(2)始業式の日に作文を書かせてみるのもいいかも
クラス担任になったときに、「子どもたちは、どう思っているんだろう。」「お家の方は、どう思っているんだろう。」と気になったことはありませんか。本の名前は覚えていませんが、「始業式の日の作文」という取り組みを見たことがあります。始業式の日に、「新しいクラスについて友だちと話したこと、お家の方と話したことを原稿用紙一枚いっぱいに書いてくることが宿題。きれいに書かなくても良いので、丁寧に書いておいで。」と伝えます。
6年生を担任したときの始業式の日の日記の一部です。
次の日が楽しみです。またちょっと怖い気がします。
『「女の先生を期待していたのに、また男の先生か。」とお父さんが言っていました・・・。』
『「今度のかったか先生、おこるとこわいよ。宿題も多いしね。」と前受け持たれていた友だちが教えてくれました。』
『かったか先生ではなく、前の先生がよかったね。』
これは、最悪。
『「かったか先生でよかったね。一年間がんばるんよ。」とお母さんが言っていました。』
など、さまざまな本音の部分が出た作文が提出されます。むっとする言葉や、テンションが下がる言葉もあります。でもそれを起爆剤にするのです。その原点からクラスづくりの出発をするのです。
これをもとに、どう接していったらよいのか、判断の材料にもなるし、今現在、自分が担任になったことが好意的なのか、そうではないのかもわかります。その時の気持ちを知ることで、ちょっとした出会いの接し方を工夫できます。
作文の取り組みから早く、子どもたちの気持ちを自分の方に引きつけることができます。子どもを自分の方に引きつける方策を立てやすくしてくれます。
しかし、前の学年の先生の悪口は、タブーです。
「こんなことも教えてくれていなかったの。」
というのは、厳禁です。自分が弱いときには、その言葉が出がちになります。少なくとも、子どもたちとのドラマは、365日受け持った前年の先生が多いのです。それを大切にしている子どももいるのです。
365日対数日では、例外を除いては、子どものつながりは、新しい学年の先生の方が間違いなく薄いのです。否定語は、生徒との信頼関係もなくすことにもつながります。前の学年の先生の欠点があれば、そこは、黙って修正をします。否定をしてはいけません。前学年の先生の存在、そして、やり方も尊重しつつ、自分のカラーを出していくべきです。
クラス担任になったときに、「子どもたちは、どう思っているんだろう。」「お家の方は、どう思っているんだろう。」と気になったことはありませんか。本の名前は覚えていませんが、「始業式の日の作文」という取り組みを見たことがあります。始業式の日に、「新しいクラスについて友だちと話したこと、お家の方と話したことを原稿用紙一枚いっぱいに書いてくることが宿題。きれいに書かなくても良いので、丁寧に書いておいで。」と伝えます。
6年生を担任したときの始業式の日の日記の一部です。
次の日が楽しみです。またちょっと怖い気がします。
『「女の先生を期待していたのに、また男の先生か。」とお父さんが言っていました・・・。』
『「今度のかったか先生、おこるとこわいよ。宿題も多いしね。」と前受け持たれていた友だちが教えてくれました。』
『かったか先生ではなく、前の先生がよかったね。』
これは、最悪。
『「かったか先生でよかったね。一年間がんばるんよ。」とお母さんが言っていました。』
など、さまざまな本音の部分が出た作文が提出されます。むっとする言葉や、テンションが下がる言葉もあります。でもそれを起爆剤にするのです。その原点からクラスづくりの出発をするのです。
これをもとに、どう接していったらよいのか、判断の材料にもなるし、今現在、自分が担任になったことが好意的なのか、そうではないのかもわかります。その時の気持ちを知ることで、ちょっとした出会いの接し方を工夫できます。
作文の取り組みから早く、子どもたちの気持ちを自分の方に引きつけることができます。子どもを自分の方に引きつける方策を立てやすくしてくれます。
しかし、前の学年の先生の悪口は、タブーです。
「こんなことも教えてくれていなかったの。」
というのは、厳禁です。自分が弱いときには、その言葉が出がちになります。少なくとも、子どもたちとのドラマは、365日受け持った前年の先生が多いのです。それを大切にしている子どももいるのです。
365日対数日では、例外を除いては、子どものつながりは、新しい学年の先生の方が間違いなく薄いのです。否定語は、生徒との信頼関係もなくすことにもつながります。前の学年の先生の欠点があれば、そこは、黙って修正をします。否定をしてはいけません。前学年の先生の存在、そして、やり方も尊重しつつ、自分のカラーを出していくべきです。