内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日一日と終わりが近づくこの冬休み、今年の泳ぎぞめ

2019-01-06 23:59:59 | 雑感

 フランス語には、日本の「正月」に相当する概念はないし、「年の瀬」についても、感覚的にぴったりそれに該当する言葉はない。ノエルが終わり、年を越せば、一般に第一月曜日が仕事始めのことが多いから、早いときは二日から仕事が始まる。街全体を領する駘蕩とした正月気分など、当然、味わいようがない。働きすぎと言われる日本人の感覚からしても、それはちょっと勘弁してほしいと感じられる。もっとも、日本でも、だんだん三が日と普段の日との差が小さくなってきてしまっているけれど。
 今年は、幸いなことに、第一月曜日が七日であるから、大学も明日が年明けの始動日である。今週が前期最終週になる。だから、明日までにストラスブールに戻りたいと思っていたのだが、うまく航空チケットが取れず、自分が担当する修士の演習の前期最終回がある九日水曜日の早朝にシャルル・ド・ゴール空港着、午前中にストラスブール帰着、午後三時には数人の学生がオフィス・アワーに来ることになっているから、それまでには大学に出向かなくてはならない。とはいえ、今週は、学生たちの最終プレゼンと筆記試験だけなので、特にこちらで準備しておくことはない。
 今日の午前中は、今年の泳ぎぞめ。背泳ぎを主にして二〇〇〇メートルしっかり泳いだ。一時帰国中にプールに行ける回数はそれほど多くないし、一箇所で観察したことから一般的な結論を引き出すことは不当なことであるから、これは単なる私的印象に過ぎないのだが、中高年に限って言うと、女性の方が泳ぎの型がしっかりできていることが多い。今日は日曜日で、男女ほぼ同数、全部で十人ほどの人が完泳コースで泳いでいたのだが、男性はどちらかというと自己流の泳ぎ方をしている人が多い。
 この違いはどこから来るのか。私の推測では、女性陣は、水泳教室などでインストラクターについてしっかり泳ぎの基本を学んでいるのに対して、男性陣は、若い頃に泳ぎは覚えたにしても、特に泳ぎの型を習う機会はなかったのではないかと思う。つまり、女性たちには、そのような時間があったのに対して、男性たちには、それがなかった、ということである。
 パリでもストラスブールでも、私が日常的に通っていたプールではそのような男女間の違いは観察されなかった。男女ともに、少数のちゃんと泳ぎの型を身につけた人たちがいる一方、まったく自己流でやたらに手足を動かしているのにそれが推進力になっていない人たちがなんと多いことか。彼ら・彼女らには、よりよい泳ぎ方を身につけようという向上心がまったくなく、ただ自己満足的に水中で運動を繰り返しているだけのように見受けられる。
 このような表層的「文化人類学的」観察はともかく、私は自分の目標に向かって泳ぐだけである。