内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

書写には心の乱れを鎮める効果がある

2021-01-05 15:59:18 | 雑感

 先程、ふと、思い立った。そうだ、書写をしよう、と。
 昨年来、本を読んでも、音楽を聴いても、それだけでは乱れた心を鎮めるには何か足りないという気がしていた。自分の手あるいは体を動かす、あるいは声を出すなどの積極的な身体的動作が欠けていた。かといって、水泳のような運動は別である。体を動かした後の爽快感はあっても、泳ぐことそのことが心を鎮めてくれるわけではない。ウォーキングも気分の切り替えには有効だし、思考を集中させることもできる。しかし、書写には、それらとはまた別の効用があるように思う。手書きで自分の文章あるいは手紙を書くというのとも違う。自分が好きな詩歌・散文を、文字通り、書き写すだけである。写経とも違う。それはそれでとても大切な行いだと思うが、そこまで対象を限定せずに、自分にとって手本となるような文章、あるいはただ憧れているだけの文章、あるいはしみじみ美しいと思う文章の一部を書き写す。たくさんは書かない。私は字が下手である。だから、よほどゆっくりと丁寧に書かないと体をなさない。文字の形、言葉の響き、詩章に込められた意味を噛みしめながら書き写す。そうすることで、筆記用具を動かす手を介して、その詩句・文章の生きた美しさに触れることができる。十分程度で十分に鎮静効果がある。これは文章を知的に理解するのとは異なった心的過程である。
 さて、何をまず書き写そうか。以前一度書写を試みたときには、万葉集の中のお気に入りの秀歌から始めた。何にするか迷わずにはいられないが、それは時間の無駄だ。あまり気負うと続かない。何からでもいいではないか、とにかく始めよう。ということで、あれこれ考えず、源氏物語の「初音」の帖の冒頭の一節を選んだ。

年たちかへる朝の空のけしき、なごりなく曇らぬうららけさには、数ならぬ垣根の内だに雪間の草若やかに色づきはじめ、いつしかとけしきだつ霞に、木の芽もうちけぶり、おのづから人の心ものびらかにぞ見ゆるかし。ましていとど玉を敷ける御前は、庭よりはじめ見どころ多く、磨きましたまへる御方々のありさま、まねびたてむも言の葉足るまじくなむ。春の大殿の御前、とりわきて、梅の香も御簾の内の匂ひに吹き紛ひて、生ける仏の御国とおぼゆ。さすがにうちとけて、安からに住みなしたまへり。