校庭の若葉がまぶしく感じらます。初夏の訪れをしっかりと体に感じます。初夏の風もさわやかです。外に出ると、うんとさわやかな気持ちにさせてもらえる季節です






「先生、この木の緑の葉がどんどん落ちるんですよね。枯れているんですかね。」
と聞かれました。
確かに校門付近の一本の木の下は、たくさんの緑の落ち葉でいっぱいです。はわいても次の日には、また落ちています。
どうしてだろう・・・と思っていると、ある先生が、
「それはね、ゆずり葉なんですよ。」
と教えてくれました。
ゆずり葉。聞いたことがありますが、実際にゆずり葉としてじっくりと見たことがありません。そうか、これがゆずり葉の木なのか。
小学6年生を担任したときに、「ゆずり葉」の詩の指導をしたことがあります。ゆずり葉の名前は、春に枝先に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉することからつけられたそうです。次の葉のために、落葉をしていくのです。次の世代へと命をゆずっていくのです。
詩を読んでいくと、生命を譲っていく・・・なんとなくちょっとロマンチックでちょっとせつなくそんな気持ちにもなります。そして、命をつなぐ愛情も感じます。
ゆずり葉 河井 酔茗
子供たちよ
これは譲り葉の木です。
この譲り葉は
新しい葉が出来ると
入り代ってふるい葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちを譲って――。
子供たちよ
お前たちは何を欲しがらないでも
凡てのものがお前たちに譲られるのです。
太陽の廻るかぎり
譲られるものは絶えません。
輝ける大都会も
そっくりお前たちが譲り受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど――。
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちに譲ってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。
今、お前たちは気が附かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が附いてきます。
そしたら子供たちよ、
もう一度譲り葉の木の下に立って
譲り葉を見る時が来るでしょう







「先生、この木の緑の葉がどんどん落ちるんですよね。枯れているんですかね。」
と聞かれました。
確かに校門付近の一本の木の下は、たくさんの緑の落ち葉でいっぱいです。はわいても次の日には、また落ちています。
どうしてだろう・・・と思っていると、ある先生が、
「それはね、ゆずり葉なんですよ。」
と教えてくれました。
ゆずり葉。聞いたことがありますが、実際にゆずり葉としてじっくりと見たことがありません。そうか、これがゆずり葉の木なのか。
小学6年生を担任したときに、「ゆずり葉」の詩の指導をしたことがあります。ゆずり葉の名前は、春に枝先に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉することからつけられたそうです。次の葉のために、落葉をしていくのです。次の世代へと命をゆずっていくのです。
詩を読んでいくと、生命を譲っていく・・・なんとなくちょっとロマンチックでちょっとせつなくそんな気持ちにもなります。そして、命をつなぐ愛情も感じます。
ゆずり葉 河井 酔茗
子供たちよ
これは譲り葉の木です。
この譲り葉は
新しい葉が出来ると
入り代ってふるい葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちを譲って――。
子供たちよ
お前たちは何を欲しがらないでも
凡てのものがお前たちに譲られるのです。
太陽の廻るかぎり
譲られるものは絶えません。
輝ける大都会も
そっくりお前たちが譲り受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど――。
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちに譲ってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。
今、お前たちは気が附かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が附いてきます。
そしたら子供たちよ、
もう一度譲り葉の木の下に立って
譲り葉を見る時が来るでしょう