今日はキウイとお母さんの相席教室。2人共にクリスマスツリーだったんだけれど・・・まずはお母さん。やり過ぎもここまで来ると、ため息モノなのね・・・何しろ目地幅。ほぼピッタリにくっつけた感じの仕上がりは、どれだけ大変か?はモザイク経験者なら一目瞭然なのね・・・。
ただ本人曰く、丁度良い感じの目地の幅を考えるのなら、ピッタリの方が気が楽って・・・まぁここまで切れるのだから、例えばバケツや星のように、ここにはこのパーツって形の場合、ここにピッタリの形を切りたい・・・って部分は色さえ決まれば切るだけって気分で切れる。
けれど、眼や鼻を入れた後の白のクラッシュ・・・って場合、色は白だから選ぶ楽しみは無いだろうし、そうなると後は、形の自由で入れる・・となるのだけれど、決まりの無い自由さが、どうすれば?と自由が不自由になる事があるのね。それは切る事が上手くなった悩みなのね。
これが体験の人なら上手く切れない分、何とか入れようとする事に必死になるから、何か入るパーツ無いかな?と拾って入れて見たり、何か切ったパーツの欠片が偶然入ったりして・・こんな感じに入れながら進めたりするのね。所がこれだけ切る事が上手くなると、最高のパーツを入れたい
と思うのね。所が最高のパーツをどんな形で入れれば良いのかな?・・・になると、決まりの無い自由さが、自分で考えないとならず、でも考えてもバケツや星のような正解バーツみたいな答えが出るとは限らず・・・そこでお母さんなりの着地が目地幅ピッタリ・・・になったんだろうね。
こうなると一定の幅を持つと考えるよりも、何しろピッタリにすれば、ここは入れる、ここは入れずに目地・・・みたいな判断をする必要は無く、何しろ入れるに専念出来る。つまり考えずに済む・・・この選択で何しろキチンと入れる事になったのね。つまり初心者なら何しろ入れる。
って言葉が、切る事に長けているお母さんは、キチンとを付け加え、何しろ(キチンと)入れるって、キチンとを加えた事で、グレードをアップさせているのね。当然それは時間が掛かるし、簡単な事じゃないんだけれど、気持ちが楽なんだろうね・・・本人は。まぁ何しろお見事なのね。
ただ、ただあえて1つ指摘する事があるのなら、パールで入れた2つの丸はいささか勿体無い感じはあるのね。パールは白では無いけれど、白っぽい事で、折角のピッタリ感を損ねる。若干、白に見えやすく、良く見ないと穴が開いたようにも見えてしまうのね。それをあえて言うかどうか?
と考えた時に、後3つ作るのだから、それは活かされる事なんで、指摘となったのね。それがキウイはとなると・・・
もはやぺきぺき作品では無くなっているのね・・・ほとんど1cmタイル。趣旨まで変わっているのね。まぁ確かにこんな細かいパーツだらけでは、狙った形に切れる人なら、そんな選択も十分にあるし、さっきのお母さんの考える・・・って話からすれば、、キウイは考えた上でやったのね。
ただ当然、これもまた考えながら・・・となれば、切る事が大変では無く、これをこうしてこの後どうしようかな?って考える事が大変なのね。しかもまた切る事が上手い・・・お母さんよりも厄介になる。お母さんの場合は、後はバックのクラッシュをピッタリ・・って着地となるが、
キウイの場合は、後は・・・の部分にまだ何か出来ないか?になり、そこを考えてしまうのね・・あっここにこれも作れるみたいな。つまり後はバック・・・では無く、もうやり尽したな・・・だからバックみたいなね。だから後は・・・の時間帯が中々来ないのね。狙ったパーツばかり
これでは時間が掛かるのね。こうやって2人がお互いに作れば、そりゃ切磋琢磨な方向になる。キウイがそれを見せれば、お母さんはその中のアイデアを私もやって見ようかな?・・・になる。しかも切れるから真似が出来る・・・そりゃ時間は掛かるけれど上手くなるのね。
みんな同じ下地であっても、切る技術を持ってして、アイデアの出し合い・・・しかも何個も。そりゃあれもこれも試せるのだから。ただこの2人だから良いけれど、こんなの体験と同席では、折角出来ても見劣りさせちゃうし、こんなの真似しようとしたら、何回通わないとならないか?
になったら、大変な事になっちゃうのね・・・。しかも出来るかどうか?判らないし・・・。正直、複数やってくれるって言われた時に、ある程度の事は予想したけれど、まさかここまでになるとはね・・・まぁビックリなのね。ただ1つであっても、おかみさんのようにこの2人と同じで
ありとあらゆるアイデアを屈指なんて事になれば、どんだけ時間を継ぎ込む気だぁ・・・になるし、当然ながら素晴らしい出来栄えになるのは当たり前だし、下地を作った側としては、ふんだんに楽しんで貰っていて何よりなのね。まぁハイグレードな小物なのね。
ただ本人曰く、丁度良い感じの目地の幅を考えるのなら、ピッタリの方が気が楽って・・・まぁここまで切れるのだから、例えばバケツや星のように、ここにはこのパーツって形の場合、ここにピッタリの形を切りたい・・・って部分は色さえ決まれば切るだけって気分で切れる。
けれど、眼や鼻を入れた後の白のクラッシュ・・・って場合、色は白だから選ぶ楽しみは無いだろうし、そうなると後は、形の自由で入れる・・となるのだけれど、決まりの無い自由さが、どうすれば?と自由が不自由になる事があるのね。それは切る事が上手くなった悩みなのね。
これが体験の人なら上手く切れない分、何とか入れようとする事に必死になるから、何か入るパーツ無いかな?と拾って入れて見たり、何か切ったパーツの欠片が偶然入ったりして・・こんな感じに入れながら進めたりするのね。所がこれだけ切る事が上手くなると、最高のパーツを入れたい
と思うのね。所が最高のパーツをどんな形で入れれば良いのかな?・・・になると、決まりの無い自由さが、自分で考えないとならず、でも考えてもバケツや星のような正解バーツみたいな答えが出るとは限らず・・・そこでお母さんなりの着地が目地幅ピッタリ・・・になったんだろうね。
こうなると一定の幅を持つと考えるよりも、何しろピッタリにすれば、ここは入れる、ここは入れずに目地・・・みたいな判断をする必要は無く、何しろ入れるに専念出来る。つまり考えずに済む・・・この選択で何しろキチンと入れる事になったのね。つまり初心者なら何しろ入れる。
って言葉が、切る事に長けているお母さんは、キチンとを付け加え、何しろ(キチンと)入れるって、キチンとを加えた事で、グレードをアップさせているのね。当然それは時間が掛かるし、簡単な事じゃないんだけれど、気持ちが楽なんだろうね・・・本人は。まぁ何しろお見事なのね。
ただ、ただあえて1つ指摘する事があるのなら、パールで入れた2つの丸はいささか勿体無い感じはあるのね。パールは白では無いけれど、白っぽい事で、折角のピッタリ感を損ねる。若干、白に見えやすく、良く見ないと穴が開いたようにも見えてしまうのね。それをあえて言うかどうか?
と考えた時に、後3つ作るのだから、それは活かされる事なんで、指摘となったのね。それがキウイはとなると・・・
もはやぺきぺき作品では無くなっているのね・・・ほとんど1cmタイル。趣旨まで変わっているのね。まぁ確かにこんな細かいパーツだらけでは、狙った形に切れる人なら、そんな選択も十分にあるし、さっきのお母さんの考える・・・って話からすれば、、キウイは考えた上でやったのね。
ただ当然、これもまた考えながら・・・となれば、切る事が大変では無く、これをこうしてこの後どうしようかな?って考える事が大変なのね。しかもまた切る事が上手い・・・お母さんよりも厄介になる。お母さんの場合は、後はバックのクラッシュをピッタリ・・って着地となるが、
キウイの場合は、後は・・・の部分にまだ何か出来ないか?になり、そこを考えてしまうのね・・あっここにこれも作れるみたいな。つまり後はバック・・・では無く、もうやり尽したな・・・だからバックみたいなね。だから後は・・・の時間帯が中々来ないのね。狙ったパーツばかり
これでは時間が掛かるのね。こうやって2人がお互いに作れば、そりゃ切磋琢磨な方向になる。キウイがそれを見せれば、お母さんはその中のアイデアを私もやって見ようかな?・・・になる。しかも切れるから真似が出来る・・・そりゃ時間は掛かるけれど上手くなるのね。
みんな同じ下地であっても、切る技術を持ってして、アイデアの出し合い・・・しかも何個も。そりゃあれもこれも試せるのだから。ただこの2人だから良いけれど、こんなの体験と同席では、折角出来ても見劣りさせちゃうし、こんなの真似しようとしたら、何回通わないとならないか?
になったら、大変な事になっちゃうのね・・・。しかも出来るかどうか?判らないし・・・。正直、複数やってくれるって言われた時に、ある程度の事は予想したけれど、まさかここまでになるとはね・・・まぁビックリなのね。ただ1つであっても、おかみさんのようにこの2人と同じで
ありとあらゆるアイデアを屈指なんて事になれば、どんだけ時間を継ぎ込む気だぁ・・・になるし、当然ながら素晴らしい出来栄えになるのは当たり前だし、下地を作った側としては、ふんだんに楽しんで貰っていて何よりなのね。まぁハイグレードな小物なのね。