かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

ゆずり葉なんだ

2010年05月14日 | Weblog
校庭の若葉がまぶしく感じらます。初夏の訪れをしっかりと体に感じます。初夏の風もさわやかです。外に出ると、うんとさわやかな気持ちにさせてもらえる季節です


「先生、この木の緑の葉がどんどん落ちるんですよね。枯れているんですかね。」
と聞かれました。



確かに校門付近の一本の木の下は、たくさんの緑の落ち葉でいっぱいです。はわいても次の日には、また落ちています。


 どうしてだろう・・・と思っていると、ある先生が、
「それはね、ゆずり葉なんですよ。」
と教えてくれました。


 ゆずり葉。聞いたことがありますが、実際にゆずり葉としてじっくりと見たことがありません。そうか、これがゆずり葉の木なのか。

 
 小学6年生を担任したときに、「ゆずり葉」の詩の指導をしたことがあります。ゆずり葉の名前は、春に枝先に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉することからつけられたそうです。次の葉のために、落葉をしていくのです。次の世代へと命をゆずっていくのです。


 詩を読んでいくと、生命を譲っていく・・・なんとなくちょっとロマンチックでちょっとせつなくそんな気持ちにもなります。そして、命をつなぐ愛情も感じます。



ゆずり葉       河井 酔茗    

子供たちよ
これは譲り葉の木です。
この譲り葉は
新しい葉が出来ると
入り代ってふるい葉が落ちてしまうのです。


こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちを譲って――。



子供たちよ
お前たちは何を欲しがらないでも
凡てのものがお前たちに譲られるのです。
太陽の廻るかぎり
譲られるものは絶えません。



輝ける大都会も
そっくりお前たちが譲り受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど――。



世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちに譲ってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。



今、お前たちは気が附かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が附いてきます。



そしたら子供たちよ、
もう一度譲り葉の木の下に立って
譲り葉を見る時が来るでしょう

絵本の紹介が新聞に

2010年05月12日 | Weblog
5月12日(水曜日)の朝刊を見ていると、姉の書いた絵本が紹介されていました。なんとなくほのぼのとするストーリーです。出版するのは大変と思いますが、また次の作品も楽しみにしています。

母の日に

2010年05月11日 | Weblog
先日の日曜日は、母の日でした。以前は、母の日には、いろんなプレゼントをして、母も喜んでくれていました。しかし、今は、母に話しかけることが母への贈り物だと思っています

この間の日曜日は、母の日でした。日田で講演会が行われました。あまり遅くなると、夕飯とがちあってしまうので、少し、講演会を抜け出して、母のところに行きました。


 風呂上がりの母は、気持ちよさそうな顔をしていました。
「会いにきたよ。」
と言うと、少しだけ目を開けて迎えてくれました。持って行ったお菓子を食べさせながら、話しかけました。時には、話が伝わり、母の顔の表情も少しゆるんだような気がしました。


母の日に、姉たちからも贈り物が届いていました。なかなか話が通じなくてもみんなにとっては大切な母なのです。

 先日は、姉たちが母のところを訪問してくれて、ご飯を食べさせてくれていました。孫の子どもたちも一緒に母のところに行ってくれました。


 病気をしていても、親って、いるだけで存在感があります。いるだけでいいのです。父が床に伏していても、父の偉大さがありました。あたたかく母と育ててくれたことへの感謝の気持ちでいっぱいです。だから、母には、いつまでも父の分までも長生きをして欲しいと願っています。



 連れ合いにも、子どもたちみんなからプレゼントをもらっていました。とてもうれしそうでした。いい時間の流れも、ときには、よどんだ中での時間も過ごすこともあるでしょう。でも関わりを大切にしながら、家族の絆を深められたらなあと思います。

 出典はわかりませんが、ある詩集からです。



何年ぶりだろう         母と、この道を歩くのは
この道は、いつか        小学校へ通った道
ゆっくりと坂道をあがる母    爪先を見つめるように歩く



その背中が、また小さくなった  僕の口から言えないけれど
あなたの人生          これで良かったのですか
いつの時代も苦労ばかりで    家族の為に生きてきた



これからは           あなたの為に生きてください
誰のためでもなく        あなたの為に




気候の違いを感じながらの話し合い

2010年05月09日 | Weblog
 季節は、移り変わっています。昨日、大分に行きました。そのときに感じたのです。なんと半袖姿の人たちがほとんど。まだ家なんかこたつを入れています。場所によって、こうも気候が違うのですね


昨日は、大分県学校心理士会の総会と研修会が大分大学で行われました。人数は少ないのですが、大学の先生や校種が違った先生たちが集まっての会なので、いろんな角度から学ぶことができます。

 かつて大分大学実践教育総合センターの客員研究員をしていたときに、センター長をしていた大分大学心理科の先生から勧められて、資格を取得しました。また違った角度から、生徒を見つめることができ、感謝をしています。


 県内のいろんな学校はもちろん、大分大学、日本文理大学、別府溝部学園短大などの先生ともネットワークができ、研修することができます。地方にいる者にとって、時には、ハイレベルな話も刺激があります。是非おすすめの資格ですね。


 そういったことで、昨日は、久しぶりに大分に行きました。歩いている人たちは、半袖の人が多かったです。また会場にも半袖姿の方もいました。


「先生、暑くないですか?」


と言われました。確かに。なんと家はまだ、朝晩はこたつを入れています。また背広で行ったので、汗が出ました。あいさつを頼まれていたので、気候のギャップについて話をしました。しかし、研修では、講師の社会福祉士の方が宇佐から来られていて、同じようなことを言っていました。ちょっとほっとしました。



 高校時代、中津市内に下宿をしていました。そのときに、中津では、扇風機をつけなければ、暑く感じても家に帰ると、まだこたつが必要・・・ということがありました。ちょっとの期間であるけれど、中津市内でもそのくらい気候が違う時期があります。



 昨年もブログに書きましたが、日田の気候です。日田市内の先生たちがよく言っていました。「日田は、冬の次は春がなくて夏ですよ。」たしかに。5月に30度を超える真夏日があります。


 同じ大分県でも温度差があります。



 もちろん、今日の夜もこたつは、必要です。


PTA活動の新たな出発

2010年05月07日 | Weblog
 新年度、PTA活動のスタート。30日に三光中学校のPTA総会が行われました。たくさんのお家の方が参加をしてくださいました。その中で、充実した時間を過ごしました



 新学期、いろんなレジメを作成します。その中でもPTA総会のレジメは、時間がかかります。一年間のいろんな活動をまとめたり、これからの活動計画を立てたりします。昨年度末から、PTA会長さんを中心に今年度のPTA活動がスムーズにいくように話し合いを持ちました。


 昨年度の反省と今年度の計画を立てるためにいろんな会議がもたれます。そして、議案書の中に入れていきます。総会の議案を作成するためには、多くの人の会議の参加と話し合いが必要となります。昨年度から少しずつ準備を進めてきました。



 そしてようやく総会が終わりました。ちょっとほっとしました。



 新しい役員の方が、今年度の三光中学校のPTAをリードしていきます。これまで、本当に三光中学校の子どもたち、そして、PTA活動のために活躍をしてくれた三役の方に心から感謝しています。



 会長さんには、申し訳ないほど何度もいろんな相談をさせてもらいました。会長さんは常に子どものことを中心に据えて行動をしてくれました。そのスタンスに保護者の方から厚い信頼がありました。そして、会長さんは、中学校の活動を卒業していきました。寂しく感じます。



 しかし、会長さんたちが創ってくれた家庭と学校との連携の流れを継承していかなくてはなりません。役員をしてくださったお家の方、ありがとうございました。



 そして、新しい役員の方々、これからよろしくお願いします。

GWの我が子の野球観戦

2010年05月06日 | Weblog
我が子の野球の試合。GW中に飯塚であったので、見に行きました。GW中は、天気もよくスポーツするには、もってこいのコンディションでした。でも・・・飯塚は鬼門です・・・


GW・・・。どこにもほとんど行っていなかったのですが、3日、4日に飯塚で我が子の野球の試合があるというので、楽しみにして行きました。めったにこんな近い場所で公式戦はありません。子どもが所属しているのは、大学の準硬式野球クラブチームです。


 学年も上がっているので、プレーイングマネージャーとしてがんばっていました。相手は、福岡の大学です。常に、リードをしながら、試合は展開していきました。ちょっとした打撃戦となりました。


 最終回。2点差。これで抑えれば勝利です。しかし、試合の流れは、セカンドが平凡なフライを落とし、得点。いやな雰囲気。そして、サードゴロ。やっとアウトと思ったら、なんとなんと悪送球。これでもって、サヨナラ負け。いっぱい写真を撮って、いっぱい応援をしただけど、しょうがない。



 2日間の試合で、1日目の応援をしました。子どもとはちょっとだけ話をしてから帰りました。



 ところがその2日目のこと。朝は学校で仕事をしていました。午後からは結婚式。ところが学校にいるときに連れ合いから、電話。「今、救急車で運ばれているとマネージャーから電話があった。」というのです。鼻の骨が折れているかも知れない・・・どきっ。しかし、結婚式もあるので、行くことはできず、連れ合いが行ってくれました。



 ゴロでセンター前に抜けるあたりを、ショートを守っている子どもとセカンドがお互いにダイビングしてキャッチを試みます。しかしそのときに、セカンドの頭が、子どもの鼻を直撃。かなりの出血と腫れ。審判の判断で、救急車。しかし、検査の結果、骨には異常がなく打撲という診断。また大学に戻って、CT検査の結果も異常なし。よかった。



 飯塚の球場は、昨年の夏もここで盗塁の際に交錯をして手の骨を折っています。鬼門の球場です。他ではけがなしですが、飯塚の球場では、2回して2回ともけが。まったく・・・。この球場は、人工芝の球場で立派です。そんな球場でけがをするのだから、技術に問題?




 でも我が子が救急車で運ばれていると聞いて、状態もわからず本当に心配でした。周りのチームメートにたくさん心配をかけたのでしょう。
 ありがとうございました。

たかひろくん、これからもお幸せに

2010年05月05日 | Weblog
たかひろくんの結婚式。たかひろくんの家族とは、とても関わりが深いです。お姉さんは小学校6年生の時の担任。おにいさんとたかひろくんは、中学校の時の野球部の顧門。そして、昨日、一番下のたかひろくんの結婚式でした



GWも終わりに近づいています。昨日は、本耶馬渓中学校時代の野球部の生徒であった、たかひろくんの結婚式でした。


 中学校時代、お兄さんの影響も受けて、野球部に入部。チームのムードメーカーであるとともに、どこのポジションも守れるというマルチなプレーヤーのたかひろくんでした。だれからも愛されて、そして、学校生活そして、部活動に燃えたたかひろくんでした。



 地道な努力をして自分の力をつけてきたお姉ちゃんやお兄ちゃんとはまたちょっと違って、こうだと自分で決めたら、結果をおそれずに行動で押していったたかひろくんでした。


 型にはまらない性格ですが、目標と熱い気持ちをもってがんばっていきました。そんなたかひろくん。今日の式でもたくさんの友人がお祝いにかけつけていました。


 たかひろくん家族には、何かにつけていろいろお世話になりました。小学校時代担任をしたときは、もちろんのこと、お兄ちゃん、そしてたかひろくんの野球の試合の時は、いつもお父さんが応援に駆けつけてくれました。そして、生徒の輸送の車をだしてくれました。


今でもお父さんと子どもたちには、時間が経った今、いろんな野球の思い出が心のアルバムとなっています。



 子育てをしていく中で、思うことがあるんですよね。部活の試合は、やはりできる限り見に行ってあげるべきと思うのです。成長していく過程を見ることができます。頑張っている姿を見ることが、子どもたちが大人になったときに、お互いに子どもたちが創った感動が残っているのです。


見に行っていなければ、子どもたちが大きくなったときにもそこの話はできません。今日お父さんが、「お兄ちゃんで3年間、たかひろくんで3年間、野球で一生懸命になっている姿を見続けることができました。」と話していました。たくさんのドラマを子どもとともに、共有できているのです。



 幸せ一杯のたかひろくんでした。あのとき、培った強い気持ちをこれからの新しい家庭を創る中で、生かしていって欲しいと願います。



 ここまで育ててくださったお父さん、お母さんのためにもいっぱいいっぱいあったかい家庭をつくっていってください。

社会で活躍中の生徒たち

2010年05月04日 | Weblog
教えた生徒たちのがんばりがエネルギーに変えられることが多いです。昨晩は、一緒に食事をしながら、元気をもらうことができた夜となりました


「ゴールデンウィーク、みんなが帰ってくるので、一緒に食事をしよう。」
と卒業生のAさん。短大を出てから、保育士として子どもたちのために頑張っています。中学生の時から、駅伝やいろんなことに本当に、みんなが活動しやすいように心配りをしてくれていました。



 印象的だったのは、休みの駅伝の練習の時に、選手一人ひとりにおむすびを作って来てくれました。一個一個をラップで包み、それにリボンを結んでいます。選手たちも大喜びでした。

「ひとつずつ ラップに包んだ おむすびの
              リボンをほどき 優しさ感じ」



昨晩は、その当時の仲間たちとの居酒屋で食事会です。中学校を卒業してから数年が経ち、保育士、自衛官、看護師などと社会で活躍をしています。お酒も入りながら、いろんな話を聞かせてくれました。恋愛、仕事・・・。


 働きながら壁にぶち当たり、苦しかった時の様子。それを乗り越えていく様子を聞きました。そこには、家族、上司・・・いろんな人が支えになってくれていました。


いろんな生徒の話を聞きながら、元気をもらうことができました。医療の道に進んでいる生徒が、電話で消防士になっている友だちと話しているのを聞いていると、いろんな話もでてきましたが、
「どんな機材が救急車の中にあるのか、教えてね。」
という言葉。優しい笑顔の中にも、熱いエネルギーを垣間見ます。



 自衛官で医療の方に進んでいる生徒は、自分が怠けようとしている気持ちが出た時は、頭の中に、家族とか周りにいる人を自分が守らなければならないという気持ちが出るそうです。そのために、またトレーニングを続けるそうです。


 人は、必ず、壁にぶつかるときがあります。乗り越えるために、人に相談することもあるでしょう。時間が解決をすることもあります。また自分が生きていく方向性を変えることもあるでしょう。
 いろんな経験を積んで、さらに頼もしくそれぞれの道を歩いている生徒たちと、語り合うことができた時間は、自分にとって、嬉しくもあり、元気とファイトをもらいました。
 
 

あるブログの中で、
「今の自分は過去の自分が
今の自分は未来の自分を」
と書いていました。きっと生徒たちの未来もうんと充実したものになっていくのでしょう。

 時間の経つのも忘れて、夜中まで会話を弾ませました。
 



優くん、おめでとう

2010年05月03日 | Weblog
ちょうど10年前、最後のクラス担任。やっぱりクラスをもてることが、先生をしているときに生徒たちとたくさんのいろんなドラマを共有することができます。その生徒の中に優くんがいました。昨日は、優くんの結婚式でした


「先生、2日はよろしくお願いします。」何度か優くんから電話がありました。最後の担任は優くんたちでした。何かにつけていろんな思い出がよみがえってきます。そんな中で、優くんの結婚式に行ってきました。



 行くと、ゆうたくん、いっこうくん、じゅんくんなど懐かしい顔がありました。式前に優くんに会いました。久しぶりに会う優くんは、またいちだんと頼もしくなっています。


 優くんは、中学1年生の時と、3年生の時に担任をしました。また、小学校勤務時代も担任はしませんでしたが、低学年にいました。だからいろんな思い出がたくさんあります。


 あたたかな家庭の中で、まっすぐに成長していきました。優くんが生徒会長で、老人施設訪問などを行っていったこと、サッカーのゴールキーパーとして毎日遅くまで泥だらけになりながら練習をしていたこと、合唱祭のクラス合唱で、みんなでカーペンターズの「イエスターディワンスモア」を英語で歌い上げたこと・・・祝辞の中で、優くんがリードしてくれたことを話していきました。



 何かにつけ感動があった結婚式でした。それは、優くんとお嫁さんになるあきこさんが、結婚式に『感謝』というテーマを持っていたことです。それは、新郎新婦お互いに対して、新郎新婦の親に対して、家族に対してはもちろん、結婚式に来ているすべての人たちに対しても同じです。


 結婚式の最初から、披露宴の終わりまでそれが貫かれていました。優くんたちらしいぐっと来るサプライズな計らいがたくさんありました。
 

 お嫁さんに対しては、優くんが一緒につけていたリングを内緒で、ペンダントにしてあげていました。言葉をつけてのプレゼント。また5月には、お嫁さんのあきこさんの誕生日。優くんがスポンジケーキを買ってきて自らの手づくりのケーキを作っていました。
 


 あきこさんは、大阪に優くんがいるので、準備の多くは、あきこさんがしています。でもいろんなとまどいがあったと思います。優くんに対しての思いは、熱いものがありました。
 

 優くんにあてた手紙、そして、文字入りの大きなクッキーを焼いていました。それは、ホワイトデーに優くんからクッキーをもらったうれしさからクッキーを焼いたというのです。



 優くんたちのおじいちゃんやおばあちゃんには、自分たちを成長させてくれたお礼を伝えました。おばあちゃんの席まで行って、言葉を述べていました。おばあちゃんたちの目から涙がこぼれていました。スライドの中にもたくさんの写真とお礼の言葉がはいっていました。



 お父さん、お母さんに対しても言葉、スライドの中で伝えていました。親を大切にしているという気持ちが来ている人たちにも伝わってきました。きょうだいたちにも同じです。きょうだいたちもしっかりと結婚式そして、披露宴をサポートしていました。私たち一人ひとりにカード一杯にていねいな優くんの独特な字でお礼の言葉が書かれていました。読みながら感激をしました。




今度の結婚式に、優くんのおじいちゃんにぜひ出席をしてもらいたいと願ったふたりでした。しかし、それをかなえることなく他界してしてしまいました。きっと二人の幸せな姿を天国から見守っていたことでしょう。


おじいちゃんが、自筆で卒業文集に、
「若いときは、二度とない。頑張れ!人の痛みをわかる人になって下さい。」
とコメントしていました。優くんは、おじいちゃんの願う人に十分になっていますよ。名前の如く、いろんな人に気遣えるうんと、「優しい人」になっていますよ。



 これからうんとうんと幸せな家庭を築いていってくださいね。初夏の爽やかな風が吹いた会場でした。



うれしい来校者

2010年05月03日 | Weblog
突然の学校訪問。うれしく感じます。先日、教えた生徒のひろきくん夫婦が夕方、学校を家族で訪れてくれました。子どもさんも大きくなっていました。いつまでも縁が持てることをうれしく思います

30日は、PTA総会でした。総会が終わり、ちょっと、ゆっくりしていると、ひろきくんから電話。

「今から帰省をするけれど、学校にいっていいかなあ。」


という電話。本耶馬渓のの家まで家族みんなで里帰り。やってくるのを楽しみに待っていました。夕方、ひろきくん家族が学校にやってきました。ひろきくんの子どももとても大きくなっていました。びっくり。



 愛情をたっぷり受けていることがよくわかる表情をしています。昨年、生まれてしばらくしてから大分の家まで行ったことがあります。その時以来のひろきくんの子どもとの再会でもあります。


偶然にもひろきくんの同級生の先生が三光中学校にもいました。一緒に話をしました。



「ひろきくん、何年前担任やったん。」と徳永先生。数えてみると、もう25年前にもなります。小学校5、6年生の担任でした。教えたときもそれからも数え切れないいろんな思い出があります。なかなかみんなが会う機会は減っていますが、クラスのみんなが今でもしっかりと繋がっています。そして、それぞれが仕事に頑張っています。

いろんな用事ができてゆっくりと話はできなかったのですが、懐かしい時間でした。




 今は、廃校になった小学校ですが、小さな田舎の小学校で過ごした思い出は、大切な宝となっています。