katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室

2018-06-30 01:40:04 | モザイク教室
今日は午後からキウイ教室。それまではアクアリウムバス用の下絵描き。何しろ合間合間にやらないと、6.70個の下地なんてそう簡単には終わらないし、いつもなら下絵を全部終えてから、次は彫る・・・みたいな工程順に仕上げて行きたいんだけれど、そんな都合の良い事は言ってられないので、

下絵の出来たもん順に、随時・・・なんて事になりそうで、いずれにせよ何個か描けたんで、明日から彫る事が出来るって感じになって・・・そんなこんなのキウイ教室。いよいよ女の人に入ったんだけれど、今日は腕をやるに当たって、娘さんにポーズを取って貰った画像を持ってて・・・・。

資料がしっかりあって、キウイのような実力者がこうした準備をしている事をお伝えして・・・ぜひ参考にして頂きたいって話。何と無くなんて作れない・・・って事なのね。やはり上手い人にはきちんと理由があるのね。そんな中、俺は下絵をやっていると、時折呼ばれて見て見ると、ほぼ毎回、気に

なった場所を言うと、やっぱりかぁ・・・と、その場所がほとんど一緒で、けれど、ほぼほんのわずかな角度だったりして、でも一緒。それは別に一緒が良いって言っている訳じゃなくて、美しくしよう・・・とした是正場所が一緒って言うのは、例えば髪の毛を切る長さだったり、スカートの長さだったり

体の部位のわずかな太さや細さみたいな事で、色の事なら、味みたいな話で、コショウやラー油の量とか、塩や醤油の量みたいな話で、本体は同じであっても、わずかな味付けの違いみたいな話をしている感じなのね。って言うと、人それぞれに違うじゃん・・・って声が聞こえそうだけれど、当然なのね。

でも、人それぞれって言葉もあるけれど、人はそう変わらないなんて言葉もあるように、傾向と対策なのね。つまりこれだけキウイと付き合っていれば、こんな事を好むって言うのを教える側として知っているのね。だから、当然提案はいつものキウイならこんな事をして来るよね?・・・って具合に、

俺の意見では無く、キウイだったら?って提案なのね。つまり俺の役目は常に安定感のあるいつものその人である事なのね。なるべく安定したね。だから、いつもと違う事をしようとしているのは本人である・・・そう言う関係が望ましいのね。だから上手い人は、そのいつもの自分の役の俺と向き合い、

突拍子の無い事をしようとはしていないか?・・・とか、いつもはそうするだろうけれど今日は・・・と斬新さの分量だったり、その違いを確認したりするのに使うのね。その時に、新しい事をしようとしたりする時に、時より俺だったら・・・・なんて、あくまで俺だったらを伝えたりする。

そんな事が個人レッスンなのね。それを相席の場合、2人きりの向き合い方とは違って、みんなの意見を聞けたりする。つまり普通は・・・って言う事を探せる訳で。所が勘違いすると、俺はいつものその人の役をやっているだけなのに、正解はそれと一緒になる事みたいに勘違いして見たり、それを先生に

押し付けられた・・・みたいに勘違いされたりする事も多々あるのね。そもそも人それぞれなのだから、みんなに同じ事を言うはずが無いのね。ただ例外もあって、その人とまだ浅い日数の場合、その人の普通のデータが無さ過ぎる。そんな場合は、ここでの一般的な感じはこんなの・・・なんてお知らせ。

つまり普通なんて提案になる。それを何回か繰り返すと、その人の人となりみたいなものが少しずつ入って来て、探り探りではあるけれど、どんな事を好むか?を常に敏感に探して行くのね。まっほぼ、モンタージュを描くやり取りと何ら変わらないと思うのだけれどね。

つまりオリジナルを作るって場合、例えば今日のキウイの場合なら、腕をやっているのだから、いかにこの年齢に見合った腕になるか?を目指すから、昨日の棟梁やみどりのような情緒の部分を作るんでは無くて、精密にこの女の子の年齢を考えた2の腕・・・みたいな事を意識する所なのね。

だから、きちんと資料を見る事が大事で、2人の場合なら、スカートみたいな部分だと思ってくれれば良いのね。ただ棟梁もみどりもスカート部分の違いはキャリアの違いがある分、みどりはしっかり資料を見ながらになるし、棟梁は見なくて良いから流れを気にしつつ・・・みたいな違いなのね。

こう言う違いが実力の差であり、人それぞれの部分であったりもする。そもそも自由な場所って言うのは、情緒みたいな感じる事みたいな場所であり、そっくり作る・・・って部分は資料を見比べっこになるのね。それがフィギュアの自由演技と規定演技の違いみたいなもんなのね。

そんな棟梁も今度は花なんて事になると、資料とにらめっこになるだろうし、彫刻部分の花になると、情緒が必要になるから、更に難易度は増し、いかに季節感を出すか?とか、どんな情緒が出せるか?腕の見せ所であったりする訳で・・・。

いずれにせよ、ここいらの話は、相当な技術論であって、きちんと切れる・・・って事の出来ない人には難しい話なのね。まぁこの辺になると、教える側にプレッシャーも掛かって来て、結果が全てであって、上手く切り抜けるとホッとするのが事実。後は顔かぁ・・・。




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