内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

私のキキ・カンリ ― 私は君たちのそばにいる

2020-03-25 18:32:01 | 雑感

 あらかじめ申し上げておきますが、今日の記事の内容はかなり乱暴かつ不適切な文言を含んでおり、一部の方々にはご不快な思いをさせるかも知れません。しかし、ますます厳しくなった外出禁止令のせいで頭がおかしくなったから、以下のような暴言を吐くのではけっしてありません。
 外出禁止令が発令される前からのことですが、私は、夜は早く寝て、午前三時頃起きて仕事を始めるのを習慣としておりました。仕事が溜まっているときは一時間起床を早めます。さすがに深夜にメールを送ってくる人は少なく、それだけ仕事に集中しやすいからです。もちろん時差がある日本からはその時間帯にもメールが届くことはありますが、それはほとんど急を要するメールではありません。
 ところが、ますます危機的な現況においては、いつ緊急メールが入るかわかりません。実際、昨晩、十時頃、一通のメールが学部三年生から届いていたのです。それは本人がかなりパニック状態にあることを示している内容で、すぐにも対応すべきでした。ところが、私はすでに就寝していて、そのメールを見たのは午前三時過ぎでした。「しまった」と思いました。
 過去の経験からも言えることなのですが、こういうときに大切なのは初期対応の迅速さなのです。本人を少しでも安心させるためには速さが重要です。それを逃してしまいました。起床してすぐに本人にメールを書き、すぐに問題に対処する旨伝えました。直ちに関係する教員たちに状況説明のメールを送り、ある回答を求めました。
 ここからは残念ながら私の意志ではどうにもならないところがあります。直ちに応答してくれる教員もいますが、再度請求しなければけっして答えないのもいる。再三の要求にやっと答えてくれた、やれやれとメールを開ければ、言い訳から始まっている。「そんなものいらねえんだよ! そんな暇があるなら、直ちに答えろ!」 怒りを鎮めるのは容易ではありません。
 教員も学生も人間です。みなそれぞれに個人的事情があり、家庭があり、家族があります。それはその通りです。でも、教員であるかぎり、プロとして最低限の義務、いやそんなことはどうでもよい、もっと端的に、人間的義務があるのではないですか。
 とりわけ今のように過去に例のない危機的な状況では、若い学生たちのほうがはるかに精神的に弱いのです。彼らを守ってあげることはできません。そんな力は残念ながら私たちにはありません。でも、教科を教えていればそれで事足れりと思っているなら、それは大間違いだと私は思います。今必要なのは、教科内容の継続性などではない。彼らの心をサポートすることです。
 もちろん、私たちは教員であって、カウンセラーではありません。本当に深刻なケースは専門家に任せるしかありません。しかし、今の状況は一部の特定の学生たちにのみ関することではなく、その全体に関することであり、彼らはすべて多かれ少なかれ精神的に不安定な状態に置かれています。そんなときに宿題がどうの、課題がどうのなんて、はっきりいって、どうでもいい。
 私が間違っていると思うならそれでいい。この危機を乗り切ったら、さっさと辞めてやるよ。