東日本が大震災に襲われて来月で1年が過ぎる。日本中が大きな衝撃を受けました。人々は、復興とともに、3月11日を風化させないために、いろんな行動をおこしています
大分合同新聞の一昨日の夕刊の中に、被災地の高校生が震災の記憶を短歌に詠んでいることが記事になっていました。
先日、三光中学校に、「しあわせ きっと おとづれる その時を信じ 一歩前へ」
という書を地域の方から送られました。その方は、直接被災した関係する人がいるわけではないのですが、テレビや新聞のニュースを見ることで、書く気力を失ったと言います。
そのくらいの衝撃を与えた3月11日でした。
被災者にとっては、震災をテーマにした歌を詠む気持ちになれなかった生徒が多くいたというのも当然です。
家族や友人との別れ、今まで住んでいた地域が瓦礫となっていった衝撃など気持ちが前を向かない日々が、きっと時間がたった今でも襲いかかっているかも知れません。
次の一番目の句は、祖父を亡くした女生徒。おじいちゃんをなかなか火葬ができなかったと言います。荼毘(だび)に付すときに祖父に謝ったそうです。
◇死に顔を『気持ち悪い』と思ったよ
ごめんじいちゃん。ひどい孫だね
◇「また明日」言葉の重みを今知った
明日は当たり前じゃないから
◇見渡せば かすかに残る家の跡
ご近所さんはどこか遠くへ
◇手をつなぎ 2人で駈けた瓦礫道
離してなるかと指をからめた
◇光消え 真っ暗闇の僕の街
だから見えたよ 星のお祭り
◇呼ぶ家が なくなったねと言うきみが
瓦礫の街に見慣れてしまい
◇見つからない 友を想って泣いたのは
やっと四月の中頃だった
◇止まらずに私は未来(つぎ)に進んでく
隣に君が いないとしても
悲しみも苦しみも巻き込みながら確実に時は1年過ぎます。
大分合同新聞の一昨日の夕刊の中に、被災地の高校生が震災の記憶を短歌に詠んでいることが記事になっていました。
先日、三光中学校に、「しあわせ きっと おとづれる その時を信じ 一歩前へ」
という書を地域の方から送られました。その方は、直接被災した関係する人がいるわけではないのですが、テレビや新聞のニュースを見ることで、書く気力を失ったと言います。
そのくらいの衝撃を与えた3月11日でした。
被災者にとっては、震災をテーマにした歌を詠む気持ちになれなかった生徒が多くいたというのも当然です。
家族や友人との別れ、今まで住んでいた地域が瓦礫となっていった衝撃など気持ちが前を向かない日々が、きっと時間がたった今でも襲いかかっているかも知れません。
次の一番目の句は、祖父を亡くした女生徒。おじいちゃんをなかなか火葬ができなかったと言います。荼毘(だび)に付すときに祖父に謝ったそうです。
◇死に顔を『気持ち悪い』と思ったよ
ごめんじいちゃん。ひどい孫だね
◇「また明日」言葉の重みを今知った
明日は当たり前じゃないから
◇見渡せば かすかに残る家の跡
ご近所さんはどこか遠くへ
◇手をつなぎ 2人で駈けた瓦礫道
離してなるかと指をからめた
◇光消え 真っ暗闇の僕の街
だから見えたよ 星のお祭り
◇呼ぶ家が なくなったねと言うきみが
瓦礫の街に見慣れてしまい
◇見つからない 友を想って泣いたのは
やっと四月の中頃だった
◇止まらずに私は未来(つぎ)に進んでく
隣に君が いないとしても
悲しみも苦しみも巻き込みながら確実に時は1年過ぎます。