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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 13 新提案の困難の中に見えてきた光明

2024-10-18 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 13 新提案の困難の中に見えてきた光明 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。

◆5章 中小企業を育てる
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 一方で、駐在員事務所としての重要業務のひとつアテンドでスケジュールが乱れることも多い、毎日でした。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆5-13 新提案の困難の中に見えてきた光明
 新商品開発提案への本社の厳しい評価を無視して、竹根は提案を続けた。本社だけではなく、この新商品である顕微鏡の提案については、メーカーの北野原社長に直接談判を続けた。
 竹根の新提案に対して、北野原は、非常に早い反応であった。竹根は、北野原の見積書に通常のマージンの倍近い見積もり価格をつけてフィルモアに提示した。フィルモアは、その接眼レンズを十本すぐに注文をくれた。
 はじめは角菊の及び腰に影響されていた北野原が、次第に竹根に耳を貸すようになってきた。竹根は、まず、ユニット式の新顕微鏡体系を手書きの図入りで北野原に手紙を書いた。角菊に言っても理解されないと考えたからである。しかし、角菊にも概要だけは、伝えるようにした。
 北野原は、ユニット式の提案がいたく気に入ったようである。従来の形の顕微鏡の場合、お客様が三種類の光源から選択できるようにするには、三種類の鋳型が必要になるという。ユニット式にすることにより、三種類の鋳型はどうしても必要であるが、それぞれが小さくなるので鋳型のコストは節約できるという。
 開発の手順として、高電圧式のベース内蔵光源の開発からの着手を提案した。販売価格が安く、その結果市場で売りやすい定価設定ができるからである。それができたら低電圧式の内蔵光源つきに着手して欲しいと伝えた。
 もし、両者の開発費がかさむようであれば思い切って高電圧式をやめて、低電圧式だけでも良いとレポートした。最大強敵となりそうなスバル顕微鏡は高電圧式しか持っていない。できるだけ価格戦争をしないで、スバル顕微鏡に打ち勝つには、ベースが熱くならず、視野内均一性の高い光源を提供する低電圧式のメリットで勝負をするためである。
 ケーラー照明付きは、多少時間がかかってもよいが、現在外付けで販売しているケーラー照明器をそのまま組み込むことを検討するように提案した。
 北野原からは、竹根の現実味の高さを考慮した、地に足がついた提案をいたく気に入った。何度も角菊を訪問して、ユニット型の構想について、竹根を代弁して北野原は熱く語った。
 販売価格の設定も一台いくらという価格設定であったが、竹根は、組み合わせごとに価格計算をしやすいように、ユニットごとに定価を設定することにした。そのためには、どうしても鋳物型代の償却を含む原価は、原価を割ってでも低くするように要求した。
 最終的には、開発費の捻出が課題である。
 幸い、レタリングセットや統計器の売上が順調に伸び、駐在事務所としての経費は充分まかなえるようになった。とはいえ、駐在事務所としては利益を上げることが法律上できないので、ビジネスとしては、本社と顧客の直接契約となる。多少の煩わしさはあるが、現体制では、これがベストなやり方であると竹根は考えている。
 竹根は、日本の大学院の研究室に残った同期の研究者を頼って、日本における公的助成金や補助金についての資料を送ってもらった。それをもとに、北野原に公的資金をケント光学が申請することを提案した。しかし、角菊はまだ動こうとしない。北野原は、福田社長に竹根の提案について直訴をした。当然、角菊はおもしろくなく思うが、やむを得ない措置である。さすが、福田は即決してきた。
 照明装置だけではなく、接眼レンズや対物レンズも、アポマートを除く竹根の提案が受け入れられ、開発に着手をすることになった。
 顕微鏡ビジネスで新製品開発の体験をしたことは、後に経営コンサルタントとなった時に実践経験に裏付けされたアドバイスができる大きな体験であった。
  <続く>

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