相良亨の『武士道』を、仕事の合間を見つけては、先を急がずに、一段落ずつ、繰返し読んでいる。武士について語っていながら、武士の代わりに人間と入れてもそのまま通用するような箇所が少なくない。例えば、「ありのままたりうる武士は、客観的世界の事実を重んずる、ことの真相をみる目をもつ」ことについて述べた以下の箇所もそうである。
ありのままたること自体が、自己のこしかた行って来た事実を偽り飾ることなくそのままに、それが自分であるとして世に立つ姿勢を意味する。客観的事実としての自己の外に自己を認めず、よくもわるくも自己の価値はこの事実において評価さるべきであるとするのが、ありのままを尊重する精神におけるもっとも注目すべき姿勢である。事態の真相をありのままに捉えることも、他者を事実に即して客観的に評価することも、このありのままたる武士においてはじめてなしうるところなのである。なお、すでにのべたように、このありのままには自負が支えになっていることを忘れてはならない。(62頁)
この自負が私にはまるでないことを認めざるを得ない。したがって、ありのままたりえない。他人からの評価におどおどし、他者を羨み、妬み、あるいは蔑み、心落ち着くことがない。