「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ」とは、言うまでもなく、終戦の詔書にある表現で、昭和天皇による玉音放送の一節として、終戦の場面を描く映画などにおいても、それこそ数え切れないほど使われてきた。戦後生まれの大多数の日本人にとってさえ、昭和天皇の玉音放送の声と切り離してこの一節を思い出すことは困難なのではなかろうか。
「堪える」と「忍ぶ」とはどう違うのだろう。この一節に関するかぎり、類義語を重ねることによる強調表現という以上の役割はないように思われる。ところが、古語辞典によると、両者は、類義語ではあっても、明らかに弁別的価値を相互に有している。この点、手元にある辞書のなかでは、『古典基礎語辞典』(角川学芸出版 2011年)と『ベネッセ全訳古語辞典』(改訂版 2007年)が特に参考になる。
「たふ」には「堪ふ」と「耐ふ」の二つの漢字表記があるが、両者の違いはここでは問わない。
『基礎語辞典』の解説を見てみよう。
タ(手)アフ(合ふ)の約。手を向こうの力に合わせる意。自分に加えられる外からの圧力に対して、それに応ずる力をもって対抗する意。外力に拮抗する力をふるうので、その結果として、現状をもちこたえ、我慢し、じっと保つ意。また、自分自身の激しい感情については、それを抑え、こらえるの意。この用法は打消表現で用いられることが多い。また、外力に応じ、抵抗し、負けないだけの能力の大きさがあることを示す場合もある。類義語シノブ(忍ぶ)は、外に表れないように自分の動きや気持ちを隠し抑える意。
「耐(堪)える」が、外力に向かって対抗する、対抗しうる、その状態を保持するという外向性をもったアクション、その持続、あるいは持続の可能性を意味しているのに対して、「忍ぶ」は、内にあるものが外に表れないようにする、それを隠す、秘めるという内向的な状態の保持を意味しており、両者は、いわば意味エネルギーのベクトルが互いに真逆の関係にある。
両語のこの違いを前提とするとき、馬場あき子による式子内親王の名歌「玉の緒よ絶えなばたえねながらへば忍ることのよわりもぞする」についての以下の評釈がよりよく理解できる。
この式子内親王の一首は、“忍ぶ”ということ以上に“耐える”ことがテーマになっており、その究極には“死”をさえ考えている激しさは、個性的という以上に、むしろ異常でさえある。それは、新古今集の特色をなした艶麗・典雅な抒情からは、少しくはみ出した真率な調子をひびかせ、しかもなお幽玄な雰囲気をたたえている。(『式子内親王』講談社文庫 1979年)
忍ぶる恋の臨界を突破し、耐えることの限界に達し、そのことが「玉の緒よ絶えなばたえね」(「私の命よ、人思う苦しさに絶えだえの命の糸よ、ふっつりと切れてしまうなら、いっそそれでもよい」)という絶唱を生んだ。「凡歌尠からぬ小倉百首撰の中では、稀に見る秀作の一つ」と塚本邦雄が『新撰 小倉百人一首』(講談社文芸文庫 2016年)で例外的にこの歌を称賛しているのもゆえなしとしない。