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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

リピータ―さん2組教室と空の湯のカメ飛行機

2020-10-19 00:56:38 | モザイク教室

今日は午前午後にリピータ―さん教室。まずは昨日に引き続き、ウチの犬。ブログを見てくれた人は、比較して見られるし、何がどう違うか?の説明を知って見られるから、納得して貰いやすいと思うのね。そんな訳で更に掘り下げて説明して

・・・そうやって自分の作品を興味持って見てくれている生徒さんがいるって事がどんな事を意味するのか?って話をしたのね。例えば、もし大した仕上がりじゃ無かったら?いちいち仕上がりに興味は持たないし、気にはならないでしょ?

つまり気になるって言うのは、仕上がりが良かったと思われたからなのね。それは凄い事なのね。しかも同じ先生に習っている人であって、一度もやった事の無い人の好みの感想じゃ無いのね。つまり技術って面でも、出来る出来ないの差はあっても、

目利きって言う事なら、十分過ぎる位、肥えていると思うのね。それとこんな話もしたんだけれど、この方は数年前に来ていたんだけれど、しばらく空いて・・・5年振りって言ったかな?それでこうして続きをやっているのね。

それを踏まえて説明すると、あの頃は月に1回来ていたんだけれど、5年モザイクから離れた・・・そして今は月に3回になった。つまり単純に3倍やっているって事なのね。これが1年続いたとしたら?昔の3年分やった事になるのね。

じゃ5年休んでいたとしても、あっという間に1,年で3年分巻き返した事になるじゃない?単純に数字じゃ・・・でもね、鉄は熱いうちに打て・・・みたいな話なら、労作展の子達のように短期間で集中する夏期講習的な過ごし方は、急激に上手くしたりするのね。

そう言う事なら、今の月に3回は相当急激に上手くなっている事になるのね。勘違いしちゃうのは、以前位には元に戻ったかな?・・・みたいな、休んでいた分、下手になったかも・・・って言う意識だったりするからなのね。

まぁ心技体なんて事から言えば、心の部分の説明かな。必要以上に心の部分を下げない様に・・・きちんと現状を把握していれば、自分の思っている過小評価と実際とでは大きく違うかも・・・って話。良い出来だと思うのね。

そんな中、忘れていた話なんだけれど、実は見られなかったらしいんだけど、以前ここに来ていた頃に、ユーミンママの病院壁画を観に行ってくれたらしいのね・・・いつか見て貰える機会があったら良いなと思うのね。今なら技術も見て貰えるしね。

では次はフェルメールのリピータ―さん。

実はこの方も同じ様な話になったので、今の時点の自己評価は何点?って聞くと、60点って言うのね・・・はぁ?そんなに低いの?って言うと、かぐややキウイの作品を見て、こんな人達がいるから、私のなんて・・・って言うのね。

違う、違う、上手い人と比べる事じゃ無くて、あくまで自分の作品達と比べて・・・と言うと、それでも65点なんて低いのね。じゃ、そんなに低いのなら、この先なんて簡単だよ・・・って話しをしたのね。

例えばこの絵の一番難しい所は?って言うと、眼とか・・・ってパーツを言うのね。って事は、それ以下の部分が残っている事になるのね。すると、何処も難しいです・・・って言うのね。でも、その65点を段々上手くなって点数を上げて行く・・・って言うのね。

そこでこんな比喩で説明したのね。まず顔・・・これはメインでしょ?だからステーキみたいなメインディッシュ。つまりもう口以外は終わっているのだから、後はタレ位な話。焼き終わったステーキにね。って事は、後はサラダとかコーヒーとか、デザートとかが残っている感じなのね。

果たしてそんなもので、メインの65点を80点の評価に上げる事が出来ると思う?それは無理なのね。しかも、65点仕上がりなら、もうそうそう難しい事は出て来ないのだから、65点以下は考えずらい。じゃ左程難しく無い事になる。

そう言うと苦笑い・・・でしょ?俺の評価は既にこれだけでも十分フェルメールに見えるのだから、相当高得点なのね。つまりこのままキープすれば良いだけなのね。でもね、高得点であればあるほど、プレッシャーになるのね。

つまり2人共、自己評価を低くしているだけで、実際は満足している訳で・・・本人は意識無くプレッシャーが掛かっているから、これで次はどうする?そして次は?と悩むし、難しいパーツにチャレンジしようとするから、失敗パーツも出る。

今までならば、切ったパーツにやり直しも無ければ、失敗も無かっただろうが、知らず知らずに難易度を上げるから、身を削るこだわりパーツになって来るのね。そしたら当然、難易度が増し、あっ・・・あっ・・・って失敗が増える。

本人に自覚があれば、上手くなったから、よりこだわったパーツにしているから、失敗しちゃうんだ・・・大丈夫って思えるだろうが、こんなにやっているのに、いくらかでも上手くなっていると思いたいのに、失敗ばかりで進まない・・・

私は下手・・・なんて気持ちになれば、気持ちはどんより・・・ってな具合。でも逆に思い切りが良く、スパンスパン切れたとすると、おっ良いじゃん・・・ってちょっと上手くなった気分になるし、ホッとも出来るのね。違う違うって話。

偶然なんて続くはずが無いでしょ?必然なのね。つまりそこが比較的簡単なパーツなら、成功率は上がるし、難易度の高いパーツなら、実力以上の難易度に向き合っているのだから、何度も切り直しが必要になるのね。だからその場所次第。

けれど、全て何処でも一緒な気分では、こうした気持ちになったりする。例えば月のようなパーツを切るとする。丸い外側から切るか?内側の丸い方から切るか?どっちかな?それを何も考えない人なら、どっちでもどうせ切るから一緒じゃん。

ってこんな感じになるだろうが、その人は一切こだわらない人だと思うのね。でも教えて来た人達には、内側から・・って言って来たのね。理由は簡単で、難易度の違いで、外側と内側は内側の方が難しいからなのね。

じゃ雰囲気だけで説明すると、簡単って言うのはスイスイみたいな感じだとすると、難しいって・・・どんな感じ?みたいな事を考える訳なのね。所が消極的な人は、この時点で、私には簡単なんて無いし・・・みたいな事を言うのね。

こらこら・・・って話で、そうやって表現を曖昧にするから自分が困る事になっちゃう仕組みなのね。例えば、簡単と難しいの違い・・・って話なのに、簡単も難しいの差も無く、全部全力って確かに聞こえは良いし、姿勢としても間違いは無く、立派に聞こえる。

でもね、だから差が無いから、どっちでも同じってやってしまうのね。そもそも難易度が違うって言っているのだから。でもね、ここに隠されている事があるのね・・・それは意識無く、本当は簡単と難しい事の差の違いを知っているのね。

でも本人は意識無く、外側を選んだとするのなら、簡単な方からやっている・・・って事になる。でも意識が無いから、成功した後、いつも同じ内側で失敗をする・・・でも意識が無く、結局下手だから・・・って表現にしているのね。

ではこの話を受け入れてくれた場合、常に難易度は違うもので、月の形のパーツの場合、外側の方が簡単である・・・って事を受け入れた前提で、難しい内側からやる。その時にこんな難しい言葉だらけの説明では頭に入りづらいから、擬音のような言葉に置き換える。

オノマトペって言うんだっけ?・・・まっ専門用語は自分で調べて貰う事にして、さっきに戻って簡単はスイスイにして、難しいは・・・ソロリとでもしとくと、難しいほうから切るから、ソロリで始まるのね。

そもそも1ソロリで失敗する人はいないから、2以上のソロリで失敗するのね。でも普通は2でも失敗はしない。失敗は月の形の一番窪んでいる所付近・・・そこはテクニック話だから、それを使って切り抜けられれば、後はスイスイに変わる。

でも仮に3ソロリで失敗しても、心のダメージは3って事になる。でもこれが逆にスイスイから始めると、5スイスイで外側を終えて、2ソロリまで成功して、7ポイント出来た事になって失敗を迎える。これはダメージ大きいのね。

それを何回かやると、仮に3回失敗すれば、21ポイントダメージと、意識した場合なら9ポイントダメージになる。これが表現を曖昧にしたツケなのね。言葉として、表現として合っていたとしても、精神的ダメージはこんなに違って来る。

言い方を変えれば、21ポイントダメージまで、後12回失敗出来る事になるよね?それが余裕になる。まだ平気だと・・・。でもたった3回の失敗で21ポイントダメージになってしまえば、立ち直る事は難しいし、へこたれるし、また表現を曖昧にして、私下手だから・・・にする。

これでは上手くならないのね。つまり最初から受け入れていないから・・・そんなの関係あるの?ってスタートや、別にダメージ受けないし・・・って場合、成功したのなら、何の事は無いから、話もスルーになりがちだけれど、指導って予定調和な時は必要無いのね。

だってどんなやり方だって成功すりゃ何でも良いんだもん・・・でもね、必ずイレギュラーが起きるモノなのね。どんな時も・・・その時に必要になるから、その回避として必要なのが、見極め・・・つまり目利きになる。

一石二鳥なのか?二兎追うものは・・・なのか?・・・進撃の巨人のリバイ兵長って人が、自分を信じて突き進み死んだ仲間がいて・・・だから仲間を信じて突き進み死んだ仲間がいる・・・そうなのね、結局決めるのは自分なのね。

つまりそれが正しいと思うなら、そうすれば良いし、そんなの関係無いと思えば、そうじゃないやり方で結果を出せば良いだけなのね。ただ俺はそう思うから、もしそうだと思うのなら、まず受け入れてどうだったか?の結果を見て判断。

やる前から悩んでも、結果は誰にも判らないからね・・・ただ先生やるからは、その痛みをあれこれ知っているからであって、その痛みの回避は多分これ・・・って言うのが指導になるから、痛み具合で指導は変わると思うのね。

今日の2人には、きっと同じ話が必要で、いつか2人相席も面白い気もしたのね。まぁいずれにせよ、説明が判ってくれたのなら、比べるのは以前の自分と比較であって、、他人じゃ無いのね。そんなこんな後は空の湯の飛行機・・・・

地味に進んでするのね。

 


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