冬を越え桜菜の花咲く春に
夢の一歩をつかんでほしい
いろんな行事が次々と行われた一日でした。一つのことをしかけた時に、違う用事が入ってきたりして、時間に追われた時もありました。、3年生に向けた進路決定に向けた取り組みも2つあり、一つひとつが大切な時間でした。
午前中は、中学校・高校の連絡会がありました。今、いろんな高校で連絡会が行われています。入学試験に向けて、高校から具体的な提案がなされます。来週も違う高校で開催され、まだまだ連絡会が残っています。3年生に先生と一緒に出席します。
今日の高校では、「学校紹介」ということで、2名の代表がスピーチをしました。その中の一人が三光中学校のYくんでした。中学校時代からも自分の考えをしっかり持っている生徒でした。高校でロボットコンテストなどに参加して、テレビにも出演したことがあります。
物事に一生懸命に取り組む生徒でした。進路先も決まっています。中高連絡会での突然のYくんの登場でした。経験の基づく話に聞き入りました。話の内容と、Yくんの頼もしさ、たくましさに感動しました。
学校に戻って、午後からは、生徒・保護者対象の「入学試験説明会」を行いました。たくさんのお家の方が来校してくれ、来年1月から始まる高校入試について、具体的な説明会を行いました。
1月の中旬から入試が始まります。私立推薦入試、一般入試、2月は、公立推薦入試、3月は、公立一次入試と続きます。
説明会にあたって、
○今、生徒たちは、いろんな活動に頑張っていること。例えば、合唱祭の取り組み、台覧相撲、駅伝大会の生徒の活躍を紹介しました。
○授業や、三光タイムなどで、生徒たちがみんなで頑張っている様子を伝えました。生徒、お家の方、学校と一体となって受験という壁を乗り越えましょう。
などと話をしました。
11月には、学力診断テスト、三者面談が行われます。一つひとつのテストが受験をと思い、それに向けて日々の努力を続けて欲しいと願っています。
今、生徒たちからもいろんな相談があります。生徒たちなりにいろんな悩みを持っています。また今日も説明会が終わった後、担任の先生たちに、お家の方たちが相談する姿を見かけました。
入学試験に向けての取り組みもいよいよ終盤を迎えます。3年生一人ひとりの生徒が、すばらしい春を掴んでもらいたいですね。
夢の一歩をつかんでほしい
いろんな行事が次々と行われた一日でした。一つのことをしかけた時に、違う用事が入ってきたりして、時間に追われた時もありました。、3年生に向けた進路決定に向けた取り組みも2つあり、一つひとつが大切な時間でした。
午前中は、中学校・高校の連絡会がありました。今、いろんな高校で連絡会が行われています。入学試験に向けて、高校から具体的な提案がなされます。来週も違う高校で開催され、まだまだ連絡会が残っています。3年生に先生と一緒に出席します。
今日の高校では、「学校紹介」ということで、2名の代表がスピーチをしました。その中の一人が三光中学校のYくんでした。中学校時代からも自分の考えをしっかり持っている生徒でした。高校でロボットコンテストなどに参加して、テレビにも出演したことがあります。
物事に一生懸命に取り組む生徒でした。進路先も決まっています。中高連絡会での突然のYくんの登場でした。経験の基づく話に聞き入りました。話の内容と、Yくんの頼もしさ、たくましさに感動しました。
学校に戻って、午後からは、生徒・保護者対象の「入学試験説明会」を行いました。たくさんのお家の方が来校してくれ、来年1月から始まる高校入試について、具体的な説明会を行いました。
1月の中旬から入試が始まります。私立推薦入試、一般入試、2月は、公立推薦入試、3月は、公立一次入試と続きます。
説明会にあたって、
○今、生徒たちは、いろんな活動に頑張っていること。例えば、合唱祭の取り組み、台覧相撲、駅伝大会の生徒の活躍を紹介しました。
○授業や、三光タイムなどで、生徒たちがみんなで頑張っている様子を伝えました。生徒、お家の方、学校と一体となって受験という壁を乗り越えましょう。
などと話をしました。
11月には、学力診断テスト、三者面談が行われます。一つひとつのテストが受験をと思い、それに向けて日々の努力を続けて欲しいと願っています。
今、生徒たちからもいろんな相談があります。生徒たちなりにいろんな悩みを持っています。また今日も説明会が終わった後、担任の先生たちに、お家の方たちが相談する姿を見かけました。
入学試験に向けての取り組みもいよいよ終盤を迎えます。3年生一人ひとりの生徒が、すばらしい春を掴んでもらいたいですね。
結果より歩くことが目的で?
ボールを打って山へ谷へと
今日は、行事がすごい。いろんな催しものが各地で開催されていました。中津では、「オリンピックデーラン」が三光総合グランドで1000人規模で行われています。「オリンピックデーラン」って何?
「6月23日のオリンピックデーを記念して、全世界で行われているイベントです。日本では日本オリンピック委員会(JOC)が主催となり、全国で実施しています。だれもが参加しやすいジョギングを中心としたイベントです。オリンピック選手と一緒に走ることにより、スポーツの楽しさとオリンピックの基本精神を理解していただくために開催されています。」
中津には、バレーボールの大林素子さんや水泳の中村真衣さんらが来訪しています。
また「本耶馬渓ふるさと祭り」も行われています。ここでは、吹奏楽部が出演しています。
コスモス祭りもあと一週間となっています。今日も多くの人出が予想されていました。
そんな中で、教職員のコンペが開催されました。たくさんの行事があったので、中津から出場する方も少なく、積極的ではなく、人数合わせで(?)コースに出ました。県下各地で、県の中学校新人大会が行われていたので、それも気になりつつ別府に向かいました。
寒くなったり暑くなったり、気温の変化を受けつつ、プレイを。最初の5ホール目くらいまでは、打てば思うようなところに飛んでいく夢のような展開でしたが、あとは、きちんと現実に戻り、他の選手の倍近くは歩かせてもらいました。
結果は言うまでもないですが、他地区のいろんな先生がたとの交流ができました。一応、中津からもチームが参加できたことに関してだけは、貢献できました。始まるのが遅かったので、終わりには夕やみが迫っていました。ふーっ。
ボールを打って山へ谷へと
今日は、行事がすごい。いろんな催しものが各地で開催されていました。中津では、「オリンピックデーラン」が三光総合グランドで1000人規模で行われています。「オリンピックデーラン」って何?
「6月23日のオリンピックデーを記念して、全世界で行われているイベントです。日本では日本オリンピック委員会(JOC)が主催となり、全国で実施しています。だれもが参加しやすいジョギングを中心としたイベントです。オリンピック選手と一緒に走ることにより、スポーツの楽しさとオリンピックの基本精神を理解していただくために開催されています。」
中津には、バレーボールの大林素子さんや水泳の中村真衣さんらが来訪しています。
また「本耶馬渓ふるさと祭り」も行われています。ここでは、吹奏楽部が出演しています。
コスモス祭りもあと一週間となっています。今日も多くの人出が予想されていました。
そんな中で、教職員のコンペが開催されました。たくさんの行事があったので、中津から出場する方も少なく、積極的ではなく、人数合わせで(?)コースに出ました。県下各地で、県の中学校新人大会が行われていたので、それも気になりつつ別府に向かいました。
寒くなったり暑くなったり、気温の変化を受けつつ、プレイを。最初の5ホール目くらいまでは、打てば思うようなところに飛んでいく夢のような展開でしたが、あとは、きちんと現実に戻り、他の選手の倍近くは歩かせてもらいました。
結果は言うまでもないですが、他地区のいろんな先生がたとの交流ができました。一応、中津からもチームが参加できたことに関してだけは、貢献できました。始まるのが遅かったので、終わりには夕やみが迫っていました。ふーっ。
過ぎ去った60年の年月に
故郷降り立ち思い出偲ぶ
土曜日の午前中のことです。雨も降りはじめました。ちょっと出かけをする前・・・ごろりとうたた寝をしていました。
「トントントン・・」
とガラス窓をたたく音。見ると、カメラを抱えた高齢の方が外にたたずんでいました。不審者?外に出ました。
「○○さんのお宅は、どうなっていますか。」
東京から来たという高齢の方からいろいろ話を聞きました。
○○さんのところに疎開してきていたそうです。
少し時間があったので、一緒に地区を回りました。カメラを服の裾で雨で濡れることを避けながら、当時残っているものを懐かしそうに見ていました。
「この辺りには、水車があったんですよ。」
確かに。幼いころ、その水路には水車がまだ残っていました。
水路には川魚が泳いでいたり、うなぎをとったりしていました。川を見て、
「あそこは、さんじゅうさんぴろと言っていましたね。よく泳いだもんだ。」
「さんじゅうさんぴろ」懐かしい言葉。今でもそこは、「さんぴろ」と呼ばれている渕です。しかし、今は、川に行く人も少なくなってきているので、この場所の言葉も使われなくなってきています。「さんじゅうさんぴろ」と言うのは、33幅ということだと思います。33幅深さが、この渕の名前の由来だと思います。本当に33幅あるかどうかはわかりませんが、とにかくとても水深があります。
子どもの頃は、「ここで泳いではいけない。」と小学生は水泳禁止になっていました。中学生が泳いでいる姿を見て、羨ましく思っていました。それでも年齢に達してそこで泳ぐとき、潜って川底に手を付けるなどは、至難の技でしたし、耳がつーんとしていました。
「この家にいたんですよ。」
もうそこは、空家になっています。今回の水害では大きな被害を受けています。その家の軒下でいろいろ話が出てきました。また地区のいろんな方の名前が出てきましたが、すでにお亡くなりになっている方ばかりでした。
「そうですか。亡くなっているんですか。」と少し寂しそうにしていました。「何年ぶりに来られたんですか。」と聞くと、「60年ぶり」という答えが返ってきました。
60年ぶり。この60年で地区の風景も人も様変わりになっています。きっとこの方にとっては、戦時中の地区と平成の地区とでは、「浦島太郎」的な再訪ではなかったかと思います。もう二度と来ることはないかも知れません。
たたずんで、当時の幼きころのいろんな賑やかな声が聞こえてきたかも知れません。どのような思いでここの風景を見つめたことでしょう。
お孫さんなのでしょう。レンタカーを借りて、車で待ってあげていました。「いろいろありがとうございました。」とお礼を告げて、車に乗って去って行かれました。
故郷降り立ち思い出偲ぶ
土曜日の午前中のことです。雨も降りはじめました。ちょっと出かけをする前・・・ごろりとうたた寝をしていました。
「トントントン・・」
とガラス窓をたたく音。見ると、カメラを抱えた高齢の方が外にたたずんでいました。不審者?外に出ました。
「○○さんのお宅は、どうなっていますか。」
東京から来たという高齢の方からいろいろ話を聞きました。
○○さんのところに疎開してきていたそうです。
少し時間があったので、一緒に地区を回りました。カメラを服の裾で雨で濡れることを避けながら、当時残っているものを懐かしそうに見ていました。
「この辺りには、水車があったんですよ。」
確かに。幼いころ、その水路には水車がまだ残っていました。
水路には川魚が泳いでいたり、うなぎをとったりしていました。川を見て、
「あそこは、さんじゅうさんぴろと言っていましたね。よく泳いだもんだ。」
「さんじゅうさんぴろ」懐かしい言葉。今でもそこは、「さんぴろ」と呼ばれている渕です。しかし、今は、川に行く人も少なくなってきているので、この場所の言葉も使われなくなってきています。「さんじゅうさんぴろ」と言うのは、33幅ということだと思います。33幅深さが、この渕の名前の由来だと思います。本当に33幅あるかどうかはわかりませんが、とにかくとても水深があります。
子どもの頃は、「ここで泳いではいけない。」と小学生は水泳禁止になっていました。中学生が泳いでいる姿を見て、羨ましく思っていました。それでも年齢に達してそこで泳ぐとき、潜って川底に手を付けるなどは、至難の技でしたし、耳がつーんとしていました。
「この家にいたんですよ。」
もうそこは、空家になっています。今回の水害では大きな被害を受けています。その家の軒下でいろいろ話が出てきました。また地区のいろんな方の名前が出てきましたが、すでにお亡くなりになっている方ばかりでした。
「そうですか。亡くなっているんですか。」と少し寂しそうにしていました。「何年ぶりに来られたんですか。」と聞くと、「60年ぶり」という答えが返ってきました。
60年ぶり。この60年で地区の風景も人も様変わりになっています。きっとこの方にとっては、戦時中の地区と平成の地区とでは、「浦島太郎」的な再訪ではなかったかと思います。もう二度と来ることはないかも知れません。
たたずんで、当時の幼きころのいろんな賑やかな声が聞こえてきたかも知れません。どのような思いでここの風景を見つめたことでしょう。
お孫さんなのでしょう。レンタカーを借りて、車で待ってあげていました。「いろいろありがとうございました。」とお礼を告げて、車に乗って去って行かれました。
勇士たち最後の土俵たくましく
戦いあとの姿爽やか
中津市、宇佐市から19チームが参加して「第90回台覧相撲大会」が開催されました。90回・・・。この大会は大正9年11月に昭和天皇(当時皇太子殿下)が中津に滞在された際に開催された相撲大会を記念し、翌年より開催されてきています。
伝統のある大会です。90年間、行われている大会なので、高齢の方も、「中学校時代、この大会に参加したことがある。」と言う人も多くいます。
中津市の中学校、高等学校が輪番制で当番校になって、主催しています。今回は中津中学校が当番校として、大会の開催をしました。
三光中学校からも参加しました。一昨年は50年数年ぶりの優勝。昨年は準優勝と、このところこの大会においては、好成績を収めています。今年は例年より、他校より体格が劣ります。しかしそこは、試合にかける気迫がありました。
腰を低く相手にあたっていきました。その結果、見事予選リーグ突破。決勝トーナメント。ベスト8からの試合です。緊張感のある試合です。チーム一丸となっての戦い。勢いがあります。
準々決勝、準決勝と勝ち進みました。そして優勝決定戦へ。先峰が惜しくも敗れましたが、中堅が逆転勝利。大将戦へ。手に汗を握る戦い。惜しくも俵を割りました。しかし、見事2年連続の準優勝を果たしました。
日中は、かなり冷え込みました。見る方も寒さが身にしみます。力士の選手たちも体調管理が大変でした。しかし熱い戦いが繰り広げられました。迫力十分でした。
生徒数が少ない学校で、3チームが参加しました。生徒たちには物事に挑戦していこうとするエネルギーを感じることができます。
駅伝にしても相撲にしても、また今行われている県新人戦にしてもきっと、これからの歩む道に大きな自信となることでしょう。スポーツの秋が充実したものになっている生徒たちです。
3年生にとって、最後の土俵の上の姿でした。この生徒の姿をもう見ることができないと思うと寂しく感じます。
戦いあとの姿爽やか
中津市、宇佐市から19チームが参加して「第90回台覧相撲大会」が開催されました。90回・・・。この大会は大正9年11月に昭和天皇(当時皇太子殿下)が中津に滞在された際に開催された相撲大会を記念し、翌年より開催されてきています。
伝統のある大会です。90年間、行われている大会なので、高齢の方も、「中学校時代、この大会に参加したことがある。」と言う人も多くいます。
中津市の中学校、高等学校が輪番制で当番校になって、主催しています。今回は中津中学校が当番校として、大会の開催をしました。
三光中学校からも参加しました。一昨年は50年数年ぶりの優勝。昨年は準優勝と、このところこの大会においては、好成績を収めています。今年は例年より、他校より体格が劣ります。しかしそこは、試合にかける気迫がありました。
腰を低く相手にあたっていきました。その結果、見事予選リーグ突破。決勝トーナメント。ベスト8からの試合です。緊張感のある試合です。チーム一丸となっての戦い。勢いがあります。
準々決勝、準決勝と勝ち進みました。そして優勝決定戦へ。先峰が惜しくも敗れましたが、中堅が逆転勝利。大将戦へ。手に汗を握る戦い。惜しくも俵を割りました。しかし、見事2年連続の準優勝を果たしました。
日中は、かなり冷え込みました。見る方も寒さが身にしみます。力士の選手たちも体調管理が大変でした。しかし熱い戦いが繰り広げられました。迫力十分でした。
生徒数が少ない学校で、3チームが参加しました。生徒たちには物事に挑戦していこうとするエネルギーを感じることができます。
駅伝にしても相撲にしても、また今行われている県新人戦にしてもきっと、これからの歩む道に大きな自信となることでしょう。スポーツの秋が充実したものになっている生徒たちです。
3年生にとって、最後の土俵の上の姿でした。この生徒の姿をもう見ることができないと思うと寂しく感じます。
コスモスの花びら揺らす応援団
ゴールをめざす選手に勇気
23日に大分県駅伝競技大会中津市予選会が三光中学校周辺コースで行われました。雨が心配されましたが、競技間近になると上がりました。ちょっと肌寒かったのですが、いい形でまず女子からスタートされました。
一週間に1,2度の練習でしたが、夏の暑いとき、雨が激しく降るときも生徒たちは取り組んできました。かなりハードな練習でした。最初は、まとまりにくかった選手たちも、指導する方々のしっかりとしたサポート、また生徒たち自身の気持ちの高まりの中で、意識が上がってきました。
今回は、大会史上最高の参加校でした。男女ともにレースが混戦することは予想されていました。実力伯仲の中での戦いです。2位以内に入れば、中津市代表として県大会に出場できます。
三光中学校もずっと中津市の大会に参加をしていたのですが、一度とぎれました。再びたちあがり、今回で4年連続この大会に出ます。年を追うごとに成績も上がってきています。今までは、県大会に出ても下位にいましたが、昨年度は、中位まで順位が上がってきています。
男子は、予選突破から、県大会上位進出を狙っています。女子は昨年はくやしくも県大会出場を逃し、代表権獲得と、県大会上位をめざして走り込みました。
三光中学校は陸上部がないので、いろんな部から選手が集まってきます。それだけに練習の確保は、難しいです。また部活との掛け持ちなので、選手の体調維持、管理に指導者の方々は、細心の配慮をしてくれていました。またかけもちで、体力的に厳しいときは、その疲れ度合いなどをみて、練習メニューを入れ替えたりしながら、1人ひとりの状態に対応している姿は見ていて、学ぶことが多かったです。
また練習は苦しいこともあるので、選手が休みがちになるときは、電話をかけたりしっかり対話をしながら練習を進めてきました。
ただレースだけでなく、その影には、選手も指導者にもいろんなドラマがありました。強いチームは、見えない努力があることを感じました。
レースは、混沌としていました。女子のレースは、5区間のうち、2区間、区間賞を獲得しました。区間賞を獲らない選手も誰一人もブレーキになることなく、走り抜けました。そして見事2位でゴール。
男子は、1区が団子状態でゴールに入りました。3位スタートでしたが、あとがしっかりと繋いでいきました。2区の選手も大会新記録が走りました。どの区間の選手も精一杯の走りをしました。アンカーのたくみくんに渡ったときは、ほぼ、2位、3位が並んだ状態でした。たくみくんは、駅伝の選手になったのは初めてでした。この夏から急成長した選手です。走り終わったたくみくん。
「たすきが渡ったときは、少し怖かったです。緊張しました。」
その気持ちはじゅうぶんわかります。2位と3位では県の大会に出れるかどうか、その差は大きいものがあります。
でもそこは、充実した練習の成果です。ゴールしたときは、100M以上の差をつけて、2位でゴールしました。感動のゴールでした。
男子も女子もみんな満足した顔をしていました。苦しい練習。そしてそれを乗り越えての結果。喜びもひとしおでしよう。この経験は、ただ駅伝だけでなくこれから生きていく中でも大きな自信となっていくことだと思いますし、そうあって欲しいと願います。
これから男女とも県のレースに向けた取り組みが開始されます。選手たちは、三光中学校のそして中津市代表として大会まで練習を続けて欲しいと思います。がんばれ、三光中!
ゴールをめざす選手に勇気
23日に大分県駅伝競技大会中津市予選会が三光中学校周辺コースで行われました。雨が心配されましたが、競技間近になると上がりました。ちょっと肌寒かったのですが、いい形でまず女子からスタートされました。
一週間に1,2度の練習でしたが、夏の暑いとき、雨が激しく降るときも生徒たちは取り組んできました。かなりハードな練習でした。最初は、まとまりにくかった選手たちも、指導する方々のしっかりとしたサポート、また生徒たち自身の気持ちの高まりの中で、意識が上がってきました。
今回は、大会史上最高の参加校でした。男女ともにレースが混戦することは予想されていました。実力伯仲の中での戦いです。2位以内に入れば、中津市代表として県大会に出場できます。
三光中学校もずっと中津市の大会に参加をしていたのですが、一度とぎれました。再びたちあがり、今回で4年連続この大会に出ます。年を追うごとに成績も上がってきています。今までは、県大会に出ても下位にいましたが、昨年度は、中位まで順位が上がってきています。
男子は、予選突破から、県大会上位進出を狙っています。女子は昨年はくやしくも県大会出場を逃し、代表権獲得と、県大会上位をめざして走り込みました。
三光中学校は陸上部がないので、いろんな部から選手が集まってきます。それだけに練習の確保は、難しいです。また部活との掛け持ちなので、選手の体調維持、管理に指導者の方々は、細心の配慮をしてくれていました。またかけもちで、体力的に厳しいときは、その疲れ度合いなどをみて、練習メニューを入れ替えたりしながら、1人ひとりの状態に対応している姿は見ていて、学ぶことが多かったです。
また練習は苦しいこともあるので、選手が休みがちになるときは、電話をかけたりしっかり対話をしながら練習を進めてきました。
ただレースだけでなく、その影には、選手も指導者にもいろんなドラマがありました。強いチームは、見えない努力があることを感じました。
レースは、混沌としていました。女子のレースは、5区間のうち、2区間、区間賞を獲得しました。区間賞を獲らない選手も誰一人もブレーキになることなく、走り抜けました。そして見事2位でゴール。
男子は、1区が団子状態でゴールに入りました。3位スタートでしたが、あとがしっかりと繋いでいきました。2区の選手も大会新記録が走りました。どの区間の選手も精一杯の走りをしました。アンカーのたくみくんに渡ったときは、ほぼ、2位、3位が並んだ状態でした。たくみくんは、駅伝の選手になったのは初めてでした。この夏から急成長した選手です。走り終わったたくみくん。
「たすきが渡ったときは、少し怖かったです。緊張しました。」
その気持ちはじゅうぶんわかります。2位と3位では県の大会に出れるかどうか、その差は大きいものがあります。
でもそこは、充実した練習の成果です。ゴールしたときは、100M以上の差をつけて、2位でゴールしました。感動のゴールでした。
男子も女子もみんな満足した顔をしていました。苦しい練習。そしてそれを乗り越えての結果。喜びもひとしおでしよう。この経験は、ただ駅伝だけでなくこれから生きていく中でも大きな自信となっていくことだと思いますし、そうあって欲しいと願います。
これから男女とも県のレースに向けた取り組みが開始されます。選手たちは、三光中学校のそして中津市代表として大会まで練習を続けて欲しいと思います。がんばれ、三光中!
明日は、大分県駅伝競技大会の中津市予選会です☆
生徒たちは、それぞれの部活に所属しながらも、陸上の練習にも頑張ってきました。いよいよ明日は、予選会となります。
今日は、最後の調整を行いました。予選突破を目指して、走りぬきます。
女子は、10時スタート。男子は、11時20分スタートとなります☆
生徒たちは、それぞれの部活に所属しながらも、陸上の練習にも頑張ってきました。いよいよ明日は、予選会となります。
今日は、最後の調整を行いました。予選突破を目指して、走りぬきます。
女子は、10時スタート。男子は、11時20分スタートとなります☆
奉納能秋の気配に落ち葉舞う
舞台を癒すマイナスイオン
義父は、謡いの師として活躍しています。「年をとったから。」と言いながらも子どもの結婚式などでは、ぞの腕をみることができます。
毎年、10月21日に「宇佐神宮御神能」が行われています。「能」「仕舞」「狂言」などが宇佐神宮の能楽殿で開かれます。「宇佐神宮御神能」には、地謡に義父が出演します。今まで、なかなかこの日が日曜日になることが少なく、また部活があったりと仕事の都合で見に行くことができませんでした。
ところが、今回は、日曜日。誘われて御神能への機会をもつことができました。家族やきょうだいたちみんなで見に行きました。父の姿を見てくれました。宇佐神宮の境内を通りながら、能楽殿まで歩いて行きました。
母が座る場所も確保してくれていました。至れり尽くせりです。神宮の静けさとひんやりした空気は、秋の深まりを感じさせてくれます。その情緒は、さすが宇佐神宮は全国に4万社あまりある八幡様の総本宮です。
子どもたちは、「しっかりマイナスイオンを浴びながら鑑賞することができた。」とひと言。
インターネットによると、
「毎年10月21日に宇佐神宮能楽殿で上演され、風除報賽(豊作祈願)を目的としています。安元年間(1175~1177)年に申楽として始まったと伝えられ、応永22(1415)年の大内氏による中興、元和5(1619)年に細川氏によって再興されて以来、約370年間途絶えることなく演じ続けられています。」
と書かれています。
今回は、東京から武田宗和先生による能「班女」、京都から茂山良暢先生による狂言があり、日本伝統の一流の文化を間近で見ることができました。解説があり、初心者にもわかりやすい舞台でした。
前日は、法事がありちょっぴり疲れもあり、途中、見る力が尽きることもありましたが、見応えがある奉納能番組でした。たくさんの観客を魅了させました。
父も母も年をとったといいながら、謡いを生き甲斐にしています。父は大学時代から続けているというので、もう60年になります。この道に精通しています。さらに続けてくれて、また私たちに伝統を楽しむことができる時間をもらいたいと思います。
舞台を癒すマイナスイオン
義父は、謡いの師として活躍しています。「年をとったから。」と言いながらも子どもの結婚式などでは、ぞの腕をみることができます。
毎年、10月21日に「宇佐神宮御神能」が行われています。「能」「仕舞」「狂言」などが宇佐神宮の能楽殿で開かれます。「宇佐神宮御神能」には、地謡に義父が出演します。今まで、なかなかこの日が日曜日になることが少なく、また部活があったりと仕事の都合で見に行くことができませんでした。
ところが、今回は、日曜日。誘われて御神能への機会をもつことができました。家族やきょうだいたちみんなで見に行きました。父の姿を見てくれました。宇佐神宮の境内を通りながら、能楽殿まで歩いて行きました。
母が座る場所も確保してくれていました。至れり尽くせりです。神宮の静けさとひんやりした空気は、秋の深まりを感じさせてくれます。その情緒は、さすが宇佐神宮は全国に4万社あまりある八幡様の総本宮です。
子どもたちは、「しっかりマイナスイオンを浴びながら鑑賞することができた。」とひと言。
インターネットによると、
「毎年10月21日に宇佐神宮能楽殿で上演され、風除報賽(豊作祈願)を目的としています。安元年間(1175~1177)年に申楽として始まったと伝えられ、応永22(1415)年の大内氏による中興、元和5(1619)年に細川氏によって再興されて以来、約370年間途絶えることなく演じ続けられています。」
と書かれています。
今回は、東京から武田宗和先生による能「班女」、京都から茂山良暢先生による狂言があり、日本伝統の一流の文化を間近で見ることができました。解説があり、初心者にもわかりやすい舞台でした。
前日は、法事がありちょっぴり疲れもあり、途中、見る力が尽きることもありましたが、見応えがある奉納能番組でした。たくさんの観客を魅了させました。
父も母も年をとったといいながら、謡いを生き甲斐にしています。父は大学時代から続けているというので、もう60年になります。この道に精通しています。さらに続けてくれて、また私たちに伝統を楽しむことができる時間をもらいたいと思います。
父母(ちちはは)は千の風にと思っても
墓前に向かい我が手を合わす
早いもので、母の四十九日法要の日がやってきました。昨日は、お寺の中にお墓があるので、合元寺で法要を行いました。姉や親戚の人たちがたくさんお参りに来てくれました。
法要までに、墓誌の書き直しなどを行ったり、いろんな細かなことがありました。墓誌の文字入れ、墓石の掃除・・・などを知り合いの方が法要に間に合うように、丁寧にしてくれました。
家族も一生懸命に準備などをしてくれました。前日にサプライズのお供えの花の贈り物があったり、感激をすることも多かったです。いろんな人に支えられながら、この日を迎えました。
今まで、仏壇を置いてある部屋に、母の遺影と遺骨を置いていました。いよいよ母の遺骨が墓に行くということもなんとなく寂しさも感じていました。最後の夜は、仏壇の部屋で寝ました。
朝、支度をしてお寺に向かいました。着いてから、お骨をお堂の仏壇に置いてから、お寺の方にいろいろ聞いて、家族や親せきの人たちにも手伝ってもらいながらお茶の用意や法要の準備をしました。
四十九日についてちょと勉強。
「亡くなった人の命日を基準として七日ごとに行う「中陰法要」(満中陰)の最後の法要が四十九日です。始めの七日目を初七日(しょなのか)、二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)と続いて、七七日が満中陰すなわち四十九日にあたります。
この49日間に残された遺族の別れの悲しみが癒され、落ち着いて亡くなった人の死と向き合える期間でもあるのです。四十九日をどういう意味?ときかれたら、意外と答えられない方が多いのではないでしょうか。仏教には、「四有」という考え方があります。人が生まれる事を「生有」、生まれてから死ぬまでの間を「本有」、人が死ぬ事を「死有」、死んでから次の生に向かうまでの間を「中有」(中陰)といいます。
この「中有」にあたるのが四十九日です。」
いろんな母のことを思い浮かべながら、法事の時間が過ぎていきました。父と母の壺をお墓の中に寄り添うように並べて置きました。
この後は、おときの席にきょうだいや親せきの方たちがついてくれました。法事は人を合わせてくれますし、絆を深めてくれます。
ふだんは、それぞれの生活に身をおいて、なかなか会う時間はないのですが、ゆっくり話す時間を持つことができました。母が会わせてくれたと感謝をしています。初七日、四十九日、初盆、一周忌・・・それぞれに行うことに意味があることを感じます。
父や母は亡くなりましたが、法要も和やか、厳かにすることも親孝行と思いつつ、家族、きょうだいたちとなんとか務めることができました。
墓前に向かい我が手を合わす
早いもので、母の四十九日法要の日がやってきました。昨日は、お寺の中にお墓があるので、合元寺で法要を行いました。姉や親戚の人たちがたくさんお参りに来てくれました。
法要までに、墓誌の書き直しなどを行ったり、いろんな細かなことがありました。墓誌の文字入れ、墓石の掃除・・・などを知り合いの方が法要に間に合うように、丁寧にしてくれました。
家族も一生懸命に準備などをしてくれました。前日にサプライズのお供えの花の贈り物があったり、感激をすることも多かったです。いろんな人に支えられながら、この日を迎えました。
今まで、仏壇を置いてある部屋に、母の遺影と遺骨を置いていました。いよいよ母の遺骨が墓に行くということもなんとなく寂しさも感じていました。最後の夜は、仏壇の部屋で寝ました。
朝、支度をしてお寺に向かいました。着いてから、お骨をお堂の仏壇に置いてから、お寺の方にいろいろ聞いて、家族や親せきの人たちにも手伝ってもらいながらお茶の用意や法要の準備をしました。
四十九日についてちょと勉強。
「亡くなった人の命日を基準として七日ごとに行う「中陰法要」(満中陰)の最後の法要が四十九日です。始めの七日目を初七日(しょなのか)、二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)と続いて、七七日が満中陰すなわち四十九日にあたります。
この49日間に残された遺族の別れの悲しみが癒され、落ち着いて亡くなった人の死と向き合える期間でもあるのです。四十九日をどういう意味?ときかれたら、意外と答えられない方が多いのではないでしょうか。仏教には、「四有」という考え方があります。人が生まれる事を「生有」、生まれてから死ぬまでの間を「本有」、人が死ぬ事を「死有」、死んでから次の生に向かうまでの間を「中有」(中陰)といいます。
この「中有」にあたるのが四十九日です。」
いろんな母のことを思い浮かべながら、法事の時間が過ぎていきました。父と母の壺をお墓の中に寄り添うように並べて置きました。
この後は、おときの席にきょうだいや親せきの方たちがついてくれました。法事は人を合わせてくれますし、絆を深めてくれます。
ふだんは、それぞれの生活に身をおいて、なかなか会う時間はないのですが、ゆっくり話す時間を持つことができました。母が会わせてくれたと感謝をしています。初七日、四十九日、初盆、一周忌・・・それぞれに行うことに意味があることを感じます。
父や母は亡くなりましたが、法要も和やか、厳かにすることも親孝行と思いつつ、家族、きょうだいたちとなんとか務めることができました。
舞い上がるフラワーシャワー浴びながら
秋風そっと幸せ運ぶ
朝そして午後にかけて母の四十九日の法要。またこのことについては、ゆっくりと綴ります。
夕方からKさんの結婚式、披露宴が大分で行われました。おいに送ってもらい、式場まで駆けつけました。静かな雰囲気の中の結婚式場。かなさんたちがしっかり選んだ式場です。自然に囲まれた式場で、秋の深まりも感じられます。しっとりしています。
チャペルで行われた結婚式には、ちょっと遅れましたが、途中から参加することができました。座ると横には、Kさんと同級生の二人がいました。懐かしくうれしく感じました。
幸せいっぱいのKさんの結婚式での様子をしっかり見届けました。Kさんのお相手の方は見ただけでも、とても誠実であることがわかります。以前、写真を見せてもらっていましたが、お似合いのカップルです。
披露宴に移りました。披露宴は、自然とうまく調和させて演出しています。衣装を変えて入場は、すべて庭からの登場です。とてもきれいな衣装を身にまとっていました。衣装を選ぶのにもきっと時間がかかっただろうと思います。
Kさんのご家族の方も感激ひとしおだったと思います。ご家族の方と一緒に写真を撮らせてもらいました。Kさんは3人きょうだいですが、偶然にも3人とも授業などで関わりを持つことができました。
またお父さんには、PTAの役員にもなっていただき、いろいろPTA活動、全体のお世話をしてくれました。
これからも二人とも今の仕事を続けていきます。家庭、仕事との両立は大変だと思いますが、二人で幸せな家庭を創っていってほしいと願っています。これからいろんな壁もあると思いますが、そんなときは、しっかりと力を合わせて乗り越えていって欲しいです。
かつての生徒たち、そして一緒に学年を担当した先生と再会しました。生徒たちは、それぞれに社会の中で、いろんな地で活躍をしています。充実している生活を送っています。その話もきくことができました。感激の結婚式とともに懐かしい時間を過ごしました。
式の中から幸せそうな二人を見ながら、夕方の冷えた空気にぬくもりのある風を体に浴びました。
秋風そっと幸せ運ぶ
朝そして午後にかけて母の四十九日の法要。またこのことについては、ゆっくりと綴ります。
夕方からKさんの結婚式、披露宴が大分で行われました。おいに送ってもらい、式場まで駆けつけました。静かな雰囲気の中の結婚式場。かなさんたちがしっかり選んだ式場です。自然に囲まれた式場で、秋の深まりも感じられます。しっとりしています。
チャペルで行われた結婚式には、ちょっと遅れましたが、途中から参加することができました。座ると横には、Kさんと同級生の二人がいました。懐かしくうれしく感じました。
幸せいっぱいのKさんの結婚式での様子をしっかり見届けました。Kさんのお相手の方は見ただけでも、とても誠実であることがわかります。以前、写真を見せてもらっていましたが、お似合いのカップルです。
披露宴に移りました。披露宴は、自然とうまく調和させて演出しています。衣装を変えて入場は、すべて庭からの登場です。とてもきれいな衣装を身にまとっていました。衣装を選ぶのにもきっと時間がかかっただろうと思います。
Kさんのご家族の方も感激ひとしおだったと思います。ご家族の方と一緒に写真を撮らせてもらいました。Kさんは3人きょうだいですが、偶然にも3人とも授業などで関わりを持つことができました。
またお父さんには、PTAの役員にもなっていただき、いろいろPTA活動、全体のお世話をしてくれました。
これからも二人とも今の仕事を続けていきます。家庭、仕事との両立は大変だと思いますが、二人で幸せな家庭を創っていってほしいと願っています。これからいろんな壁もあると思いますが、そんなときは、しっかりと力を合わせて乗り越えていって欲しいです。
かつての生徒たち、そして一緒に学年を担当した先生と再会しました。生徒たちは、それぞれに社会の中で、いろんな地で活躍をしています。充実している生活を送っています。その話もきくことができました。感激の結婚式とともに懐かしい時間を過ごしました。
式の中から幸せそうな二人を見ながら、夕方の冷えた空気にぬくもりのある風を体に浴びました。