内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

箱根駅伝往路テレビ観戦

2019-01-02 23:59:59 | 雑感

 今日は、朝から昼過ぎにかけて、箱根駅伝往路のテレビ中継をずっと観戦していた。子供の頃から、箱根駅伝は、いわば正月の風物詩のように、なんとなくテレビ中継を見てはいた。それにしても、近年の人気の高まりには驚かされる。なぜこれほどまでに駅伝は見る人を惹きつけるのだろうか。
 各出場大学の選手たちが必死に走る姿はそれだけで感動を呼ぶものではあるし、往路復路合わせて十人の走者がチームとして襷を繋いでいく中で生じるアクシデントやドラマにハラハラ・ドキドキさせられるというのもわかる。強豪校同士の優勝争いが一番の見ものであるのは言うまでもないが、それだけが見どころというわけでもない。彼らの走る姿をテレビで見ていると、どの出場校も全員完走してほしいと自ずと応援したくなるものだし、不調や転倒等の理由でそれが叶わなかったときは、彼らの無念に思わず同情したくなる。個人競技とも違い、チーム同士が対決する野球やサッカーとも違う魅力が駅伝にはあるからこそ、他のスポーツには特に興味がない人たちさえ、選手たちを熱心に応援するのだろう。
 その魅力とは何だろうか。それは、一言で言えば、何か一つのことを複数の人間が全力を尽くして「繋ぐ」ことによって達成するところにあるのだと思う。そのことをとてもシンプルな形で競技化しているところに駅伝の魅力があるのだと思う。それぞれのランナーは、自分一人で走るしかない。自分の走る区間については全責任を負わなくてはならない。しかし、それは「繋ぐ」ために走るのであって、自分自身のためではない。襷は、個々の走者が担い、次の走者に託すべき「繋ぎ」の具体的形象なのだ。