【きょうの人】 0521 ■ 孫 権 三国時代の呉の初代皇帝 ■貞慶 鎌倉時代前期の法相宗の僧 ■ 真宗本派親鸞聖人誕生会
本日、ゆかりの人をご紹介します。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。
■ 貞慶 鎌倉時代前期の法相宗の僧
じょうけい
久寿2年5月21日(1155年6月22日)- 建暦3年2月3日(1213年2月24日))
号は解脱房 勅謚号は解脱上人 一般に笠置の解脱上人と呼ばれます。
11歳で出家し、「貞慶」と名乗りました。
鎌倉時代前期の法相宗の僧であり、祖父は藤原南家の藤原通憲(信西)、父は左少弁藤原貞憲です。
法相宗を興福寺に学び、20年余そこで過ごしました。
釈迦如来、弥勒菩薩、観音菩薩、春日明神を深く信仰し、戒律の復興に努め、法相教学の確立に大きな役割を果たしました。
その一方で朝廷の信任も厚く、勧進僧と力を合わせ、由緒ある寺社の復興にも大きく貢献してきました。また、興福寺奏状の起草者として、興福寺の衆徒が法然らの提唱した専修念仏の禁止を求めて朝廷に奏上しました。(【Wikipedia】を基に作成)
■ 真宗本派親鸞聖人誕生会
しんらん
旧暦 承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日
ユリウス暦 1173年5月14日 - 1263年1月9日
グレゴリオ暦 1173年5月21日 - 1263年1月16日
浄土真宗の開祖「親鸞(しんらん」は、鎌倉時代承安3年4月1日に京都市伏見区日野に生誕しました。
現在の新暦では、5月21日にあたることから、この日に誕生会(たんじょうえ)の儀式が行われます。
「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという浄土宗の開祖と仰がれた法然を師と仰いでいました。
その教えを継承し、さらに高めて行くことに力を注いだといわれています。
独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとりました。
親鸞に関する文書がほとんどないことから、その生涯は不明確なことが多く、史実か伝説か判別できないのです。
■ 孫 権 三国時代の呉の初代皇帝
そん けん
光和5年(182年)-神鳳元年4月26日(252年5月21日)
三国時代の呉の初代皇帝で、字は仲謀です。
張昭に師傅の礼を執り、父や兄から引き継いだ家臣の周瑜・程普・呂範らをまとめあげて、積極的な人材登用を行います。その巧みな人心掌握術で家臣の心を掴んで、内政を整え、巧みな内政手腕を発揮して治めました。
有名な赤壁の戦いは、後漢末期の208年、長江の赤壁において起こりました、曹操軍と孫権・劉備連合軍の間で行われました。
宿敵・劉備は荊州南部の武陵・長沙・桂陽・零陵の四郡を併合して、着々と地固めをしています。
もう一人の宿敵曹操は、劉備にも救援を要請して、孫権を責めることを提案しましたが、劉備は拒絶します。
このようにして、三者三すくみとなり、三国時代、すなわち三国鼎立の時代になるのです。
小説『三国志演義』では、孫権を表して「碧眼紫髯 堂堂一表」と堂々とした風采の持ち主として描写されています。巷では「碧眼児」(青瞳の童)と呼ばれました。
度量が広く、柔軟な物腰ともいわれ、質素倹約を好んだそうです。
三国の三人は、それぞれ個性があり、人により評価は異なりますが、劉備が評価されがちで、孫権は悪く言われる傾向があるように思えます。
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