かったかくんのホームページ

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「3月・・・失われたもの」

2021年03月11日 | 大分県
ブログやフェイスブックを見ていると、歴史をしることができます。


10年前の今日、東日本大震災が発生した日です。
悲しみととまどいに包まれた日々が続きました。



今日は、朝、クラスの子どもたちに話をして、14時46分にみんなで、黙とうをしました。




震災の年の2011年3月のブログを見ていました。
2011年3月27日のブログです。



『先日、採用まもない小学校勤務時代のお家の方ののぞみさんのお母さんから、電話がありました。
「先生、なおこちゃんが入院しているんですよ。今は、ちょっときついみたい。」
という内容でした。
 



なおこちゃんからのお父さんからも、なおこちゃんが病気であることと、自分の役職が校長に代わったことに対してのお祝いの電話があったばかりでした。
 



教えた頃のなおこちゃんは、元気印そのものでした。
剣道を習っていて高校まで続けました。
今でも覚えているのが、体つきは、ふつうの女の子ですが、腕力がすごい。



40人のクラスで、男子も含めて、なおこちゃんに勝つ子どもはいませんでした。
 



鍛えた筋力は、抜群でした。病院に着くと、お姉さんが偶然にも入り口にいました。
「先生じゃないですか。」
お姉さんは、教員に採用されて年、4年生を受け持ったときの6年生でした。
それ以来です。
何年ぶり・・・?なおこちゃんの病室まで連れて行ってくれました。
 



なおこちゃんの温かな人柄でしょう。
病室のテレビの周りは、いろんな方からのかわいいお見舞い品などでいっぱいでした。



ちょっとタイミングが悪く、今日は、体調がいま一つでした。
でも、
「先生、来てくれてありがとう。」
と体調が悪いながらいろいろ気を配ってくれました。




「昨日は、あの頃の同級生がお見舞いに来てくれて、たくさん話をしていたんですよ。」
とお姉さん。
 



何年たってもいつまでもみんなの仲がいいことにうれしさを感じます。
体調が戻るまでには、もうちょっと時間がかかるかも知れませんが、これから気候もだんだんと暖かくなってきます。



焦らず、治療に専念をして欲しいと思います。
 


なおこちゃんに、
「ちょっと休憩だね。」
と話をしました。



無理をしたらいけないので少しだけ話をして帰りました。
また調子のいいときに見舞いにいきたいと思います。
 



部屋を出るまで手を振ってくれました。
 



家に帰り着いて中に入ろうとしたら電報が届きました。



なおこちゃんから校長になってのお祝いの電報でした。
「病室から なおこ」
胸がジーンと熱くなりました。』






というせつない2011年3月のブログでした。




それから2週間後、なおこちゃんは旅立っていきました。
こうして書いているとあの日を思い涙がこぼれます。
 





2011年・・・3月は悲しい季節でした。