いつもならユニディ邸でのお教室なんだけれど、今日は2人と言う事でアトリエになったみたいなのね。ただ、くじらさんはアトリエが初めてなので、それはそれで色んな作品がここにはあるし、何よりもタイルが豊富だし新鮮だとは思うのだけれど・・・・。
さてそれでは、くじらさんからなんだけれど、特にもう教える事は無いのね・・・同じ事の繰り返し。何しろ頑張るのみ。だから、折角アトリエに来たのだから、アトリエでしか体験出来ない何か?を持って帰って貰わないと・・・・・ね。
それは後にして、ユニディを含め3人分の目地・・・・みんな完成となったのね。
まずユニディ。ここは何も言う事無し。流石常連、ここまで出来れば趣味の域では言う事無し。立体は出来る、外用ボンドも使えるのだから、屋外作品もOK、ガラスタイルも切れる、更に設計も得意、こうなると一体何が必要?ってなりそうだけれど・・・・。
そうね、もしあるとしたら?プロとしての覚悟みたいなもんかな?・・・・そもそもユニディは機会があったら、ユニディの設計やデザインで、katsuをバックに施工も一緒にやって見たい・・・・そんな事が根底にあるだろうね・・・。
そうね、毎回は嫌だけれど、俺もそんなの面白いと思うのね・・・それはかぐやでも一緒で、いつかそう言う事が出来ると良いと思うが、それには俺が認知されて認められないと難しい話だけれど、きちんと確立した場合、消して難しい話では無いと思うのね。
良くこんな事を言うと、そうねぇ・・・まっ父なんか例え話に使うかな・・・父の場合だと、そうなってから考えろ・・・ってな、すべて感で生きて来たのね。つまりすべてが後手後手になる。
俺は全く逆に生きるようになったので、すべてが準備。つまりそうなりたい・・・と掲げて、そうなる為には何が必要か?どうすべきか?・・・そんな風に考えると・・・・。ユニディの場合だと、そもそも設計士なのだから、そこはプロとして確立している。
つまり仕事が出れば、設計は出来るでしょ?当然。じゃ俺は施工出来ないのかな?・・・まっオルタ程度は悩む必要も無い。しかも初めて大理石を切った人達でも十分結果は出た。つまり教える先生としても手ごたえあり。
ではユニディの設計と俺の施工のバランスは見劣りするのかな・・・?あはははは、俺は自分では平気だと思うのだけれど・・・・。もしそれが成立したのなら?つまりユニディの今の給料程度の価値に見合った俺になる。いつでも機会があれば大丈夫って事になる。
とすると、今度は逆にkatsuと一緒にモザイクを施工するユニディの価値が問われるでしょ?ユニディ良いじゃん・・・なのね。つまりそこも成立している事になる。ならばそう言う機会・・・・つまり仕事の依頼待ちみたいな話だよね?
でも違うんだなぁ・・・確かにこう話すと、そうなるのだけれど、もっともっと大きな事をしたいじゃない?つまりその程度の話の覚悟では足りないのね・・・それでは。例えば、高卒ルーキーの年俸なんて考えれば簡単な話になる。
あるいは、バイトしながらのお笑い芸人・・・そう考えると簡単。最初の高卒ルーキーの場合、普通の職業なら誰であっても、高卒だからいくら・・・って支払いになるでしょ?そう誰でも一緒。では野球たとしたら?
こうなると期待料込みになるので、人によって変って来る。高卒をひとくくりにはならない。実績も大きく評価の対象になる。つまりユニディの会社のでの評価の給料とユニディデザインの評価が一緒とは限らない・・・・
ただ、その実績が甲子園のような判りやすい活躍なんかあると評価しやすいし、スカウトなんて探している人達がいれば良いが、実力を評価出来るプロで無いと、中々難しい話になる。こんな場合はエリートな話ね。
お次は貧乏な叩き上げ的な話。バイトをして生計を立てているのだから、本業にしたい芸の時間は明らかに片手間な時間。だってそもそもバイトの時間の方が長いのだから。あはははは、判りやすいでしょ?
それでもコツコツ重ねれば実力もおのずと付いて来る。ここをしっかり分ける。つまりユニデイの設計はエリートであり、モザイクは叩き上げになる。こうやって自分の中のバランスが変っていたとしたら?
そうね、ユニディの設計にユニディのモザイクが追い付いていたら・・・・もっと言えば、モザイクのkatsuがモザイクのユニディに付いて比較したとしたら?・・・・もしユニディの設計がそれより見劣りしていたとしたら・・・・?
何よりも俺は先生としてユニディは上手くなった・・・とモザイクの評価をした訳で。モザイクと設計のバランスは以前と比較して確実に良い意味で崩れているはず。つまり大事なのは、一体いくらの依頼まで耐えられるのかな?ユニディの設計って?
ここなのね。タダならいくらでも出来る・・・そうでは無くて逆。いくらの価格までならびびらず金額に見合った仕事を請けられるの?・・・・ここ。そろそろそっちを固めようか・・・・って話。
もう腕はそこそこ付いたし、具体的にどう仕事を請け、どの程度の金額に見合った仕事に対応出来る自覚があるか?の心や気持ち作り。さっきの父のような来てから考える・・・そんな程度では、あの程度にしかならない。
もっと大きな事がしたいのなら?それなりの準備をしないとね・・・・それと、似たような事になるが、設計と言うのは美を重視したくなるものなのね。だって個性ある私だけのもの・・・そんなアピールしたいじゃない?
そうなると、ついつい金額や工期、納期を考えずに良い物を作りたくなる・・・そんな設計やデザインを考えてしまうと、予算も納期、工期が延びてしまう・・・・しかしながら、いつもの設計ならいつもの経験値が役に立つが、俺の仕事はいつもと違う。
常に何が来るか判らない・・・・更にいつもなら、職人に文句を言われるのだろうが、もし仕事として成立した場合、俺を含めた参加した人達に文句を言われる・・・・こんな設計しやがってよっ・・・・ってね。あはははは。それも1つの覚悟。
とは言え、びびって消極的な設計ってどうなの?って話だし・・・それは俺がそうなのね。以前ならタイル屋として、設計は良いよなぁ・・・部屋で鉛筆1本で描いても消せるし・・・みたいな話を何度もしたし、聞いた。
所が今の俺はすべて自分のデザインで、自分が作る。すると、大変さが良く判るし、デザインはタケノコのようには生えて来ない。温泉のようには湧き出ない。搾り出しているのね・・・・毎回。
しかも素敵なデザインが出来たぁ・・・と思っても、大抵素敵なんてものは、厄介な話で・・・作るのに四苦八苦する。そんな痛みの中だと、作るのが大変だから・・・とデザインを簡単にしてしまって手加減しては本末転倒になる。
こんな葛藤だっていつか必ずある・・・ユニディにはそう言う意識を持って、これから続けて貰いたいのね。
さて長くなったけれど、ユニディお母さんと叔母さんの作品を続けて・・・。
もうこの2人も楽しむモザイクであるのなら、十分な出来栄えだし、ぺきぺきであるのなら、きっと今後も簡単に結果は得られると思われるのね。それ位、きちんと時間を掛けていて、チャッチャと作った感じには見えない。実に良い作品になった。
ってな訳で、ユニディも仕込みの金魚へ。
そんな中、キウイがやって来て・・・
そうなるとねぇ・・・・折角来たんだから・・・くじらさんもね。って訳で、1cmタイルを切るのが初めてなんだけれど、切ってみ・・・って教えて、やって貰ったのね。こう言うのは千人針や千羽鶴みたいなもので、上手いとか下手とかじゃなくて願い。
これもまた気持ちや心の問題で、仮に上手くなかったとする。けれど最低限をクリアーすれば、質は金魚の人達が見せれば良い。金魚は誰が作ったか?きちんと判る。けれど、梅や桜はさくら以外、その他のエキストラ・・・みたいになる。
それでも、そう言う事をやった時、いつか私もそんな事がしたい・・・・って思ったとしたら?それがこれから続ける為の目標だったり、糧になったりしたとしたら・・・・?その為に1cmタイルにチャレンジ・・・・となったのなら?
もしかすると、アトリエに来た・・・くじらさんは何かきっかけになる一歩だったかも知れない・・・・勿論、かも・・・。最初は常連もこうした繰り返しで上手くなって行ったのだから・・・・。
さて、その後はコーナンへ。閉店までの2時間が勝負・・・・
何とか帳尻合わせて・・・ここからは時間と勝負になって来る。くぅぅぅぅ、しびれるぜぇ。この程度の緊張感は中々ね。そんなセリフが言えるのも、来週大御所のかぐやがやって来る・・・・そんな保険があっての事。
出来れば全部輸送したいからね・・・・。