遊びをせんとや

毎日できるだけアンテナを張って
おもしろがりながら楽しみたい。
人は「遊びをせんとや生まれけん」です。

ブログ凍結宣言

2009-06-14 16:46:58 | 日々のあれこれ
急に更新したと思ったら旅行の話ばかりで申し訳ありません。
下の息子との約束で(詳しくは再開した時に)
これからの更新は春まで凍結します。

ただ去年の旅行に関して通称ふらつーフランス・ツーリズム
というサイトに非常にお世話になったので情報を色々送ろうと紀行文作成までこぎつけました。
よって紀行文は時間系列で
情報を正しく伝えるための文章になって
いるので多少おもしろくないと思います。同行者はあだ名を付けるという事なので
JJはダンナ、ルーは娘、ウーは息子です。

せめてこの旅行記はアップしようとまだ下書きの段階で載せました。
読み苦しい点多々あるのでこれに写真、本文の整理などだけはちょこちょことやっていきたいと思っております。
ご了承のほどよろしくおねがいします。


2008年 夏 フランス旅行 その4 パリ編

2009-06-14 16:40:56 | 旅行
 8日目
 モーニングコール(機械エリーゼのために)に6:00に起こされる。
モノプリで買った水、ジュース、レンヌで買ったパンで朝食。
ロビーに下りるがJJが来ない。
小雨模様なのでレセプションの人が傘2本を貸してくれた。
早朝のルーブル、ガラスのピラミッドを横目で見ながら、
ピラミッド通りのマイバス社へ。
ロワール城めぐりのツアー参加。バス2台。トイレは相変わらず混む。
1時間ほど走ってオルレアンのドライブインで20分休憩。

ここでもトイレは混む。ここでキーホルダーを買う。寒い。
 
 10:30頃に黒リュセに到着。内部見学。


 レオナルドダ・ヴィンチの終焉の地。彼は同性愛者だったそうだ。
フランソワ1世の優遇を得て3年間住んだ館がここ。
幸福な晩年だっただろう。ここで友達にスケッチ帳を買う。

 次のシュノンソー城は内部や庭が美しかった。
次々と女城主が代わっていったそうだ。デイアンヌが美しい。
彼女とデュパン夫人の絵はがきを買う。どこもかしこも観光客だらけ。
本当にフランス中の人が移動しているみたい。

バギーはごろごろ。小さい子供ごろごろ。
フランス人っていうのは子供が小さかろうが自分が旅行に行きたかったら
お構いなしだ。ワインカーブに行ってワインの試飲。
赤、白、ロゼ。子供達も飲んでるやん!とても素敵なワインカーブだった。
 
 最後はシャンボール城。子供の積み木のような形状のお城。


 ここは外から見た方が楽しい。
レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したらせん階段がおもしろい。
ここでルーが入場前からトイレに行きたいと言ったので団体行動から
一時離れる。団体だとトイレ時間があまり考えられていないし、
いつも混んでいるトイレに行かなければならないのが難点だ。
ここの売店もなかなか子供向けで充実していた。(何も買わなかったが)
17:30にシャンボール城を出てトイレ休憩は電気系統の故障(?)で行けず、
そのままパリへ。ミラボー橋やエッフェル塔が見える。

 20:00にマイバス社の前に到着。歩いて1,2分の国虎屋へ。
幸い待たずにカウンターへ。てんぷらうどん、カツ丼、きつねうどん2杯、
1664ビール、おでん盛り合わせで53ユーロ。
味は私には麺類の塩がきつすぎて(?)でしたがみんなはおいしいと
言ってました。
本当に久しぶりの日本食だもんね。

あまりの明るさに歩いてホテルへ帰る。セーヌ川沿いにはあまり人通りはない。
子供連れもまだうろうろしてました。モノプリは日曜お休み。
これってすごいよね。日曜日にスーパーが休みだなんて。
ATM で100ユーロおろしてホテルへ。


9日目
 7:00起床。7:30ホテルで朝食。なんとも古ぼけたロビーで朝食。
他のお客とは全く会わない。あっさりしたコンチネンタル。

8:50にホテルを出発して9時過ぎにルーブル到着。

2,3人並んでいる地下のリシュリー翼に並ぶが
果たしてみんな入場券を持っているのか?
9:30の開館時には長蛇の列。100人くらい優に並んでいた。

 
 私たちは荷物検査を受けてリシュリー翼入場のところで音声ガイドを借りたが
ドノン翼横にもあった。
借りるのはパスポート1冊を預けたらすんだが、
子供達の入館にはパスポートのコピーの提示が求められた。
よかった持っていて。

 すぐにモナリザの前に美術館は今一のウーもこれは見たいと言っていた。
すでにたくさんの人だかり。やっぱりどこへ行くのも朝一番が鉄則。
デビッドやアングルなど昔から画集で慣れ親しんだ名画を堪能し、もちろん、
レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロもしかり、
エジプト文明やギリシャ文明はすっとばした。
でもサモトラケのニケの大きさ、台座の船のすばらしさ。
全体のフォルムの美しさは本当にすばらしい。
左手首が見られたもよかった。

JJがフランス式階数を誤解していたため一人迷子になる。
15分遅れてやっとニケの像の所で全員集合。
 
 メトロのルーブル駅から地下鉄1号線でSt,Paulへ。
初めてメトロの自売機の扱い方でまごまごしていたら後ろのフランスの女の人が
助けてくれた。カルネ10枚を2セットゲット。支払いはカード。
 
 St、Paulからユダヤ人街のファラフェル屋を見つけるまでが一苦労。
地下鉄はそんなに怖くなかった。色々な場所でPOLICEが検問してた。ほっとする。

同じようなファラフェルを売る店がたくさんあって私たちが目指す
ラスデファラフェルは客引き合戦で先払い。
 
 4個で20ユーロ。プラス飲み物1つ3ユーロくらい。
次々とトラボルタのようなユダヤ教独特の帽子をかっぶったお兄ちゃんが
「ファラフェル!ファラフェル!!」と早口にさけび、
通りがかった人が勢いに押されて列に並んでいた。
前の店はどんどんそのあおりを食っていた。

ファラフェルとは円形のピタパンの間にひよこ豆の小さなコロッケや
野菜(なす、キャベツ千切り)などを詰めて売っている。


 ウーはなすびがきらいなので「どうしょう!」と困っていたが
なんとか早めに売り場のおっちゃんに「ノーエッグプラント!」と叫んで
見事なすびを抜いてもらっていた。
道端での立ち食い。結構お腹いっぱいになる。
 
 モンマルトルまで行こうと再び地下鉄に乗り、Lamarck Caoulaincourt で
降りる。モンマルトルはすごい人。
昔来た頃と印象が違う。その頃止まっていたフニクラも動いていた。
ラパンアジルを見、サクレクール寺院のギャラリ ブッテモンマルトルで


 ルーがポスターを迷いに迷って購入。
その間相変わらずアイスを食べるウーとJJ。
サクレクールのミサンガ売りも見かけなかった。
洗濯船やゴッホが昔住んでいたと家(青い扉に紙が貼ってあるだけ)

などを
横目に映画「アメリ」に出てきたカフェ・ド・ムーランで一休み。


 ウーはコーラ、JJとルーはコーヒーフラッペ、私は1664 ビール。
 
 地下鉄を乗り継いで急いでサントシャペルまで。
5:25にも関わらずフィニッシュと言われてしまって入場できなかった。
しょうがないのでノートルダム寺院へ。
入場無料なのに並ぶ。入場後すぐにウーが「トイレ」というのであわてて
外へすぐそばの公営トイレに駆け込む。
18:30までと書いてあって「アン・フィニット」と私たちの次の人は
言われていた。ぎりぎりセーフ!
 
 一度ホテルに戻る。ウーがラーメンが食べたいというのでホテルの
レセプションに中華料理の店を聞くとレセプションのハンサムな兄ちゃんが
「自分がいつも行くところですが」とパソコンで地図を打ち出してくれた。
電話で席も予約してくれた。
 シャンゼリゼ通りに近い「ドラゴン」という店だそうだ。
いかにもと言った名前だ。再びメトロでジョルジュサンクへ。
きちんとあたりをつけて歩き始めたら店にはすぐにたどりついた。
ガラス張りの通路の下には鯉のような魚が泳いでいる。
生簀のようになっているのだ。全体の内装はまるで竜宮城。
漢字で「龍城酒楼」なるほど。


隣は一見マフィアの雰囲気のファミリー。
買い物袋を沢山抱えていた。
写真つきメニューだった。料理はおいしかったがなんと焼き飯はあっても
ラーメンがなかった。スープ2種、飲茶1つ、えびの天ぷら、チンジャオロース、
酢豚、ハーフボトルのワイン、コーラで160ユーロだった。
10時前に食べ終わり夜のシャンゼリゼ通りを後にタクシー乗り場から
タクシーでホテルに帰る。10ユーロ。さすがに疲れて11:30就寝。

 
10日目
 今日の朝食はあこがれのカフェ・ド・フロールで。
隣はアメリカンファミリー「大草原のちいさな家」の現代版みたいな大家族。
みんな揃いのTシャツを着ているのがなんともほほえましい。
フレッシュジュースはいるかと聞かれたのでJJがいると答えるとなんと
4人朝食63ユーロ。                          
 
 オルセーに歩いて10分くらいで到着。Cの入り口にはまだ誰も並んでいない。
9時からあくという情報もあったが、やっぱり9時30分にしかオープンしなかった。まずは3階に上がって印象派を見る。
やっぱりモネのルーアン大聖堂があいかわらずすごい。Impretion がすごい。
ゴッホの「オーヴェールの教会」も相変わらず美しい。十分2時間堪能できた。

 1階のアングルも改めてよかった。売店でガラスのペンダントトップ2個、15ユーロ。
実家の母にスカーフを頼まれていたのでモネの睡蓮のモチーフの物を1枚。
70ユーロ。
意外におもしろかったのは地上階のアールヌーボー、アールデコの工芸品、
家具など。やたらでかい。本当にスケールの大きさに圧倒される。

 お昼ごはんのためにバスで8区のレストランChez Andresに向かう。
63番のバス停、アセンブルナションに向かうが一向にバスが来ない。
英語の話せるおばあちゃんが2人に「そんなところにバスは止まらないよ。」
と教えてもらって、セーヌ川沿いのバス停へ。
夏期間だけ、私が下調べしたバス停の前の道は車両乗り入れ禁止のような紙が
貼ってありました。


 待つこと15分やっと63番のバスが来て2人のおばあちゃんと共に乗り込む。
アルマ、マルシェで降りて歩いてChez Andresへ。ウエイトレスの女の子の
英語がわかりやすく、JJはステーキ、ルーはあこがれのポテトのピュレ(マッシュポテトのような物)のついた子羊のソテー。



 私はエスカルゴとチキン、ウーは伝統的なハンバーガー。(これがまた大きくて全部食べれない。はさんである肉はまるでステーキ肉)



 前菜チコリのサラダ、固ゆで卵のサラダ、魚のスープ、カラフェ入りの赤、
白のワイン、コーラ。



 おいしかったけれど半端な量じゃない。付け合せのフライドポテトなんて
てんこ盛り。隣で静かにランチをしていたフランス男性2人は
主菜だけ取って後はすぐにデザート。
バニラアイスに生の木苺やクロすぐりが一杯かかったデザートは
本当においしそうだった。そして水のみ。
しっかりしゃべりながら食べていた。現地の人でもこうなんだ。
 
 シャンゼリゼ通りから凱旋門、エッフェル塔の下まで歩いた。


JJが完全に出来上がっていて(どこでもそうなんだが)
ウーにからんで嫌がられていた。
凱旋門で本当におのぼりのような写真を撮り、ルーに嫌がられていた。
常にVサインを出すJJ。家族で一番はしゃぐのはJJ。
そして疲れるのが早いのもJJ。まるで子供。

 パッシーからメトロでオペラまで行く。
パッシーのメトロ駅近くで2人組みのあやしい男たちに付きまとわれそうになる
が駅付近に2台のポリスの車があるので退散。
メトロ駅構内では見えなくなった。しかるにスリらしき人は男2人組み、
手荷物なし。ケータイやiPodらしきものも持ってない。
場所を変えても付いてくる。という法則が成り立つのではないだろうか?
だいたい日本でも目的なくふらふらする人というのはあぶない。
 
 ギャラリー・ラファイエットのマクドで休憩。

どこでもマクドは安い。
ウーの晩ごはんもゲット。疲れたので一度ホテルへ帰ることにする。
オペラから一つ目の駅のメトロからサンジェルマン・デ・プレへ。ホテル休憩後、

本屋、ATM、モノプリへ。私とルーの夕食、作り置きの飲茶、1664ビール、
モノプリアイス、スプーン、サラダ。
スプーンはプラスチックの小さなやつしか売ってないので、
サラダが食べれる軽いフォークを持ってくるべきだったなぁと思った。

 30分で夕食を済ませてダウンしているみんなをせかしてパリ最後の
夜のセーヌ川見学のため歩いて5分のバトビュシュ(Batobus)乗り場まで
ダッシュ。


乗り場へは8時30分に到着。

 8:23予定の最後のリターンしてくるバトビュシュに乗る。
よかった!大人12ユーロ。子供6ユーロ。
予定通りエッフェル塔にライティングされていたがまだ明るいので
良くわからなかった。でもなかなか眺めは壮観だった。
オルセーも外観が美しい。
セーヌ川沿いはパリ・プーラージュのお祭り期間だったので
青い旗でディスプレイされていた。


川沿いではみんな思い思いにたたずみ、踊り、ギターをかかえ、語り合い、
お茶やワインを飲み、食べ、短い夏を惜しんでいた。
パリ中の人が楽しんでいるように見えた。

全ての予定をまあまあつつがなく終えて11:00頃就寝。

 
11日目
 6:30起床。7:00ホテルで朝食。8:30チェクアウト。40タクシーでCDG空港へ。

免税店で少し買い物。化粧品。おみやげのお菓子。
モンサンミッシェルでもらったシードルは厳重に梱包して荷物預かりへ。
割れなければラッキー。最後にもらったジャムを忘れていて没収。
いいか、ただだし。機上の人となりまた食べて寝てで朝に関空に到着。

 むっとした日本の夏もなつかしいような。自宅に帰り、
内装がシンプルで美しいとあらためて思う。
 
 最後に旅行前に下調べを十分して家族のやりた事はできるだけ尊重し、
天気にも恵まれ一番良かったのは「なせばなる」という事が実感できたこと。
毎日の生活の中ではなかなか思う通りに行く事ばかりではないので・・・。
少し自信がついたかな?アクシデントもまた思い出なり。
 

2008年 夏 フランス旅行 その3 サンマロ、モンサンミッシェル編

2009-06-14 16:39:17 | 旅行
5日目
 そろそろフランスに入って、5日目。疲れが出る頃だ。
昨日の夜の寒さが身にしみる。
洗濯物は順調に乾き、出発。8:40にタクシーを呼んでくれるように昨日、
フロントに頼んであったが時間通りにこない。
10分遅れで新車のタクシーが来るがトラボルタのような兄ちゃんは
 「新車だからなかなかエンジンがかからなかった。」と言い訳をして謝らない。フランス人ってこういう時、謝らないなー。

 Libourneの列車は9:40発だから十分時間はあったからいいけどね。駅に着くとあやしげな2人組みの若者に付きまとわれる。
まず、手ぶら。それがあやしい。列車に乗るのはたいがい旅行者なので
でかいトランクを引いてるかせめて手に本や飲み物を持っている人がほとんど。
それがこんな郊外の田舎で手ぶらで列車に乗ろうというのは本当にあやしい。
日本人の家族連れでお母さんがお金やパスポートを持っていると思われるので
狙われやすいような気がする。
時間が十分あったのでホームを色々移動しても付いてくる。ますます怪しい。
9:27発のボルドー行きが10分送れて来たので乗り込み、1等席に座ってほっとする。こういう時1等のパスでよかったと心から思う。
 

 ボルドーの駅に1時間で到着。
例の2人組みはボルドーの駅で1人ずつになって見かけた。やっぱり怪しい。

 駅ホームのトイレは有人で0.5ユーロ。汚くて旅行者でごった返していた。
駅のインフォメーションでパリ行きのTGVのホームを確認する。
駅の1階のクマ印の売店でサーモンサンド4.2ユーロ2つと
水1.6ユーロ、レモンティー、コーラそれぞれ2ユーロを買う。
列車の中で昼食。JJは昨日の完食でかなりグロッキー気味だが
サーモンサンドにも触手を伸ばしていた。
でかいので半分ずつで十分だった。なかなかの味。
私を除いて3人爆睡。
途中で検察があり「サンマロはとてもいい所ですよ。」と言ってくれる。
期待が高まる。
 サンマロからモンサンミッシェルにバスで行きたかったので一旦パリのモンパルナスで乗り換える。距離的にはかなりの無駄。
 
 14:35にモンパルナス駅に到着。
駅の掲示板の前に人種のるつぼみたいにみんなが群がっている。
ばちゃばちゃという音と共にサンマロ行きのTGVのホームが表示されると
一斉に荷物を引いてそのるつぼが移動する。
TGVは出発時刻の15分前にホームに入ってきた。
今度は2人席。座席は新しくデザインも美しい。安心、安全、ゆったり。
 この路線はずっと雨。乗車している間に吹き降りだった。ラッキー。

 17:58にサンマロ
到着。雨。クリスタルなクールな駅建物。
駅前のタクシー乗り場に並ぶこと15分。
足の不自由なおじいさんや小さい子供連れなど2組くらい待っていた。
JJ少しイラつく。丸で子供。先に行ったタクシーが返ってきた。
一人乗りの人力タクシーも客引きに来た。



タクシー代は6.1ユーロ。10ユーロ渡す。
ホテルカルティエは城壁の街中のど真ん中にあった。とても便利。
                              
                               
こじんまりセンスもいい。№102、106のコネクティングルーム。
広さも十分あり清潔で電気湯沸かし器もあった。




 日本から予約していったcote senseというレストランを探しに街中へ。
夕食時も本当に観光客で一杯の街。その分安心。

 ガラスのペンダントトップをお土産に買う。
ルーは魚型のチョコレートを、         


ウーもここで彼女に指輪を密かに買っていた。
レストランは予想したよりも狭い感じだったが

気持ちのこもったテーブルセッティングがしてあり、

港町なので魚介類がおいしかったがキュイジーヌという料理分類だったので



私には香料が強すぎた。
例のごとく前菜(前菜が好きなんです)4種。主菜4種オーダーした。
素敵な女性がサービスをしてくれて英語で丁寧に料理の説明をしてくれた。

量はやはり大盛り。フォアグラなんて半パな量ではなかった。



白ワインのハーフボトル、コーラ、ジュース。全部で169ユーロだった。
 モンサンミッシェルまでのブリトン社のバス停を探すが
ふらつーに掲載されている建物はない!どうしてない?
インフォメーションも場所が変わっていて
港の倉庫の建物がリフォームされて使われていた。そこでバスの時刻表をもらう。
バスロータリーのところの№17のバスに乗れという事だった。
バス停は朝探すことにしてホテルへ帰り、ゆったり就寝。
ルーはソファに寝そべってテレビでシンプソンズを見ていた。
ここでも部屋争奪戦。今回は私が主張。
まるで子供。広い方を女性陣が獲得した。

 6日目
 恒例、早朝散歩。



旧要塞のある海岸まで出る。朝日に海が美しい。快晴
旧要塞へは午後からガイドツアーが実施されるので。



セントビンセント広場でモンサンミッシェル行き17番バス停を探すが見つからない。
やっと閉鎖したバスチケット売り場を発見。



これぞふらつーで見たバスチケット売り場の建物。
バスロータリーに仮のバス停が出来ていて№17はここから出るらしいと
やっと解った。
ホテルで朝食は地下の朝食室。シンプルなコンチネンタルヴュッフェ。
荷物を預かってくれるように頼むとフロントの人が
地下まで運んでくれるとの事。チェックアウトすると朝食代が3人分に
なっていた。きっと子供だから負けてくれたんだろう。
朝食一人11ユーロ。

城壁をぐるっと歩き回る。とても寒いのに泳いでいる人がいる。
ヨットも沢山出てる。ノルマンディーの海辺だなーと実感。



長袖重ね着でも寒い。風も強い。
昔ドーバー海峡をホーバークラフト渡ってイギリスへ行った地
ブローニュを思い出す。                          

お昼はLa Brigantineというクレープ屋さんへ.
やめときゃいいのに懲りずにまたMenuを頼んでしまう。
もうすでに一枚目でバターの味にうっとくる。
ここはふらつーにもおいしいと載っていたので味はよかったと思うが
脂っこいのがきらいな人はどうかと思う。
卵とハムとチーズのクレープ一品にするべきだと強く反省した。


シードルがついていた。JJはいつものごとく完食。
ルーもなんとか完食。ウーは最初からチョコアイス付きの単品にしていたので
かしこい。それにカンパリ、コーラ、水で44.30ユーロ。
旧要塞のガイドツアー。大人4ユーロ。要塞から見るサンマロの景色がよかった。

店で貝型の石鹸を買った。(23.8ユーロ)モンサンミッシェルの
プーラードおばさんのクッキーが現地より安く売っていた。
 
そろそろ荷物を取ってバス停へ。とてもホテルの人は親切だった。
チップを渡す。バス停でぼっーと待っているとフランス人に時間を聞かれたり、
きれいな金髪のお姉ちゃんに「サンジャギ(それってどこやねん?)行きのバス停はどこ?」
なんて英語で聞かれるし(なんで私に聞くねん。)
「向こうにインフォメーションがあるから聞いてみな。」と英語で答える。



だいぶ英語にも慣れてきて、相手のいう事が解るし、
スムーズに答えられるようになってくる。不思議なもんだ。
18:00にポントルソン行きのバスが来る。大人3ユーロ。子供2.4ユーロ。
ポルトソンまでの車窓はこの旅行で一番の見所だった。
サンマロ郊外から海岸が近づいてくる。
ノルマンディの海岸沿いがずっと続く。
まさにヨーロッパを感じる。このバス片道500円って安いじゃないですか?!
バスはすいていて(3分の1しかお客は乗ってなかった)
しかも車両は新しいし快適だった。
こんな事があるから個人旅行はやめられない。是非おすすめ!
ポントルソンはすごく田舎。                 


 降りて10mくらい行くとポントルソンの駅。
その駅前にモンサンミッシェル行きのバス停があった。
モンサンミッシェルまで大人、子供とも2ユーロ。
だんだん目前にモンサンミッシェルが迫ってくる。
モンサンミッシェル島外の街もかわいい。ついに到着。

島内入り口からすぐにテラスプーラードのホテルの
レセプションこっちの看板が見える。             
                       
迷わずに到着。
レセプションで名前を告げるとすぐにその上階の部屋へ案内される。
日本式3階の2部屋。203、204号室。
荷物を置いすぐに別館のレストランに夕食を食べに行く。
モンサンミッシェル1300周年記念ハーフボードのパックを予約していたので
前菜、主菜、シードル1本付きの夕食。
例のごとくまた4人でカラス貝のクリーム煮、シーフードの盛り合わせ、


オムレツなどの前菜、          

子羊のステーキの主菜を取ってあわただしい夕食。  
でも窓の外には干潟が広がっている。
                               

9時30分までに修道院へ行きたい。夜間見学は22時30分まで。
レストランには私たちを含めて2組しかお客はいない。
食べ終えて(大味だったと私は思う。)修道院へ急ぐ。
だんだん暮れていく島内。人は少ないし夕暮れは美しいしいう事なし。
夜間拝観はチケット売り場も当然すいている。
子供はパスポートコピーを持っているので無料。
コピーを持っていってよかった。大人は8.50ユーロ。
院内のいたるコーナーでハープやら                                          



チェロやらを演奏している。
もう本当にヨーロッパ!!感動する。
上階のメルヴィーユもまさに暮れなずむ夕暮れ状態で感動的な美しさ。                 

来てよかった。泊まってよかった。夜でよかった。すいててよかった。
最後に売店、ここは充実していた。見ているだけで楽しい。
ウーが方位磁石付きノートを欲しがったので奮発。
22:30間近か。男の人が館内に戻ろうとして売店の人が本気で怒っていた。
当然、売店もすいててよかった。
夜の道をホテルへ。まるで中世に迷い込んでようだった。

7日目
 例のごとく早朝散歩。くまなく海沿いの城壁の道を歩く。又快晴。
                                                             


お天気には本当に恵まれた。
干潟の向こう方まで見える。空が徐々ピンク色にひと刷毛さっと塗ったように
染まってくる。何とも荘厳な夜明け。思わず敬虔な気持ちになる。
ルー相変わらず寝てる。もったいない奴。
魚の形をしたプレートのレストランがよさそうだと
JJがお昼ご飯のあたりをつける。   

私たちの部屋は窓を開けると城壁を行く人と目が合う。狭い。簡素。


ルーをたたき起こして昨日の別館のレストランへ。
昨日食べた下の階、ガラス張りで目の前に海(干潟)が広がっている。
全てがまぶしい。         


コンチネンタルヴュッフェ。ハムや生野菜もあった。

ウーがガラスケースに入っているタルトが欲しくてあけようとすると静止された。
なおかつあけようとするウー。ついに手を叩かれていた。
ここではお菓子は付かないのよ。
ゆっくり朝ごはんを食べ島内散策。
海洋博物館の入場券も付いていたが博物館類はおもしろくなさそうなので
入場しなかった。
島入り口の修道院とは反対側のサンピエール礼拝堂まで行ってみた。


みんな干潟に一旦降りる。
満潮の風景も見たかった。島から伸びる堤防やパーキングはやっぱり邪魔だ。
バス停から後ろを振り返って全景を臨む。
修道院てっぺんの金色の天使ミカエルがきらきらしてる。
 
表参道(?)に戻ってお土産を買うことにする。

ウーはここで騎士のフィギアを買う。かなりの大きさなので結構した。
日本人の売り子さんだったので色々聞けてよかった。
私はブルターニュ産石の魚型の置物。
ぶつぶつと穴のあいた軽石のようなブルターニュの石。
天使や十字架など色々な形があったが、あまり宗教色の出ていない魚にした。
ルーはレトロな感じの古絵葉書を物色していた。
だんだん人が増えてくる。狭い参道はひとだらけとなる。
あまり混まないうちにとあたりをつけていた、Le Mouton BlancというオーベルジュのChez Madoというレストランへ。

参道沿いにはパンケーキ屋になっていて団体客が食べていた。
2階の海側のテラス席に行きたいと告げると
「そこはアラカルトだけだが良いか?」と聞かれたのでOK

というと席に案内してくれた。
魚のスープ
海の幸の盛り合わせ、子羊のソテー



(三度豆のソテーがついていておいしかった。)
手長えびのグリルと飲み物を取る。パンはついてくる。
全部で86ユーロ。カンが働いたのでここは今回の旅行で一番量も適当で
おいしかった。
目の前には干潟が広がり、涼しい風が吹いてなんともいいランチだった。
 
どんどん人が多くなる。もうゆっくり歩いてなんていられない。
郵便局からJJのお母さんへ絵はがきを投函しバス停でゆっくり待つことにする。
預かってもらった荷物を取りにホテルへ。
バス停に近くてよかった。島全体を見渡せるところでスケッチを
したり手の平に乗るモンサンミッシェルなんて写真を撮ったりする。

旅行者に「うまい」とか言われて恥ずかしかった。
14:30発レンヌ行きのブリトン社のバスが来る。
ここのバス時刻表で初めてブリトン社のマークがあった。
色々メールに答えてくれたのはこの会社なのね。
 
 ちゃんと座れて1時間20分でレンヌまで大人10.5ユーロ、子供8.4ユーロ。
いよいよパリに戻る。本当は15分後にTGVがあったのだが
バスが遅れでもしたら乗れないと1時間後のTGVにした。
レンヌは大きな近代的な駅だった。ここで何年か前、日本人の団体旅行の
添乗員がバッグをひったくられ頭を道の石にぶつけて亡くなったのを思い出す。
少し緊張。駅のカフェで休憩。
駅の売店で朝食用のパンを買い、TGVに乗車。1等席はほぼ満席。

 2時間少しでパリ、モンパルナス駅に到着。タクシー乗り場は少し薄暗い。
でもそばにPOLICEがあって警官がうろうろしてくれていたので安心。
ホテルまで10分。チェックイン。
すぐそばのボナイトというレストランへ。
予約していたがパリ特有の小さいテーブルが所狭しと置いてある
典型的なレストラン。ポタージュ、サラダ2種、牛フィレステーキ、グリル、
鮭のクリームソースがけ 味はまーまー。
サンジェルマンデプレの広場のすぐそばのホテルだったので
モノプリが近くにあり、そこで水、ジュース、コーラなど買う。
すぐ横のATMでカードで100ユーロおろす。
サンジェルマンデプレの広場は夜遅くまで楽器の演奏などして
カフェもにぎわっているし怖さはない。
そこからセーヌ川に向かって10mくらいボナパルト通りを入ったところに
Hotel Saint Germain Des Presはある。
以外に静か。古風。あまり落ち着いたインテリアではない。
部屋も狭いがバスタブ付いていてクーラー、冷蔵庫、セイフティボックスが
部屋にあるというのはとても便利。ある意味機能的なホテル。
内装だけ目をつぶれば



長い一日が終わった。

2008年 夏 フランス旅行 その2 バイヨンヌ、サンテミリオン編

2009-06-14 16:37:26 | 旅行
3日目
朝7時30分に朝食をと思っていたら8時しかレストランが開かなかった。
朝食はコンチネンタルヴュッフェ 
ゆで卵、チーズ、フルーツ、温かいミルク、冷たいミルク、ジュースシリアル、
ガトーバスク、タルト種類豊富。



                                 

一人7.9euro。フランスで食べた一番の朝食だった。
ウーは甘い物が好きなのでガトーバスクとタルトを食べていた。
9:00チェックアウト。
家族で経営しているような感じでフロントは主に奥さんが仕切っていたようだ。
19号室が70euroと書かれてあったので部屋の料金表と違うと指摘したらすぐに60euroに直してくれた。
そりゃそうだろう!あれで上の16号室と同じ値段はない。
こういう時、日本人だから少しくらいごまかしてもわからないだろうとか
思われているんだろうか?
少し気分が悪い。英語はあまり通じなかったがこういう交渉はうまくいく。
なんとかなるもんだ。

歩いて1分のバス停Thermesへ。9:18 Ligne1のバイヨンヌ行きのバスに乗る。
乗る時に料金を払うが1人1.2euro。
車窓はビアリッツの住宅街を抜けすぐにバイヨンヌ市街地へ。
25分でPl.des Basques 下車。
すぐ前がインフォメーションなので入って地図をもらう。
荷物を預かってくれないかと聞くがだめとの事。
重い荷物を持ちながらバイヨンヌ在住のお菓子研究家の人のブログに載っていたルリユールへ。

                              

 途中でうろうろしていると上品なおばさんが英語で「メイアイヘルプユー?」
と尋ねてくれた。ルリユールの場所を聞くと
なんとそのおばさんのギャラリーのすぐ斜め前だった。

ルリユールは製本屋と訳せばよいかヨーロッパの古い本を直してくれる所のようだ。
いせひでこの絵本「ルリユールおじさん」という本があって
それで一度機会があれば訪れたかった。
フランス各地にあるのだろう。
 池澤夏樹の「雷神帳」に「フランスの新刊は本当にそっけなく
三方を切っていないまま出版されるので本当に読む人はルリユールに
その本を持って行って製本してもらうそうだ。」という話が載っていた。
「本を読むのは本当に限られた人だけ」と言った感じだ。
池澤夏樹は自分の本のフランス翻訳本をプローニュのルリユールに持ち込んで
製本してもらったそうだ。なんと贅沢!


               


狭い店内で若い女の人が作業をしていた。
入るのがはばかられたが思い切って店内に入り見学させてもらった。
センスのいいバスク織りの布カバーのかかったノートや
貝殻や絵のコラージュが施された芳名録のような品がありつい購入する。


結構高かったが現金しかだめと言われた。


 これもブログに載っていたカフェRamuncho に行く。 
                                 



 私とルーがアイスチョコ、ウーがコーラ、JJがコーヒーで10.1euroだった。
ここでついにDAIMARU VISAカードが何度、試みても使えなくなる。
お店の人がとてもあせっていた。こういう事もあると思ったが私もあせった。
現金で払うことになり、0.1euro負けてくれた。
ここは地元の人がコーヒー豆を買いにくるお店のようで、
味はとてもよかったし安かった。


最後にL.Raux
のチョコレート屋さんへ行く。
                             

                                                                      

                                 
                               
上階はカフェのようになっていてここでウーはトイレを借りる。
チョコレートとゼリーを買う。やっぱりDAIMARUカードは使えなかったので
楽天のVISAに切り替える。2種で12.80euro。

 バイヨンヌは次の日がお祭りという事でお店の80パーセントが閉まっていた。

                             


 特にレストランが数えるほどしか開いておらず
TGVの時間が決まっているので駅に近いレストランで昼食としたが最悪だった。
Menuを4人分頼んだがなかなか注文も聞きに来てくれなかった。
時間に限りがあるのは悪かったが地元民以外は今日は相手にしない
というお店の人の態度だったと思う。
何度か時間が無い事をアピールしてなんとか食べ終えて駅に急ぐ。
やはり事前に感じたとおりバイヨンヌはあまり印象はよくない。
ビアリッツに泊まって正解だった。

 駅は少し待ち、ボルドーまでTGVに乗り込む。
座席はコンパートメント。エアコンが効いていて快適。
あっという間にボルドーに着き、30分待ちの乗り換え。
駅のホームのインフォメーションでJJが次のTERの番線と時刻を確認。


                               

4番線、5分遅れでLibourne 行きの電車は到着。
Libourneの駅前にはタクシーが一台だけ。
親切な運転手さんで荷物も全て積んでくれて18.2euro 
チップ込みで20euro渡す。
20分くらいでホテルに到着。オウベルジュ ラ コマンドリエ 

                           




なんと私たちの部屋№20はフロントのある建物の道をはさんで
横の道がY字になっている角。メゾネットの2階建て。


                          
                         
トイレは二つあるけれどバスタブがついていないのが残念。
ポップな感じの内装だった。ここで誰が1階で寝るかもめる。
結局ビアリッツでいやな目に会った男組が2階と決定。
1階はベッドの前がすぐによろい戸という感じでなんとなく物騒。
コマンドリエというのは指令党という意味だとJJが教えてくれる。
そうか道理で2階のバルコニーからは眼下に街が見渡せる。


夕方、インフォメーションにガイドツアーの予約に行く。
ここの案内の人はフランスで出会った中で一番クリアーな英語を話す。
モノリス教会の英語ガイドツアーの16:30に予約する。
晩御飯はパンでいいと疲れ気味のJJが言い、かなり探したが
街中にパン屋は見つからなかった。夜はアメリアカンタという居酒屋へ。
モノリス教会広場に面していて広場にテーブルが出ている。


                          
隣の店も出しているのでなんとなくテーブルクロスの色で見分けがつく。
オニオンスープ、サラダ三種(チーズ、プリマベーラ、トマト)
パンはついてくる。
ルー カラフェの水、ウー コーラ、JJと私でカラフェのロゼワイン、
グラスワインの白、サングリア おいしかった。
サラダで十分夕食になった。
ヨーロッパのレストランやカフェは全て担当者制になっているので
どんなに急いでいても自分のテーブルの担当者でないと
注文を受け付けてくれない。
ここでの私たちの担当はニコラスケイジに似ていたので密かに家族で
「ニコラス」と呼んでいた。
何を頼んでの正確に迅速に来て、なかなか愛嬌もあるニコラスだった。

夕暮れると目の上のモノリス教会の塔がライトアップされてとても美しい。

                        


 回りはみんな飲んだくれて楽しんでいて観光客という不思議な一体感がある。治安もよく心からくつろげる。夜暗くなっても千鳥足でふらふらホテルまで帰ってもすぐ裏なのでとても安心。迷路のような町並みだけれどウーが結構「こっちが近道」と案内してくれる。若いとそういう事はすぐに身につくようだ。

                               

4日目
例のごとく朝6:30に起きて寝坊のルー以外は早朝散歩に出る。
散水車が出て家の窓の外の植木などに水を撒いたり掃除をしたりしている。
なるほど、この時間にやるのかと感心する。
街をきれいにするのはここの人たちにとって死活問題なんだ。
人通りのほとんどない街中を散策。田舎の街のなんともなつかしい感じがする。
                                 
                                  

ホテルの近くに郵便局がある。これが後でとても役に立つ。
ロイ城や町外れの城壁を見に行く。          
                            
                          

やっと7時過ぎの夜明け。
何ともいえないほど美しい。
 

                                                       


 


朝食は本館(?)のロビーの食堂で。ポップな感じの内装とテーブルセットだったが食器は古風でちぐはぐだった。

                                                       


パンがおいしく、生のプラムもありヨーグルト、コーヒー、チーズなど豊富な朝食だった。

9時30分にインフォメーションへ。
                              


モノリス教会の塔に登りたいと申し出るとなんとパスポートを出せと言う。
JJのパスポートを渡すと引き換えに入り口のなんともシンプルな鍵を渡される。
一人1ユーロ。これで自分たちが入ったら必ず中からも閉めておくように
言い渡される。合理的というか責任丸投げと言うか、、。
「おもしろい!」ウーが喜んで鍵を開ける。
中は薄暗く4人とも入って扉を閉めると真っ暗。鍵穴の位置を手探りで確認して
閉める。
細い螺旋階段を登っていくと                      




昨日、食べたアメリアカンタの外のテーブルが眼下に見える。    



広がるぶどう畑が目前に広がる。                
             

ラプンチェルのお姫様になったような気分。
トリニテ礼拝堂を見てロイ城に上がり、珍しく日本人夫婦と出会いこの旅行で唯一、一枚だけの家族全員の写真撮影。



ワインシャトー見学付きのプチトランに乗りにシャピトル門の近くに行く。一人6ユーロ。
ぶどう畑の中をそろそろ鋭くなってきた日差しにさらされながらゆっくり走る。                                  

Chateau Rochebelleに案内され地下のワイン倉を見学して試飲。

                                
高いような気がして買うのは見送る。日本まで送れるという事だったけれど、、、。
フランス人は買ったワインをぶどう畑で飲むまねをして写真を撮っていた。

 そろそろお昼。
インフォメーションの前のChez Germaine という霧状になった水が大きな扇風機
と共に吹き付けているテラス席のカフェに入る。

                       
 
 湿度の低いフランスではこれはなかなか涼しくて適度な湿り気を帯びて
快適だった。
きのこの大きなブルスケッタ(ピザみたい)



とフライドポテト、ワインとコーラを頼む。
24.5ユーロ。これで十分だった。

みやげ物やをひやかしたり、グラニータを飲んだりしながらアンダーグラウンド美術館へ。
なかなか不思議な陶器美術館だったが寒いのでウールの大判ショールを貸してくれた。

 疲れて一旦ホテルへ。
昨日の晩、2つある洗面で洗濯したのでシャワールームに干しておいたが
部屋にある説明を読んだら禁止事項の中に洗濯があった。反省。

 疲れた子供達を置いてワインの買出しに行く。
16:25にインフォメーションで待ち合わせ。
街中の酒屋さんには日本まで空輸無料などと書いてあったが
ガイドブックに載ってるワイン博物館へ行ってみようという事になった。
みんな買い物籠のような物に数本ずつ放り込んでいる。
私たちもカンで6本色々な値段のワインを籠に入れて支払いのレジに。
買う前に日本に送れるかと英語で聞いたのだが「OK」という事だった。
カードで支払って当然日本の宅配便のような用紙に記入すると思ったら、
「郵便局へ行け!」という言葉!?
一瞬頭が真っ白になる。この重い6本のワインを担いでまだ
旅程の十分残っている日々を送るのは到底無理。
郵便局は確か朝、散歩したホテルの向こう側にあった。すでに4時。
JJと郵便局にダッシュ。奇跡のように窓口に受付は2つ。
お客は無人。受付のおばちゃんにお互いわかりにくい英語でやりとりを
してなんとか時間がかかってもいいからできるだけ安い方法でワインを送るのは
コリッシモの3本パックというのが判明する。
箱を組み立てるのも「しゃーないなー日本人。」と言った感じで
おばちゃんがやってくれる。あわてて送り先を書いたのでなにがどうやら。
JAPAN だけ解れば後は漢字でもよかったのではないかと後で思うが、、、。
送り主の欄にも書けというので書く。


無事日本に届いたコリッシモ           
 全部でワイン6本で70ユーロ。送り賃104.4ユーロ。

                 

なんやこれ?私が手続きしている間に刻々とガイドツアーの時刻は迫る。
JJが走ってインフォメーションにガイドツアーの料金を支払いに行き、
ルーとウーに事の詳細を伝える。
郵便局を出たのは4時30分。インフォメーションまでダッシュで戻ったが
ガイドツァーは出発した後。
親切な窓口のニンフのような小柄な女性に事の詳細を話すと
「大丈夫。私について来て」とつるつる滑る坂道を転げるように付いて降りる。
   
                            
                              
                         
途中で手すりにつかまりながらゆっくり降りている
足の不自由な女性を追い抜きながら。
果たしてモノリス教会の入り口でルーとウーのいるガイドツアーに合流できた。
なんと私たちが追い抜いた足の不自由な女性はガイドツアーの参加者で
その人がゆっくり降りてくるのをツアー全体が待っていたようだ。
なんという奇跡。ルーとウーは私たちが来ない前にツアーが出発したので
心配していた。

 モノリス教会の内部にはこのガイドツアーでないと入れない。
モノリス教会の地下はすごかった。一枚岩教会とはよく言ったもので
こんな大変な作業を昔の人はしていたんだ!
今朝登った塔の下はこんなふうになっていたんだと感慨無量。
 

 夕食はきちんとしたレストランで一度くらいは奮発してと日本から予約して
いったホテルプレザンスのレストランへ。
すばらしいロケーションのテラス席。でもなんだか雲行きがあやしい。
ウーは寒さと緊張のため何度もトイレに行く。
風にあおられてハトの糞が、、、。


主菜まではおいしかったがここでチーズが出た。
これがいけなかった。欲張って三種ももらったもんだから
もう後が食べれない。
どうやら果物とデザートを主としたレストランのようでこの後、
デザートが五種類も出てくる。
完食ギャルソネと化したJJ.一つ一つはとてもおいしかたそうだが、
これでもかのデザート攻撃にあと3人は撃沈。
最後は雷鳴の中ホテルに帰りついた。
すぐ帰れるからよかったものの、、、。
この旅行初めての悪天候だった。でも雨は降らなかった。
でもこうなると寒い。


2008年夏 フランス旅行 その1 ビアリッツ編

2009-06-14 16:34:46 | 旅行
去年の夏に家族でフランスに旅行に行った。
その時、フランスツーリズムというサイトにとてもお世話になったので
情報をリターンするために紀行文をまとめた。ここについでにアップします。


旅程

2008年 8月 3日(日)関空~パリ(CDG)
       4日(月)パリ(オルリー)~ビアリッツ泊
       5日(火)ビアリッツ~バイヨンヌ~サンテミリオン泊
       6日(水)サンテミリオン泊
       7日(木)サンテミリオン~パリ乗り換え~サンマロ泊
       8日(金)サンマロ~モンサンミッシェル泊
       9日(土)モンサンミッシェル~レンヌ~パリ泊
       10日(日)ロワール地方 マイバスツアー参加  パリ泊
       11日(月)ルーブル美術館見学 モンマルトル見学 パリ泊
       12日(火)オルセー美術館見学 買い物 バトビュス乗船 パリ泊
       13日(水)パリ~関空

独身時代は毎年ヨーロッパに出かけていたが、新婚旅行以来子供が大きくなるまではがまん。
ついに2004年スイスへ自分の父と家族------JJ(配偶者)、ルー(高1娘)、ウー(中2息子)でツアーで出かける。
父が一度ヨーロッパに行ってみたいが、
一人はツアーでも不安だという事で子供達も小学生になっていたので。
味をしめて父(年季の入った鉄ちゃんです)は一昨年もイタリアへツアーで参加。
今回はこの暑さは高齢者には酷と思って家族4人のみで個人旅行にチャレンジ。

行くまで
夏の旅行はどうするの家族会議でウーは「沖縄、石垣島」と決まりかけた途端JJが一言
「海外旅行に行くって言ってたじゃないか!」と激怒。
実は夏、ルーが短期留学でニュージーランドに行くからそれに合流しようか
とニュージーランド行きを考えていたが、
時期尚早という事で見送り。ウーの石垣というのが念願だったのだがJJは仕事の関係上、
どうしても休める年が限られる。
今年は「海外へ」と意気込んでいた矢先。

あえなくウーの石垣は却下となりルーが行きたいフランスに決定。
思えばオリンピックの年毎に海外旅行に行く(と言っても2度目だが)と年まわりになってしまった。
2004年スイスツアーは私にとってとてもフラストレーションがたまってしまった。
きれいな自然だけというのはなんとはなしにつまらないし、
結構てんこ盛りのツアーだったがやっぱり自分で旅程を組みたい。
という事で子供が小さい時からイタリア、ニュージー、南の島と海外出まくり昔の旅行友達と連絡を取ると
なんと彼女の家族も同じ夏にフランス、パリへ行くというではないか。
レクチャー通り、JALも良いけれどやっぱり予約した時から座席も確保できてオープンショーでフランス国内ワンフライト付き、
リコンファーム不要なエールフランスが便利という事でさっそく3ヶ月半前からエールフランスのHPで電子チケットを確保。
とれたが、なんとも高値。一番込む時期。行きは真ん中の列の4人横並び、帰りは右側翼付近窓側2列を取る。
なんで通路側にしなかったんだろうと後で悔やむ。

計画
1、旅行ルール
誰かが言い出したらよほどお金がかからない限りやりたい事をする。
行きたい所に行くという事で旅程計画作成が開始された。
以前(20年前)南仏パリと回った私は今回バスク地方(ビアリッツ、サンテミリオン)、
ルーはパリ、ウーはロワール城めぐり、JJはルーブル、オルセー。
モンサンミッシェルはみんなが行きたいという事で一致。
できるだけ向こうであたふたしないようにと下調べを十分にし、
地方のバス停やバスの時刻表などもHPで探せるだけ探して最新の情報を取り込んだ。
それがまたアンティーチョークの皮を剥くみたいに(実際剥いたことはないのだが)
何が出てくるか目くるめく情報検索でのめりこんで楽しかった。

2、ホテル、食事
ホテルは全て予約していく。基本三つ☆~田舎二つ☆。安全、便利を基準にファミリ―ルームかトリプルの部屋があるところ。
このトリプルが3ヶ月前ではなかなか取れなかった。
食事もできるだけ事前に時間に無駄が出ないように適当な値段で気のはらない地元のレストランなどの予約を心がけた。
できるだけ直接HPから予約したが、CDGのシェラトンはエクスペディアから安かったので予約した。
  
3、参考図書、雑誌、ブログ
「地球の歩き方フランス、パリ」、「フランス鉄道の旅」、「わがまま歩き フランス」、「新個人旅行 フランス」「るるぶ 2008パリ」、
「ku:nel 2006・1月号(17号)」、「ミセス 2008・2月号」、 「旅 バスクはおいしい」
結構、雑誌の特集は的が絞れて参考になる。ミセスに掲載されていた
サンテミリオンは結果良かったのでラッキーだった。
HPは
フランス観光局
フランスツーリズム
バスクの砂糖壺


4、交通
エアーはエールフランスの公式HPの割引運賃 関空~パリ オルリー~ビアリッツ
パリ~関空
国内はフランスレイルパス 
大人2人はセイバーパス、子供は2人ともユースパスいずれも1等、3日間使用 事前にHISのHPで申し込んで購入 
TGVの予約もHISで電話で頼む 一番バカンス最盛期なのでTGVの予約が取れないとないと気が気でないので取れた時はほっとした。 
後はサンマロ~モンサンミッシェル~レンヌまでのバス、これも座席予約したかったのでブリトン社のHPからメールを送ったが必要ないとの返事が来た。

5、お金
10万円で60euroをヨドバシカメラの地階のカレンシーショップで買った。
手数料も取られないし、レートが悪い頃の割にはお得だった。
後はカード使用とATMが使えるだろうと予想して。
私にはトラベラーズチェックの有効性が全くわからない。銀行は開いている時間に行くのは不便だしホテルではレートが悪いだろうに。

1日目
自宅からHPで予約しておいたラピートに乗り込む。
携帯に返事が返ってきているので、全くチケットレス、便利。
9時過ぎには関空に到着。チェックイン4階 D。
手荷物調べの時私だけ化粧ビニール袋を調べられた。
規定どおりに詰めていたので係官の人も「すみません。」遠慮がちだった。
出国手続きをスムーズに終え、機内へ。4年前もスイスに行った時も何故かAFだった。その時より座席の前の幅が狭くなっているような気がする。

11:50離陸。すぐに映画「ナルニア国物語Ⅱ」を見始める。
画面が暗くてよく見えない。ほどなくランチタイム。
メニューは「豚かつとじ」or「チキン」だが機内後方なので当然選べない。ノーチキン豚オンリーである。
隣の席のフランス人は「ジャパニーズ ノーランチ」と言っていた。わかるような気がする。豚かつとじだもんなー。フランス人にはちときついが私は結構おいしかった。
チーズがおいしい。飲み物はハイネケンビール、ルーは水、ウーはコーラ。JJは赤ワインだった。




映画「プラダを着た悪魔」がおもしろかった。一旦寝に入るが途中で必ず小腹がすく。
座席後方がざわつくとすかさず移動して並んで「うどんでスカイ」を二つゲット。




かまぼこの飛行機マークがかわいい。

同時にハーゲンダッツのアイスバーも配布されていたがそれは無視。飲み物はギャレーにあるのでウーはひたすらコーラやジンジャーエールを飲んでいた。
ルーはマドンナとストーンズの最新盤が聞けたと言っていた。
朝食はハムの盛り合わせ、フルーツ、野菜サラダ。

                                  
                                

                                    
フライトは順調でエアーポケットにも合わず17:15着陸予定が16:48にはCDGに着く。

出入国カードはなし。入国は無言でスムーズ。悪く言えば無愛想。
荷物は10分くらいで出てきた。パリは小雨。
空港の「マダム エ ムッシュー ボンジュール」というアナウンスが、「めざましボンジュー」と聞こえた。
LVEL2の下調べをしてあったPAULのレストランのパンを買おうと思って急ぐがほとんど売り切れ状態。
黒人の売り子さんは閉店間際だったので機嫌が悪そうだった。
朝食用に何個かゲットする。動く歩道でゆっくり10分ほどでSNCF駅の上までたどり着く。

すぐにシェラトンホテルのフロント。ころころ荷物を転がしていくだけで楽。
そのそばの小さいほうのPAULの売店の方がパンが沢山売れ残っていたのでまたいくつかゲット。

18:00ホテルチェックイン。
明日のビアリッツのレストランの予約を電話で確認してくれるように頼んだら快く電話してくれた。
エクスぺディアで予約していたのでパソコンで打ち出した書面を見せるとすぐに部屋に案内してくれた。
なんだか都会の新しいマンションのような作り。廊下が吹き抜けになってて病院みたい。人影は少ないが明るい雰囲気。ダブル2部屋。
シティホテルのような感じ。






バスルームは広くて清潔。
それぞれ一組ずつしかスリッパやバスローブがおかれてなかったが疲れていたので敢えてフロントに言わなかった。
JJが英語をしゃべるのがおっくうだったからだ。
このスリッパは最後まで私とルーの部屋履きとして活躍する。
落ち着くと4人でSNCFの駅にフランスレールパスのバリテーションに行く。
パスポートが必要なので緊張する。一つ下のフロアに降りるとそこはSNCF駅。
切符売り場に並ぼうとするがどこの窓口でバリテーションしてくれるかわかりにくかった。
8番窓口の人がやってくれるからと別の窓口に並んでいたら教えられて8番窓口へ。パスポート提示であっさり日付を確認して書いてくれた。
明後日に乗るTERの予約もしたかったが必要ないとの事だった。

一旦ホテルの部屋へ帰りパンの夕食。湯沸かし器や紅茶、コーヒーセットがあるので助かった。
PAULのパンは味が濃いがおいしかった。
子供達は部屋に残り、JJと二人で明日のオルリーまで行くエールフランスバスのバス停と時刻を確認しに行く。
バスのチケットも買っておきたい。
ゲート2の外、ほとんどA2 に近い所にバス停を発見。バスチケットは売り場らしきものはなく、人に聞くと当日バス内で買えとの事。
8時近くなると暗くなるし人通りも少なくなる。なんとなく曇天でどうも気分的に暗い。

2日目
緊張しているせいもあり2時前に目が覚め、4時頃から読書。5時全員起こしてパンの朝食。フランスの水は紅茶にするとおいしい。6:30チェックアウト。
フロント係のお兄ちゃんに英語で「居心地はよかったですか?」と聞かれた
らしいがよくわからなかったから適当に「ノー」と答えたらJJに指摘されて「イエス」と言いなおす。カードで支払い。
フロント横のレストランでは早くも朝食を取っている人が何人かいた。早めに昨日下見をした
2Cの2番ゲートに向かう。運よくORLY 行きのバスが3台くる。
子供の年齢を聞かれて13、16歳と答えると4人で60euroだった。バスの運転手にお金を渡すとレシートのようなチケットをくれる。
6:48発のLigne3 のバスだったのでエアー関係者が多かった。
7:35にオルリーに着く。

              

10:15発のビアリッツ行きに乗る予定でとーっても早く着きすぎてしまう。
でもパリ市内が混んでいてバスが停滞したらどうしようとはらはらしたのでよかった。オルリー空港はフランスの地方に飛ぶ人たちがたくさん待っていて
ほっとする。ボーイスカウトのような団体や学生が多かった。
キャンプに行くようないでたちの子供たちや引率者が多かった。
2時間待つ間にウーはコーラをやっぱり飲む。350mlの缶コーラは2.8euro本当に日本に比べると高い!
やっとチェックイン。30分遅れて10:45に離陸。

                          

機内では飲み物とお菓子のサービス。私はビール。
隣のフランス人の女の子が英語で話しかけてくれるがだいたい解るんだけど
なかなかスムーズに会話はできないものだ。(反省)

ビアリッツ空港に着いたのは遅れを取り戻しながら11:50.
避暑地の田舎の小さな空港。
異国についてすぐに田舎に行くとホッとする。緊張が少し解ける。
荷物がターンテーブルになかなか出て来ない。売店の絵葉書なんかをルーと一緒に見ているうちに
荷物が出てきて外に出るとたくさんいたはずのタクシーが1台もいない。
列に並ぶこと15分くらいでタクシー(大型)に乗れる。
運転手は慣れた手つきで荷物を後ろに積んでくれて
地図を見せたら15分程度でホテル バル・フローレスに着く。

                                

ホテルはフロントのある本館ではなく別館のような隣の建物で16号室は2階の端、19号室は1階の端だった。どちらもダブル。19号室にウーとJJ。
この部屋が曲者でシャワー排水は悪いは、私がトイレに行こうと中から鍵を閉めたらあかなくなってあせったりとなんとなく湿っぽい。
匂いに敏感なウーは部屋にまいてあるフレグランスの匂いもいやだと言っていた。
16号室は田舎の民宿といった感じだった。

                            

JJは「きっと19号室は普段使われていない物置部屋ではないか。」と言っていた。予約時にロジ・デ・フランスのサイトを見たら
このホテルが載っていたがカマドマークに×がしてあったので
夕食は作ってないらしい。
案の定、カマドマークの看板はかかっていた。
お天気もいいので気を取り直して街中へお昼を食べに行こうとあたりをつけて
レストランの地図を持って出かける。
日差しは鋭いがからっとしていて涼しい。まさにバケーション地の空気。
15分も歩けば街の中心へ。

あまりの目指すレストランが遠いのと身なりの悪い中年男性がついてきたので
エドワードバッサー通りに面しているルーの勘による推薦のワインカーブ
のような店に入る。
                                  
                              
                                  
前菜4種とワイン白、赤 デミボトルをそれぞれ頼んだ。
赤はラベルが張ってあったが白はコルクも抜いてあって
ラベルもなかったのでハウスワインだろう。
こんな所で白ワインを昼間から飲む私もねー。
ヤギのチーズとトマトのサラダとマグロのカルパッチョのような料理がおいしかった。
海岸はまさに西洋バカンス!所狭しとバスタオルを敷いて
(ここではビニールシートはやぼなのか?)みんな泳ぐともなし寝そべっていた。
子供と若い男の子だけが泳いでいるような感じ。

店を見て回り、                         

バスク名物の赤とうがらし



ルーがお気に入りのTシャツがバーゲンになっているので買って
マガザラン通りで雑貨店をひやかしお土産用の
バスク柄のハンドタオル3枚セットを3セット買って、
お茶して                             




街をめぐるプチトラン(1人5euro)に乗って15分程で街中を回る。    



夕食に港沿いのChez Albertに予約をしていたので下見がてら港までぶらぶら歩いていくうちに
がけっぷちに若い男の子が2人海を見て立っている。

           
  

                        



回りで見ている人が「アレ!アレ!」と声をかけたらとうとう一人が飛び込んだ。港に着いて迷っていたもう一人が
かなり後で意を決したように飛び込んでたが上がって来た時
一人が足から血を流してました。
本当に若気の至りというのは世界各国変わりなしといった感じ。(「アレ!」は「頑張って!」という意味らしい。)

小さな港で完全にJJは昼間の赤ワインが回ってボー然と突堤の先で放心状態。
昼間からデミボトル全部を飲んではいけません。





ゆっくり時間がたっているようなビアリッツでした。
レストランは雑誌「旅」に載っていて全体の雰囲気もマリンぽくて良かった。
回りは一族郎党今夏はビアリッツ海岸ですごすからね雰囲気の
老若男女大人数グループが大多数を占め
海の幸スペシャル                     
                                  


それに付いているソース
                





を何個か取って後はアラカルトでそれぞれ。
8時30分を過ぎるともう満席で予約のないお客は断られていた。
JJはほとんど悪い酔い状態で食欲なし。



魚のスープ                       




貝柱のサラダ     
  





おいしかった。でも真夏に生牡蠣という日本人には少しハードルが
高かいような気がする。なんとなく残してしまった。
(後から考えたらおいしかったんだ。)
つぶ貝のような貝もなかなかいけたしここで私が飲んだ
サングリアがまたおいしかった。
満足して夕暮れる街をホテルまで帰った。