがどっち・・・って話なのね。そもそもさっきの場所に合わせず・・・ってくだりの話。つまりご主人にはバレンタインの作品の2つがすり寄せた作品に見えているんだろうね・・・きっと。ただそれは本当なのだろうか?って事なのね・・・。
要するにご主人のkatsuって作品は芸術家のような感じに見えていて、そう言う点では凄い・・・って宣伝って側に立った感じなんだろうね。つまりバレンタインの作品は可愛いって作品なんでご主人の趣味趣向から離れる。それを踏まえて考えると、その場所自体で考えるとバレンタインの2つが合ってて
、桜の作品が浮いている事になり、逆にご主人の趣味趣向から考えると、桜側なんで、バレンタインの2つが浮いている事になる。つまり本当の意味での気を使ったのはご主人の趣味趣向の桜側の作品だと思うのね。ただ結果として売れた方が正解となるのだから、まだ結果が出ていないのだから、
どっちが正解か?と言ってもまだどちらとも言えない状況ではあるけれどね・・・・。そんな事を踏まえての先日だったのだけれど、フリーマでバレンタインの特集のお知らせが入って来て・・・・かぐやに相談すると、入れ替えて見ましょうか?・・・との事。
そうなるとその2つをクリーマにするのなら、代替えの作品が2つ欲しくなる・・・・ではウダガワさんへの代替えは何?となった時、簡単な話で売る側のご主人が売りやすくなる作品・・・つまり凄いでしょ?・・・と売り込み出来るような作品となる・・・じゃお花を並べようか・・・になる。
そこで、ひまわりと菜の花になったのね。確実にこの場所には合わせずに、ご主人に合わせに行ったのね。簡単な話で、猫と犬みたいなもんで、人に付くのと家に付くみたいな表現あるじゃない?・・・・あんな感じになるんだろうね。
そう考えると、バレンタインの作品自体は見たままであって、値段との比較のみになる。そこにご主人の営業を乗せたとすると、本来は芸術的な作品を作る人なんですけれどね・・・・なんて声が聞こえそうなのね・・・。つまりもっと凄いのが作れる・・・って凄さを強調しようとね。
でも俺を良く知っている人ならお解りだろうけれど、俺って女の人にも負けないような可愛い作品得意だと思うんだけれどね・・・勿論好きだし・・可愛いものって。ただ、俺の可愛さってのは年齢が低過ぎるんだろうね・・・そうね、幼稚園みたいなね・・・。そこに一工夫の是正が必要なんだろうね。
いずれにせよ、そこに求められた作品って入れ替えをした・・・そんな感じ。だからご主人の意向でリアルな花3つ、クリーマはバレンタインの特集だから、そっちにはこれ・・・ってね。ただね、ご主人にも何度と無く言っている事があって、具体的にも今日は判りやすい表現をして来たのね・・・。
15年お世話になった方から離れる事になって、今の俺はご主人しか緊張しない生き方になった・・・勿論、作品依頼のお客さんのように金額の張ったものを作らせて貰えば、その金額分の責任を負うし、お教室ならお教室分の責任を負う。だから、そんな責任の元でお付き合いとなるのだけれど・・・。
お金とは別のもので、今の俺でもその後の俺でも変わる事無く、今十分過ぎる評価をしてプレッシャーを掛けて下さる人・・・更にその上、自分よりも年上である・・・つまりそれによって緊張感を持って会話をしないとならない・・・そんな練習をさせて下さる人なのである・・・。
はぁ?何それっ?って思う人もいるだろうが、いつも言うように伸び伸びなんでも出来る環境ってのは、ホームグランドで戦うとかみたいな話で、何処でも同じならアウエーが・・・っていちいち言わないでしょ?つまり環境が変わると人の心理は変わるだったりするって事。
ではそんなもんの何が必要なのか?となると、そもそもお稽古事ってのは趣味とは違うのね・・・きっと。同じ習うでもね。恐らくお稽古事ってのには、技術だけじゃなくて所作ってもんがあると思うのね・・・・その技術を生かすも殺すもその人自身ってね。
その時にいつも伸び伸び出来る場所、いつも緊張感の無い人、そんな所ばかりではそれ以上の成長は望めない。常にいつか立つ舞台への準備と言うのであれば、我が身もそんな場所に身を置きたい訳で・・・何しろこの歳では習わないと所作なんて教えてくれる人はいないからね・・・。
ただここが難しい所で、全て所作なんてもんは粋なんて事が付いて来る気がするのね・・・しかも粋なんてもんはお金持ちじゃなきゃ無理な訳で。
そうなると目指すは小粋。少しだけ・・・そこが具体的に目指す所。ただそれとて一体誰が教えてくれる?・・・
それをお金出して教えて貰う場所に行く自体、お金を持っている事になる。しかし俺は貧乏作家。そんな余裕は一切無い。そうなると知恵で乗り切るしか無い訳で・・・ただそれはエリートの生き方だと思うのね。例えばお金を払って塾みたいな・・・俺は自主学習って感じ。
そうなると、何が体感出来るか?って事になると、テレビの成功者の話みたいな事からだったり、勿論朝ドラでも良いし、情熱大陸的な番組でも良いし、そんな事からも得ようとしたりもする・・・ただそれも何度と無くやると、当然傾向と対策みたいなもので、ほぼ成功者って言うのは同じ事を言うのね・・・まぁ、当たり前なんだけれどね。何しろ準備と継続。
それはもう聞いた所でそれ程新しい事は生まれない。新しい血が必要な訳なのね。それは今度は生き物の原理みたいな話で、同じ種族の同じような血を掛け合わせても、それ以上の大した結果は得られない。恐らく守る事ばかりになる。つまり守る所まで行くと進化が見られなくなるって事。
それはこれとこれを掛け合わせる・・・みたいな話で、それを繰り返して良質なものに上り詰めても、それ以上は望めなくなる。つまり全力少年の歌詞のように、積み上げたものぶっ壊してぇ・・・ってあれね。ただ普通は今までを中々捨てられない・・・。
何故ならある程度の結果を得ているのに、それを捨てて1から・・・って言うのは、誰にでも出来る事じゃないし、逆に言えば簡単に捨てられるって事は、今まで大した事じゃないって事を認めないとならない訳で・・・・。それは苦痛な事なのね。
だからある程度のままの場所で立ち止まる事になる・・・しかし自分を変えるって言うのは、ある程度のままの自分であったから、ある程度以下の結果であって、何かを変えるって言うのは、それに費やす時間や考え方、出会いなどを意識して変えて行く事になる・・・。
ただそう言う点では、こんなに緊張する人は中々いないので、そこに何度も行って慣れてしまうのは不本意なんだけれど・・・。いずれにしても、何かを変えようとするには、行動を変えて行かないと・・・しかも上っ面じゃなくて、血の入れ替えのように・・・。
そう言う点では、マイブームは落語かな・・・ってよりも落語家って言う方が正しいね。技術じゃなくて人。しばらく追って行こうかな・・・と思っているんだけれどね。弟子と師匠なんて関係はそう簡単じゃないし、職人なんて20年やってはみたものの、何処にも所作なんて無かった。
乱暴な言い方だけれど・・・つまり品など何処にも無い。そっすねぇぇぇ・・・・ってこれが敬語で通る大人ってそうそう無い。それを腕だけで押し通す・・・まぁ単純と言えば単純なんだけれど、その腕って言うのも、継続していればある程度には誰でもなる。
もっと言えば20年もやっていれば、何をやっててもそこそこ達者になる。ただそれは腕が付くだけで、独立して経営するとなると、全く意味の違う事であって、使う人と使われる人では同じ職業であっても何の役にも立たないと言っても良いだろうね・・・。
そう言う点では、タイル屋の頃の俺なんぞゴミみたいなもん。本気でやっていないし、やる気も無い。ただ頑張っていただけ・・・。そんなもんで良く独立までして20年やっていた・・・そっちの方が不思議だわって話。今は誰も教えてくれないし、なのに教える人になった・・・。
自分で得ようと思わなければ何も生まれないし、得ようと思って得られるほど楽じゃない。身の回りに先生もいなければ、芸術家もいないのだから。
それなのに教えた人達はどんどんと上手くなる・・・中々脅かしてくれるようにはなって来た・・・。
そうなると、腕の話だけじゃね・・・作り手の所作・・・そんな事を教えられるようになりたいのね・・・俺は自分の作品を作る作家としてはあるにはあるのだけれど、それは自分だけが判っている事であって、説明出来るほどきちんとしているものじゃないから・・・。
そんな事を思う時間だったりして・・・こんなに長い時間話すのは初めてかも・・・と思うくらい話したのね。それが面白かったのが、1歩外に出て帰り際にご主人がタバコを1本吸う時間に、一言katsuさんと話すの楽しいけれど疲れるわぁ・・・って言われたのね。
だから、人と本気で向き合って話すと、その人の喜びも痛みも背負う事になりますよね?俺はそもそも緊張する・・・って手の内見せての話だったのだから、アウエーでの会話だったはずですよね?じゃ俺の気持ちはどんなだったんでしょうね?・・・って言うと、
おいおいあんまり上から言うなよぉ・・・・って言うので、何にも言って無いじゃないですかぁ・・・ただ俺は?って言っただけですよ・・・ってこんなお開き前の会話が心地良かったのね・・・ただ俺とて疲れるのね・・・そりゃ緊張の中での会話なのだから・・・。
ただ落語っぽい感じではあったけれどね・・・・。何だろう・・・あの落語感。答えは言わずに答えはある・・・良い勉強なのね・・・。
そんなこんなでアトリエに戻って、チュ―リップを張り終えて終了になった。