以下、どうでもいい話である。
「女子会」という言葉は、いったいいつごろから使われ始めたのだろうか。ちょっと気になって、ジャパンナレッジで調べてみた。イミダス2018の説明が一番詳しかった。
女性限定で気の置けない仲間が集まって、おしゃべりを楽しむ飲み会やお茶会。女性同士の宴会は昔からあったが、最近の流行は、アメリカの人気テレビドラマシリーズで映画化もされた「セックス・アンド・ザ・シティ(SEX AND THE CITY)」に影響を受けた日本の雑誌モデルらが、ブログなどで自分たちの個人的な集まりを「女子会」と称して情報発信したのが始まりだという。集まるメンバーは学生時代からの友人や職場の同僚などが多く、主な楽しみとして、同性ならではのあけすけな本音トークによるストレス発散や共感、また趣味やファッション、美容、恋愛などの話題から情報交換や刺激を得ることなどが挙げられている。
この説明によれば、この語が広く使われるようになるのはせいぜいここ十数年のことである。実際、私がまだ日本にいた二十数年前には聞いたことがない。しかし、この説明の中にある、「女性同士の宴会は昔からあった」という一言がまた気になった。「女性同士の宴会」はいったいいつ頃からあったのであろうか。こういう問いの答えは、柳田國男や宮本常一の本の中にありそうである。でも、わざわざ彼らの著作にあたってそれを調べるだけの時間はさすがに今の私にはない。
ところが、この問いに対する答えを立川昭二の『日本人の死生観』の中に期せずして見つけた。その答えが含まれている一節を引用しよう。
いうまでもなく江戸時代の女性は家族や身分にきびしくしばられ、現代女性のような自由は許されなかった。しかし、そうした時代、女性にもそれなりの息抜きの行事や組織があった。たとえば正月十五日を「女の正月」といい、この日は女は朝からなにもせず、男が料理し、女はただそのご馳走を食べ、晴着を着て、近くの社寺に参詣し、仲間を集めて、親しい家々を廻りながら歌ったり踊ったりした。また五月五日の夜を「女の家」といい、この夜は男は家を出て、女だけが家にのこり、食べたり、飲んだりした。女の酒盛りである。
こうした女の集会は、やがて女だけの伊勢参りなどの「講」の組織になり、信仰を名目に女たちが連れ立って旅をするまでになった。小林一茶に〈春風や逢坂越る女講〉という句がある。家から離れ、男から解放された女たちが、にぎやかにおしゃべりしながら旅をしている光景が街道に見られたのである。(一九九頁)
出典は何も示されていないし、本書には歴史的根拠を示さずに安易に断定している箇所も少なくないので(まあ一般書だから、文句を言う筋合いではないのだが)、鵜呑みにしていいかどうかはわからない。でも、上掲の引用の中にあるような光景が江戸時代に見られたことを想像してみるのはちょっと楽しくありませんか。