かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

あなたへの『YELL』

2010年03月14日 | Weblog
ジャスコにかおりちゃんのいるハニカムズの演奏を聴きに行きました。いつかかおりちゃんに、いきものがかりの『YELL』のリクエストをしていました。
そこは、かおりちゃん。忘れずに演奏をしてくれました。きれいな演奏でした。たくさんの人が二階からも演奏を聴いていました。



 この日の演奏は、卒業にちなんだ曲、春の訪れを感じさせてくれる曲を中心に演奏をしてくれました。また『JIN 仁』のメインテーマ曲、アイススケートの高橋大輔選手がバンクーバオリンピックで銅メダルを取った時の曲など、さらにパワーアップして演奏をしてくれました。



 ところで、卒業のイメージのある曲を聴くと、我が子のそれぞれの卒業シーズンを思い出します。たくさんありますが、センター試験が終わったときのことです。



電話口から涙をこらえた子どもの声が聞こえます。目標とする大学の点には届かないのです。その大学から、自分の目標とする理学療法士になろうとしていました。家を離れ3年間頑張ってきたことをわかっていたので、ぐっとこらえる子どもの姿を思い浮かべてこちらも胸にこみ上げるものがありました。辛いものがありました。



 高校の先生と相談してとりあえず合格できる目標の仕事につくためのものとは違う大学を選択しました。それは、自分の意志と反するものでした。



 専門学校からもその職につけることができるので、受験をしていました。どうするか・・・。子どもは、専門学校を選択しました。
「大学を出てから、専門学校という選択もあるし、浪人という選択もあるよ。」
と言いました。
「遠回りをしなくていいよ。自分は、なりたい職業につけたらいいから。」
ということで、専門学校を選択しました。



 職業への夢は持ち続けていたので、途中の進み方には、苦悩したのですが、最後はこだわりませんでした。


 卒業、受験、進路決定とこのときの我が子と一緒に悩んだことは、共有の思い出です。いろんなドラマがありましたが、念願の仕事につき、また素敵な人とも出会い、充実した生活を送っています。子どもが選択した道は、後悔するものではなかったと思います。



 今、中学校では高校受験そして、合格発表が終わりました。
合格した生徒、そうでない生徒といます。しかし、高校が最後ではないということを意識しなければならないと思います。第一希望の学校に行く人もそうでない人も、もし自分の目標とする将来の夢があるならば、今自分の置かれている立場からどのような進み方があるのか考えて到達できるように努力して欲しいですね。



 高校、大学は通過点でしかありません。今、右肩下がりの景気の中、希望の大学に合格して喜んでいても、目的意識のない人は、卒業するときには、進路決定の大きな壁にぶち当たりがちになります。



 幸せって、最終的には、生きていく中での充実(仕事のこと、家庭のことなど)だと思います。


 桜ももうすぐ咲きます。

 出発の春です。私もどんな夢を持って進んでいくのか、もう一度考えてみようと思います。ブログを読んでくれているあなたも、幸せへの道を考えてみて下さい。夢を追うあなたへ『YELL』を送ります。

なごり雪そして春へ

2010年03月11日 | Weblog
学生時代、大分県出身の伊勢正三が作詞・作曲した「なごり雪」がヒットしました。今でも名曲となっていろんなところで歌われています。



 車のラジオからふとこの曲が流れてきました。今日の雪はなごり雪だからでしょう。歌を聴きながらこの曲から連想してくる思い出が浮かんできました。ギターでこの曲を一生懸命に練習をしたこと、家族との思い出、友との思い出・・・。


(1)汽車を待つ君の横で   ぼくは時計を気にしてる
  季節外れの雪が降ってる「東京で見る雪はこれが最後ね」と
  さみしそうに君がつぶやく  なごり雪も降る時を知り
  ふざけ過ぎた季節のあとで 今春が来て君はきれいになった
  去年よりずっときれいになった



(2)動き始めた汽車の窓に顔をつけて 
   君は何か言おうとしている 君の唇が「さようなら」と
   動くことが  こわくて下を向いてた
   時が行けば 幼い君も  大人になると 気付かないまま
   今 春が来て君はきれいになった
   去年よりずっときれいになった



(3) 君が去ったホームに残り  落ちてはとける雪を見ていた
    今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった

   去年よりずっときれいになった
   去年よりずっときれいになった



で、今日は、朝から水分をたくさん含んだ雪が積もっていました。特に昨日の夕方から夜にかけての雪はすごかった。



 朝は、アイスバーン状態。おそるおそる昨日再びつけ直したスタッドレスタイヤ装備の車で学校に行きました。時間帯によっては、いつもの耶馬溪道も今日は、渋滞していたとか。また水分を含んで重い雪だったので、竹などが道路に倒れかかっているところも。水分を含んでいるということは、春の雪だからでしょう。生徒たちも事故なく無事に学校に来ることができてよかった。アイスバーン状態も太陽が出てくると、すぐに溶けました。




 
きれいな雪景色を見ることができました。遠くの山並みがきれいでした。



一方、雪が完全に溶けた時、おまちかねの春が来るのでしょう。

かったかくん流学級経営論・学力論⑧

2010年03月11日 | Weblog
 生徒たちが作成した新聞は、私の通信の中に載せます。子どもとの共同の新聞となります。ここまで来ると、書くことは苦にならなくなります。後で述べますが、私は、毎日通信を書いていました。子どもの通信と合わせれば、年間、800号近くになります。これをフラットファイルに閉じていくと、10冊くらいになります。



 そのときは、あまり感じなくても大人になったときには、かけがえのない子どもたちの歴史書になっているはずです。400字~800字などは、すぐに書けるようになっています。継続することの重要性を感じます。



 新聞は、帰りの会のときに必ず話題の一つにします。印象に残った記事、レイアウトが上手なこども・・・いろんな話を聞かせます。よいところは、みんなの前で理由を言いながら、しっかりとほめてあげます。



 そうすることで、子どもたちは自信ができます。また担当範囲外の子どもは、「あー、こんな風にかけばいいのか。」と自分の中に取り込もうとする子どもが出てきます。相乗効果を呼びます。記事の終わりに(文責○○)と名前を書いておけば、記事の内容にも責任ができますし、読む側からも誰が書いたのかわかります。お家の方は、頼もしく成長をしていく子どもの姿を見ることができます。



               
 学力をつけることは、単にドリルでトレーニングを進めていくだけでもいけませんし、授業数を増やすだけでもあがっていきません。「勉強するぞ」という環境づくりも大切な要因になります。つまり、畑は耕し、肥料を与えていなければ、いくら苗を植えてもしっかり成長をしていきません。教育もそれと同様です。



 今までの実践をすべてすることはできないと思います。しかし、意欲をみんなで高めていくクラス全員での取り組みを何か考えてみて下さい。するかぎりには、中途半端になってはいけません。徹底です。



日記を書くときも、
「何も書くことがない。」「今日はなにもなかった。」
とやる気のない言葉を書いてくる子どもがいます。最初は、一緒になってテーマを考えてあげます。怠惰でこのような内容が再三続く時は、指導が必要となります。もし、こんな些細なことを見逃す先生がいたなら、きっと、学級経営が雑に違いありません。その確率は高いです。先生は、性格はおおざっばでも、子どもの様子、行動、気持ちには繊細でなければならないといけないと思うのです。



 さらに、
「何を書こうかな。こまったな。ちょっと、考えています。・・・・」このような文章で制限字数を超える子どももいます。時には、その才能(?)に免じて許してあげます。しかし何度も繰り返すと、指導をします。




 次に文章表現のレベルをあげるために、「帰ってから、宿題をして、御飯を食べて、風呂に入って・・・。」と時間を追って文章を書く子どもには、「テーマを一つに絞って、詳しく書きなさい。」と言います。そうすることで、作文の中に事実だけでなく、自分の気持ちや意見を入れてきます。





「今日は、・・・。」という書き出しから、たいていの子どもたちは、書いてきますが、文章が上手になると、



「日記だから、(今日は)はいらないよ。違う書き出しをしてごらん。」



と言います。すると、会話文から始まる子どもも出てきますし、「先生、聞いて下さい。」から始まる生徒もでてきます。いろんなバージョンが出てきます。インパクトのある、書き出しになります。これで、文章力は、パワーアップです。



また、
「イラストも描いていいよ。」
と言うと、イラストが好きな子どもは、懸命に描いて持ってきます。綴っていけば、立派な本になります。生徒の歩みがしっかりとわかります。根気強く取り組ませる。



 いい機会のときにレベルを上げる指摘をすることで、短期間にきっと、
「子どもが変わってきた。」
というお家の方の声が聞こえ始めてくることでしょう。



 日記のことから離れますが、どう、わたしたちが、いいときにいいアドバイスを言えるのかが、先生という職業の妙技でしょう。先生の言葉によって、子どもたちが変わっていきます。


 子どもたちのことを思っても、私も言葉で子どもたちを傷つけたこともあります。全くそんなことはない先生もいないでしょう。でも反省をしながら、次の自分の実践を改善していっています。その失敗を生かすことが、謝ることと同時に、子どもたちへのお返しなのです。




 先生の言葉は、子どもを伸ばすことができるし、意欲を持たすこともできます。一方では、つぶすこともあるのです。そのくらい影響を持っています。学力をつけさせるためには、先生の姿勢が大きく左右していくのです。「今年の生徒は悪い。」そう思うならば、よくさせるのも先生の技なのです。



 都合のいい生徒だけのクラスはありませんし、悪いと思うなら、「よい」という子どもを育成していけばいいのです。



 新学習指導要領の中で、「表現力」が重要視されています。生活を綴っていくことがすべてではありませんが、間違いなく、「書く」ことに抵抗がない子どもたちになっていきます。


写真は、子どもたちが家に遊びに来たときのものです。

受験そして合格発表

2010年03月10日 | Weblog
 高校そして大学と受験そして合格発表のピークとなっています。

 先日、高校入試が行われました。朝出会った生徒たちは、緊張気味。「頑張ってくるよ。」という声。「合格祈っているよ。」と言葉を返しました。



 高校へは、3年生の先生たちが引率をしました。かったかくんは、本部として学校で待機。不測の事態に備えました。ほぼ、スムーズに受験をすることができました。それでも、どきっとすることも。


「集合時間になっているのに、まだ、○○さんが到着をしていません。」
 電話。まだ家にいる。いい度胸?!なんとかセーフ。


「受験が終わったのですが、受験番号を書いていないかもしれない。」
 なんと。さっそく受験高校の校長先生に電話連絡。まったく。



 しかし、まずは、みんな受験が終わりました。




 県立の特別支援学校は明日、他の県立高校はあさってが合格発表日です。みんながいい形で進路を決定して欲しいと思います。



 「受験ということは、初めてだったのですが、我が子としては、よく努力していたんですよ。ちょっと頼もしくも思ったけれど、でも心配です。通りますかね。」
とジャスコでお家の方と会ったときの会話です。



 この何日間が長いんですよね。でも、こんな緊張した経験も生きていく中で大切な時間ですよね。



 今、大学でも国公立の合格発表が行われています。最後の学年を担当した生徒たちが受験生となっています。ある生徒の合格発表が昨日ありました。親子で大学まで見に行ったそうです。勇気だ。



「先生、番号を見たときは、涙がでました。」



という言葉。お父さんやお母さんと一緒に感激の涙を掲示板の前で流したのです。こんなことは、一生忘れることのできない思い出ですね。そして、すぐにアパート探しをしたそうです。



 努力してきた生徒たちに悲喜こもごもではなく喜喜こもごもの春になって欲しいですね。
今日は、夕方から湿ったすごい雪。中津と日田の間の花月トンネルから日田側の坂の下まで車がつかえて3時間かかったそうです。名残り雪です。



 この寒さが過ぎれば、本格的な春が訪れます。

いざ、長崎へPARTⅡ

2010年03月09日 | Weblog
 そして、長崎ランタン祭りへ。新聞の旅行の広告では見たことがありましたが、見物するのは初めてです。どんなお祭りなのか興味津々でした。


一体「長崎ランタン祭り」って何?


このお祭りは、長崎在住の華僑の人々が、中国の旧正月(春節)を祝うための行事として始めたものだそうです。
もともと「春節祭」として長崎新地中華街を中心に行なわれていたとか。平成6年から規模を拡大し、長崎の冬を彩る一大風物詩となりました。


 期間中は、長崎新地中華街はもとより、浜市・観光通りアーケードなどの市内中心部に、約1万5千個にも及ぶランタン(中国提灯)が飾られ、湊公園をはじめ各会場には、大型オブジェが所狭しと飾られます。中国を思わせるような雰囲気を漂わせます。




連れ合いの両親は、昨年も行っているので、詳しいものです。
「皇帝パレードが行われている公園へ行こう。この時間は、中央公園ではなく、湊公園に皇帝パレードがきているはず。」
とまるで、長崎の人のように、案内をしてくれました。



 インターネットによると、
「清朝時代のお正月に皇帝・皇后がそろって町中に出かけ、民衆と一緒に新しい年を祝う様子をイメージして創作したパレード。皇帝・皇后の御輿を中心に、旗隊や槍隊など総勢約150名が豪華な中国衣装を身にまとってパレードします。」



ということでした。今回、皇帝になっていたのが、体操の世界選手権で金メダルをとった内村選手でした。華やかなものでした。



 湊公園は人でいっぱいでした。
夜なら、もっとランタンオブジェの電気できれいだと思うのですが、それでも異国情緒たっぷりでした。



 本物の豚の頭が祭られていた場所もありました。ちょっと、気味が悪かったのですが、珍しいので、お参りをする人でいっぱいでした。



 ふだんの生活を忘れての見物でした。日本と中国との歴史の深さを感じました。今、住んでいるところとは違った文化を見るのは、楽しいですね。そして、そこの歴史の背景を思い浮かべることができます。



心のリフレッシュができて、長崎の地からエネルギーをもらいました。
 有意義な長崎への旅でした。

いざ、長崎へ

2010年03月08日 | Weblog
先日、長崎に行ったときに、連れ合いの両親たちと観光をしました。長崎は、魅力ある街です。

 長崎は、江戸時代の唯一の外国の窓口になっていました。幕末の動乱期、坂本龍馬をはじめ、幕末の志士たちが賑わせました。原子爆弾の投下。常に悲喜こもごもの歴史を持っています。



 観光した日は、長崎ランタンフェスティバルの最終日の前日。そして、NHK大河ドラマの「龍馬伝」の人気があって、長崎は、どこに行っても観光客でいっぱいでした。



 まずは、長崎歴史文化博物館に行きました。たくさんの観光バスが乗り入れしていました。行列。観光コースになっています。博物館の中も充実しています。デジタル的な展示物、アナログ的な展示物・・・いろんな見せ場を作っています。食い入るように見て回りました。


 いろいろな企画から幕末の様子を学ぶことができるようになっています。歴史の深さを肌で感じました。中で、龍馬的な服も着させてもらいました。ちょっと動乱の幕末の人になったような気がしました。



 亀山社中は1時間並ばなければならないということであきらめました。そして、ランタンフェスティバルが行われているメイン会場の港公園に車を走らせました。

輝跡を残して下さい

2010年03月07日 | Weblog
金曜日は、中学校の卒業式でした。80名の卒業生が巣立っていきました。卒業式に向けて、生徒会を中心に取り組みをしてきました。


「道~一歩一歩輝跡を残して」というテーマで取り組みをしてきました。準備も生徒たちは遅くまでがんばりました。一方、卒業生は、練習そして、9日から始まる県立一次入試に向けての受験学習の追い込みに努力をしてきました。


 卒業証書を受け取る生徒一人ひとりの顔をしっかりと見つめていました。わずか一年でしたが、それぞれの生徒にいろんな思い出と思いがあります。みんな真剣なちょっと緊張した面持ちで証書を校長先生から受け取っていました。



 たくさんのお家の方が、会場につめかけ、生徒たちの門出を祝福していました。卒業にあたりいろんなところで文章を書く機会がありました。



 下の文章は、卒業文集に書いたものです。躍動感あふれる卒業生でした。いろんな感動的なシーンを見せてもらいました。






 そして、PTAの広報新聞の記事が次のものです。
『卒業おめでとうございます。わずか1年間の縁でしたが、みなさんの活躍は脳裏にしっかりと刻み込まれています。



生徒会活動、歓迎遠足、体育大会、合唱祭、部活の試合・・・躍動感のある活動をしていました。特に、体育大会で、後輩たちをリードしていく姿は、頼もしい限りでした。

 
                                   
義務教育が終わり、これから80名の進路は違ってきます。夢や目標の実現に向けて進んでいきます。その中で、さらに優しさを持ち合わせた人になって欲しいと思います。



優しい風が吹くと、お互いの心が温かくなります。夢を追いかけていく中での原動力になると思います。また感動を、感謝を、過ちを言葉にすることも大切です。体温のある言葉をたくさん使えば、幸せを感じる時間も増えていくと思います。人を大切にする心はきっと皆さんのまわりにいる人たちを温かく包んでいきます。挫折したときでもたくさんの人が支えてくれるでしょう。



5年後の成人式の時に、みなさんは集います。そのときに、いっぱいみんなが歩いている道を語り合って下さい。輝いた未来であることを心から祈っています。』





 卒業式が終わり、最後の学活が終わってから、在校生全員で見送りをしました。いい笑顔と涙で卒業生は巣立っていきました。

昼からは、第二部の卒業式がありました。これもぐっと来るような感動を覚えました。

明日は卒業式です

2010年03月04日 | Weblog
明日は、いよいよ中学校の卒業式です。今まで、生徒会を中心に準備、そして卒業式の練習に取り組んできました。中学校の卒業生にとっては、この卒業で義務教育が終わります。これからは自分で進路を決めていかなければなりません。本当に節目の時です。だからこそ、旅立ちに祝福を送りたいし、この卒業式を大切にして欲しいです。



 今日は、職員室は賑わいました。というのは、卒業アルバムをもって生徒たちがやってきました。卒業アルバムの中に、フリーページがあります。そこに友だち、先生たちからメッセージを書いてもらうのです。思い出のアルバムになります。


「先生、メッセージを書いて下さい。」
と、言ってきます。中には、
「先生、書きたい?」「書かせちゃろうか。」
まったく・・・。


 その生徒のイメージとか思い出などを書きながら、握手をします。



 それは、そうと、こんなことがありました。放課後、明日の祝電の読む練習をしていました。「自分の道を見つけて・・・」という言葉がありました。

その「自」という字が字体の関係で本当に「百」にみえたのです。「百分の道ってどう読むのかな。」と聞きました。


「先生、そりゃ、自ですよ。自分の道ですよ。先生~。しっかりして下さいよ。」
と言われ、まわりにいた先生から嘲笑を食らいました。くそお~~。「それは、今言ったからの結果論でみんなも初めて見たら、絶対に百と思うよ。」と言い返しました。



で、職員室に入ってきた先生に「ここんとこの文章ちょっと読んでみてくれないかなあ。」と言いました。「ひゃくぶん・・・」やっぱり。


次に他の先生が来ました。「ひゃく・・・。」ほれ。


極めつけに国語担当の先生が来ました。「ひゃくぶんのみち」まあ、どうでもいい話ですが、うれしかったです。しっかりしていないのは自分一人ではなくてよかった。プライド?!が保たれました。



卒業生80名。いろんな思いの中で、思い出多い卒業式になると思います。

花粉とのデッドヒート

2010年03月03日 | Weblog
春になりました。この季節は冬からの脱出の喜びとともに花粉症との戦いでもあります。鼻が詰まる、鼻水がでる、のどが痛い、目がかゆい・・・いろんな症状で敵の花粉に苦しめられます。同じ職場の中でも、かなり重症な人もすでにいます。




 昨年は、インフルエンザが流行して、学校の生徒全員がマスク着用ということで、わずかながらに症状が出てくるのが遅れました。マスクの効果ですが、でもこの時期は、少々症状が出ていました。


鼻マスクを使用しました。しかし、時間が経つにつれて下に落ちてきます。だから人と話しているときに鼻の穴の中から白い物が見えてきます。こりゃ、恥ずかしいや。


また明治がつくるLG21というヨーグルトがいいというと、毎日のように食べていました。昨年は、このCMがあってからは、LG21が店頭からなくなっていた時期もありました。単身赴任をしていたアパートの冷蔵庫には、このヨーグルトがいっぱい入っていました。しかし、LG21より花粉症が間違いなく強かった。発症は引き延ばしたものの、それもわずかな期間でした。またたく間に重症状態に。





 そして、今年。まず、昨年買った空気清浄機を家で使っています。でもあまり効果はなさそう。その部屋はいいけど、他のいろんな部屋に行きますからね。



できるだけ薬は飲みたくないと考え、次の作戦。まず甜茶。学校にティーパックを持って行っています。ときどき飲みます。



テレビのCMでエーザイから販売されている「クリスタルヴェール」を使用。宣伝ではイオンの力で花粉などの進入を防ぐと書いてあります。いつか花粉とこの薬で実験をしてみたいと思いますが、鼻の穴のまわりに塗ります。
このせいなのかなあ。この時期になってもまだ花粉症の症状が時々出るくらいです。一日に4回くらい塗ると書いています。朝、昼、晩、寝る前の4回すれば、常にマスクをしている状態になるのかな。今のところ効果大だと思います。



 お家の方が言っていたのですが、ちょっと値段がお高いのですが、第一三共のエージーノーズクールという点鼻薬が効き目があるそうです。良いと聞けば、早速それを使っています。

 朝、起きたときに少し悪いのでそのときだけ使っています。確かに効果はあります。しかし何となく眠たくなります。副作用にもそのことが書いていました。寝てはいけないときに眠くなります。使う時間に注意かな。



 そんなこんなでまだ、花粉症とデッドヒートの争いをしていますが、こちらがややリードです。いつまでもつことか。一度悪くなると、梅雨が始まるまで悪いので、できるだけ引き延ばしたいなあ。 



 何事もチャレンジが大切?!いいと聞けば、とにかくあらゆるものを試しています。写真は敵の杉花粉です。

おめでとう!高校卒業式

2010年03月02日 | Weblog
 今、各地で高校の卒業式が行われています。中学校で担当をした最後の学年が卒業をしていきます。大分合同新聞にその様子が出ていました。早いものであれから3年の年が過ぎていきました。時々見かける生徒たちの姿が本当に頼もしくなっていきます。それがとてもうれしく感じます。



 先日は、高専に行った生徒二人と話す機会がありました。5年間なので、卒業はしないけれど、充実した生活を送っているようです。



 大分合同新聞をみると、いろんな生徒が表彰されていました。見ると、「全国看護高校長協会賞」「3カ年皆勤」「全国工業高校長協会ジュニアマイスター顕彰」などを受賞した生徒、また卒業証書を受け取った生徒など、卒業生の名前が出ていました。




「無事、卒業したことがうれしく思います。」とあるお家の方からメールをもらいました。やっぱり一番なのは、健康で、3年間がんばって学んだことですね。


電話で、「今、大分のパークプレイスにいるよ。」と生徒たち。卒業したら、県の学科試験を受けて自動車の免許がもらえるのです。「合格して、今日免許もらった。」とうれしそうな声。でもあぶないなあ・・・・?!



それぞれの進路の中で、目標をもって歩いていって下さいね。
写真は、当時同じ学年の先生と生徒の進路先の高校の卒業式に送ったメッセージです。

最後のPTAの会議

2010年03月02日 | Weblog
 土曜日、県PTA研究大会中津大会が開催をされました。勤務する中学校のPTA会長さんがこの実行委員長になっています。この大会を開催するためにみえないところで何度も会議が持たれたり、いろんな渉外をしてきました。いつも前向きに活動している姿にたくさんのことを学びます。しかし、大会には、慶事があって参加することができなく申し訳なく思っています。



 先日、学校の今年度最後のPTAの会議がありました。この一年、PTAのいろんな行事や出来事がありました。たくさんのすばらしい思い出ができました。


 会長さんをはじめ、役員の方を中心にまとまりのある活動となりました。前任校から赴任をしてきて、いろんなことで不安がありました。役員さんをはじめ多くのお家の方たちに支えられてきました。


 不安が元気となっていきました。PTA活動については、なんとか事務局を務めてきました。わからないところは気軽に教えていただきました。まだまだ今年度が終わっているわけではないので、残務処理があります。最後までがんばらないといけません。



 またいろんな学校の活動に対しても、協力そして、支援をしていただきました。ふだんからしっかりと学校のことを気にかけてくれていました。子どもたちのことで相談することがあったら、すぐに対応をしてくれました。  



 思い出に残るのは、今年度になって最初の頃です。ある出来事があり、休みにも関わらず、生徒のことで真剣に考え、話し合い、一番いい方法を考えて下さいました。おかげで、生徒も本当にいい形で過ごすことができています。まとまりをもって取り組みをすることができました。 

   
 三役の方は、会長さんをはじめ6名います。みんな優しく心配りができる方たちで、執行部の活動以外でもそれぞれの専門部で活躍をしていただきました。感謝しています。



 役員の方は、来年度のPTA総会までが任期です。それまでお世話をしていただきます。あと少し、よろしくお願いします。

 
 写真は、最後のPTA委員会のものです。