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稲田寺 浄土宗のお寺で15世紀に創建されたようです。 このお寺の墓地には唐人お吉の恋人として知られる
船大工の鶴吉のお墓があります。
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海善寺 観応元年(1350)の開創で、下田領主の戸田忠次の居住した館の跡です。
文久3年(1863年)暮れに、徳川14代将軍家茂が上洛する途中で強風に遭遇し、当寺にて年を越したと伝えられ
ています
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宝福寺
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坂本龍馬が脱藩の罪を許された勝海舟と第15代土佐藩主山内容堂の「謁見の間」が現存
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お吉の菩提寺。本堂の右横に唐人お吉記念館
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吉田松陰投宿の地 岡村家今は普通の民家
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嘉永7年3月27日、伊豆下田で吉田松陰が金子重輔(重之助)とともにペリー艦隊への密航を試みて、失敗しました。
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欠乏所は薪や水など最低限の物資を供給する場所として設置されましたが、条約の内容が曖昧だったため、
様々な物資(実質的な貿易)が取り扱われました。
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幕末に勝海舟、板垣退助が泊まった船宿角谷があった場所
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安直楼 晩年のお吉が開いた小料理屋です。その店舗跡が当時のたたずまいを残して、今もペリーロードから
ほど近い場所に建っています。なまこ壁が映える美しい建物は、明治期のもの
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今日のガイドさんは88歳の渡邊さんです。健脚ぶりにこちらはたじたじ
東京駅9:00の踊り子号に乗り伊豆急下田には11:39に着きました。まず下田観光協会に寄り
下田の歴史の散歩道コース2時間をお願いしておいたのでガイドさんに案内をしてもらいました。
依然来た時は宿泊をしたので自分で地図を見て観光地を歩きましたが今回は日帰りで下田滞在時間が
3時間半と短いので案内を頼み歴史の勉強が出来ました。
見学場所が多かったので2回に分けて載せていきます。
宝福寺はもと下田奉公所跡で唐人お吉の墓がある菩提寺でもあります。境内には唐人お吉記念館.
土佐藩主山内容堂と勝海舟が坂本龍馬脱藩の罪を解くために謁見した寺でもあるそうです。
土佐を脱藩した坂本龍馬がこの下田で許されたとは初めて知りました。
「唐人お吉」こと斎藤きち。1841(天保12)年、現在の愛知県知多半島で船大工の子として生まれ、幼少のころに
伊豆の下田に移り住みました。きちが16歳のとき、下田奉行の命により、玉泉寺に滞在していたハリスに仕える
ことになりましたがきちは腫れ物の病で三日目で暇が出されたそうです。 しかし異人と交わったという理由だけで
周囲から偏見を受け、不遇のうちに生涯を終えました。
早春や歴史ひもとく街歩き
下田は以前は夫と一泊したので個人であちらこちら廻ったつもりでした。
ですからかなり勉強したつもりになっていましたが今回2時間の街歩きで新しい発見をしました。
やはり歴史を語ってもらいながら案内してもらうのは良いですよね。
まだまだ見どころの歴史がある下田ですからまた訪ねたいと思います。
コメントありがとうございました。