八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

6月1日(妻の他界と目標歩行レベル)

2018年06月01日 19時26分22秒 | リハビリ・ADL
リハビリ目標について、昨日のブログを若干補足する。

脳幹(橋)出血に倒れた時は、
 ・働き盛りの46歳だったし、
 ・娘達二人とも高校3年生だったし、
 ・住宅ローンも20年以上残っていたしで、
会社に復帰できなければ路頭に迷いかねない状況だった。
幸運にも会社復帰が叶い、54歳で退職するまでに諸懸案は全て解消させることができた。
リハビリも妻の支えがあったればこそで、文字通り妻と二人三脚でやって来たのだった。
会社を退職して2年後、
これからは妻と二人で悠々自適という訳ではないけど、その矢先にまさか妻が他界してしまうとは。
妻の他界後は燃え尽き症候群ではないけど、リハビリ目標についても妻の他界前後で考えかたが変わった。
  ★ビフォ:妻と二人三脚でセカンドライフを歩むのが当たり前だったので、何が何でもとにかく歩いてみせるだった。
  ★アフタ:一人で安定的に歩くのが難しいうちは、自宅外ではもう歩くつもりはない。
        (付添が必要な歩行レベルのうちは自宅外では安全な車イス⇔付添が必要な歩行練習はデイでのみ)

    参考:妻との二人三脚歩行
        エアリ(複合SC)、病院など自宅以外での長距離(数10m以上)は車イス移動だったけど、
        庭や自宅まわり、ナスパ(東北電力名取スポーツパーク)など歩行者のプレッシャーのない所では、
        妻の付添と一本杖によって非常にゆっくりだけど数10mは歩けた。
        歩行スタイル=良い手に一本杖を持ち、マヒの右側横に同じ向きで妻に付添って貰い、
                   妻は左手で私のマヒ(右)二の腕を掴み、前後左右に私の歩行をコントロールした。
                   また私がマヒ側によろけた時などは、妻は身体全体を私に押し当てるように転倒を防止してくれた。
  
    ps1:言い方を変えると、妻の他界によって目標とする歩行レベルが格段に高くなった。
       過去20年の回復程度と妻の他界を見据えて、現実的にリハビリ目標を調整した。
       今までは漠然としていたけれど、今年3月にBデイで麻雀と出会って、
       日常生活の質向上(QOL)のキーはマヒ手の回復如何である思いを強くした。

    ps2:54歳で会社(NTT)を退職したのを機に、2006年からさるさる日記でブログを始めた。
       さるさる日記のブログは5年間続いたけれど、2011年さるさる日記そのものがサービスを終了することになった。
       そこでさるさる日記の数十のブログ記事をグーに移設して、2011年からグーで八兵衛のセカンドライフを継続した。
       さるさる日記のブログ記事のいくつかの日時が、グーに移設した2011年にジャンプしているのはそのためだ。
       妻が他界した時はまださるさる日記だったけど、2011年にグーに移設したため日時の情報にズレが生じている。
コメント
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