内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「元がない努力」がもたらす底なしの転落 ― 堀川惠子『永山則夫 封印された鑑定記録』を読みながら

2019-01-20 15:19:37 | 読游摘録

 今からすでに半世紀以上前の1968年に世間を震撼させた連続殺人事件の犯人、永山則夫が処刑されたのは、事件の翌年の逮捕から28年後の1997年のことである。獄中で執筆され1971年に刊行された手記『無知の涙』はたちまちベストセラーとなり、支援者たちも集まり、その裁判はメディアでも大きく取り上げられたが、1990年に死刑が確定すると、次第に人々の関心は薄れ、刑の執行は新聞の片隅の数行の記事にしかならなかった。
 2012年、長く封印されていた永山則夫の鑑定記録の存在が明らかになった。その記録とは、鑑定を担当した精神科医石川義博医師が鑑定の際に回し続けた100時間を超える録音テープである。そこには、永山則夫の肉声が生々しく記録されている。
 この録音テープを石川医師から託され、八ヶ月かけてそれを原稿に起こし、徹底的に検討することで、連続殺人犯の少年の心の闇に迫ったのが堀川惠子の『永山則夫 封印された鑑定記録』(岩波書店、2013年。講談社文庫版2017年)である。
 石川医師が鑑定作業にかけた期間は278日。ひとりの医師による単独犯への鑑定で、これだけ長期間を費やしたものは極めて稀だ。その鑑定書の原本は質量ともに膨大である。ビッシリと細かな文字で二段組、182頁。その内容は、永山本人の生い立ちの細部だけではなく、両親・兄姉たちの生い立ちと複雑な関係にまで及んでいる。この鑑定の基礎となる膨大な情報はどうやって集められたのか。この問いを解く鍵は、永山自身が語った録音テープにある。
 永山の肉声による証言に基づいて細部まで再現されている永山の生い立ちを読んでいると、読んでいるこちらまで苦しくなる箇所が多々あり、続けて先を読むことができず、本を閉じてしまうことが一再ならずあり、年明けから読み始めていながら、まだ読み終えていない。所々に挿入されている石川医師の見解の中には、とても他人事とは思えず身につまされてしまうところさえある。

「人が努力をしようという意欲を出すこと、つまり努力のエネルギー源は、愛情とか褒められるとか尊重されるとか、そういうものがなければ続かないし実らないんです。お母さんというか、母親的な優しさとか保護とか愛情があって、それで自信や安心感を得て、やる気、努力する力が出てくるわけなんです。そういう基盤があっての努力だったら実りがあるんですが、元がない努力というのは多くの場合、疲れ、くたびれ果て、さらに悪くなるという方向にしか向かわないことが多いのです。
 永山はそういう基盤をまったく持たない上で、努力だけで自分を一人前にしようとするわけですが、やはり空回りで続かない。もっと悲惨な状況になっていく。いわば人間の根っこです、基本的信頼感とも基礎的信頼感とも言いますが、それがなければ人間は成長できないし努力もできない。私の診療でも、最近はそういう子が多いですね。親子の関係が希薄で、パソコンや携帯電話に熱中して他人と付き合わない。生の人間関係とか働くとかスポーツするとか、そういう体験がないと人間的になりにくいですね。バーチャルな、非現実的な世界で遊んでいても、現実で自立しようとしたときに心の栄養にはならないですから。大きな事件を起こさないまでも、今はインターネットの世界とか、ああいうもので憂さ晴らしをする傾向が見られますね」(297‐298頁)。

 本書は、単に過去の殺人事件の犯人の心理を理解することを可能にしてくれるだけではない。人間の成長にとって何が本質的に大事なことなのか、それが決定的に欠けているとき、人間はどこまで転落してしまうものなのかを、一人の殺人犯の心理を徹底的に読み解く忍耐強い作業を通じて私たちに問いかけ、その問いを今の社会に生きる私たち自身の問題として考えることを強く訴えかけてくる。