内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

声とは何か

2021-01-12 22:10:46 | 雑感

 竹内敏晴の『教師のためのからだとことば考』(ちくま学芸文庫 一九九九年)の中の「人が人へ話しかけるということ」と題された節にこう書かれています。

わたしたちは、音は、科学的にいえば空気の振動であることを知っています。この場合、声は音としてはすべて聞こえてはいるわけです。にもかかわらず、声が届かない、と感じたり、ふれたと感じたりする。話しかける、声をかける、という行為は単なる音の伝播ではなく、こちらのからだがまるごと相手にぶつかってゆくような全くジカなナマな重さと熱さをもったふれ合いであることがわかります。(六七頁)

 同じ部屋の中で話しかけるべき相手に向かい合っていたとしても、声が届かないということが実際ありうるわけです。これは誰しも多かれ少なかれ経験があることではないでしょうか。これは声というものの本質に触れる大切な問題だと思います。機械を介した遠隔で声を届かせることは、言うまでもなく、なおのこと難しい。
 他方、生中継の音声ではないどころか、何十年も前に録音された肉声が再生装置から流れてくるのを聴いて心を動かされるということも私たちにはあります。このことは、今同一空間内で向かい合っていることが相手に声が届くことを保証しているわけではないし、その必要条件ですら必ずしもないということを示しています。
 声が単に情報伝達の手段であるのならば、それに替わりうる様々な代替手段を今私たちはもっています。しかし、私たちが生きるために必要としているのは情報だけではありません。声がなければ生きていけないとまでは言えません。しかし、そもそも声とはいったい何なのでしょう。声が届く、あるいは声が触れるとは、どういうことなのでしょう。