桂支雀の事をイーデス・ハンソンが毎日新聞の夕刊に連載を始めた。
私が読んだのは2回目だったが、天才肌の落語家だった。
それで思いだした舞台がある。もうかれこれ、20年くらい前だったと
思うが狐忠信の話を文楽と競演するという贅沢な催しが京都文化芸術会館で
あった。たぶん記憶は定かではないが竹本綱太夫との競演だったと思う。
落語と文楽。文楽が上演され、その後落語だったと思うが、オチを間違えた
のである。まったく間逆に。その頃すでの支雀は襲名していたと思われるが、、、。
支雀が。
その瞬間、思った事は「得した!」めったに観られない物を観てしまったと。
イーデス・ハンソンさんによるとすごく自信家でプライドの高い人だったと
いう事だったそうだ。
支雀は本当に躁の落語家だったと思う。
舞台はとっても派手だった。顔の表情や身振りも派手だった。
私は小米時代の深夜放送からのファンだったから、好きだったけど
なんだか晩年無理をしているような気がした。
そんで死んでしまった。今調べたらちょうど10年前の春。
私が読んだのは2回目だったが、天才肌の落語家だった。
それで思いだした舞台がある。もうかれこれ、20年くらい前だったと
思うが狐忠信の話を文楽と競演するという贅沢な催しが京都文化芸術会館で
あった。たぶん記憶は定かではないが竹本綱太夫との競演だったと思う。
落語と文楽。文楽が上演され、その後落語だったと思うが、オチを間違えた
のである。まったく間逆に。その頃すでの支雀は襲名していたと思われるが、、、。
支雀が。
その瞬間、思った事は「得した!」めったに観られない物を観てしまったと。
イーデス・ハンソンさんによるとすごく自信家でプライドの高い人だったと
いう事だったそうだ。
支雀は本当に躁の落語家だったと思う。
舞台はとっても派手だった。顔の表情や身振りも派手だった。
私は小米時代の深夜放送からのファンだったから、好きだったけど
なんだか晩年無理をしているような気がした。
そんで死んでしまった。今調べたらちょうど10年前の春。