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シラスの炊き込み飯弁当/「日本三大仇討ち」の話し。

2023年01月31日 | 田舎生活の衣食住
 シラスの炊き込み飯(シラス、長ネギ)
 赤魚の粕漬け
 煮〆(大根、コンニャク、ニンジン)
 舞茸の白菜巻き
 出汁巻き卵
 コールスロー・サラダ(キャベツ)







 最近魚が高い。魚ばかりではないが、このところの値上がりは、目を見張るものがある。財布の中身は増えんのに、物価高騰で、益々余儀無くされる倹約生活。
 こんな時、同じような物ばかりでも、文句無し。主食があればそれで良い。炭水化物喰いが幸いだったねえ。と、自身に言ってみたりして(笑)。でも、量を喰うからね。と、自身で反論してみたりする。

 「日本三大仇討ち」って知っている? この三つの仇討ちも色々説はあるのだが、有力なのが、言わすと知れた1702年の「赤穂浪士の討ち入り」かと思いきや、これが外れて、1193年「曽我兄弟の仇討ち」、1634年「伊賀上野の仇討ち」、1672年「浄瑠璃坂の仇討ち」の三つとする説もある(「赤穂浪士の討ち入り」がランクインして、「伊賀上野の仇討ち」、か「浄瑠璃坂の仇討ち」が外れる説も有り)。
 個人的に「赤穂浪士の討ち入り」は、仇討ちではなく、お門違いの夜襲だと思っているので、「曽我兄弟の仇討ち」、「伊賀上野の仇討ち」、「浄瑠璃坂の仇討ち」を採用しよう。
 そのひとつ「浄瑠璃坂の仇討ち」の概要は、簡単に言うと、下野の宇都宮藩において、仙台藩主の法要の席で、重臣同士が抜刀。その際の裁定が、片手落ちだと、怒った藩士が脱藩までして、「仇討ち」を敢行したって話し。
 これが「赤穂浪士の討ち入り」より遡ること30年前。無論、大石内蔵助は知っていた筈で、討ち入り後の行動が、「浄瑠璃坂の仇討ち」を模したかのようなのだ。
 因みに、「浄瑠璃坂の仇討ち」を成し遂げた者たちは、数年の遠島の末、ほとんどが、井伊家始め各藩に召抱えられている。
 大石さんも、浪々の元藩士の将来を憂いて、これを狙っていたとしたら…。