相良亨の『武士道』は、鎌倉時代から江戸時代に渡る原典資料から縦横に引用しながらも、いやそうであるからこそ、ある特定の時代の武士の生き方の実像を、資料に基づいてできるだけ「客観的に」描き出そうとしてはいない。すでに、「まえがき」の中で、著者自身、あまりにも歴史的変遷を無視した議論であるという批判を予想している。その予想される批判に対して、このように答えている。
われわれが大地に立って足下の地面をみれば、視界に入るのは、たかだか数坪である。だがビルの屋上から見下せば、一小都会は一望の下に見下せる。今もし人工衛星から地球に向けてシャッターを切れば、地球の反面が円形としてうつし出されてくる。私は今武士の全景が全体的に見渡せる距離から武士をとりあげているのである。武士の姿勢に歴史的な変遷があったことも知っているが、今はその変貌が問題なのではなく、変遷のなかに貫いているもの、あるいは変遷のなかにその輪郭をあらわにしてきたものが問題である。(11頁)
共時的なものに対する視点の距離と視界の広がりの変化によって起こる視像の変化を類比的に歴史的事象に適用するのにはかなり無理があるように思う。しかしそのことは今措く。そもそも一望の下に見渡せるような全景があるのだろうか。「変遷のなかに貫いているもの」は仮説的に想定されているに過ぎないのではないか。「変遷のなかにその輪郭をあらわにしてきたもの」にしても、何かが時間の経過ともにより明確な形を取るようになることが前提されているが、これも仮説的な想定に過ぎないだろう。そういうものがあると仮定して、それに見合う史料を寄せ集めて武士像を仮構することにどんな意味があるのだろうか。本来、どこにも実在しなかった虚像を描き出しただけに終わるのではないのだろうか。これらの問いは相良の方法論に対する批判ではない。私自身の問いなのだ。このような方法でいったい何に迫ることができるのだろうかと自ら問わざるを得ない。
これらの答えのヒントはもちろん本文のいたるところにある。たとえば、「二、名と恥」の第一節で、内村鑑三の『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』から「われわれは他をさばくにあたって公正で寛大でありたい。われわれは敵の最善最強のものと相対したいと思う」という一節を引いて、ルース・ベネディクトにはこの公正がないと痛烈に批判した後、「われわれは、彼とともに我の最強最善なるものをまず理解すべきではなかろうか」と述べている。
つまり、まず歴史の中から最強最善の武士像を彫り上げることを相良は試みようとしているのだ。その武士像に対する批判は、その後、あるいはその過程で徐々に研ぎ澄まされていく。このようにして日本倫理思想史に自らを書き込むこと、それが倫理思想史家としての相良の「覚悟」なのだと私は思う。