内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

聴いてくれる相手が目の前にいるからこそ生まれてくる言葉がある

2020-03-17 17:43:57 | 講義の余白から

 今日の午前中「近代日本の歴史と社会」のオンライン授業を行った。接続に関しては ZOOM の方が安定している。
 今日の授業を始める前、早朝から授業の準備をしているうちに、講義形式の授業なのだし、昨日の記事で話題にしたように充分な接続環境が得られない学生たちもいるのだから、オンライン授業にこだわるよりも、講義を全部録音してパワーポイントと一緒にアップしたほうがいいのではないかと思うようになった。
 そこで授業のはじめに学生たちの意見を聞いた。昨日の授業については、やはり接続に問題があった学生が少なからずいた。途中からほとんど私の声が聞き取れなかったという学生もいた。これでは授業にならない。仮にこの問題は ZOOM では解消できるとしても、接続環境はそれぞれの学生側の問題であり、その点での不公平の解消のためには何もしてあげられない。
 そこで彼らの同意のもと、今後の授業はすべて録音してアップすることにした。これで接続環境の不安定性に左右されずに学生たちはいつでも授業内容にアクセスできるようになる。特に月曜日の授業は日本語で行うから、録音を繰り返し聴くことができるというのは学生たちにとって大きなメリットにもなる。私も教室でのように同じことを繰り返して言わなくて済むようになる。
 もちろんデメリットもある。インターアクティブ性は完全に失われる。臨場性もない。規則的に授業に出席するという生活のリズムも学生たちは保てない。これらの条件下で彼らはモチベーションを維持できるだろうか。
 私は普段から簡単なメモだけで講義をする。もちろん話したいことはすでに頭に入っている。しかしそれは同じことの繰り返しだからそうしているのではない。毎年講義内容はかなり変える。授業の準備には時間をかける。用意したメモもど忘れしたときの用心でしかない。なぜそうするか。それは目の前にいる彼らに語りかけているからこそその場で生まれてくる言葉を大切にしたいからだ。もちろんいつもうまくいくとは限らない。失敗もある。
 こうした言葉の誕生は聴いてくれる相手が目の前にいてこそ可能になる。それが失われるのは悲しい。