【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 9 北野原社長の辛口トーク
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業
私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
*
【これまであらすじ】
竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。
*
1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。
*
1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。
*
◆5章 中小企業を育てる
*
◆5章 中小企業を育てる
商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
一方で、駐在員事務所としての重要業務のひとつアテンドでスケジュールが乱れることも多い、毎日でした。
*
*
※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
直前号 ←クリック
*
◆5-9 北野原社長の辛口トーク
北野原社長との中国料理の夕食は、竹根には豪華すぎる思いをしていた。それだけではなく、北野原の顕微鏡愛の強さが伝わってきて、食事が一層おいしく感じられた。
「スバルというブランドの顕微鏡を知っているかい?」
「スバルですか?日本の顕微鏡のようですね」
「スバルというのは、星野商会という従業員が十人にも満たない会社だ。そこが、日本のレンズメーカーや、加工業者を使って顕微鏡の形にただ組み立てをするだけで、アメリカやヨーロッパに輸出をしている。毎年、三十億円もの売上を上げているのだ」
「たった十人で三十億ですか」
「そうさ、それに対して福田商事はどうだ。年間アメリカに百万円にも満たない金額しか顕微鏡を輸出できていない。自分たちが売りやすいものしか、売らないからだ。顕微鏡のように、販売に手間がかかるものは、代理店に任せっきりだ。そのアメリカの代理店も先般倒産してしまった。だから、今は福田商事はアメリカに顕微鏡の販路を持っていない。接眼や対物レンズが少し出ているだけだ」
竹根は、福田商事の顕微鏡ビジネスについて、初めてその現状を知った。その実状が、あまりにもひどいことにショックであった。すくなくてもケント光学は福田商事の子会社である。その子会社の製品すらアメリカでは微々たる実績しか上げていない。
「代理店が倒産したからといって、福田商事の海外営業部は誰もその代わりを探そうとはしない」
声が少々うわずってきた。不満が北野原の気持ちを高ぶらせているようだ。しかし竹根はなんと声をかけてよいのかわからない。
――子会社としては福田商事のやり方に不満を持つのも当然だ――とただ、そんなことを考えるだけである。
「福田商事がうちの顕微鏡を売ってくれないのなら、他に販売チャネルを開拓したいと思うけど、福田商事の子会社だから、まさかそうするわけにも行かない。だけど、これでは飼い殺しだ」
強い紹興酒なので、まわりが早い。北野原は、限界を超えたようで、口数が次第に少なくなってきた。これが潮時であることを、この数日間で竹根は学んだ。
<続く>
*
◆5-9 北野原社長の辛口トーク
北野原社長との中国料理の夕食は、竹根には豪華すぎる思いをしていた。それだけではなく、北野原の顕微鏡愛の強さが伝わってきて、食事が一層おいしく感じられた。
「スバルというブランドの顕微鏡を知っているかい?」
「スバルですか?日本の顕微鏡のようですね」
「スバルというのは、星野商会という従業員が十人にも満たない会社だ。そこが、日本のレンズメーカーや、加工業者を使って顕微鏡の形にただ組み立てをするだけで、アメリカやヨーロッパに輸出をしている。毎年、三十億円もの売上を上げているのだ」
「たった十人で三十億ですか」
「そうさ、それに対して福田商事はどうだ。年間アメリカに百万円にも満たない金額しか顕微鏡を輸出できていない。自分たちが売りやすいものしか、売らないからだ。顕微鏡のように、販売に手間がかかるものは、代理店に任せっきりだ。そのアメリカの代理店も先般倒産してしまった。だから、今は福田商事はアメリカに顕微鏡の販路を持っていない。接眼や対物レンズが少し出ているだけだ」
竹根は、福田商事の顕微鏡ビジネスについて、初めてその現状を知った。その実状が、あまりにもひどいことにショックであった。すくなくてもケント光学は福田商事の子会社である。その子会社の製品すらアメリカでは微々たる実績しか上げていない。
「代理店が倒産したからといって、福田商事の海外営業部は誰もその代わりを探そうとはしない」
声が少々うわずってきた。不満が北野原の気持ちを高ぶらせているようだ。しかし竹根はなんと声をかけてよいのかわからない。
――子会社としては福田商事のやり方に不満を持つのも当然だ――とただ、そんなことを考えるだけである。
「福田商事がうちの顕微鏡を売ってくれないのなら、他に販売チャネルを開拓したいと思うけど、福田商事の子会社だから、まさかそうするわけにも行かない。だけど、これでは飼い殺しだ」
強い紹興酒なので、まわりが早い。北野原は、限界を超えたようで、口数が次第に少なくなってきた。これが潮時であることを、この数日間で竹根は学んだ。
<続く>
■ バックナンバー