今日は午前はリピーターさん、午後からさくらと2つ続けてお教室。では最初はフラミンゴのリピーターさんから。もう見て判るようにフラミンゴにしか見えません・・・って何も言う事無しなのね。最初、クチバシの曲がったパーツから始まったんだけれど、当然えぐるなんてパーツ・・・。
難しいのね。その前に先日はリアルじゃなくても良いんですよね?・・・つまり例えば先日のキウイのトカゲのように、デザイン的な模様であっても、輪郭さえきちんと守れば、それはそれで美しかった。あんな感じを意味する方向性の話だったのね・・・大丈夫ですよ・・・ってな話で終わってたのね。
所が今日は、やっぱりリアルも良いかな・・・・って思っているんですけれど・・・って。はい、それもOKです。って気が変わったのも、これから始まる事なので何も問題無し。ただ決めてしまって目なんか入れてしまったら、次回からはフラミンゴはリアルで進める事になる。
ただ、バックも同様で、フラミンゴが仕上がったら気が変わった・・・・って言うのなら、いくらでも変更は利くのね。だって何も描いていないのだから・・・ね。ってな説明をしつつ、仮にリアルだろうが、そうで無かろうが、形はキープって話なんで、クチバシを切る・・・ここは内容は一緒。
そんな中、とても丁寧に切り始まったのね。何度も何度も切り直しては当てはめて・・・渾身の1枚ってな感じに・・・その時にその1枚を切り終わった時に、これでどうですか?・・・・って感じに若干恐る恐るって聞くのね・・・大丈夫です・・・見えますよってやり取りがあって、次のパーツの時に、
何も聞かずに、これで良し・・・みたいに進んだのね。本人は何も気にせずに3枚目に進んだんで、そこは掘り下げて2枚目の凄さを説明になったのね。
そもそも難しいパーツと判断してこだわりの1枚だったはずなのね・・・1枚目は。しかしながら、それでも心配だったから聞いたと思うのね。
でも2枚目はスルー。何で?・・・理由ははっきりしていたけれど、念の為に本人に確認すると、えっと・・・これはこれで大丈夫だと思ったからって。
そこ。そこが凄いのね。何故なら、不安だから確認、ここはこれでOKって本人の自己判断。しかも、その判断が、まっ良いか・・・じゃないから。
そもそも1枚目の難易度の高いパーツをこだわって切った。もしここをまっ良いっか・・・と聞かずに進んだとしたら・・・難しさにも取り組まず、しかも聞かずに・・・となれば、その人のスタイルはずっとそのまま言われるのを待つスタイル・・・とか、言えば言ったで、ダメですか?・・・って反応。
こんな場合だと口出し無用な感じになる。そこを自分なりにこだわりを持ち、こだわった上で聞き、しかもそれを確認した上で、2枚目を自己判断した。
初回で・・・つまりこの2枚のパーツを見た上で感じたのは、1を知れば10・・・・って感の良い人なのかも・・・ってね。
そうなると、要するに会話の中で探したいのは、って事は・・・・って反応をするかしないか?もし反応した場合、洞察力、観察力、想像力って言うような感覚に長けている・・・これはオリジナルを作る為の能力なんで必要なものなのね。でも、持っていても意識しないと、伸びないのね・・・。
何故なら意識しないで、本人は普通と感じているから。私が出来るのだから誰でも出来る事・・・と判断するから。それは全く違っていて、それは能力なのね。まずはこんな事を比喩のように一般的には感が良い・・・みたいな表現をする事を説明し、凄い事を意識して貰うように説明をしたのね。
しかも、そこが長けているって言うのは、説明を少なく済むから面倒な感じの時間は少なくなる。これを説明に時間が掛かると、当然そのまた説明をしないとならず、お互いに説明疲れする事も多々ある。勿論、それが普通で特にビックリはしないんだけれどね。
おっと話を戻して、要するに聞くべき事と聞かなくても大丈夫を判断出来た事は、何が凄いか?って言うのは、もし今後自宅でやる事になった時に、ここは難しい、ここは大丈夫となった場合、ここは聞かないと進めない・・と立ち止まれるのと、立ち止まる所か、どんどんと進めるって思うのとでは
何も言わずとも質が変わって来るのね。そんなこんなやり取りをしている中、話ながらこうして進んでいるのね・・・気が付く人もいるだろうけれど、話しながら出来ちゃっているのね。本来なら聞きながら・・・が普通なのに、話しながらも出来そうなのね。
それが出来ると出来ないのでは、色々と変わって来るのね。何故なら教える側と教わる側で説明なんて始まると、ついつい手が止まってしまうものなのね。つまり手が止まってしまうような人には説明をしずらい・・・だからそんな人には心ここにあらずでも良いから、相槌の練習みたいになる。
そうね、例えばバンドだとして、メインボ―カルでギタ―も弾くなんて人いるじゃない?こんな人はリードギターってメインのギターじゃ無かったりして、時々ギターを休んで歌に専念したりするでしょ?逆にバンドのメンバーは主線の歌は歌わずにハーモニーって時々参加するじゃない?あれ。
要するに自分の大事な方を優先して貰いつつ、ちょいとだけハーって入れて見て・・・って感じ。まずは心無くでも良いから。はいってね。上の空で大いに結構。それでも最初は何かをやりながら・・・って言うのは難しいものだから。
それで得られるものは、普通は必至に切っていたら話し掛けられても余裕すら無い。つまり切る事に必死だったり、ギターのコードを押さえるのに必死だったりして・・・でもそこを説明してしまうと、人が良いとこっちを見ちゃうのね・・・折角狙っていたのに・・・って時にね。
つまりこんな感じの人には本当に大事な時には声掛けるから、後はスルーで良いよみたいな話をする。それに慣れたら今度は自分発信。今度は話ながらとなると、相槌みたいな訳には行かないから主線を歌う事になる。当然、今度は俺がハーモニーみたいに横から入って来る・・・。これが会話。
当然慣れないとつられてしまって綺麗な旋律にはならない。つまりお互いこうするから・・・と予定調和にする為には時間を使って慣れる事が必要になる。けれど、って事は・・・が出来ると、こうすんのかな?あぁすんのかな?・・・って言うのが早くなるのだから、説明文が必要無くなる。
それを究極にすると、長年連れ添ったご夫婦の会話。あれは?・・・そこにあるわよ・・・普通指示語の場合、文章の最初にフリがあって、2度目以降はそれだのあれだのって同じ言葉をはしょる時に使うものだが、もはや文章になっていなくても判り合える。
勿論、それでも勘違いするのはお互いに思い込みもあるからだけれどね。出来れば理想は教える側も教わる側もこんな事が出来ると、つまらない説明はしなくても済むけれど・・・って思うが、最初は説明大事だし・・・って言って貰ったのね。あはははは。でもこれも説明かっ。
いずれにせよ、続けるって前提なんで、ニッパーの持ち方だけは何度も繰り返し言い続けたのね・・・これが一番大事なんでね。今の段階は。自宅で進める事を想定しての指導になるから・・・一人でやる時に残像とか耳鳴りのように俺が出て来るように・・・ってね・・・あはははは。
それをどうやって記憶に残すか?が先生としての技量を問われるんだろうけれど・・・少なくとも俺ありきの質で言えば、問題無くフラミンゴに見えるだろうから、上場の滑り出しだと思うのね。首さえ抜ければ、大きなパーツの体になるし、そこで慣れてくれれば、最後に細い脚となるのね。
本人はこれしか進まなかった・・・って言ってたけれど、実は本当はこんなに進んだじゃんなのね。それが証拠にこの後のいくらかの相席のさくらがそう言ってたのね・・・・これだけ初回に出来れば凄いってね。全くその通りなのね。そんなこんなのさくら。
ここは広げるとキリが無くなっちゃうので明日にしようかな・・・。って事で、ついでに俺も・・・