毎年恒例
3年生のゲルニカ鑑賞
2学期一番最初の美術の授業
今年はラッキーなことに国語科とコラボが実現したので
国語科の授業をもらえた。
それでなくても少ない美術の授業が温存できた。
もう10年余りいつも「ゲルニカ」
今回は45分授業でゲルニカを観て思ったこと、感じたことを共有できた。
いつもなら、駆け足でピカソのこと、スペイン内戦のこと、しゃべってきた。(これは実は無謀だ)
今年度は美術科のワークシート(メモのような感じになるが)をもとに文章としてブラッシュアップを国語科がやってくれる。
何とも幸運。種明かしも3時間目の国語の時間に。計4時間で鑑賞文完成まで国語科が担ってくれた。
本当にありがたい。しかも、国語科の2時間目の授業を研究授業にしていただいて、研究討議まで行ってくださった。
研究授業を実施するということはそれまでに入念な指導案検討がなされるということだ。
要するに授業案のブラッシュアップですね。
今年、改めて思ったことは、本当に毎年、子供たちの目の付け所は違うということだ。
今年の3年生はどのクラスも空間にこだわった。
ゲルニカの描かれている場面は部屋の内部か、それとも外部か。
部屋の中にもう一つ部屋があるという二重構造の意見もあった。
それと床に描かれたマス目。「これは地図だ」「矢印は進むべき方向を指している。」など地図論が展開された。
いずれにしても、悲惨な場面が描きながら一抹の希望、かすかな光にそれを見出している。
逃げ惑う、女性像にそれでも力強く少しでも希望のある方に導いてくれているという女子の意見もあった。
感情たちの今を反映するのだろうか?心強いことだ。
悲惨な場面の中に少しでも前に進もうとする明るい未来の希望を「今」の子供たちに伝えたピカソはやっぱり尋常ではない。
計算され尽くしたというよりは、直観でこんな風にと表現していったのだはないだろうか。
このゲルニカの持つ底知れる力強さに改めて感謝である。
そういう作品は子供たちには観せたい。
3年生のゲルニカ鑑賞
2学期一番最初の美術の授業
今年はラッキーなことに国語科とコラボが実現したので
国語科の授業をもらえた。
それでなくても少ない美術の授業が温存できた。
もう10年余りいつも「ゲルニカ」
今回は45分授業でゲルニカを観て思ったこと、感じたことを共有できた。
いつもなら、駆け足でピカソのこと、スペイン内戦のこと、しゃべってきた。(これは実は無謀だ)
今年度は美術科のワークシート(メモのような感じになるが)をもとに文章としてブラッシュアップを国語科がやってくれる。
何とも幸運。種明かしも3時間目の国語の時間に。計4時間で鑑賞文完成まで国語科が担ってくれた。
本当にありがたい。しかも、国語科の2時間目の授業を研究授業にしていただいて、研究討議まで行ってくださった。
研究授業を実施するということはそれまでに入念な指導案検討がなされるということだ。
要するに授業案のブラッシュアップですね。
今年、改めて思ったことは、本当に毎年、子供たちの目の付け所は違うということだ。
今年の3年生はどのクラスも空間にこだわった。
ゲルニカの描かれている場面は部屋の内部か、それとも外部か。
部屋の中にもう一つ部屋があるという二重構造の意見もあった。
それと床に描かれたマス目。「これは地図だ」「矢印は進むべき方向を指している。」など地図論が展開された。
いずれにしても、悲惨な場面が描きながら一抹の希望、かすかな光にそれを見出している。
逃げ惑う、女性像にそれでも力強く少しでも希望のある方に導いてくれているという女子の意見もあった。
感情たちの今を反映するのだろうか?心強いことだ。
悲惨な場面の中に少しでも前に進もうとする明るい未来の希望を「今」の子供たちに伝えたピカソはやっぱり尋常ではない。
計算され尽くしたというよりは、直観でこんな風にと表現していったのだはないだろうか。
このゲルニカの持つ底知れる力強さに改めて感謝である。
そういう作品は子供たちには観せたい。