katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

高洲のサークル・・・今日はかなり賑やか

2019-11-20 22:55:24 | モザイク教室
今日は月に1回の高洲のサークル。ただ今回はクリスマスツリーの体験のチラシに載せて貰った事もあり、7人いらっしゃるとキウイに聞いていたのね。そんな事もあって、昨日の支度の時に下地を7枚・・・嫌、最後の人が残り物感覚になるのは嫌だから、えっと・・・まっ良いや区切りが

良いし10枚・・・って事にして持って行ったのね。そんなこんなで支度をしていると、割と早めにみんなが集まって、いつものメンバーを含めて13人って事になったのね。じゃみんな揃った所で、体験スタートね・・・と説明していると、キウイがかなり困った様子でこっちを見るのね・・

後2つありますか?・・・って。えっ?持って来たのは10個なんだけれど・・・足りない?って聞くと、ホッとした様子。一体ここでは何が起こっているか?判らなかったけれど、何しろ人数が多くなったのなら、尚更ピッチ上げないとならない訳で・・・。これについては後半として・・・。

この中にはナオミぃぃの友達で何回も来てくれている人や、更に3年前の暖炉のモチーフの体験をして下さった方なんかもいたのね。ただ確かにチラシには載せて頂いたのだけれど、文字のみで画像無しを考えたら、良く集まって頂けたと思うのね。それでは結果から。


まぁどれも中々の力作で、大変だったと思うけれど、かなり本格的に切った・・・って感じに思えただろうし、初めてとは思えない完成度だったりもして、手ごたえはあったと思うのね。そんな中で、いつものメンバーの中で、キョンキョンとナオミぃぃがやったのね。まずはキョンキョン

当然と言えば当然なんだけれど、そりゃこのメンバーの中では一番最後に入ったんだから・・・と言えど、何しろかなりのツワモノの中で揉まれているだけあって、星の完成度だったり、ツリーのクラッシュの三角具合いなんかの統一感は単なるクラッシュとは違ってハードルも高くなり、

当然、1回って訳では無くて、自宅でもやった上での完成なのね。やはり先輩らしさが出ているのね。それではナオミぃぃね。


何故帽子が黄色いの?って理由は他の人ととは違うのね・・・黄色が好きだからとか、可愛いとかじゃなくて、ロスだから・・・何の?ニノの・・
そうニノロス。ニノカラーなのね。でもね、仮にこうして何個もツリーを見ると、サークルのメンバーも体験の人も変わらないじゃん・・・と、

思ったそこの貴方・・・ではキョンキョンから

そしてナオミぃぃ


ほらこうして見ると体験の人とは差が出る。つまり小物下地で差を付ける・・・って言うのは中々難しいけれど、こうして時間を掛けての仕上がりは、きちんと経験者である事が伺えるでしょ?所がそれでも、キウイだのタピオカだのお母さんとなると、上手い人達は差を付けられる。

それはその空間の中に自分の切れるタイルの大きさ、難易度、時間なんかを読んだりするからなのね。しかも切る技術を持ってしてね。例えばハートを切るってだけなら頑張れば切れる・・・じゃどの位の小ささで?何分で?みたいな話なのね。それで1個なら偶然も有り得るけれど、もし

2個で蝶ネクタイなんて言えば、大きさを揃え、同じグレードで2つとなると、中々大きさが揃わなかったり、あっ・・・って失敗したりすれば、ロスタイムになる訳で。その上、眼を丸く2つ揃え、バケツの帽子をしっかり狙って1枚で切り、更にボタンの丸そして木の幹・・・。

狙って切らないとならない事が続くのね。そして後はいよいよクラッシュ・・・って言った時、狙わなくて良い分、ルーズに進められるはずなのに、そこをスルッと出来る人はチョコザイな事をしても、クラッシュで時間調整が出来たりするのね。しかし、自由が不自由になると・・・

丸って言うような決まった形なら考えなくても良いのに、ルーズとか曖昧とか、大体とか、何と無く・・・って一体どれ位?と悩めば正解なんだか?失敗なんだかの判断に悩む・・・これが進まない原因なのね。しかも、高洲のサークルは常にそのパーツ綺麗ですか?の美しさ重視なので、

時間を気にしないスタイルなのに、今日は終わらせる・・・って完結の作品。日頃やり慣れない事をする訳で・・・。何もかもがいつもと違っていたりするのね。そんな理由も踏まえてナオミぃぃのトレイは、パーツの綺麗さが抜群なのね。それも自宅で仕上げたらしいのね。

ほら、時間に追われる事は無く、しかも同じパーツの繰り返し。更に言えば、今の大作のバックで使い慣れているタイルなのね。だから綺麗に切れる可能性が高くなるのね。ただ厚みがあるから硬く難しいのに、このグレード・・・凄く上手くなった。正直ビックリした。

その時間の掛かるスタイルならこんなに上手く出来る。でもやり慣れない1日のスタイルになると、終わらせる事に専念してしまうから、あぁしたかった、こうしたかった・・・と後になって思う事になる。でも、今までなら終わらなかったものが、ギリギリ終わった。それが経験値。

終わらなかった事が終わった・・・今日のナオミぃぃは、質は良いわ、終われるようになったわ、お見事だったのね。そしてキョンキョンもちょっと前のナオミぃぃと同じで、こうして2回やれば出来るようになったし、続ければナオミぃぃのようになれるのね。

ただ何しろ新しい人がこのサークルは来る事が無いので、こうした企画的な時の新鮮さの時、自分の実力を計る絶好の機会なんだけれど・・・例えばキウイは最初から教える側としてやってくれていたが、人数を見てタピオカが何も言わずにサポートしてくれていたし、お母さんも様子

を見に来たと言いつつ、丁寧に教えてくれていたのね。つまりこの3人までは人に教える経験値があり、それをこなせる実力があるって事なのね。しかもお母さんはタピオカの抜けたいつものメンバーの中で、キョンキョンにもアドバイスをしてくれて、手直しまでしていたのね。

そりゃこんなの作る人なのだからね。ただ、キウイやタピオカがいたら、口出しするような事は無かったろうが、きちんとこの間(ま)を埋めていてくれていたのね。そりゃキョンキョンにしたら頼もしいし、不安解消だったと思うし、より近い存在になったと思うのね。

ただこう言う事が、もし良い刺激になる場合、新鮮さとして励みになるのだけれど、逆に飲まれてしまうと、卑下してしまう事もある。つまり教えた側の人は実力者だから教えられる。でも委縮なんかしようものならね・・・では例えばのりちゃんは・・・

こんなの作る人は委縮なんかしないのね。マイペースでただ人がいようがいまいが、きちんといつも通りなだけなのね。ある意味、いつもよりも進んだかもね・・・それはキウイやタピオカが抜けると、話し相手としての和気藹々なおしゃべり相手が抜けてしまうから。

そもそも教える3人の次に上手いのは、のりちゃんなのに、もしのりちゃんにしゃべられたら、ナオミぃぃもキョンキョンも手が止まっちゃうのね・・・だって今必死な状況だから・・・終わらせないと・・・とね。でものりちゃんはいつもの作品・・・慌てていないからいつも通り。

そう考えると、今日はみんな三者三様で、いつもののんびりと楽しいサークルとは違ったと思うのね。ただ、この話をしっかり理解出来たのなら、何しろナオミぃぃは大作が終わった時、一皮剥けた人になるのね。その時には、のりちゃんにも、ナオミぃぃにも教える側にいて欲しい。

きっといつもと違う何か?を感じるはずだから・・・。そしてキョンキョン。いつも最後に入ったし、まだ自分の事で精一杯なのは判るのね。それはそれで良いんだけれど、実はそれだけツワモノの中に入ったのね。だから、自分だけ見劣りしちゃうって思うのは仕方の無い事なのね。

でも、でもね、今日は違うのね。体験の人はたまに・・・だったり初めての人。仮に自分自身が自分に自信が無かったとしても、俺を含めたサークルの人達にもまれながら過ごした時間は、きちんと身になっているのね。だから終わったじゃん・・・なのね。ただ、ただなのね。

さっきのナオミぃぃと言い、キョンキョンと言い、あぁすれば良かった、こうすれば良かった、だって2回もやったし・・・とか、じゃどうしたかた訳?って簡単なのね・・・キウイやお母さんのような、小物であってももっとそっちに近づいた作品にしたかった・・・って事なのね。

ほら、眼が肥えた。知らず知らず実力者に引っ張られるから、ずっと卑下してしまう。だからこそ、時よりこんな企画を入れる事で、その差を感じて、ちょっと上手くなったかも・・・と思えれば良いんだけれど、中々思えないのね・・・だって理想が高いから。

その時に自分の判断を捨てれば良いのね。だってみんな自分よりも実力者なのだから、みんなに聞くと良いのね。しかも何度も言うが、遠慮や体裁で評価をしない事、残忍に言う事が上手くなると教えているから、誰も体裁で良いわなんて言わないのね。ダメなもんはダメ。

全ては綺麗かどうか?じゃみんなの意見が全てにすれば良いだけなのね。それが自分の実力なのだから。簡単な話で、一番下に身を置いたら何でも楽なのね、ただ受け入れれば良いだけだから。ただ難しいのは、そこから上になった時・・・2年目、3年目となって行く時。

ほらいつまでも下ではいられない・・・まんまって訳にはね。誰もがそう。だから楽しいし、だから残酷なのね。食べてしまうようなはかなさなら、美味しかったや、まずかったは単なる記憶で思い出に消えるが、モノ作りは捨てるまで永遠に残るのね・・・やっぱ良いのに限る。

体験じゃないのだから。出来たら嬉しいのは体験だけ。つまりこんなツワモノサークルにいれば、自然とナオミぃぃもキョンキョンも上手くなっているって事なのね。まぁ今日は本当に凄いな・・・と感じたのね。さて、それでは最初のトラブルの話って言うのは、電話受付でキウイが

受けていたのね。その時に苗字が一緒の人がいて被っていたらしいのね・・・だから7人と思った事が9人だった・・・だから、何故みんな揃っていたのに、2人入って来たの?とビックリしていたらしく、間違って入って来ちゃったのかな?とまで思っちゃったらしいのね。

しかも事情に気が付いた時、下地が・・・って思ったから、自宅かアトリエにあるのを取りに行かなくちゃ・・・とまで思ったらしいのね。だから、タピオカやお母さんに相談したらしいんだけれど・・・もしかしたら?と俺に下地ありますか?と聞いたのはそんな理由らしかったのね。

俺は終わってから事情を知ったのね・・・ただいつものように余分に持って行ってたから、何も無く事なきって話。しかもピッタリの10個。お見事だったのね、俺ファインプレー。何も無くて無事で良かったのね。何より。

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色々とあった1日・・モザイクとは関係ありません、あしからず。

2019-11-20 06:32:36 | 休み?
今日はお教室がキャンセルになり、その時点で行きたい場所があり、手ぶらな訳にも行かず地元の銘菓を買ってから、その人に連絡して伺う事にした。それは恐らく30年以上毎年確定申告の時にお世話になっていた方なんだけれど、先日、その方から封書が届いたと父から連絡があった。

しかし、時期が余りにも早く、ただこちらもやる事が多く、しばらく受け取りには行けず、そのままの状況が続いたが、受け取りに行った時に、事の重大さに気が付いた・・・いつもの厚みでは無く今まで見た事無いサイズ・・・この見た目で中身はピンと来た。

あぁ、もう辞めるのかな?・・・しかも辞めると言う事は体調が悪いんでは無いか?・・・そう思いながら、出来ればそうじゃ無い事を祈った。しかしながらやはりそうだった・・・それを知ってから、今度はいつ伺おうか?と悩んだ。時間が空いた時に伺えば良い・・・では無くて、きちんと

時間を取って今までお世話になったお礼と最後のお別れをしに行かないとならない・・・そんな日になる覚悟を持ってからじゃないと伺えない・・と思っていたから、しばらくまた時間が経っていた。そんな中のキャンセル。もう神様が行きなさいとでも言っているようで決めた。

すると、やはり相当体調が悪いらしく、けれど今お会いしている姿はいつも通りで、何らお変わりが無い。だから尚更ため息しか出ない。何て言う言葉を言えば正解か?も判らない。ただ、今まで有難うございました・・・と、出来れば売れたと判断出来る資料を持ってここに来たかった・・

その2点だけで、いつもなら1年に1回のお会いした時の報告やら、昔話をするのだけれど、今日はいつもとは違いお付き合いの最終日・・・。そんな気持ちである。こんな日をきっと電話でやり過ごす人もいるだろうし、連絡もせずなんて人もいるだろう・・・。でもそうは出来なかった。

何せ30年以上の時間、恐らくこれが最後になるのでは無いか?と思われるその日の過ごし方・・・やり過ごす事が出来るのならそれも1つの考え方なのであろうが、俺は直接会う事を選んだ。しかも車ならホームセンターにでも行くような距離・・・言い訳にもならない。

そんな気持ちを抱えた時間は長いような、短いような、でもここでも爪痕になるような時間にはしたい・・・良くも悪くも心に残るなんて事は、仮にし尽くしたと言うのなら、最後位黙りたいし、仮に最後に何か?もう少し・・・と言うのなら、絞り出すのも良いだろう。先日のタイル屋さん

の時は、黙って終えた。でも今日は絞り出す方を選んだ。そして、当たり前のように1年に1回ここに伺って、当たり前のように、またと帰る。来年こそ、来年こそと思いつつ、お恥ずかしい結果を見せ、叱咤激励を受けて来た。だからこそ、どんな生き様をしていたか?良くご存じな方。

ただ結果はともあれ、自分の道を見つけられたのは凄い事だし、継続している事も褒めて貰った。確かにどんなに腕があってもそんな人はごまんといる。しかもそれだけでは継続し続ける事は難しい。だからこそ継続は力なりと言う、簡単では無い・・・と言う言葉がある訳で。

良く続けられていると思う・・・仮にそうだとして、俺も20年続けたタイル屋を辞めた事がある。その時は辞める事よりも、新しくやるモザイクの方に期待と不安を抱えつつも、そっちの魅力にその実績は辞めるに当たっても何の抵抗も無かった。見送る側と見送られる側のような・・

それは明日が勝ってしまったからだろうとも思う。昨日より明日と。それは明日がまるで保証されているように・・・当たり前のように思っているから。でも人は大抵こんな時に明日は必ず来るものじゃ無い事を思い知る。しかしそれでも明日があるかも知れない奴は生きないとならず

・・・本来なら普通は葬式やお通夜にそんな事を感じ、お坊さんの説法を有難き事のように聞くものだが、俺は一切思わない。その人が生きていようがいまいが、夜桜お七の歌詞では無いが、会わないのなら死んだも同然・・・と言う事。お墓の前で無くな、そこには何も無いと言う

歌さえある。ならば、生きてながら今までの付き合いの供養と考える。その人との話なんて、毎年いつもやって来る時間だったはずが、同じ時間のはずなのに、重く感じる・・・最後だからと。ただそうであっても、結局いつも通り応援される身としては、いつもと同じ報告しか出来ない。

結局無力である。今日の今日訪問した事だって、大人の対応ならもっと前もって連絡すべきだし、30年の最後なら、もっと気の利いたものを持って行くべきだろうし・・・何もかもが足らない気持ちでいっぱいだからこそ、足を運んで感謝とお別れをするのを選んだ。けれど無力。

長年やっていた事をご病気で辞める。しかも俺のように何かと引き換えでは無く、ただ無くす・・どんな気持ちなのだろうか?俺のような者には計り知れない。単純な話で、子供はやった事があっても親の経験が無い。自分が世帯主として家族を持った事が無い。あってもままごとの1年。

抱えているものの大きさが違い過ぎる。残して行く人がいる・・・そんな中で、いつものように笑いながら話している。凛とした態度で。ただただ凄いな・・・ただただ感謝、それではただただ無力さを思い知るだけである。

ただ、もし1つだけあるとしたら?お互いこの話が誰かに出来て、その人と共有された時、それが何かの足しになった時、何か意味を成す気がする。それは親父さんの代から付き合いのある両親だったり・・・そんな中、かぐやに報告となり、一度もお会いした事が無いのに、毎年話が

出て来るので、残念な気持ちになります・・・と聞くと、こう言う終わり方って言うのもあるんだよ・・・って1例になれば、何かの足しになるのでは無いか?もしそんな選択がかぐやに無かったのなら?受け入れればワクチン、拒否すればウイルス・・・どちらにでもなる。そんな話。

必ず自分にもそんな日が訪れる時が来て、この話を経験値に加えられるか?他人事にするか?は自由で、受け入れると今、小さく傷付き、受け入れなければ、その時に大きく傷付くだけで、選ぶのは自由。しかし中々選ぶって言う行為は勇気のある行為で、大抵は何と無くって曖昧にする

・・・そんなもんだろうが。きっと。いずれにせよ、そんな時間に終わりが来た。最後にいつもなら、また・・・と言えるのだけれど、一方的に頑張って・・・と相手はいつものセリフで見送られた・・・。

いずれにせよ、そんなこんなでの帰りの道中、この後また人と会うので、リセットするまでには至らないがホームセンターに寄り道。多肉のコーナー眺めてアトリエに。その後は、リバティさんの見積もり。先日の機関車の引き続きの分。ただいつやるか?は未定で、材料の確保なのか?

何にしろ普通の見積もりとは一切違うんで、1回で終わる話では無く、何回で終わらせるか?何年掛かりなのか?みたいな特例な話。そうね、ただ仙台の保育園ではそんなやり方であったけれど・・・。だから俺には経験があっても、リバティさん側なら初めてな話。しかも打ち合わせが、

奥さんとなんで、色々とハードルがある。そんな中、見積もりが終わって連絡すると、今からでも・・・となり、向かう事になる。一応、今の状況、1回で完了では無い話、いつやるか?先の長い話の中では、材料だけでも・・・の確保の話、見積もりと言うよりも説明に行ったような。

そんなこんなでそれも終わり、帰る道すがらのホームセンターへ寄るも、ホームセンターに変わりは無いのだけれど、俺の気持ちがそんなだから、数店巡ってもいつもならワクワクする事を発見出来るのに、何を見ても素通りになってしまう。単なる品物でしかない。

ただ残念な事にそんな気持ちでもお腹は空く。あっそう言えば、朝、銘菓を買った時に小松菜どらやきを1つ食べたきり、何も食べていなかったっけ・・・もう7時かぁ・・・それじゃとアトリエに戻って明日の支度・・・と思いきや事故渋滞。7なんやかんや遅くなった。

そして今日が終わり、きっとまた明日が来る。

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