日々の規則的な自己検証を勧めるフェヌロンの著作が十九世紀のフランスにおける内省日記の誕生を準備したという仮説を前提に話を進める。だが、その誕生に至る過程はけっして単純ではなかった。
フェヌロンの教導的著作が十八世紀を通じて読まれロマン主義時代にまで影響を及ぼすに至ったのはどのような経過・経路を経てのことだったのか。フェヌロンの教説がボシュエを急先鋒とするカトリック教会によって厳しく断罪されたフランスではそれが直に広まることはなかった。確かに『テレマックの冒険』は広く愛読された。しかしそれは散文芸術の粋としてであって宗教的教説のゆえではなかった。
宗教的断罪後にフェヌロンが宗教的思想家としてフランス文学史の中に再びその名を刻むようになるのは、フランスの外での評価がいわば逆輸入されることによってである。カトリック世界の外で高まった評価がフランスでの再評価の機運のきっかけになった。カトリックの聖職者の「異端的な」教説がスイスとドイツというプロテスタント世界で信奉されたことが本国へのその思想的「凱旋」を可能にしたのである。
その過程を辿るための資料として Pierre Pachet はカール・フィリップ・モーリッツ(Karl Philipp Moritz)の自伝的心理小説『アントン・ライザー』(Anton Reiser 1785年刊行)を挙げている。この小説の中で主人公アントン・ライザーは〈個〉の近代的意識についてさまざまな表現を与えている。近代的な〈個〉は、自己を肯定したかと思えば群衆の中に埋没し己を見失い悲嘆に暮れる。意識が明晰なとき自己の存在が儚く脅かされていることを実感し、まさにそうであるからこそその意識の中で己という〈個〉の掛け替えのなさが自覚される。
しかし、このような自覚がフェヌロンの教説から直接導き出せるわけではない。モーリッツはむしろフェヌロンやギュイヨン夫人に代表される静寂主義に反抗することで不安で不安定な〈個〉の意識に表現を与えていく。