遊びをせんとや

毎日できるだけアンテナを張って
おもしろがりながら楽しみたい。
人は「遊びをせんとや生まれけん」です。

桂支雀の失敗

2009-02-22 20:04:21 | 舞台、映画、DVD
 桂支雀の事をイーデス・ハンソンが毎日新聞の夕刊に連載を始めた。
私が読んだのは2回目だったが、天才肌の落語家だった。
 
 それで思いだした舞台がある。もうかれこれ、20年くらい前だったと
思うが狐忠信の話を文楽と競演するという贅沢な催しが京都文化芸術会館で
あった。たぶん記憶は定かではないが竹本綱太夫との競演だったと思う。
 落語と文楽。文楽が上演され、その後落語だったと思うが、オチを間違えた
のである。まったく間逆に。その頃すでの支雀は襲名していたと思われるが、、、。

 支雀が。
その瞬間、思った事は「得した!」めったに観られない物を観てしまったと。

 イーデス・ハンソンさんによるとすごく自信家でプライドの高い人だったと
いう事だったそうだ。
 支雀は本当に躁の落語家だったと思う。
舞台はとっても派手だった。顔の表情や身振りも派手だった。
私は小米時代の深夜放送からのファンだったから、好きだったけど
なんだか晩年無理をしているような気がした。

 そんで死んでしまった。今調べたらちょうど10年前の春。

はみ猫

2009-02-22 16:10:14 | 日々のあれこれ
 家の裏の緑地帯にはみ猫。
なぜ「はみ猫」かというと近くの池の竹林で
野良猫を餌付けしているおじがいる(複数)
でその縄張り争いからどんな理由かはみだした
猫が2~3日前からそこに住み込んでいる。
娘と同じ高校の先輩がどうやら餌付けしている
ようだ。
 で鳴くんだよなーこれが、、、。

             


                        

だんなのワナ

2009-02-22 14:58:03 | 美術教育
 昨日は珍しく午前中掃除をすませ、午後から大阪教育大付属中学校で行われる
教育研究会へ。
 
 研究授業も午前中、あったのはあったのだが、美術科は実施されていない。
(本当に悲しい!)
技術・家庭科の「食料自給率の視点からの栽培」のような研究授業に少し興味は
わいたのだが要するに午後からの講演 内田 樹の講演会「現場の教育」を
聞いてみたいからだった。これはだんなの誘い。で当の本人は仕事で不参加。

 ネットで調べたにも関わらず電車には乗り遅れるわ、電車は停電で遅れるわで
10分も遅れてしまった。
 教育大付属の古い小会議室。所狭しとパイプイスが置かれている。
滑り込んで聞き入るとさわりの部分に間にあった。
 
 
話の内容は
・マスコミの功罪
 寝屋川の小学校へ乱入し、教師3人を殺傷した事件で保護者会で学校を攻める
 ような意見が出てまたそれを新聞に掲載さいた事について。

 昔、日航機の御巣鷹山の遭難事故機に担任のクラスの生徒が乗っていた。
 新聞社が取材に来た時、やっぱりドラマチックな話を聞きだそうとしていた
 のが印象に残っている。亡くなった生徒はおとなしくいい子だったが。
 卒業式にもずかずかと(本当にそんな感じ)当然のようにテレビ局も来た。
 そんなもんなんだとその時肌身にぞっとした。
   
・市場原理が学校教育に入ってきて学力低下が著しくなった。
 子供達が「これ勉強して何の役に立つの?」という質問に対して答えては
 いけない。
 常に費用対効果を考えている大人が悪い。全てお金に換算している。
 
 私も1年生では「これ、答えた人は3点」とかやってるし。
 本当にあざとい手だと思っているが、
 3年間教えてきた後に「本当はどの作品もみんな自分の個性が出ていて
 おもしろね(これはinterestingという意味で)他の人の作品も楽しいよ。と
 競争ではなく共感としてその場(同じ材料で、同じ教材を作ったという)を
 共有できた喜びを味わう事こそ最大のこの教科の目的だ。その事を無言の
 うちに生徒たちに感じさせられたらと思ってはいるが、、、。(言い訳かな?)
 今の学校の子のいい所は他人の作品の良さを素直に言葉に出せる事。
  

・人間の五感を磨いて野生を取り戻せという事。
 レヴィ・ストロースの「野生の思考」の例を上げ、文明化で失って
 しまった野蛮を取り戻せとの仰せ。おっしゃるとおり!
 
 まかして美術というこの教科で人間の描く、彫る、粘土を練る、作るを
 実践してます。行為から得られる五感の訓練はぴったりはまるではないか?!
 
 内田先生はただ今、神戸女学院の文学部教授、教務主任をされているそうで今時の
 女の子は大丈夫だそうです。彼女たちは「田舎で百姓して自分の食べる
 物は自分で作って子供を産んで、、。」というくらしを語るそうなので。
 やっぱり私と一緒。女は勘よ!
 心配は男の子。特に11歳から17歳までの男子。まさに我が息子。
 中1まで基地ごっこにあけくれていたのはどうでるか?

  高校での世界史の未修得の話も出てきた。
 色々な勉強をするのも勘を養うためなんだ。意識化のシノプスが
 それこそ知らない間に結びつくんだ。と思った。
 色々な知識が絡まりあって勘になるんだ。
 だから義務教育で10教科教える意味があるんだ。
 最初に勤務した学校で阪大出の社会の女の先生が沢山勉強すると勘が当たる
 ようになるっていう話に妙に納得した。

  予定の4時を超えても会場全体の熱気が冷めやらず、まるで落語会かライブに
 来ているような空気。アンコールの代わりに質問3人。
 質問者の興奮も伝わってくる。


 質問した人でまだ独身の男の武道を教えている先生が
 「自分の子供時代に側あった自然がどんどんなくなっている。
 将来子供ができた時にはどうやって自然と接したらよいか。」と
 いう質問に
 
 「たまに子供達を田舎に連れて行けばいい。」という意味の答えと
 ご自分が子供時代にウィルス性心臓病で療養のため田舎の施設に入っていて
 友達にいじめられた時大風にしなる竹を見ていてそのうち自分が
 溶け出してその竹と一体になったような気がした。という話が忘れられない。
 そういう自然と一体になるといった経験や感覚がきっと今の私たちや特に
 子供達になくなっていったのが怖いという事なんだな。きっと。


 
 で、なんでだんなのワナかというと
 帰りに天王寺の本屋できっちり橋本治との対談集と「ひとりでは生きられない
 のも芸のうち」の本を買ってしまう。
 要するにだんな橋本治との対談集を私に買わせるためのこれは策略だったのだ。



 

にせにぼし

2009-02-21 09:04:18 | 美術
 ダイニングのテーブルの上に干魚?




 よーく見ると木彫。
娘の美術の作品です。ほうの木かな?柔らかそうだから、、、。

にぼしを先生が用意してくださって、彫って着彩したそうです。
リキテックスで。銀色だけは借りたそうです。






 うーん。めざしくらいの大きさはあります。おもしろい!




三本の縄~1年の授業・木彫①

2009-02-15 06:44:27 | 美術教育
 美術の時間にできるだけ様々な材料を触らせたい。
紙は当然の事。紙粘土。金属。木。石。

木を彫るのは楽しい。よく切れる彫刻刀で無心にさくさくと彫っていく。
その手ごたえが気持ちいい。という事で必ず1年生では木彫で小物掛けを
制作する。

 
 木彫に取り組む時、正倉院の建物の木は何千年と生きているがそこに
使われている鉄の釘の方が
早くさびてぼろぼろになる、と言う話や
木という自然の物を人間の勝手で命を奪うのだからその木が生きてきた分
作った物が生かさなければならない
という話もする。

 導入の部分では以前、安野光雅が「たのしい木彫」という本に書いた
一文を使っていました。この本は素人に木彫の楽しさを紹介するために
絵本作家の安野光雅が初めて木彫に挑戦した時に感じた事を元に編集されています。
なんと43年前に発行された本ですが、木彫の初心者にはうってつけの一文です。

 二ューギニアの原住民の木彫作品を見て『彼らは全く彫刻の天才です。
しかし、ひょっとすると、私たちも彫刻の天才なのかもしれないのです。
 数代も飼いならされて、もう穴を掘って巣を作る必要が
なくなった家畜のウサギでも地面に放すと巣のための穴を掘るそうです。
ウサギに伝わる習性の血が、ウサギとして生きてきた習性を呼び覚ますのだと説明されています。
 してみると、私たち人間に彫刻のひらめきがあるのは、魚を釣り、鳥をうつ
狩猟人の心が生きているからかもしれません。
 だまされたと思って、彫刻刀を買い、それをとぎすまして木を彫ってみて下さい。
 かつて木を彫り、洞窟に絵をかいたわれわれ祖先の心がよみがえってくるに違いないのです。
 もともと私たちは、に二ューギニア土人のように彫刻の天才だったのです。』
 この一文はもっと続くのですが、要するに無心に一度やってみてという事を強調
します。

 「刃物のはなし」
 『日本の刃物と西洋の刃物とでは構造が違います。(中略)
日本の刃物は刃金と地金とから成り立っているのです。
 包丁や彫刻刀をよく見ると、切れる部分のきらっと光っているところ、
これが刃金で、その他の部分が刃金をささえる地金です。
 刃金と地金は、ちょうど夫婦のようなものです。刃金は、先頭に立って働き、
鋭く、堅い、しかし柔軟性に乏しい、妻の地金は、やわらかく、柔軟性に富んで
いて折れにくい、この二つの性質が相まって、よく切れる刃物となっているわけです。
 (中略)小学校の頃、よい点がもらえなくて工作がいやになったと言う人が
ずいぶんありますが、結局それはその人が悪いのではなくて刃物が切れなかった
からです。
 刃物さえよければ、点がよかろうと悪かろうと、おもしろさが先にたって、
物を作ることが嫌いになるはずがないのです。』

 この話をして日本の彫刻刀のよさを強調します。

 肝心な彫刻刀なのですが、私も色々試してみました。パワーグリップやらなんやら、
プラスチックの滑り止めのような物がついた物まで試しましたが、
あまりに高価な物も買えません。
かと、言って安物ではすぐに切れ味が悪くなります。
なかなか空き時間に40の彫刻刀セットを研いでいる時間も取れません。
授業中研磨機を持ち出して研いでやったりもしながら、
結局、落ち着いたところは天竜彫刻刀5本組。
あまりに刃こぼれがひどい時には単品で買い換えていくという事で。

 木彫のデザインですが、なんでもありの時もあったし、最近は厚み1cmの中で
透かし彫りとカマボコ彫りを身につけさせたいので「三本の縄」というテーマを
設定しました。
 生徒たちになんでもいいので縄状の物を挙げさします。色々出てきます。
うどん、土管、髪の毛、リボン、電線、腕、電信柱、鉛筆、紙テープ etc

 と言う中から一つを選んで構図用紙の中に3本からませながら構成していきます。
この時、必ず縄の太さを2cm以上と設定します。そうでないと後で浮き彫りが
とてもやりにくくなります。なんせ中1。版画は経験があっても木彫は初めて。
しかも厚さ1cmの中に三本の高低を表現するのですからあまりに
複雑だと彫りで挫折します。最初の成功体験はとても大切です。
 当然電動糸鋸もばんばん使いますから、なかを切り抜く所と縁を切り抜く所を
決めさせます。縄以外全部切り落としてもかまわないのですが、そうなると
残る部分がぐっと少なくなるので透かし彫りとして切り抜いてしまう所は2箇所
縁は三箇所くらいと最初は限定します。本来、構図の段階で縄部分が太ければ
大丈夫なのですがね。
 電動糸鋸は7台同時に動かせますが、今の学校の生徒はどんどん切っていきます。
前任校で何度かヒューズが飛んだこともあります。(その時同時に調理実習で炊き込み
ご飯を炊いていたので、、、。)
作業が停滞しないように彫りの説明をして、教材についているビデオで説明をして
すぐに電動糸鋸の説明をしてすぐにきらせます。三箇所切ったら黒板に書いてある
順番の子の名前を呼びという具合に全員が一応三箇所切るまで回します。
その間、なんとかカマボコ彫りの第一段階まで進めるようにすると彫ってる子
電動糸鋸で切っている子と言う具合に飽きもきません。
ここで厚みの半分まで彫り下げる事を強調します。後の仕上げがなかなか
想像できないのでここが勝負どころだという事を力説します。
全員一応糸鋸で切った段階くらいで電動ドリルで穴を空け、中切りに挑戦します。
透かし彫りの部分が5箇所もあるとそれだけで1時間くらいたってしまうので
2~3箇所限定にします。後でどうしても切り抜きたいと言えば快くOKを出します。

 電動糸鋸で全て切り終わるとどんどん彫りも進みます。
角を平刀を裏向けてカーブをつけるのを「100角形は円に近い」という例を
黒板で説明して丸みをつけさせます。
ここで初めて第一段階でなぜ厚みの半分彫り下げなければならなかった
かという事を生徒たちは実感として知るのです。

 

盗み撮り?

2009-02-14 16:14:52 | 日々のあれこれ
 何だか階段を降りる音やドアの開く音。
我が家のパソコンは2階にある。隣は子供部屋。
めずらーしく下の息子は勉強している。

 で下へ降りるとダイニングテーブルの上にかわいいチョコ!

 ふふふふ。盗み撮り、、、。




 今年、たった一つ(?)の本命チョコでした。

整理してみよう

2009-02-14 15:44:32 | ブックリスト



 デザインが真っ白なので写真をアップしても全然ぴんとこないが
少し前に読んで整理下手私が参考にしようと思った本。

 カテゴリー別にボックスを作るなんて授業で使う様々な道具類を
すっと取り出せるようになるとハタと気が着いた。
 ようし、やってみよう!

テレビの実害

2009-02-14 15:32:45 | 日々のあれこれ
 最近、正確に言うと「篤姫」終了後、以来、
本当にテレビを見ない。観たいと思わない。

 たまに子供が夜見ているテレビを横目で眺めながら
本当にテレビって人を堕落させていくもんだなと最近思う。
「人をだましてそのバカさかげんを笑う。」
「一般的な知識の多さを競い、その事を知らない人を馬鹿にする。」
という図式のバラエティばかりのような気がする。

これって人を馬鹿にして笑って自分の日ごろのストレスを発散しいる
って事だよね。それは余りにも不毛。


 民放であれ、NHKであれ、企業(私には物を売りたい経団連みたいな団体)
の意図で観ている人の神経を麻痺させて「これがいいんです。」って
浅はかな根拠のない情報で神のご宣託箱みたいになってしまっているテレビが
本当に怖い。

 
 テレビから開放されたらとても時間が有意義に使えるようになった。
いくらその時みないからって録画していても囚われていることには代わりは
ないんだ。
 
 

「格差をなくせば子どもの学力は伸びる」②

2009-02-14 15:13:22 | 仕事
 次に私が最も感銘を受けたのは
「総合的学習は有効である」という事。

 前任校勤務時代、総合的学習真っ只中。
総合の時間や選択授業の時間によくやりました。
選択授業2,3年生合体で「子供と遊ぼう」。
幼稚園や保育園へ取材に行ってどんな遊びや
ゲームが有効か。実際ゲームの道具を作ったり
おもちゃを手作りしたり、ペープサートを作って
劇の練習をして実演しに行ったりした。
それなりに生徒たちのモチベーションもあがり
印象に残った授業になった子もいる。
そんな中から保育士に実際就いた生徒もいた。

今や総合的学習は地に落ち、百ます計算全盛期を
再度向かえようとしている。

 正直言って私がやってきた事はまちがっていたのかと
ショックだった。本当に落ち込んだ。
 繰り返し練習を中学校でもまた復活させるのだろうか?
それが日本全国低学力化が本当に救えるのだろうか?
 という事がこの本の第5章フィンランドという鏡に映る日本の教育
 「日本とフィンランドの分かれ道」-おわりに
という部分に書かれている。
 安心した。私がやってきた事はあながち間違いではなかったのだ。
 実感から得るインスピレーション、体験から得る学習へのモチベーション。
 そんな事がとても重要なんだと再度確認した。
 
 校外学習は減り、紙と鉛筆だけの一番子供達が苦手な抽象でだけ
学んでいくんだなと暗い気持ちになる。


 本当の学習ってなんだろうなと思う。

フィンランド教育本「格差をなくせば子どもの学力は伸びる」①

2009-02-14 14:45:48 | ブックリスト
「格差をなくせば子どもの学力は伸びる」
を読了。




 一番感心したのは教師がよく勉強しているという事。
とても社会人として教養も専門知識も豊富に持っていて専門職して
成り立っている。

 午後2時には学校に生徒も教師もいない。うらやましい限りだ。

 常々思うのだが、誰も声を大にして言わないが、放課後のクラブ活動の事
だ。

 これは私は教師の仕事ではないと思っている。(正しいかどうかは別にして)
これほどスポーツ熱が高ければ、世間にはスポーツの指導が出来る人が山ほどいると思われる。
ワークシュアリングの考えからもその人たちに社会スポーツとして
地域で教えてもらう事がなぜ職業として成り立たないのでろうか?
不思議でならない。
かの藤原和博さんでさえ和田中の改革後に「クラブは子供達の楽しみだから
学校教育からはずせない。」という意味の事を言っている。どうしていつまでも勉強とクラブ活動
がセットで学校で面倒見なければならないのでろうか?

 毎日平均3時30分近くまで授業があって、総合の時間があって、掃除があり
放課後は会議が平均週1くらいの頻度で入り、授業の空き時間は全員ほとんど一日平均2時間くらい。
それで6時くらいまでの隙間時間にその日の授業のまとめ(プリントの採点や
作品の途中採点)次の日の授業の準備。毎日のようにある生徒指導。
合間を縫って会議の準備。クラブを見る時間なんて本当にあるんだろうか?
運動部の顧問の先生は土日も平均半日は練習。時には試合の引率。

当然しゃべっている時間なんてほとんどないのでみんなが分刻みに動いていて
打ち合わせもままならないままルーティンワークが過ぎていく。

 勝間手帳のおかげで事細かにToDoリストをこなせるようになってきたので
期限の1日前に仕事を仕上げるという事が可能になってストレスが減ったのは
とても進歩だった。夕方は効率がすこぶる悪いので5時30分には職場を出る
ようにしているが、その分つけが回ってきて休日出勤とあいなる。
当然休みの日に家で仕事をする週も多い。
クラブは美術部の顧問。クラブ活動自体は授業とは違う活動が生徒と一緒に
できて楽しいのは楽しい。でもいかんせん時間がない。

 家のだんななんてもっと悲惨だ。でもだんなの学校はほとんどの先生が週休
0・5日制くらいの働きぶりだ。これっておかしくならない?
燃え尽きてしまわないかな?
民間はもっと厳しいと言われたらおしまいだが、、、。
いくら仕事が好きでもあまりにワーク・ライフバランスが異常。
教師は年齢が50に近づくと心療内科的な病が多いというのも当然。