向小金の香取神社 旧水戸街道沿い
下陰を探してよぶや親の馬
母馬が番して呑ます清水かな(常磐平の子和清水)
広重富士36景の下総小金原
しぐるるや煙草法度の小金原 冬枯や親に放れし馬の顔 若草に背中をこする野馬哉
等が小金原で詠まれた小林一茶の句のようです。
江戸時代より北総地域は幕府の直轄地で、小金原というところに幕府の軍馬を養成するための放牧場「小金牧」がありました。野馬たちは草を食み水を探して野原を駆け回っていたと想像出来ます。この台地は草が生い茂る荒野だったので野火を恐れた幕府は法度を出して冬は野宿、焚き火、喫煙を禁じました。小金原の入り口には木戸門が設けられ番人が置かれていたそうです。この頃俳人一茶は俳友にしてパトロンが多く住む松戸や流山を第二の故郷として度々この地を訪れていました。小金原を詠んだ句が残っているのはこのためです。
私も小金原に住んで20年以上になりましたが、小金原は江戸時代から有名なところだったようで、広重が描く浮世絵にも登場します。遠くに富士が見え、水を飲もうとしている野馬を画面の左に配した大胆な構図ですが彼が小金原のどの場所を描いたのかはわかりません。広重が小金原をイメージした心象風景であったとも言われています。現在小金原の地名が残っているのは1丁目から9丁目までのごく小さいエリアですが昔ははるかに広いエリアを小金原といったようで小金牧は北は野田市、流山市、柏市、印西市、松戸市、鎌ヶ谷市、白井市、南は習志野市、船橋市まで広がっていました。松戸市には他にも一茶の句碑がありますがまた次回訪ねたいと思います。
寒梅の匂ひ和らぎ句碑巡る
今日は桜咲く4月の暖かさになるようですね
、宏重の描いた構図で私も写真を撮りたいですね、
幼い日に見て、脳裏に焼き付く自然は、こんな光景でした、
ありがとう御座いました、、
さすがに今日は暖かい一日になりました。上着を脱いでセーターだけでも歩けました。ご近所を見回すと紅梅は満開、白梅も満開のがあってビックリです。河津桜もあわてて咲き出していました。歴史ガイドで勉強してから松戸周辺の昔の様子を想像しながら歩くのは楽しいですよ。
この辺り平地もありますが多少の山坂が住宅地になっても残っている地形でやはり荒野だったのですね。200年前にタイムスリップできたら一茶と同時期に歩けたかも。
コメント有り難うございました。
俳句のことはよくわかりませんが誇りに思われるでしょう。また次も見てみたいです。
一茶の故郷は信州柏原で15歳の時に江戸へ出て来たそうです。江戸へ出てきて色々苦労をしながら浅間山が噴火した頃から松戸馬橋の油屋で丁稚奉公をしていたらしいです。そこの油屋のご主人が俳諧をしていてパトロンになり面倒を見ていたらしく私も今興味を持って本で調べているところです。昔の小金原は馬橋も含まれていますので旧水戸街道を行ったり来たり一茶の句が沢山残っているのですね。探すのが楽しみになりました。
コメント有り難うございました。
長い文章も、素晴らしいので気にならずに読めます、流石ですね!
一茶をなにくれとなく面倒を見た馬橋の俳人大川立砂の旧宅は馬橋駅の近くにありましたが直系の子孫はなく明治時代に絶えたそうです。早速見に行ったのですが今は松戸信用金庫になっている端っこに松戸市でたてた碑があるだけでした。一人前の俳諧師となった一茶が立砂と一緒に本土寺や市川真間の手児奈堂に行った時の句がありますのでそのうちブログに載せたいと思います。
コメントありがとうございました。