鑑賞授業やってみました。
わざわざ日曜日にパワーポイントをプロジェクターで拡大する練習をしていったの
にも関わらず、本番映らず。だれか理由を教えてくださーい
あきらめて教科書で実施。まず、題名や作者名を答えさせて
「あなたたちがこの絵の中に入り込んで下さい。で、どう思いますか?」
の問い。まずはワークシートの中に書かせる。次に「描いてあるものなんでも
いいので書き出して下さい。」8個の枠があるがそれ以上見つけたら付け加えても
良いことにする。次に「この絵を観てどう思いますか?」の問いにもワークシートに書かせる。
家の学校の1年生はしっかり書く。
で、ここで発表。列ごとに全員発表。
「あなたがこの絵の中に入り込んで下さい。」の質問で主観的な答えが返って
きたのが今年は一割。だいたい「みんな本を読んでるなー。」「しずかに授業を
受けてるなー」の答え。やっと3人くらいが主体的に「眠たいなー、早く授業終われへんかなー」
という答えがかえってくる。本来こういう主体的な答えが返って
くるべきなんだけどなー。私の設問が悪かったか?
次の「絵の中に描いてあるもの。」で必ず出る質問が「先生、この黒板の上に
ある物何?」待ってました。ここで私は嬉々としてみんなに呼びかける。
「みんな○○さんがいい気付きをしてくれたよ。この黒板の上にある物って
何?」「あーこれ黒板やってんや。」と言う声も上がる。だれかが「帽子。」
「正解!大きな分度器やと思た人。」2~3人手が上がる。(こいう時はうれしい)
すかさず「大きな餃子やと思た人?」教室少しの笑い。元気な1年生だと
「餃子やったら大きすぎや!」の声。
今年はあるクラスで「先生、右側の小さな子が泣いてる。」と言った生徒が。
「ほんとやな。みんな静かな授業やなーっていう発言が多かったのに、泣いてる子
がいるやん。なんで泣いてるかんなー。」の質問に「隣の女の子がちらちら見てるから
きっと隣の子に告白して振られたんや。」の発言。
これは読みが深い。こうなると授業は楽しい。「そうかー、静かやと思ってた
授業が実は泣いてる子もいるし、しかも振られたかもしれない。」違うクラスで
この話をすると「いや、先生、この子はこの本を読むのがいややってん。」という
意見も出てくる。
靴を履いている子と履いていない子。服装の違い。などはどんどん出てくる。
床のサインや葉っぱが落ちていることに気がつく子もいる。
最後にどうしてもこの時代のアメリカの背景を説明する。「「風と共に去りぬ」
っていう映画知ってる?」の問いに全員「何それー?」当たり前か、、、。
誰かがオバマさんやったら知ってる。というので南北戦争の話を少しする。
最後に「絵に入りこんだ時に思った事」と「絵を観て思った事」を
ミックスして「ホーマーがこの絵で何を訴えたかったか?」
という問いを考えさせようと今年は思った。
絵が描かれた背景を説明しているので当然そのような答えが出てくるのは
誘導尋問という感じだが
「平和の大切さ」
「こんな時代でも勉強できるという事」
「勉強できる事の幸せ」
なんていう答えが上がってくる。
本当に学ぶ事の幸せかみしめてくれよ君たち!
家に帰ってこの話をすると娘が「お母さんの学校の子ちゃんと発表
するなんて素直やなー。」の意見。ごもっとも。でも中には自分の書いて
答えを消して多数に合わせて発言している子もいる。どんな答えでも
いい真面目に考えたのなら「こんなん、恥ずかしいかな?」なんて
思わないで正解は一つではないと強調したのになー。
「1年の教科書の2,3ページって前はカール・ラーションやったやんなー。」
って言うので(ちなみに彼女はその切抜きを持っていた。なんてオタク)
見てみると、本当だなんて印象が違うのだろうか?
カール・ラーションの「The First Lesson」
カール・ラーションはスェーデンの画家。この絵もいい。でも
この絵を教科書に取り入れた大橋功氏はえらい!
彼とは実は大学時代隣同士で日本画を描いていた同級生です。
でも少し趣味が入ってるかな?