内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

その人が生きた時代の空気を感じ取る感性

2021-03-21 20:15:28 | 講義の余白から

 明治思想史を語るとき福澤諭吉はどうしても避けて通れないから、毎年授業で取り上げる。取り上げる以上は福澤の功績を主に述べることになる。せいぜい一二回話すだけであるから、話題にしておいて、わざわざ粗探し捜しをしたり、貶したりすることはしない。
 思想家としての福澤が好きか嫌いかと問われれば、あまり好きではないと答えざるを得ない。嫌いというのではないが、熱心な読者にはとてもなれない。胸のすくような啖呵を切っている章節は読んでいて痛快だが、思想的深みに欠けていて、つまらないなあと思ってしまうことのほうが多い。
 それはともかく、授業では、『学問のすすめ』や『文明論之概略』の一節を私が声に出して読む。思想内容だけでなく、福澤の文体(つまり思考のスタイル)を耳で感じてもらいたいからだ。その文体は、現代日本語ともいわゆる古典文学とも擬古文とも漢文調とも違う。明治の日本語の清新な息吹だ。例えば、『文明論之概略』の中の「権力の偏重」を弾劾する箇所は、まるで歌舞伎役者が大見得を切っているようだ。
 先達の稚拙や単純や齟齬や不明を笑うことは簡単だ。でも、その人が生きた時代の空気を感じ取る感性を身につけることのほうが百倍大切だと思う。