今日は高洲のサークルの日で参加が3人。まずはナオミぃぃから。そうね、今日は割かしがっちり見ていたら、かなりしっかり切っててビックリしたのね・・・メチャ上手くなっているやん・・・って感じだったのね。
そもそもガラスタイルでこれだけピッタリ切れるなんて、かなりの腕前になったと思うのね。これはビックリしたのね。何かこの手の彫った下地が丁度良く楽しめる気がしたのね・・・この後もこのスタイルで良いと思うのね。
ではキョンキョン。
後はもうバック・・・って所まで来た・・・って感じなのね。そうね、さっきのナオミぃぃと大きく違うのは、彫ってある下地はそこにきちんと入れるって規定演技。だから決まった通りに切り続ける事になり、考える必要は一切無し。
それがキョンキョンの作品はと言うと、全てが自由演技。だから常に考えないとならない。しかも自由なんで、自分の取り締まりが甘いと、花びらがチグハグにもなるし、何しろ均等にするのが難しかったりする。
ただキョンキョンもそうした自由演技の難しさを知ってしまっているのね・・・オリジナルって言うのは、デザインや、柄だのキャラやらモチーフ決めも大変だし、下絵が必要になる・・・ただそれこそが自由だったりする。
そんな事もあって、ちょっと疲れ気味だけれど、かなりしっかり切れるようにはなって来たのね。まぁ本人はアップアップな感じなんで、いくら上手くなったね・・・と声を掛けても、ヘトヘト感が出ちゃってたけれど、中々頑張っている。
こんな事の繰返しで、サークルだけで上手くなったナオミぃぃはキョンキョンの良い参考になると思うのね。切る事が慣れてくれば、もう少し困らなくなるし、もっと言えば、次回は彫った下地で・・・って言う体験も良いのかな?とも思う。
ではキウイ。
ぺきぺきではほぼ教える事は無く、見事だと思うのね。後は色の選択となるのだけれど、ピンクは好きだからいくらでも使う事が出来るのね。しかしそれ以外の部分となると、ピンクの色数からすると、葉っぱの緑は負けずに3つあるけれど、
それ以外の色が馴染んで見える分、花が1つ1つ判りずらい感じがするように見えるのね。ただそもそも薄味好きだから、こうなるのも判るのね。だからこのままで進めて良いと思うのね。問題は目地だろうな・・・。その時も薄いのを選ぶと
本当に淡くなっちゃうし、差し色的な感覚だと、いつもならベージュなんて選ぶだろうが、ブラウンなんて言う事もありな気がするが、その位の事も判っていると思うのね。ただ場合寄っては、更にそこから濃くなんて言うのも1つの手。
それを見て縁取りのペンキの色も決めて行けば良いのかな。そんなこんなでアトリエに戻って、空の湯のカメ飛行機。
プルメリアにも入ったし、この仕上がりなら特に問題は無いし、モンステラは既に作っているから大きく崩す事は無いだろうし、これなら後は時間が解決するだろうから、男湯の準備をして置いた方が良いのかな。更にそんな中、月末開催の
埼玉のコープみらいの講座の募集が終わったんだけれど、3か所の内、1か所は開催されず2か所となって、8名と2名って事で、やはりかなり厳しい結果となったのね。ただ10名の所って考えれば、8名の所は中々健闘していたと思うが、0があった事は真摯に受け入れないとならず・・・。
とは言え、人数の結果が出れば後は、そんな時こそやる気で行かないとね・・・らしくない。って気持ちの問題のみ。下地は用意していたもので足りるみたいだから。いずれにせよ、先見て進まないと・・・やる事が満載なんでね。
そうそう気持ちって点では、色々工夫してるのね。このコロナ禍の中、最初の頃は笑いが欲しかったから、ラジオで笑いを探したのね。そもそもコロナ前は音楽が好きだから、音楽番組が主体だったんだけれどね。ただそれが笑いでも解決しなくなったのね。
結局、笑いでは気が晴れなかったりするから。そこで見つけたのが無料配信テレビみたいなの・・・ただモザイクやっていたら、テレビは眼を奪われるので、ラジオのように聞くだけ・・・そこで色んなアニメを聞く事になるのだけれど・・
何しろラジオだと、どの番組でもコロナの話になっちゃうし・・・そんな中で、鬼滅の刃も見付けたんだけれどね・・・そうね、勿論キャラが立ってて、どの人物も個性的で、更に絵も綺麗で、説明すると長くなるからあえて広げないけど、
とても刺激になったし、内容でも、苦境の中戦い、生き抜く少年の姿は、今のコロナの中での感情移入はしやすい事と、更に母性として女の人に賛同されている事も大きな要因だと思うのね。例えば、進撃の巨人であっても、意味のある戦いって点では、内容は似ているし、
敵には敵にも理由があって・・・と、今風であったりする。昔は単純で、仮面ライダーは味方でショッカーは敵って幼くてもすぐに理解出来た。それがデビルマンなら、友達に頼まれて悪魔の力を手にして、好きな人を守ろうとするも、人間からは悪魔と呼ばれ、悪魔からは人間と呼ばれる。
まさに鬼滅の刃の主人公の妹。鬼側には鬼の癖に人間側にいる・・・変な鬼扱いで、ただデビルマンよりマシなのは、人間側からは鬼扱いを受けていないので救われる。話は戻って、鬼滅の刃も進撃の巨人も、テーマとしては似ていても、絵としてグロさの多い進撃と、美しさや可愛さのある鬼滅の違いはある。
更に言えば、新海監督作品でも、売れた作品とそうで無かった作品とで比較しても、同じ監督なのだから、絵としては左程変わらず美しいが、内容が救われる感の薄かった時と、売れた作品の時では、最後の救われ方が見た人の印象が大きく違うと思うのね。
こうやって1つ1つ売れる理由があると思うのね。勿論、名前1つでも井上陽水さんのように、最初はアンドレカンドレだからね・・・その名前じゃ、中々歌詞まで入って来ない感じはするよね?いつも何を見ても、聞いてもこうして考えるのね。
そりゃ何でも取り入れたいから・・・アトリエから左程動かずに、変化を求めるには、それ相応の工夫をしないと、コロナの前はそれでも成立していたが、コロナになって足りなくなった気持ちを補てんするには、マイナス要素ばかりでは、
中々埋められない。何しろ足りない分を埋める何かを見付けないとならないし、きっかけでも掴めれば、前進する気持ちになれれば良いだけ・・・そう言う点では、何とかかんとか折れずに繋ぎ止めている感じではある。