katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

わんちゃんとみどりの相席教室

2018-06-27 22:18:49 | モザイク教室
今日は久し振りの台湾のワンちゃんがやって来る・・・けれど、体調不十分なlineが入って、行く事は行くけれど、いつもの作品は出来ないし、もっと言えば、作品作りそのものが難しいかも・・・って事だったのね。正直、それはそれで良いから来るだけ来い・・・って連絡をしたのね。

そもそも来るだけ来れば、出来る事はする・・・けれど、来なければ何も出来ない。では一体何が出来る?モザイクが出来ないかも知れないのに・・・。
じゃ逆にどうしてそれでも来ようとする?そこに意味があると感じているから。そこまで信じられるのは?なのね。何故なら弟子になりたい人だから。

別に何も不思議じゃないし、普通と言えば普通なのね。何故なら俺の中に2つのkatsuがいてね、1つは先生katsu。こいつを必要な人は技術のみが必要なのね。つまり、切る張るって行為だったり、似ているようにするには・・・とか、自分の目的のサポートが必要なんだろうね。

それが作家katsuの場合、それも大事だけれど、感性だったり、感受性だったり、情緒だったり、さっきと違って目に見えない事が必要な人だったりするのね。それが規定演技と自由演技の違いにも似たものだったり、いずれにせよ、その違いが大きな差になって来るのね。

その時にみどりは弟子なのだから、当然作家katsu寄りであって普通だけれど、ワンちゃんもいずれ続けていればそうなる。その時に必要になる事は、目に見える事よりも、目に見えない事の会得の方が難しい。しかも、それを磨かなければ、結局オリジナルから遠のく事になる。

そもそもがオリジナルって言うのは、己自身であって、先人の真似では無いのだから、人の真似が出来ない。ではどうやって磨くか?となると、常に自分と向き合う事になる。今、もし体調不十分なら、気が病で病気。当然お医者さんに行けば、病名を言われそれにあった治療や薬が出される。

まぁ普通なのね。所がどうしてそうなった?・・・結局そこを是正しなければ、また同じ事を繰り返す事になる。しかしね、残念ながらお医者さんには治せないのね。もしそこを治したいのなら、お医者さんはお医者さんでも、心療内科にでも行く事を勧めるのね。

ただ自覚が無い限りほぼ無理な事なのね。その難しさはボケを認知される行為とほぼ同じなのだから。それは聞く耳が無かったり、信じられる誰か?がいるかいないか?それで変わって来るが、それを傾向と対策でいち早く気が付き、対処をしていれば、軽症で済む事が、傷を大きくするもしないも自覚。

けれど、いくら身内がボケているよ・・・と言ったとしても、聞く耳が無ければ、そんな事は無いと言うはずなのね。本来はボケているよ・・・と言われた時に、ボケてなんかいない・・・とタンカを切るような人が可能性が大であり、逆にそうかなぁ?気を付けないと・・・なんて言う人は大丈夫。

他には何かを言われて、判ってるぅぅぅなんて言う場合、ほぼ判っていないのね。それを言われちゃったぁぁって苦笑い出来るようなら、自覚がある分、救いようがある。なんてのも、全く一緒の話で、自覚があるか無いか?受け入れられる柔軟性があるかどうか?そして王様裸だよっ・・・って言ってくれる

そんな人が身の回りにいるかどうか?・・・これに尽きるのね。そんな事を踏まえて、何も出来なくても来る・・・この行為自体、俺は信用されているのだから、必要なのは俺の眼で見た、今のワンちゃんの状況説明であり、俺にはこう見える・・・これが必要な訳で。信じられる人の意見になる。

ただ問診なんてお医者さんでも必要なように、俺にだって相手の情報は必要なんだけれど、俺の知っているワンちゃん情報は少ない。けれど、知っている情報の中で、お父さんが亡くなった・・・ってものを超えるようなものは無いと見た。つまり、それを100と考えた時、それがお母さんに不幸・・

って事があったにせよ、一度の経験値を持ってしまった以上、いくら両親に甲乙は無いと言い張ったとしても、同じ100にはならないものでね・・・・
人間とは残酷なもので、慣れてしまった分、数値として98みたいにそれよりも低い設定だったりするものなのね・・・。

となると、恐らく1つの事で気が滅入っているのでは無く、あれがマイナス50、これがマイナス20、そしてそれがマイナス30みたいな、混合であって、マイナス面が合体したような、悪い事が重なってしまった・・・そんな所かな?と思っていたのね。1つだけでは超えられないから。

じゃ一体それは何だろうか?・・・になる。徹底的にそれについて話す。答えが見つかるかどうか?なんてどうでも良い。もっと言えば、答えありき自体がナンセンスで、そもそも確実に自分の思い通りにオリジナルが作れるのならまだしも、自分と向き合うことをしない人はそう簡単にたどり着ける

とは思えないのね。つまりこれも今後の自分の傾向と対策であって、どんな状況下でそうなっているのか?環境はどうか?と考えられる事全てを通して、向き合って最終的にこれなのかな?って所まで気さえすれば、もしかするとそれが原因かも・・・って所まで来る。

そしたら、今度はこんな場合にまた同じ事が起きる可能性が考えられるので、それをいち早く気が付けば、今よりもマシな結果になる。それをそんなもん・・・と馬鹿にするような場合なら、地震の連絡なんていらないよね?だって数秒前なんてね。けれどね、覚悟って言うのなら、その数秒が必要

なんて事があるかも知れない。つまり必要な人には、俺の話もそんな程度の数秒と同じ話。そうかと思えば、五感な話で、美味しくて満足だったり、見て潤ったり、良い香りにほっとしたり、触って感じたり・・・いずれにせよ、人は五感で感じ取る。そんな事がある。

だとするのなら、話せる人がいる。一緒に考えてくれる人がいる。一人じゃない・・・そんな事を持っている人は孤独にはならない。孤独じゃないのなら人の意見が聞ける分、独りよがりな意見で生きなくても済む。三人寄れば文殊の知恵とは?そう言う事でもあったりする。

そして更に言えば、その五感に触れれば、実は心ある人と話す事は心の潤いにもなる。満足感にも繋がったりもする。それがもしその人の五感に触れられる行為であれば、目に見えない事がその人の力にもなれば、それこそが気が病・・・つまり気だけでも前向きになる。

俺は必要な場合には、いずれ弟子になる・・・そんな人ならば一生付き合う人なのだから、出し惜しみの無い向き合い方をするだろうし、それが何かの足しになるのなら・・・勿論、必要なら・・・って言い方もあるが、準備と言うのなら、必要とされるような人になれるように・・・・。

そんな考え方もあるだろう。さて、それでは、この考え方を作品に応用すると、どうなるか?


そんな中、みどりが更なる提案をして来た。それはこの老婆心の扉に自分が大事だと思う事を増やしたいと言うのね。それは花言葉が無償の愛みたいなそんな花。では仮にそれを付けたらどう見えるのか?って話になると、老婆心ってもの自体、自分よりも下の者へ、上目線で心配する・・・。

そんな行為。しかも頼まれてもいないのに・・・。そこに無償の愛が必要なんだ・・・と老婆心の上乗せをする。あぁしつこいって感じ。そもそもが上乗せ、上乗せ、って、そもそも幸せな奴らは、別に老婆心なんて欲しく無いし、必要とは思っていないのね。あはははは。

言い過ぎなら、しばらく居なくたって忘れるくらい楽しいわっ。それなのに、やってやっている・・・って位、親の愛情ってのは押し付けっぽいもので、もしそうなら、みどりのはもっと上乗せって感じになる。つまり全力の全力・・・じゃ数字にしたら?100じゃなくて、110とか120とかだね。

じゃ聞こう。じゃお姉ちゃんに120の数値にしたのなら、平等にしてくれるよね?きっと・・・かるびにもね。あはははは。無理だわっ。さっき言ったよね?人って残酷なのね。経験値だったり、慣れなんてもんがあるとね新鮮味に欠けちゃうのね・・・だから同点にはならない。

つまり同点にするには、98くらいが丁度良いのね。するとマイナス2になるのね・・・満点じゃ無くてね。それをやり過ぎな奴は満点の100よりも上乗せしちゃうのね・・・全力の全力でね。もはや100設定すら嘘っぽい。しかも、その言い訳が、親だから後悔しないように・・・。とね。

しかしやり過ぎるならまだしも、やらな過ぎて後悔の無いように・・・的発想。でもね、もはや全力の全力ではやり過ぎなのにね。あはははは。そこで腹八分目なんて言葉があるが、流石に八分目では後悔が残り勝ち。そこでマイナス2、位にして置くと、やらな過ぎでは無いし、たった2なのね。

そこをきちんと納得すると、本来は全力の全力でやろうとしていた事を考えると、最低2は余力を残した事になる。しかも納得ずくでね。
じゃその2は余っているよね?それをお姉ちゃんにつぎ込むんじゃなくて、かるびにつぎ込むのよっ・・・たった2をね。

そもそもお姉ちゃんは出て行くし、かるびはまだ残るから・・・そしてかるびも出て行く時には全力で・・・って。もはや専念みたいな感覚。わずかの2、位は気に掛ける余裕は無いもんかねぇ?・・・。でしょ?

じゃその2で何を作るか?ってなると、そもそもディズニーなんかが好きなら、人魚姫なんてのがあるよね?好きな男に会う為に、尻尾があっても綺麗なのに、話せない、戻れないなんてリスクを背負って引き換えに足を貰うのね・・・そんな話に感動したりするのね。ならそうすりゃ良いじゃん。

つまり2の分で、人間になれない何か?を描くのね。例えば老婆心の扉を開けるのは、単に大人になったからなの?・・・浅いなぁ。違うのね。おっぱいが出たから大人になったから・・・じゃなくて、扉の向こうの一筋の光を信じて、向こうの世界を見に行くんじゃないのかな?・・・・

それはもはや進撃の巨人的な世界観。そもそも、親の愛が最高ならそのまま居りゃ良いじゃん。なのに出て行くのは何?どうして?誰かを取りゃ、誰かを置いて行くのは普通じゃん。しかも俺もそうだが、失敗する可能性だって秘めている訳で・・・。

成功ありきじゃなくて・・・リスクを負ってでもね。誰もが幸せになれる訳じゃないのだから・・・。少なくともそのままいれば、みどりの愛情は受けられるのにね。つまり余り2で例えば、リスを作ったとする。その意味はね、扉を開けようとする女の人になるには?何かが必要なのね・・・何か?

でもリスのままでは、その何か?が足らないからなのね。その何か?を手に入れたり、それを知ってしまったり、その老婆心の扉の向こうに見出すものを求める覚悟みたいなものが伝わる何か?を描ければ、そのリスもその時が来た時、いつかリスだった子もこの女の人のように旅立ったりして、

それは好きな男とは限らず、仕事でも良いし、夢や希望、いずれにせよ、老婆心の扉を開けてまでも・・・の覚悟や情熱みたいなものが描けると、このモザイクは更に深い作品にはなると思うのね。しかしね、今でも十分な作品だと思うのね。何故ならワンちゃんは生で見るのが初めてなんだけれど

世界観が十分伝わっていたから。なのに更にまだ付け加えようとする。しかも本人も自白してしまったが、余白で何か出来る事は?って。おいおい、余白って、余った部分で・・・って言ってしまっている。つまり自分が大事にしている部分にリスクを負わずに、安全な場所だけで何かをするって・・

随分と都合の良い事を考えているんだね・・・さてここから更に突っ込んで膿でも出そうかね・・・。つまりその考え方。その教え、伝承はしていないだろうね・・・2人も子供がいるのに。ドラマでも言って無いかな?何かを得る人は何かを捨てないと・・・。

何をぼぉぉぉぉっとしてんだかっ。人魚姫だってリスクを負うのにね。あんまり浅い事は言わない方が良いのね。捨てるからこそ必死で何かを掴むんであって、手放さない、欲しいでは単なる私利私欲。その何処に無償の愛があるのかな?あはははは。

まっ、これでもか・・・ってのも全力で結構。しかしね、押し付けは鬱陶しい。そしてこの程度言われて諦める程度の構想は大した事では無いし、もっと説得、納得する何かを持って来い・・・って話。しかし、必死で考えたと言う姿勢だけは、良く頑張った・・・って2点位は差し上げるけれどね。

そもそも別に一生を掛けて作ったってもんじゃ無いのに、必死にやっている。そこは買う。ただ、この程度でヘトヘトでは、娘の結婚なんてもんと向き合うなんて、もっともっと大事な事なのだから、失敗は許されない。この程度の向き合い方なら大した労力では無かろうがっ。

そもそも作品は自分自身。別に良いじゃん・・・ならそれでも良い。けれど、今何を作っている?娘の結婚を作っているんじゃないの?あはははは。ただの必死な向き合いなんじゃん・・・ほれ、やれやれってな話。ほら時間も無いし、余白も無い。これで良いのか?なんて事例も無い。

誰も責任なんて取ってくれないし・・・どうするぅ?諦めるぅ?向き合うぅ?・・・別に頼んでないし・・・ほらね。実はこう言う作品に向き合うって言うのは、だから自分自身なのね。そしてそこに向き合う事は、本当に向き合う姿勢こそが、本人と向き合う練習であったりもするかもね・・・。

まっ人それぞれって事で曖昧にしとくけれど、言葉で伝えるのも良かろうが、それならくじらも俺も片手落ち。17文字の俳句では何も伝わらないし、もはや文字では無くて絵でも無いから、不器用なパーツでの組み合わせ・・・こんなもんで何が伝えられる?そう思うだろうね。きっと。

そんな側の人にはね。しかしね、きちんと伝えられる人ならそれも良かろうが、足らない事が美に繋がる事があるかもね・・・ってな話。その先にある、貴方はどうですか?・・・・は、見た、聞いた、受け手の自由であり、五感で感じ取る・・・眼に見えないやり取りなのね。

当然、受け手の五感を揺さぶらないとならないが、受け手の五感を敏感にするって事も大事なのね。少なくともこうして毎日更新しているのも、感受性とは何ですか?って言う事を更新しているようなもので・・・・これが宗教みたいなものなら洗脳なんて言う言葉にくくられてしまうけれど・・・

感性、感受性なんてもんも、体力や知力みたいなもので、感じ無いのならそれも力。無神経って言うのも良いと思うのね。小さな事は気にしない・・・って世間の波を渡りやすい。けれど、もしモノを作る側に来てしまうと、繊細さなんて言うのは、誰にでも出来る事では無いのね。

感じる・・・だから感性、感受性。敏感、鈍感・・・どれもこれも感。必要ならそれも鍛えないと、得られないと思うのね。ただね、それを本を読む・・・って昔は単純な表現で言われたが、読めば良いか?って言うと、読んだだけでは感じない。だから?何が?どうして?って感じないと。

ただそれが度が過ぎると、俺のように生き様が知覚過敏。ただこれだけ多様化している世の中に1つだけの生き方・・・オリジナルってそんな事なんじゃないのかな?そんな道甘く無いんじゃないのかな?・・・・俺はそう思うのね。これが俺はそう思っただけで共感されなければ、独りよがり。

そしてそれは自己満足。けれど、それもこうして弟子がいて、こうして台湾からやって来る人がいるのだから、どうやら必要とされているのだから、そうでは無い事になる。しかも、安い感じのSNSのような良いね・・・はタダだから、押しやすいがお金を出してでも・・・となると、そんな簡単な

話では無くて、そこに責任も発生したりする。いずれにせよ、単なるテクニックの指導とは責任の重みが違うのね・・・こっち側の指導はね。考え方の指導なんて、信頼感が大きくないと、受け入れがたいだろうし、これが成功者なら聞きたくもなるが、俺程度の話・・・どう感じるかな?

いずれにせよ、その今のこの程度の俺の考え方を必要な2人。当然俺もこのまま留まる気も無いし、共に成長するって考え方なら、次に会うワンちゃんは、今日のワンちゃんよりも前進しているはずだし、俺も同じ分前進していれば、前を歩けれるが、教えた分、追い付かれてばかりでは、その内に、

いらなくなるものでね・・・・先生とは先人で前を歩かないと行けないし・・・いずれにせよ、これだけの話をしてもまたお金を払っても来ると言うのだから、それが自信にもなるのも事実だし、責任も重い。ただその分、生きる価値とか糧みたいなものは見出せる。

家族を持てず50を過ぎ、まともな生活では無く、それでこの先どうする?となれば、考えただけでも恐ろしいが、それを持っているだけでも前を向ける。あれ?一筋の光だけで何かを捨てて前を向く・・・あはははは。一緒じゃん。お後がよろしいようで・・・。


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