八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

今日は天気がもつのでは

2011年05月28日 06時15分00秒 | 日常
◇昨日は午前中は晴れていたけど、午後からは曇りだった。
  気温は15~20℃だから、5月上旬の少し肌寒い感じかな。
  天気予報では今日は曇りで、今のところは雨雲もかかっていないし、多分なんとか持ちそう。

  GW中にボランティアした娘も、今日はビニールハウス内の片づけを手伝う予定とか。
  だから少しくらい雨が降っても、娘のほうは多分大丈夫だろう。

◇足踏みインターバルを10分に長くしてから、首から尻にかけて24時間ジンジン心地好い血流刺激を覚えている。
  マヒしている筋肉細胞に血が沁み入って行くような、そんな感じがする。
  だから暇さえあれば首・太腿などを揉んだり、体幹ツイストで胴体や肩をグリグリ回している。

  頻度は少ないけど唇、鼻、頬、頭皮にも、時々ピリッと弱く血流刺激が走るなぁ。
  まぁ、もろもろの回復が日々総加算されて、だんだん良くなって行くんだろうけどね。

   ps:13年間のうちで一番良くなったのは、おそらく口まわりだと思う。
     ・食べること → 今はサンマの小骨はへっちゃらだし、タンタンメンの辛さはむしろ大好き。
     ・話すこと  → 今も多少舌ったらずはあるけど、
               けっこう長い会話も、食べながら話すこともできる(咳き込むからダメと娘に言われる)。
     ・歌うこと  → カラオケを始めたのは、お銀が他界する半年前(2008年春)からだった。
               あの頃は声が裏返り、ブレスも追いつかず、息も絶え絶えで、
                ヒドイ調子で影法師をやっとこさ歌えたかどうか。

◇この項はさるさる日記(2008年9月21日 第2の新婚時代)より

  橋出血してからの数年間は、息継ぎをしながら喋ることができなくて、『うっ』と息を止めて喋っていた。
  咽喉がマヒして肺活量も小さく、ノーブレスで必死に喋るからいつも怒鳴り口調になって、
  『お父さんと話していると、いつも怒られているみたい』と、娘達には敬遠されていた。

  そこで、お銀は会社へ送迎する車内では、私にたくさん喋らせるように仕向けていた。
  出社時朝の1時間、夕方の帰りの40分、毎日車の中で、私はずーっと喋りまくっていた。
  たまに入るお銀の相槌もうわの空に、一心不乱にとにかく喋り続けた。
  振り返るとこの喋りまくりが、息継ぎと肺活量の結構なリハビリになったと思う。

  単身赴任で東京―仙台と離れて暮らしていたから、
  今振り返ってみるとこの10年間は私達の第2の新婚時代だった気がする。

◇最近はナツメロ映像をいじっているけど、いろいろ出くわして結構楽しいねぇ

   三百六十五夜             
   この世の花
   エリカの花散るとき
   湖愁
   花はおそかった
   女学生
   青い山脈 
   いつでも夢を
   ああ上野駅
   泣いてたまるか
コメント
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