内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「あそぶ」―外在的拘束から解放された自律的時空間を楽しむこと

2019-01-31 23:59:59 | 哲学

 「あそぶ」という動詞、「あそび」という名詞、「あそばす」という動詞は上代から広く使われていた。記紀万葉神楽歌にその用例を多数見ることができる。遊びの種類は、奏楽・歌舞・宴会・行楽・舟遊び・遊猟・碁など多岐にわたり、また時代・階層によって異なるが、「あそぶ」という行為の共通点は、「日常の業(仕事・任務)から離れた場に身を置いて、解放された身心を活発に動かして楽しむ」(『古典基礎語辞典』角川学芸出版、2011年)というところにある。「あそばす」は、アソブとス(上代の尊敬の助動詞)の連語であったものが一語化して尊敬の他動詞になった。「アソブとは、日常から解放されて好きなことをして楽しむことであり、どのような事柄をいうかは時代や環境などによって異なる。古くは神事の際の楽器の演奏、芸能も含み、上代では花摘みや狩猟、酒宴など、野山で楽しむことを主にアソブといったため、そうした貴人たちの動作に助動詞スを付けて尊敬の意を表した」(同辞典「あそばす」の項)。
 以上から、アソブとは、その行為に参加するものたちがその行為に固有な規則を自ら設定・遵守し、そのアソビに対して外在的な必要性・拘束・強制や目的手段連関から解放され、自律的な時空間を共有し、それを楽しむこと、と定義することができる。外的な拘束から自由であり、何ものにも強制されることなく、他からの命令によらず、己自身の自発性から自律的時空間において実行される行為を敬して表現するとき、それが「あそばす」である。「身分の高い人はただ自発的な楽しみによってのみ行動するほどの崇高さの窮みに生きていると思われているのだ」(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』里見元一郎訳、講談社学術文庫、2018年)。