昨日今日と、修士二年の学生二人に対して修論指導のためのZOOMでの個別面談を行った。二人とも提出物の締め切りをきちんと守る真面目な学生だが、これから今年末までに修論を仕上げるためには、それぞれに乗り越えていかなくてはならない階梯がまだいくつもあり、それらを本人たちに明確に自覚させることが今回の面談の主な目的であった。
江戸時代の対馬藩の朝鮮との外交史をテーマにしている学生は、今年度九州大学に留学し、このテーマについて同大学の大学院で一年間指導を受ける予定であった。ところが、今年度の留学はコロナ禍でキャンセルになり、来年度、つまり今年の九月からの留学にアプライしているが、まだ先方からの返事がなく、もしかすると留学を諦めざるを得ないかも知れない。
誰も望んではいないそのキャンセルの場合を想定して、修論の構成を大幅に変えることを彼女に提案した。フランスにいても資料的に困らない部分を大幅に増やし、日本でしか閲覧できない文献・資料の参照がどうしても必要な部分を可能なかぎり縮小するというプランである。
江戸時代の外交史は、フランスではまだ本格的な研究が乏しく、対馬藩についてのモノグラフィーはまだない。だからこそ、彼女にこのテーマを提案した。本人も大いにこのテーマに関心を示し、フランスにいながらにしてはかなりよく資料を収集し、昨年中の困難な状況の中でよくやっていると思う。
しかし、個別的な事実関係に関する研究は、やはり日本に行かないことには難しい。そこで、対馬藩と朝鮮との関係史をより大きな歴史的文脈に位置づける考察に重点を置くことにしたのである。本人は歴史研究の専門家を目指すつもりはない。日本学科修士課程を終了したら、翻訳家養成の修士課程に進むつもりでいる。こちらの要求水準もそれを考慮したものになる。
彼女の場合のように、学業は修士までで終え、職業生活を目指す学生が多数を占める傾向はすでに数年前からはっきりと見られる。それでなくても、研究者を目指して博士課程に進む学生はそれ以前からごく少数だ。だから、修士のカリキュラムの内容もそれに合わせて改定すべきだと私は思っている。しかし、それには乗り越えなくてはならない問題がいくつもあり、そう簡単には実現しそうにない。これもまた私の定年後の話であろう。